←恵比寿 目黒駅 五反田→
 朱引の内側、権之助坂、行人坂、大円寺はほぼ今の区画のままである。駅前は三田用水が流れ播磨三日月藩邸があった。目黒不動は当時から江戸近郊の観光地だった。

目黒歴史散歩

旧朝香宮邸
旧朝香宮邸
 旧朝香宮邸は20世紀の始めにヨーロッパで全盛を極めた、アール・デコ様式を取り入れています。
 日本ではこの様式が住宅に取り入れられたものは少なく、インテリア・デザインが完全な形で残る唯一の例とされています。
白金自然教育園
白金自然教育園
 水戸光圀の兄に当たる松平讃岐守頼重の下屋敷、樹齢300年の黒松の老木が当時の庭園の名残を残しています。
 昭和37年自然教育に貢献する施設として整備され今日に至っています。
大円寺
大円寺
 明和9年(1772)大円寺より出火した火事は、芝、郭内、日本橋、本郷、浅草、吉原、千住まで延焼した。死者・行方不明者約20,000人の大惨事となり、明暦の大火(1657)以来の惨事となった。
 この火事の焼死者供養のための五百羅漢像が境内の崖斜面に有る。
独鈷の滝
独鈷の滝
 天安2年堂于を造営するに際して、慈覚大師が所持の独鈷を投じて、建設の敷地を卜したところ瀧泉が忽ち湧きたしたので「独鈷の滝」と称してより、今なお1100余年絶えず湧き出ています。
 大師はお堂の棟札に「大聖不動明王心身安養呪願成就瀧泉長久」と付記して瀧泉寺と名付けられた。関東最古の不動霊場です。
目黒不動
目黒不動
 天台宗の古刹、大同3年(808)慈覚大師の開山。元和元年(1615)火災で焼失したが、寛永元年(1624)三代将軍家光が再建し、鷹狩りの本陣をこの寺に置いて以来、歴代将軍の保護を受け、寺運も栄えた。
 寺は台地の突端にあり景勝に恵まれ、江戸時代より庶民の信仰と行楽地として人気があった。
行人坂
行人坂
 大円寺を拠点とする修行道の行者が行き来したため行人坂と言われ、大円寺は明和9年行人坂火事の発端地で幕末まで再建は許されなかった。右手に見えるのが大円寺で境内に明和9年の大火の死者を弔うために五百羅漢像がある。
目黒川
目黒川
 行人坂を下り、太鼓橋より目黒通りの新橋を望む。歌川広重の「名所江戸百景 目黒太鼓橋」の上ですが脇に残る古木以外に面影は有りません。

home