その2 駅の師匠


 入社式が終わると、いきなりクラス分けをして、約10日間に及ぶ「導入教育」と言うヤツを行います。

 いわゆる「訓練礼式」という類のヤツを延々やったり、鉄道屋としての心構え(ちなみに同じクラスにバスガイドとか電力屋とかもいるんですが・・・)とか、会社の沿革やらいろいろやります。

 はっきり言いますと、10年以上昔の記憶はほとんど消えちゃっているのですが、教育課のカリキュラムはかなりきつかった・・・これだけは間違いなかったと思います。

 で、ココが縁で結婚しちゃうヒトとか、教育課の先生ともめたりしたりとか、結構いろいろあるのですが、10日の導入教育が終わる頃、全員集合がかかり、ココで所属の発表があります。

 まぁ、ポッポ屋候補生とか、ガイドさんとか、その辺のアウトラインはみんなわかっているのですが、ポッポ屋なんかは、配属になる駅、コレがやっぱりポイントで、大きな駅に決まれば、作業が大変そう・・・でウケまくり(周りが)、小さな駅になると、今度は駅がマイナーなため周りはウケたりします。

 実は、導入教育の時、同じクラスにいたのが約1名、オヤジが関係者でさぁ・・・と言うのがいまして、彼の所属はもうわかっている・・・と言うのです。クラスのメンバーの所属も大体わかっているそうなのですが、私にはそれを教えてはくれませんでした。

 そして、配属の発表・・・「○○(ココには会社での取扱収入・旅客数トップの駅名が入ります)」と言われ、エライ駅に配属になっちゃったなぁ・・・知り合い(元関係者)のハナシじゃ家から近い駅って言ってたのになぁ・・・と思いました。

 そして、そんなハナシをしていた彼も私と同じ駅に配属で、その関係で言わなかったのでしょうねぇ・・・

 その後、同じ駅配属のメンバー全員、集合がかかり、駅長先導で駅に向かいます。

 で、駅の説明を受け、今度は助役と一緒に管内駅(民鉄は大きな駅の近隣にある小さな駅も大きな駅のヒトで扱っており、その会社の駅長駅は20だけです:80くらいありますが)を見学し、駅の設備、仕事ぶりを見学しました。

 ところで、その時のメンバーに、どっかで見たのがいるんですよ・・・あ、あいつ、入社式の時の・・・

 その日のウチになんだかんだでハナシするようになりました。思えば、そのメンバーで、前出の所属駅がわかっていたというヒトはともかく、それ以外ですぐに顔を覚えたのは彼くらいだったかと思います。

 ただ、その後も4〜5日、やっぱり教習所で「営業規則」関係の授業をすることになり、駅の運賃のちょっとしたルールとか、連絡運輸がどうのこうのとか、そろばんの使い方が・・・とか、そういった授業もしました。

 え、乗り越しって、100キロ越えたヤツの精算は「打ち切り計算」なの?・・・やっぱり、鉄道高校出身のヒトってのは、その手の授業もやっているため、強いんです・・・

 正直、この時ほど鉄道高校に行っておけばよかったかな?・・・って思ったことはなかったかも知れません。

 ちなみに、「打ち切り計算」、定期なんかの精算方法と同様で、駅名で区間が書いてあるので、その終点の駅から普通に運賃を算出してお金を取る方法です。

 対義語に「発駅計算」というのがあり、コレが普通の切符の計算方で、「発駅基準」にして、足りない分を取る計算方法です。

 あと、遺失物の取扱方とか、結構内容はあるんですが、現場に出てナンボみたいな授業でした。

 そして、本格的に駅に配属になります、鉄道屋というのは、「徒弟制度」に近いスタイルが未だに息づいている世界で、私にも、駅の「師匠」という方がつきました。

 見た感じ、ちょっち怖いタイプのヒトなんですが、比較的寡黙で、仕事はやっぱりまじめでした。

 見習いは、泊まり・日勤・「長日勤(7時〜21時:1日半の扱い)」を1回ずつこなし、一週間過ぎると、ヒトリで勤務シフトに入ります。

 一度、別のヒトが師匠になり、説明してくれたのですが、この人がやっぱり楽しい方で、すごくリラックスして作業を教えていただきました。

 そして、師匠は、なんと、神輿をやってられる方で、最初、助役に「手笛」をいただいたのですが、それにヒモがなく、師匠とホーム立哨に行ったとき、笛を思い出し、首からかけるために、ふだんからしていた「神輿のお守り札」を外し、そのヒモで手笛を下げました。

 そしたら、師匠が「お、おめぇ、神輿やってるのかぁ?」って聞くんです、ヤバイかな?・・・と思いつつ、「はい、やってます」と応えると、彼はうれしそうに、オレもやってるんだけどね・・・とそこからハナシが盛り上がりまして、いまだにお祭りでたまに会えるんです。

 駅の見習いは、期間も短く、要員がたくさんいる関係で、師匠と見習いで人間関係が云々ってのはなかったですね・・・

 そんな感じで、インスタントに駅員が出来上がっていくのでした。