阿佐ヶ谷 高円寺駅 中野→
 三代将軍家光が、それまで小沢村と言われていた村名を高円寺村と改めさせました。また、杉並の謂われは、江戸初期に成宗村・田端村の領主になった、旗本岡部氏が、村境の印として、青梅街道沿いに杉を植えたことによります。
 青梅街道は慶長11年(1606)、江戸城修築の城壁用に青梅より石灰を運ぶ道として、大久保石見守長安によって開かれました。道中には中野、田無、小川、箱根ヶ崎等が継送りのための宿駅が置かれました。江戸中期以降は江戸と近郊農村との野菜などの商品流通路、甲州裏街道としての性格を強め、御獄参拝、秩父巡礼の通行路としても発展しました。
阿波踊り
高円寺
高円寺
 宿鳳山高円寺には、徳川三代将軍の家光も鷹狩りの時に御膳所として立ち寄っていました。現本堂裏の高台が「御殿跡」と呼ばれ、境内には家光寄進の茶室跡を残しています。
妙法寺
妙法寺
 堀之内のお祖師さまとして有名な日蓮宗の名刹。江戸時代は参拝客で賑わい、行楽地であった。今も門前町の面影が残っています。境内の鉄門は明治初期の和洋折衷式であり、重要文化財に指定されています。

home