感想注意報(2003年版)
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 例えば、街であったイベント。
 例えば、デパートの中であった出来事。
 例えば、電車の中から一瞬だけ見えたシーン。
 例えば、新聞やテレビで報道された事件。
 例えば、自分が遭遇した場面。

 そんななかで、「これはこれは・・・」と思った事柄について、その感想をつらつらと書いているページです。(勿論、ノンフィクション)

感想注意報
2度あることは
騙す奴 ふとんのなか
やってしまった! 拷問
もどかしさ トラブル
おとぎ話と皮膚の下 構成の力
流行の先 いっそのこと
行列の先 ローラーシューズの子供
くそ野郎 外見で判断すること
花は盛りに見るものかは 春の嵐
買い物ブギ 環境移行


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2度あることは
 ・2003/12/21

 「ローマの休日」のDVDを買おうと、昼から自転車に乗って有楽町へ向かう。
 今日はいつものルートを変えて、自宅から小岩、亀戸、両国、銀座という国道14号線主体のコースをとった。
 順調に走り、日本橋を過ぎて高島屋の前を通過するとき、後ろ側から「バンッ」という音が聞こえた。聞き覚えのある音。
 また、後ろホイールのスポークが飛んでしまったのだった。
 あっという間に歪んでしまったリム。ニップル回しで残ったスポークのテンションを調整して、振れは抑えたものの、走ってみるとグニャグニャという感じがして、とても走れたものではない。
 前回修理してもらった晴海の自転車屋までは、1時間はかからないだろう。ただし、換えのスポークは無い可能性が高い。なぜなら、前回のスポークトラブルの時に、予備のスポークを取り寄せてもらうようお願いしてあるのだが、まだ納品の連絡が無いからだ。
 目の前には東京駅の八重洲口。
 少し考えて、自転車を置いて一旦家に帰り、車で取りに来ることにした。
 家まで電車で1時間と少し。車で戻ると2時間くらいだろうか。仕方がない。歩道脇のガードレールに自転車をくくりつけ、とぼとぼと駅に向かって歩き出す。
 家から東京駅前までは、自転車で通ったルートと同じにした。年末というか、クリスマス前なので、デパートやおもちゃの店の前には駐車待ちの車がずらりと並ぶ。そういえば、自転車でも非常に走りづらかった。
 日本橋に近くなると、これまた百貨店の客のものと思われる車が路駐列となし、さらに客を待つタクシーも重なっている。まったく(怒)
 幸い、自転車はそのままガードレールの所にあり、ひとまずホッとする。
 次に考えたのは、後ろホイールをどうするかである。
 「やってしまった!」で前ホイールを交換する羽目になっていたので、これを機に後ろも同じホイールに変えることにする。こんなことなら、一緒に変えておけば良かった。
 明日の自転車通勤に間に合わせるために、行きつけの自転車屋に急ぐ。東京駅前を出発したのが6時過ぎ。自転車屋は7時半まで。はたして、間に合うだろうか・・・。
 まぁ、結局間に合ったのだが、先日車検で大枚はたいた財布から、またまた万札が飛んでいくのだった。
 それにしても、腹が立つのはホイールのトラブル。同じホイールで2回のスポークトラブルが発生したということは、引き続き発生するということだ。予備スポークが手に入っていない現在、心配しながら走るわけにはいかない。
 ただ、どうせこういう状況になるのだったら、もう少しいいホイールにしておけば良かったかな。
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騙す奴
 ・2003/12/07

 先月末に、「(株)オンラインコミュニケーションズ」なる会社から封書が届いた。
 何かのアンケートかな?と思いつつ開封してみると、請求書。しかも、アダルトサイト使用料の。いつだったか、前に来たのはメールだったけど、内容はほとんど似たり寄ったりだ。
 もちろん、全く心当たりがないし、社印も押していない請求書というのも変だし、担当者という人間の連絡先は携帯電話だし、なにしろ、請求金額の内訳と消費税額が合っていない(笑) まったくでっち上げもいいところだ。
 で、検索してみたら、同様の文書が多数に送られているようで、某サイトには「うちにも来た」「どうしたらいいのだ」という話がアップされていた。
 僕は、以前の同様メールもあったので、端から無視することにしていたが、住所が流れている事自体が不安である。で、そのサイトには「102」という某鉄道会社のHPに登録している人がやられている、と書いてあった。
 あ、それだ!
 僕はその「102」のHPの会員に登録していたのだ。真偽を確かめるべくHPから事実確認の書き込みを行った。次の日、そこからは(会員データ漏洩の事実は確認できていないが)調査を行う、との回答メールが来た。
 また、同じ日、新聞にも今回の事件が載っていたが、被害は60人程度と書かれていた。おそらくこの数字は被害届や公的機関に相談した人数だろう。実際はもっと多くの人の所に届いているはずだ。
 問題は2つある。
 一つは勿論、データ管理がきちんと行われていたか。
 もう一つは、騙す奴は誰か、だ。
 僕は騙されないけど、不安に駆られて金を払ってしまう人がいるかも知れない。
 102の調査はどうなるかは分からないが、会員に文書が送付されていることは明らかなことである。誠意ある対応をお願いしたい。
 また、当たり前だが、犯人を早く捕まえて欲しいものだ。
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ふとんのなか
 ・2003/11/27

 前回の話から続いているといえる。
 そのあと、どこからもらったのか分からないが風邪をひいてしまった。
 のどの調子が悪いのは発表練習のためと思っていたのだが、終了後も直らず、週明けには咳と熱。仕方なく週の前半は休みとなった。(と簡単に書くと大したことないように感じるけど、咳と痰で眠れず、久々の熱で朦朧となっていた)
 少し良くなって、週の後半2日に出勤したのはいいが、それが不味かったのか再び悪化。 会社から出る頃には、声が出ない。声までやられてしまうのは十年ぶりくらいだろうか。日曜日にホイールの件で自転車屋へ出かけたのも後押ししてか、また会社を休む羽目に。一体何をしているのだろう>自分
 本当は出社するつもりだったのだが、前後不覚というのか、今何時で、外が明るいのか暗いのか、雨か晴れか全然分からない。ふとんの暖かさだけが唯一安心できる感覚。メシも食べられず、何度かトイレに立つくらい。筋肉が弱って溶けていくような感じ。
 一番弱ったのが寝入りばなの咳だろう。咳をして数十秒はいいのだが、それを過ぎるとのどがひりつく感じがしてくる。我慢していると横隔膜が痙攣寸前とでもいうのだろうか。のどの奥からビクッと波がくる。結局、咳をせずにはいられない。眠れない。眠れない。
 咳止めを飲んでも効かず、咳とのどのひりつきが繰り返される。それでも、いつの間にか眠りに落ちている。
 気が付くと、寝間着のスウェットは汗でじっとりしているのに、つま先は冷たい。枕は湿っているのに、頭の位置を変えたくない。
 まぁ、誰だって風邪をひいたときはこんなもんだろう。本当の状態なんて、言葉では表せないことが多いのではないか。あるいは、自分が経験したことのない状態にまで想像力を働かせることは難しい。逆に、僕は頭痛持ちなので、同様の状態にある人がいると、自分まで痛くなりそうである。
 とにかく、風邪だったり頭痛だったりして伏せっていると、確かなのは自分の下にあるふとんを経由して大地の上にいることと、自分の上にあるふとんの暖かさでまだ生きているという実感である。大袈裟だけど、まぁ、そんなもんだろう。
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やってしまった!
 ・2003/11/14

 一日のうちに「やってしまった!」と思うことを2つ。

 その一つ目。
 社内である発表会があり、僕は何年かぶりに発表者として、偉いひとからそうでない人の前で、プロジェクタで映し出されるページに説明をしていた。何ページ目かの説明が終わり、次のページへのつなぎのコメントを入れるはずだったのだが、それが飛んでしまった。空白の数秒(一説には10秒くらいあったらしいのだが、僕自身は良く覚えていない)があって、しどろもどろで次のページに行った(らしい)。
 何度も練習したんだけどなぁ。
 とりあえず発表自体は終わって、次に質疑応答の時間が来た。
 いくつかの質問があったが、そのうちの一つは事前に分かっていたものだったので、用意した資料にいくつかのコメントをつけて無事終了(かな?)。偉い人からの質問が続き、どのタイミングだったかは覚えていないのだが、僕の発したコメントが原因で、会場がドッと受けたのだ。まぁ、あんまり笑いには関係のない発表会なので、これはこれで「よし、もらった〜」と思いました(笑)。
 終わった後、他の人からも言われたのだが、発表自体よりも質疑応答の方がハキハキと流れるようだった。まぁそうだよな。どっちかといえばアドリブ寄りの性格なんだろう。偉い人相手にタメ口っぽい喋り方とも言われたのには、ちょっと冷や汗ものだったが。

 その二つ目。
 その発表会の後、打ち上げということで、駅前で飲み会。ただ、会社から駅までは遠く、この日は車で来ていたので一度家に帰ってから、自転車で飲み屋へ。
 一次会は焼鳥屋、二次会はよく使う飲み屋。酒に弱いので、二次会はウーロン茶で過ごす。
 さて、11時頃に自転車でのろのろと家まで帰るのだが、一次会の酒が頭にきていて甚だ痛い。(二日酔いの前倒しなのだ) 前方を照らすライトも心持ち暗く見える。それでも40分くらいかけて家のそばの十字路まで来たところで、それは起こった。
 直進は赤信号だったので、十字路の歩道の部分で止まろうとブレーキをかけ始めた瞬間、右側から無灯火の自転車がぶつかってきた。ビンディングシューズを履いていて足がペダルにくっついたままなので、僕は跨った状態で横転。何が起きたのかを判断するために、ちょっとばかしそのままでいたら、小さな声で「大丈夫ですか、すいません」と言っている。
 「なんなんだよ、ばかやろう」と少し酔いが残っているせいで気が大きくなっている僕は強気に出てみた。(おいおい、酒気帯びだぜ>オレ)
 「すいません」
 「なんだよ、無灯火でよぉ」
 と言ってから気が付いたのだが、相手はママチャリで、点けていたとしてもダイナモだろうから、停止している今はライトがついていなくて当然だったのだ。(僕はLEDのバッテリーライト) でも、反論しないところを見ると、やはり無灯火だったのだろう。
 起きあがって、僕の自転車に支障はないかと見回していたら、そいつはいつの間にかいなくなっていた。なんだあの野郎、と思ったが、特に怪我もなく、大事に至らなかったようなので、家に向かって走り出す・・・。
 ???
 ありゃ〜〜、前輪が歪んでいる〜〜〜。
 あぁやっちまった。
 ブレーキシューにリズミカルに当たる音が、何とも悲しい。つい先日、後ろ車輪のスポークトラブルを起こしたばっかりなのに。
 次の日、前日に引き続き痛い頭を押さえつつ、自転車屋へ前輪を持って行く。
 「こりゃ、完治は無理ですねぇ」
 おいおい、あの野郎、今度会ったら弁償さすぞ。
 とりあえず、応急処置をしてもらったのだが、横振れの他に縦振れも出ていて、ホイールの買い換えを勧められた。とほほ。

 自転車屋から戻ってみると、郵便物が来ていた。
 何かと開けてみると、これ
 ツール・ド・フランスの記念グッズです。ELITEの記念ボトルと、我が愛車ビアンキの2003年チームのフォトCD、ミニノート。ランス・アームストロングに次いで2位だったヤン・ウルリッヒの勇姿がまぶしい。(これはCyclingWeb.jpのプレゼント抽選品です)
 嬉しいけど、悲しい(涙)
 しばらくしたら、ホイール買い換えかなぁ。
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拷問
 ・2003/11/04

 11月の1〜3日は連休だったのだが、仕事の関係で浜松に出張。
 行きは東京駅始発なので、座れた。問題は帰りである。
 浜松駅には、1時間に、こだま2本、ひかり1本しか停車しない。確認してはいないが、ひかりはおそらく自由席に座ることは出来ないであろう。しかも、スケジュールとひかりの時間はだいぶあるので、こだまに乗ることになる。
 仕事が終わり、駅で土産のうなぎパイと、食いそびれてしまったウナギをなんとかしようとウナギ弁当を買って、ホームに向かう。階段から人が降りてきていて、既に列車は到着していた。
 僕は、列車の最後尾に向かって小走り。
 なぜかというと、禁煙車を目指していたからだ。
 しかし、すでに空席はなく、先頭に向かって探し始めた。
 3号車は喫煙車。禁煙車より、若干人が少なく、空席もちらほらとある。僕は車内で食べようと考えていたウナギ弁当の匂いもあるので、しかたなく通路側に空いていた席に座った。
 列車が走り始めてすぐに弁当を使い、お茶を飲んで一息つくと、目の前に霞がかかっているような感じ。ウナギの匂いでごまかされていた車内の空気が重たく、のどがヒリヒリとしてきた。
 斜め前の席では、ひっきりなしにたばこを吸い、空になった箱が背もたれにあるかごの部分に何個か挟まっている。煙はそこだけかと言えばそうではなく、すぐ後ろ、2列前など、まるで包囲されている様なものだ。
 読むつもりだった本もページを開く気分になれず、途切れない煙から逃げようと、何度かデッキに出て深呼吸。いくつかの駅に停車する度に、禁煙席に空きが出来ないかと見ても、東京に近づくにつれて人が多くなってきているようだ。
 少しでも綺麗な空気をという望みは諦めて、ハンカチを口に当てながらウトウトする。のどの痛みは段々強くなってきているが、我慢。いつだったか、長崎から福岡に向かう列車の中でも、同じような経験をしたなぁ。どうも、長距離を走る列車にはついていない(笑)
 たぶん、たばこを吸う人には分からないだろうし、気が付いてもいないのかもしれない。まぁ、喫煙車に座っている自分が悪いと言われりゃその通りかな。文句を言うとしたら、JRの車両部門か。もっと空調のしっかりした箱にしてくれ。
 2時間あまり、拷問のようなと言えば大袈裟だけど、やっぱり次は立ってでも禁煙車にいるべきだと思う今日この頃。でも、禁煙・喫煙の組み合わせに限らず、気が付いていない拷問空間というものも、きっとたくさんあるのだろう。
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もどかしさ
 ・2003/10/25

 先日、とある会社の営業マンがメーカの技術者を連れていくので話を聞きたいということで、商談スペースで会ってみると・・・。
 その技術者は韓国の人であった。メーカ自体はアメリカにあるのだが、担当している部門は韓国メーカを買収したもので、当然技術者はその国の人だったのだ。
 その人は日本語を話せなく、英語で説明してくれた。内容自体は僕も多少は知っている技術だったので、言っていることは大体分かった。ネイティブの英語ならば聞き取れなかったかも知れない。英語圏以外の人が話す英語は、きっと日本人には聞きやすい傾向なんだろう。
 そこまではいいのだが、問題はその先である。
 聞きたいことがあっても、言葉が出てこないのだ。
 中学、高校、大学と(大学ではほとんど勉強してないけど(汗))、長年英語を勉強してきたけど、結局、話すという点においては役に立っていない。
 英語を聞くということは、洋楽を聴いたり、映画を観たり、FM放送のDJ番組を聞き流したりすることで、多少の積み重ねがあるのだろう。(それも程度問題だけどね(笑))
 しかし、話すことは別である。自分の言いたいことを英語として口から出すためには訓練が必要だ。つまり、生活の中で英語を使って喋る時間を持たないと、永久に使える状態にはならないのである。
 技術者の話す英語を聞きながら、もどかしい思いをいっぱいにしていた。
 いまさら英語教育のあり方をあれこれ言ってもしようがないけど、「実際に使えない」英語を教えるのはもう止めにした方がいい。既に多少の変化はしているのだろうが。
 ホントは、それ以前に、必要と思うなら自分で何とかする方策をとるのが一番なんだろうな。そういう意味では、他人の所為にしてはいけないのだ。
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トラブル
 ・2003/09/28

 久しぶりに雨の心配のない日曜日。
 少しエアの抜けたチューブに追加の空気を入れ、いつものように江戸川サイクリングロードを下流へと向かう。少し北よりの風。ちょっと前までは海からの強烈な南風が気持ちを萎えさせるくらいだったのに。快調にとばして約1時間で葛西臨海公園に到着。
 公園で顔を洗おうと思って、毎回使っている水飲み場に行ってみると、蛇口のつまみが取れている。きっと、これから寒くなっていくので、水の需要がなくなるということで外してしまったのだろう。諦めて、銀座方面に向かって漕ぎだした。
 思えば、これが躓きの始まりだったのかもしれない。
 葛西臨海公園からは湾岸道路の歩道伝いに走り、東雲駅前で晴海通りに入る。豊洲の先には晴海運河を渡る春海橋がある。トラブルはそのとき起きた。
 「バキッ」
 車輪が小枝を踏んだような音がして、なんだかスピードが鈍った。ちょうど橋の真ん中に到達する前だったので、少し上り坂だからかな、と思ったのだが、下り坂に入ってもペダルが重い。
 これはおかしい!
 橋を渡りきった先で自転車を降り、ホイール部分を点検してみると・・・。
 スポークが一本、ブラブラしているっ。
 ニップルの部分が無くなっていたのだ。自転車を押してみると、後輪のリムが歪んできていて、一回転するたびにブレーキパッドに当たっている。だから走りが重くなっていたのだ。
 こんなトラブルは想定していなかったので、勿論スポークの持ち合わせはない。この場所から一番近い自転車屋は晴海トリトンスクエアにある。仕方なく、歩道をとぼとぼと自転車を押しながら歩いていく。時折、車道をロードバイクが僕を追い抜いていく。リムの歪みがひどくなってきたのか、後輪の引っかかりがより重くなってきている。
 15分ほど歩いただろうか。目指す自転車屋に到着し、修理を依頼。ところが、長さと色の合うスポークが無かったため、預けてきた。ここから先は歩きだ。
 晴海から銀座、有楽町、大手町、お茶の水と歩く。
 自転車用の靴(ビンディングシューズ)なので、ソールが堅く、しかもクリート(靴をペダルに固定するために付いている金具)が地面に当たるのでカチャカチャと音を立てるし、微妙な凹凸があって歩きにくい。普通の靴と比べれば、遙かに疲れる。
 お茶の水で本を買った後、神田、秋葉原、上野とさらに歩く。
 つま先が痛い。
 日が落ち、上野から電車に乗る。ずっと自転車のつもりだったから(当たり前だ)、服装は半袖Tシャツと短パン。運動していればいいのだが、さすがに二の腕が冷たくなるほど。車両の中には僕みたいな服装をしている人はいない。しかも、バックパックにはヘルメットを吊しているから、他人から見れば「変な人」かも。涼しさに少々頭も痛くなってきた。
 家に着くと、さすがにホッとした。
 でも、何かを忘れてきたような気分。
 それはそうだよ。自転車を置いてきたのだから(笑)

 トラブルは、思ってもみないところで起きる。
 でも、それに対する準備は限定的にしかできない。パンク程度であれば容易に予想できるし、実際に修理して走り続けたこともあるから、セットは携帯している。でも、確率の低い出来事に対しては、どうしても対処できないのだ。
 これを機に、次からスポークも携帯しなければならないのかな・・・。
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おとぎ話と皮膚の下
 ・2003/09/22

 今日は日曜日と、火曜日の秋分の日の間の月曜日で、会社はあったのだが、用事があって休み。たいした時間はかからない内容だったので、ちょっと新宿に出て映画を見た。
 『ローマの休日』
 制作50周年で、ディジタルニューマスター版ということで、どうしても観たかったのだ。映画館で観るのは久しぶり。そういえば最後に観たのは同じ映画館で『アマデウス』だった。一番観ていたのは、今は無き銀座文化劇場(名前が変わってしまったのだ)でオードリー特集をやっていた頃。そのときにも『ローマの休日』を観たのだ(相当前です(汗))
 ニューマスター版とはいえ、半世紀も前の映画である。記憶にある画像との差は正直言って良く分からない。ざらつきに気が付かない程度になっているみたい。ざらつきと言うことでは、予告編でやっていた別の映画の方がひどいくらいだった。
 残念ながら、音声はそのままらしく、静かな場面ではバックノイズの大きさに気持ちが向いてしまう程であった。
 ストーリーはご存じの方が多いであろう。おとぎ話である。しかも笑える。忘れていたのだが、くすぐりというか、ちょっとしたギャグが沢山盛り込まれていて、劇場内は笑いがとぎれることはなかった(というのは勿論大袈裟ですが)。
 オードリー・ヘップバーンは若くて可愛くて何も言うことがない。
 だけど、僕は、初めてこの映画を観たときから、相手役のグレゴリー・ペックの行動に移入してしまっている。お互いに秘密を悟られないようにし、しかも自分には二重の秘密をもっている。
 自分の身分を隠していること。彼女が王女であるのを知っていること。
 そして、分かっていることは、このまま続く現実ではないこと。
 だからこそ、最後の会見のシーンが終わり、彼が立ち去りがたい想いを抱えつつ、振り切ってその場を後にする場面が心に染みるのだ。心だけでは乗り越えられない壁の大きさ。どうにもならないこと。
 そうなのだ。どうにもならないことがあるのだ。
 どうにもならないことを知って、きっと大きくなるんだろうな。

 映画館を出るとまだ明るい。そこで前回満員でまともに見られなかった『新・人体の不思議展』に行った。
 平日の午後なのに、そこそこの込みようであった。一体この時間に会場にいる人はどういう生業なのだろう?
 じっくりと説明書きを読んで、プラストミック標本を前から後ろから覗き込み、ぐるぐると会場を回った。切り開かれ、内蔵を露わにしたり、あるいは取り除かれていたり、輪切りになっていたり。どの標本も、普通の生活の中では一生目にすることはない。我らの皮膚の下には、例外なくこういう構造があり、血液が流れ、筋肉が収縮しているのだ。
 避けようのない現実。
 誰もが、皮膚の下に見えない標本を抱えている。
 会場には、持ち上げることが出来る「脳」と自由に触れる全身標本があった。
 脳は手のひらで持ち上げると、ずっしりとしていて密度がある。表面に浮き出ている襞は、もう何の意味もない。全身標本の筋肉は、生々しいビーフジャーキーと言ったところ。しかも、感触はまさしくその通りである。あるいは、うたた寝して、うっかり腕を体の下にしてしまって、全く感覚を無くしてしまったときにもう一方の手で触ったとき(これは経験がないと全然分からないね(笑))と同じだ。
 とにかく、生きている限り、機能している身体とともにあるわけ。

 結局おとぎ話も、これらの上に成り立っているんだね。いつもは全く気にも留めないけど。何もなければ何も生まれないのだ。

以下雑談・・・・
「ローマの休日」で、アンがブラドリーの部屋に来て寝間着に着替えるとき「薔薇のつぼみのネグリジェ」と言っていたが、これは「市民ケーン」の影響か?
冒頭のレセプションの場面で、来賓の挨拶を受けるとき、その人の使っている言語にあわせてお言葉を返していたが、いったい何カ国語を話せる設定になっていたのだろうか
カフェでアービングが最初にアンに会ったとき(アン王女に似ているので)「かえだま」と言ったと字幕になっていたが、以前に観た記憶では「くりそつ」だったような。
アンがスペイン広場でジェラートを食べていたときブラドリーと再び出会ったが、そのとき、食べかけ(コーンが残っている状態)を捨てていたが、そこにはゴミ箱があったのだろうか?

「新・人体の不思議展」の標本はプラストミック標本と呼んでいるが、以前(97年以前の同様展示会で)はプラスティネーション標本と呼んでいた。何か技術的に変わったのだろうか。会場では説明は無し。
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構成の力
 ・2003/08/03

 昨日の8月2日は、各地で花火大会が行われる集中日だったようだ。
 かくいう僕は、毎年見に行く松戸花火大会のため、休日出勤を午後3時前に打ち切り一旦家に機材を取りに。(結局、100枚程度写真を撮ってはみたが、いいものがあれば公開します)
 松戸花火大会は、去年から構成を変えてきている。
 花火と音楽を組み合わせて、新しい花火を見せようとしているようだ。花火自体も流行している(?)ハート型やミッキーマウス型、蝶々型、ピースマーク型などの新型をたくさん打ち上げていた。音楽も、要所要所でビートの利いたものを選択していたようだ。
 しかし、会場の人々は、今年の花火大会が終了した瞬間に失笑ともとれるため息を発していた。新しい試みの裏にある予算の少なさを見抜いている。
 といっても、実際に十分な予算で運営されているかどうかは知らない。
 ただ、打ち上げられる花火の大部分が単発に近い状態であった。何年か前には存在した「組み合わせの妙・力業の迫力」とも言える花火そのもので表現できる素晴らしさを感じることが出来ない時間が大部分であったのだ。
 そういうことを補おうとして音楽を付けたりしているのかと、穿った見方をしてしまうのだ。おそらくはそうだろう。
 会場アナウンスでは、地元の大会協賛企業が読み上げられていた。はっきり言って少なくなっている。(時間の都合で全部は読み上げられないと言っていたが、きっと・・・)
 不況は未だ続いていることを示している。花火大会は、もろにその影響を受けている。

 たとえ小さな玉であっても、組み合わせることで二乗三乗の効果があることは明らか。大玉ばかりが花火ではない。実際、クライマックスとも言える終了直前には、小さな玉のコンビネーションが会場を沸かせていた。
 打ち上げる玉と時間の構成の力が、人々の歓声を生み出している。大玉があればそれに超したことはない。でも、光と音の組み合わせだけで感動を生み出すことができることを会場にいた人は知っている。余計な音楽は必要ないとは言わない。それは最小限で構わない。
 花火は、花火そのものの魅力だけで、十分に効果を発揮することが出来ると思う。

 (当日は、松戸の会場からは他に3会場の花火を遠くに見ることが出来ました(毎年のことですが)。いつもながら、江戸川下流(市川)で行われる大会には、松戸からも歓声が上がるほどの物量をつぎ込んでいるように見えます)
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大人の条件
 ・2003/07/21

 通勤経路上に高校があるらしく、私鉄駅脇の踏切に学生があふれている時間帯がある。
 ひと頃は、女子高生の足下はルーズソックスがほとんどであったが、最近はめっきり減ってきたようである。会社の若手(男)はくるぶし下までのソックスが増殖している。さらには、某管理職が同じようなソックスを履いているのを見て驚いた。ごく普通の2足1000円の安売りソックスの立場は?
 少し前、ある女性が殺された事件があって、その人の葬儀の模様がTVに流れていたのを見て、呆然とした。焼香の列に友人知人であろう女性がたくさん並んでいたが、ことごとく茶髪であった。5人10人の数ではなく、画面に映っている女性のほとんどがで、しかも明るめの色ある。
 確かに、CMでも色々な種類の染髪料があるし、身の回りでも染めている人がいる。だけど、画面の中の集団はギャグのよう。自己の主張があるようで、実は集団の中に埋もれることで安心しているような逆説。行動の理由など、探す方が難しいのかも知れない。
 僕は、何かが流行り始めると(少なくとも流行る前に自分が取り入れている事は別として)途端に嫌気がさす方なので、保守的に見られているのかも知れない。まぁ、おそらくそうなのだ。
 他人と同じ事をするのは別に構わない。雑誌やなにかから得たモノではなく、自分自身で考えた理由があれば。所詮、流行なんて理由は二の次三の次だから、堅苦しく考えなくてもいいのだろうけど、盲従することとは別だ。ガキじゃないんだから。
 理由無く他人のモノを欲しがったり、おもちゃ売り場で足をバタバタさせている子供の延長上にあるということに、気が付かなければならない。
 そうでないことが大人の条件のなのではないか。
 でも、流行は大人も魅了する。
 大人って、なんだ(笑)
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いっそのこと
 ・2003/07/13

 梅雨に入って、蒸し暑い日々が続いていると思ったら、一転梅雨寒になったりしている。
 それでも、会社に行くと、半袖では少し涼しいと思えるようななか、朝からエアコンを運転している。
 なんかおかしい。
 エアコン28℃設定なんて、未だかつて守られたことないし、そんなつもりはさらさら無い。いったん稼働したエアコンは夜遅くに帰宅するまでそのままだ。外の方が涼しいのに。どうせ、誰かがどこかで何とかしてくれるはずだ。だって、暑くては仕事は進まないし、今さっきまで暑い外にいて涼しさに餓えているんだから設定は低くしておかなければ割に合わないじゃないか。
 と、思っているのかどうかは別として、省エネルギーに対する意識は非常に低い。僕にとって直接的には会社が寒すぎてたまらなく、いつ頭痛が起きてもおかしくないほどである。
 暑いから、寒いから、といってエアコンを簡単に運転するようになったのはいつからなのだろうか。
 寒いと言っては暖房を効かして薄着する。暑いと言ってはギンギンに冷やして厚着する。
 確かに、暑かったり寒かったりするのは嫌だし、そういうことに無用の神経を使うのはまっぴらだ。だけど、暑い寒いの、当たり前のことをある程度許容できなくて、今後どうするのであろうか。
 東京電力の原発問題で、この夏の電力供給が危ないのではないかと騒がれていたが、何基かの稼働が出来るようになって、ひとまず安心ということになりそうである。だけど、それでよかったのかな?
 いっそのこと、本当に電力危機になればよかったのではないかと思うこともある。
 日本人は決まってしまえば受け入れる性質を持っているようだ。「痛い目」に遭うことが分かればなおさらである。消費税や飲酒運転の罰金、千代田区の路上禁煙などなど、例を挙げればたくさんだろう。
 だからこそ、今回はエネルギー問題の象徴として電力危機を本当の抑止力として生かせばよかったのだと。だって、お題目よりも「痛い目」でしょ。少しの満足より大きな損失を考えないとならないでしょ。誰かがどこかで上手いことやったって、僕らが何とかしなければ結局ダメなんだ、という意識が生まれないでしょ。

 確かに、夏は暑い。当たり前だ。でも、風が吹けばいくらかはしのぎやすいよ。エアコンだけでなくて、扇風機や団扇だって夏の友だ。涼しく過ごす方法がだんだんと忘れ去られているのだろうか。
 今は大丈夫かも知れない。本当に痛い目に遭うのはそう先の話ではない筈なのに。
 窓は開けるためにあるのに。
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行列の先
 ・2003/06/01

 土曜の夜にやっているTVのニュースバラエティ番組で、M百貨店で「オードリー・ヘップバーン写真展」をやっている、というのをちらっと映していた。早速、その百貨店のHPで期日を確認してみると、期間はたったの一週間で最終日は2日の月曜日まで。
 今日の日曜日は朝から雨。行こうか家でぐったりとしていようかと迷ったが、他の買い物もあるのでとりあえず電車に乗ることにした。車内で文庫を読みながら、次はいつになるか分からんから行くか、と思う。
 有楽町で降りて、銀座のM百貨店までぶらぶらと歩いていく途中、数寄屋橋の交差点でなにやら行列が。
 交番の先まで行って振り返ってみると、宝くじ売り場がそこにあった。そういえば、銀座の宝くじ売り場は一等が出やすいことで有名らしい。僕は興味ないのでどうでもいいことだが(笑) 確かに、噂はともかく、枚数がはければはけるほど当選確率が高くなるわけだから、拠り所としては真っ当なのだ。
 さて、銀座4丁目交差点に陣取るM百貨店に入る。日頃、こういう場所には来ないので、女、女、女、カップル、女、カップル・・・、と男ひとりで歩くには甚だ肩身が狭い(爆) エスカレータで展示会場に着くまで、見える売り場はことごとく女性向け。途中の階が雑貨売り場になったときはホッとした。そして展示会場のある階に到着したが、行列が会場入り口から裏側に回り込んでいて最後が見えない。その先を追おうとしたが、誰かが「行列の最後は5階にあるらしい(会場は8階)」としゃべっていた。あぁ、こりゃ何時間かかるか分からん、と「俺はトイレを探しているんだよ〜ん」てな具合で、トイレに避難し、まぁ用を足してから、会場出口にある展示会グッズ売り場で写真集を買い、そそくさとその場を後にした。
 いつだったか、江戸東京博物館でやっていた「本田宗一郎と井深大展」も行列がすごかった。これも会期末近く、少し早めに行ったので入場制限されていなかったけど、一通り見学して会場を出る頃には入場制限の列が2重くらいになっていた。
 入場前の行列くらいは、実はどうでもいいのだが、問題は会場に入ってから。写真や物品を見るだけならそんなに混み合わないと思う。しかし、説明文や資料の文言を読まなければ気が済まない人ばかりだから(僕を含めて)、入場前の行列よりも質が悪い。動かない列に紛れて、前の人の足を踏まないように、後ろの人から膝の裏を押されてカックンとこないように、などなど余計なことまで考えてしまい全然集中できないのだ。
 それはそうと、買ってきた写真集、値段(3600円!)の割には満足度が低い(涙)
 行列に並んでおいた方が良かったのだろうか・・・。

 関係ないけど、ヘップバーンという姓は、ローマ字で有名なヘボン氏と綴りが同じ。だから、オードリー・ヘボンさんという呼び方になったかも知れないし、ヘップバーン式ローマ字と呼んだかもしれないね。(発音記号からだと、ヘップバーンの「プ」はほとんど発音するかしないかみたいだ) 

 さらに関係ないけど、帰りの電車から、地平から地平へ大きな半円の鮮やかな虹を見ることが出来た。たまたまデジカメを持っていたのだが、こういうときには役に立たない。なぜなら広角側が弱いからだ。次にデジカメを買うことがあるとしたら、広角側20ミリくらいまでカバーするレンズが必須だな。
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ローラーシューズの子供
 ・2003/05/18

 まだブームが続いているのかどうか知らないけど、スニーカーの踵部分にローラーが付いていて、歩きながらでもスーッと滑るように移動できる靴がある。(有名なのはヒーリーズというメーカらしいが、ここでは関係ない)
 たまたま秋葉原を歩いていた。僕の前には家族3人(親と女の子)がいて、女の子はそのスニーカーを履いており、歩きと滑りを繰り返していた。滑るときはうまい具合に左右の踵を所定の角度にして、おうおう上手いもんだねぇと感心していたのだが・・・。
 滑り終わって歩き始めると、なにやら違和感がある。最初、何が変なのか分からなかったのだけど、しばらく観察していたら原因が何かを突き止めた。(大袈裟(笑))
 それは、踵を地面に付けないような歩き方になっていたからだった。(つま先部分から地面に着地させているのだ)
 なるほど、踵の部分にローラーがあるので、歩いているときに踵(のローラー部分)に体重をかけるとたちまちローラーが回転して転ぶおそれがあるわけだ。(つまり下手をすると両足が前後に開いて股割き状態になるってこと)
 この歩き方は、いわば「抜き足差し足」の泥棒歩きだね。
 TVでは、人混みの中で自分の動きを制御しにくいので危険である、というコメントを言っていた。それはそうだが、こっちの方がもっと根本的な問題なんじゃないかと思う。だって、他人とぶつかって痛い思いをすれば誰だって次からは気を付ける。(もっとも、相手にも怪我をさせてしまったり損害を与えることは十分すぎるほどの問題だが)
 しかし、この靴を履くことによって身に付いてしまう「歩き方」は、それ自体痛くも痒くもなく、本人だって気付いていないかもしれない。この歩き方のまま大人になってしまったらと考えると、泥棒犯罪には十二分に注意・・・、じゃなく、ホントに恐ろしい。足腰自体は問題ないのに、歩けない、走れない大人ばかりになってしまうかもしれないのだ。
 箸を使う。鉛筆を持つ。歩く。走る。転ぶ。投げる。捕る。などなど。
 当たり前に出来てきたことが、出来なくなってくる。
 出来なくなってきていることを、もっとよく考えなきゃならん。絶対に。
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くそ野郎
 ・2003/04/29

 また自転車関連ネタで、興味ない方には申し訳ない。でも、重要な話。
 最近、サイクリング道でも、一般道路の歩道部分でもよく見かける。それは・・・。
 『バイク』である。
 バイクといっても、自転車のバイクではなく、原付やスクーター、自動二輪などのオートバイの範疇にあるものである。
 特に一般道では、渋滞がひどいところで、車道から歩道に車線変更(!)して、歩行者や自転車をよけながら走っているバイクを目撃する。
 くそ野郎である。

 今日、GWの初日(いろいろ事情があって(笑))で天気も良いので、自転車でいつものコースを海まで行くことにした。家を出て、江戸川にかかる橋を渡ろうとしたとき、前方に歩道を走っているスクーターを発見。ここは渋滞で有名な場所である。ムカッとした僕は、幅寄せして文句を言ってやろうと追いかけた。幸い、スクーターの速度が遅いため容易に追いつくことができた。
 スクーターのすぐ後ろから横へ並ぼうとしたとき、相手が急にハンドルを操作して、並びかけた僕の左腕にミラーがぶつかった。
 「なんだこの・・・」
 ちょっとびっくりして中途半端な言葉しか出てこなかったが、それが聞こえたのか聞こえなかったのか、あるいはヤバイと思ったのか、スクーターは歩道の切れ目から横道に逸れ、スピードを上げて行ってしまった。
 むかつくねぇ。
 彼(彼女)らは、少なくとも免許を取るために、何をして良いか、何をしてはいけないかを学習したはずである。なのに、自分の都合のみを優先し、弱い立場の者がひしめく場所へ突入するとは。まったく、落ちたものだ。道路法規以前の問題だと思うぞ。

 似たような例として、十字路にあるコンビニの駐車場を使って、赤信号をバイパスして左折する車やバイクも多い。この国の状態を、この人々が表していると言っても、そう間違ってない気がする。

 さて、くたくたになって帰ってきて、左腕を見てみると、赤くなって少し腫れていた。
 まったく。疲れがどっとでたよ・・・。くそ野郎のおかげで。
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外見で判断すること
 ・2003/04/13

 ロードバイクを買ってから、ちゃんとヘルメットを被って走ることにした。
 今まではマウンテンバイクに帽子というパターンが多かったのだが、そのときと比べて明らかに変化したことがある。それは・・・。
 「対向してくるロードバイクの人が挨拶をくれるようになった(増えた)」
 ということである。
 江戸川サイクリングロードは、それこそ数え切れないほど走っているが、これほど劇的に変わるとは思ってもいなかった(少し大げさ)。別にマウンテンバイクが地位が低くてロードバイクが高いなどということはないが、少なくともスピードの差は出やすい。無数の自転車乗りの人々とすれ違ったり行き違ったりしてきたけど、ヘルメットを被っている人の割合はロードバイクの方が圧倒的に高い。レーシングパンツの装着率も高い。
 僕は今のところバリバリのロードバイク乗りは目指していないので、レーシングパンツもビンディングペダルも無い、単なる街乗り仕様状態である。しかし、高速走行が可能なので事故の確率も高くなるのは言うまでもない。だから心を入れ替えて(笑)、ヘルメットをちゃんと被るようにしたのだ。
 で、少なくとも、そういう外見(この場合はヘルメットだけだが)から推測できることは、つまりはそういうことで、自転車を走らせる意識は高いんだろう、となるはず。その上で、自分と同類と判断すれば、自動的に仲間意識が生まれるわけである。
 僕がいかに意識に欠ける走りをしていたって、外見でそういう判断を下されてしまうと、自動的にその人と僕は仲間であって、仲間である以上はすれ違いざまに挨拶ぐらい交わさねばいかんなぁ、となるのであろう。
 ただ、僕自身はできるだけ安全には気を付けているし、それはマウンテンバイクで走っているときと何ら変わりはない。だから、ロードバイクにだってベルを付けているのも同じだ。変化したのは僕自身ではなく、僕が乗っている自転車とヘルメット。相手は外見に対して挨拶をしているだけだ。
 とはいえ、元々マウンテンバイクで走っていたときには、すれ違うロードバイクには目線で挨拶くらいはしていたし、正直言って理由はともあれ今回の変化は気分がいい(笑)。
 外見がプラスに作用する分には一向に構わないが、逆もまたあり得る。
 そういう危険性があることを気に留めていないと、判断を誤ることは言うまでもない。
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花は盛りにみるものかは
 ・2003/04/06

 せっかくの春の日曜。ちょうど桜も盛りを迎えて、絶好の見物日和。
 だけど、朝から頭が痛くて起きられない。昨日の休日出勤が行けなかったのかな(ハンダの煙を吸いすぎた?)。今日から「鉄腕アトム」が始まるということだったので、第1話だけでも見ようと思っていたのだが、TVどころではなかった。
 そんなことより、部屋の窓ガラスを揺らす風の方が心配だ。びゅーびょーと、これでもかの音を立てている風に、はたして、桜の花は持ちこたえることができるだろうか。
 予定では、今日一日で、常盤平(松戸)、里見公園(市川)、葛西臨海公園(江戸川区)、上野公園(台東区)などを自転車で回ることにしていたのだけれど。
 ベッドの上でこめかみを押さえつつ、寝返りを何度もうちながら、徒然草のフレーズを思い出した。
 「はなはさかりにみるものかは」
 たしかこんな感じだったはずだ。ある意味、ひねくれ者の吉田兼好であるが、こういう考え方もありかなぁと思っていた。(人と違ったり、天の邪鬼だったり、ということ自体が好きなんだよな)  昨年までは、この時期にたくさんの桜の木の下を歩き、柔らかな風に吹かれていた。だけど、実際に「さかりに見れず」という状況に陥りつつある自分を考えると、決定的にそういう考え方ができないことを認識できた(笑) やはり「さかり」を見たいのだ。きっと大多数の人々と同じ考えなのである。
 美しいモノを見て、風を感じて、当然のように楽しく思うことが、こんなにも当たり前の欲求であるわけ。しかも、時間的な制限があればあるほど、それができない焦燥感は高くなる。吉田兼好とて、それが分からぬ人ではあるまい。(実際には、かの段がどういう内容だったのかは記憶にないので、ほとんど冒頭の一文だけで判断しているのであるが(汗))
 なにかを我慢しなければいけない状態は多々ある。
 でも、我慢を強要されず、自分が一歩進めさえすれば楽しく嬉しい状況になるのであれば、実行に移すべきである。
 明日の桜はどうなっているのだろうか。
 できれば、自転車で近場の桜でも見てみたいものだ。
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春の嵐
 ・2003/03/30

 極力、会社関係の話はここへは書かないことにしているのだけど、まぁ、大きなことが2つあり、私的には結構ショックだったので、さわりだけ。

 まず一つは、同期入社の仲間の転職である。
 長年勤めているから、入社当時からすると既に半分くらいは転属・転職等で会社を去っているのだが、ここしばらくはそういうこともなかったし、同じ部に属している人については安定期に入っていたような感じであった。これはもう会社から肩を叩かれるまで(笑)このままかなぁと思っていたのだけど、それはそれ、期すことがあったのだろう。
 この年になると、最早次の仕事場を探すのさえ難しいはずで、そういう意味でも今までの仕事を続ける以上にエネルギーが必要だし、認められるだけの実力があったということだ。
 よく、清水の舞台から・・・、なんて言うけれど、僕なんかは飛び降りる前に、舞台の端にさえ行けないもんね。
 それはともかく、新天地でも力を発揮して、周囲の人を引っ張っていけるようになって欲しいと思う。

 そしてもう一つも同期入社の仲間の一人が、めでたく昇進一番乗りである。
 僕の最初の感想は「えっ、俺らはもうそんな年になってしまったのか」であった(笑)
 これまた実力があって、担当する製品を背負って立つ男だから、昇進したって当たり前なんだけど、これはちょっとショックだった。若手の新規採用が絞られていた時期があったこともあり、自分ではいつまでも若手のつもりでいたんだけど、着実に年はとっていくんだと思い知らされた。
 この件でさらにショックだったのは、この人事に対して悔しいとか羨ましいとかなんてことを全然思わない自分にだ。もともと上昇欲というか出世欲というか、そういうモノには興味を感じていなかったんだけど、ここまでクールに受け止められるとは・・・。(そりゃ嘘じゃねぇの、と思う人もいるかもしれないが、ホントである。僕を知る古くからの友人は、さもありなんと言うだろう)

 ふたつの出来事があって、僕自身がどう変わる、変わらなければならない、なんてことは考えていない。目の前にある仕事は片づけていかなければならないのはもちろんだが、今楽しいのは、自転車に乗って、春風を浴びることくらいか(花粉は勘弁して欲しいけど)。今日、ようやく半日で100km走ることができた。できれば近いうちに江戸川1周(たぶん150kmくらい)したいというのが目標だったりする。
 来週は、桜吹雪の中を走れるかな。
 そうそう、今日はいいこともあったのだ。
 自販機でジュースを買ったら、生まれて初めて「もう1本」が当たった。
 嵐の中にあっても、ほんの少しの幸運はあるのだよ。
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買い物ブギ
 ・2003/03/09

 前項にも書きましたが、昨年末から現在まで、僕は買い物モードに突入してしまっております。
 パソコン、ルータから始まった訳なのですが、まずはパソコンにDVDドライブを付けてしまったのが間違いの元(笑)
 当然のごとく、DVDソフトを再生するソフト(ややこしいなぁ)をインストールするのであるが、ソフトがなければ何にもならない。だから我がβのビデオデッキで毎年のように観ている「My Fair Lady」を早速購入。いやぁいいなぁ。磨り減ったビデオテープよりも百倍いい。でも、画面が17インチだと、いまいち迫力が・・・。昨年買った29インチのTVがあるのになぁ・・・。
 というわけで、TV用のDVDデッキを追加購入。
 う〜む。すばらしい!
 その後、YMOのDVDや、「アマデウス・ディレクターズ・カット」を購入したのだが、新たな問題が。
 ・・・音がしょぼい(笑)
 TV自体にもサラウンド機能は搭載されているけども、やはりいまいち。
 というわけで、5.1chシステムを追加購入。
 う〜む。すばらしい!
 だけど、こんなことなら、TVはプログレッシブ対応にしておけばよかったな・・・。
 (そのころは、こんな状況になるとは思ってもいなかったのだ)

 そのほかに、仕事にも使いたいこともあって、デジカメを買った。買ったはいいが、パソコンへの転送が面倒なので、家用と会社用のカードリーダを追加。もちろん、カメラケースも。

 まだあります。
 前から欲しい欲しいと思っていたのだけど、たまたま正月休みに観た映画でもって我慢も限界に達しました。
 その映画は「メッセンジャー」
 あんまり期待していた内容ではなかったのですが、観終わったら走りたくて走りたくてしようがなくなりました。とりあえずMTBで正月の寒い空の下、海まで(笑)
 もっと早く、もっと快適に、もっと遠くへ。
 ということで、いよいよロードバイク買う買うモードに突入。
 もちろんねらいはBianchi(ビアンキ)。
 いつだったか、銀座の交差点信号待ちで、反対側にいた女性が跨っていたのがビアンキのロードバイク。
 ビアンキのイメージカラーである「チェレステ」。う〜む、粋でかっちょいいなぁ。
 これでブランドは決まり。あとは予算との兼ね合いだ。
 今乗っているMTBは定価約10万円なので、なんとなくその倍くらいかなと思っていたところに、昨年モデルの値引き情報が・・・。
 あぁ〜〜、我慢できん。それでも2週間は辛抱したのだが、ある日僕は銀行からお金を引き出していた(笑)

 で、買っちゃいました。
 自転車店から自宅まで、約40kmくらいあったんだけど、試走をかねて。いやぁ、軽いねぇ。すいすい走る。だけど、今まで乗っていたMTBのサスペンションに比べ路面状況がダイレクトに伝わってくることと、前傾ポジションのきついこと、ハンドリングの感覚が全然違うことにちょっと戸惑う。
 次の日。
 首筋とふくらはぎが痛い(笑) こんなにも違うのかを実感。
 たまたまコンビニに行くためにMTBに乗ったら、まるでママチャリに乗ってしまったかのような違和感。面白いねぇ。たかが自転車なんだけどねぇ。
 今日も強い北風の中、足慣らしにいつもの80kmコースを走ってきた。自転車自体が軽いこともあって?何度も風にあおられた。しばらくすれば、スピードも距離も稼げるようになるだろう。楽しみだ。
 ただ、ぴかぴかに光る自転車をおいて本屋や買い物に行くとき、心配で心配で(笑)
 押入に仕舞っておこうかしら(爆)
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環境移行
 ・2003/02/02

 Pentium/200MHzから、K6-2/412.5MHz(75MHz*5.5)に換装して使ってきたT2P4のショップブランドマシンでしたが、さすがに画像処理やCDの焼きなどにストレスを感じ、正月にようやく新パソコンに。
 こういう場合、最も問題となるのが環境の移行である。
 ハードはともかく、ソフトとデータの移行をいかにうまくやるか。
 すでにバックアップ用ストレージとして640MBMOを持っていたのであるが、SCSI接続のため気軽に新旧のパソコン間で付け外しするということもできない。10BASE-Tのクロスケーブルを使って直接接続することも考えたが、インターネットの接続が中断されてしまう状態には極力したくないこともあって却下。(非常^2に遅いが、一応フレッツなのである(涙))
 まぁそういうことで、実際のデータ移行は正月あけしばらくまで保留していた。
 実際にはどうしたかというと・・・、ルータの導入である。
 今までのイメージからすると、ルータなんて一般市民の手の届かないような、値段の高い、特殊用途的な機器だった。しかし、ADSLの普及に伴って、価格は安く、性能は高くなっていたのだ。調べてみたら、通常の用途ならば、5千円前後の機種で十分に用が足りる。これで新旧のパソコンを接続しつつ、インターネットへの接続も確保されるというわけ。世の中進んでますねぇ(笑)
 一番安いルータを買ってきて、つないでみたらあっさりとすべてがうまくいき、少し拍子抜け。データの移行もサクサクと進み、それ自体は終了。しかし、それらのデータを使うためのソフトが全然インストールされていない。購入したパッケージソフトはいいのだが、どちらかというとオンラインソフトの比率が高いので「窓の杜」や「Vector」でダウンロードする日々が続く。レジストしてあるソフトはパスワードをノートから引っ張り出す。まぁ、そういう作業も楽しいといえば楽しい。
 処理速度が速くなったので、これを機にメインブラウザをNetscape7に変更。いろいろと問題が多いのでインターネット・エクスプローラは却下(笑) Netscape4.75ではスタイルシートを使ったページがぼろぼろになることもあったけど、とりあえず現在までのところ問題はなし。
 ただ、僕のページはBGMでMIDIを使っている個所があるのだが、適当なプラグインが無くて困った。そのページにいくと自動的にネットスケープのプラグインセンタページを開くのだが、MIDI用プラグインを検索しても無いのである。これじゃ自分のページの動作チェックができない。しかし、幸運はどこにでも転がっているものだ。まったく別件でインストールしたソフトにあったのだ。
 その名は、「Quick Time5」
 インストール時にネットスケープ用のプラグインをインストールするかどうか聞かれるので、ネスケ使いの人は必ず「チェック」しよう。MIDI用のプラグインではヤマハのMIDPLUGが有名どころであったが、配布終了となってしまった現在では、確実に動作するものとしてQuick Time pluginは貴重と言える(のかな?)

 さて、今回新調したパソコンのスペックはというと、
      CPUAthronXP2600+
      MotherKT400
      MemoryPC2700 256MB
      HDD80GB
      GAGForceMX440
      DriveCD-R/RW・DVD-ROM
 OSはWindows2000、とまぁ現在主流のCPUやOSは選択しなかった。これは単に反主流にしたかったから(笑) (だったらMacにすれば、という意見は無しね)

 ほかにもいろいろと買ったものはあるけど、気が付いたのは「モノを買うって・・・楽しいっ!」
 景気は悪くても、欲しいモノを買うって喜びは忘れたくないもんだ。ホント、そう思った。
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