←両国 錦糸町駅 亀戸→
 両国橋の架設により開け、万治3年(1660)より置かれた本所奉行所により、格子状の地割りと掘り割りが計画的に作られた。錦糸町の由来は大横川と横十間川の間にあった、東西の割下水の錦糸堀から来ている。猿江恩賜公園は江戸時代に貯木場だった、維新後は宮内省御料となり震災後に公園となった。

津軽神社
津軽神社
 長崎橋の辺りに津軽神社があり、一帯は弘前藩主津軽四郎為信の時に一万坪の下屋敷であった。祭神は伏見稲荷神社の分神であり、境内には江島神社の分神を祭る弁財天がある、鳥居は明治百年を記念して昭和44年に再建されたものです。
平河山山内寺町
法恩寺
 太田道灌公は長禄2年(1458)に、江戸城を築城した折り、城内の祈祷所として、平河山を平河村(現在の平河門付近)に建立した。京より日佳上人を招き開山した。徳川家康公が幕府を開くに当たり慶長10年(1605)神田柳原に移り、その後、元禄8年(1659)に幕命により現在地に移転した。現在は塔中4ヶ寺であるが元禄当時は20ヶ寺を擁したと伝えられている。当地を太平町と呼ぶのは太田道灌公の「太」と平河山の「平」を合わせたものです。

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