その1 あのころは・・・


 私が鉄道屋なんかをやることになったのは、単に、趣味鉄道・・・というだけのことでした。

 本当にガキの頃から趣味鉄道で、まぁ、鉄道だけでなく、自動車なんかもキライじゃなかったのですが、やっぱり電車なのですねぇ・・・

 当時は国鉄・・・なんて思想もありましたが、その内、なんか、○浜○行に感じるモノが出て来まして・・・

 そんな感じで、あの会社に8年ちょいお世話になりました。

 今、20世紀最強の不況とか言われてますが、私が鉄道屋に入れていただいたのは、昭和62年・・・1987年になります、その頃は、本当に人手不足という言葉が一般的で、それこそ、ヒト狩りのごとく採ってくれました。

 そんな中、昭和61年の夏、あの会社に履歴書を送り、そうすると、高校に「会社訪問の案内」が入り、指定された時刻に本社の8階、人事部の部屋に行くことになりました。

 すると、そこには、同じ制服を着用した見た記憶に乏しいヒトがおり、その人と人事部のヒトと面談しまして、簡単な会社のハナシを聞きました。

 その時に言われたのは、「就職試験は他の会社とそんなに内容変わらないと思います。ちゃんと勉強してきて下さいね。」と言うことでした。

 そして、それから、その同じ制服のヒトと2人で話す機会ができ、いろいろ話しました。

 当時、母校は12クラスあり、私は2組、彼は9組でなかなか会う機会もなく、この場がおそらく初めて会う感じでした。互いに自己紹介して、「うまくいったら、お互いこれからもつきあいあると思うけどよろしくね」と挨拶を交わし、その日は終わりました。

 そして、入社試験の日、指定された、運転士の教習所に行き、席に座る、試験番号はたしか30番・・・その時の彼、当時のニックネームを「ザッちゃん」と言ったのですが、結局、いまだに彼を私はザッちゃんと呼んでいます、彼は1番違いの試験番号でした。

 実は、それまで、試験勉強らしいことは全くと言っていいほどしませんでした。

 で、本屋で、「就職試験問題集」ってやつをみるとメチャクチャ難しい問題が並んでいたのですが、コレ、ヤバイかな?・・・とドキドキしながら、試験問題を見た瞬間、「勉強しなくてよかった・・・」という感想を出さざるを得ないくらい、ランクの低い問題で、数学もほぼ中学卒レベルかな?・・・と言う問題で、あと、一般教養とかもありましたが、ソツなく生きていればOKと言うような問題でした。

 思えば、鉄道屋に2次式はほとんど必要なく、運転士教習あたりにならないと、2次式なんかもほぼ使いません。

 あと、面接、適性試験と、やるべき事は精一杯やらせていただき、数日、会社から「採用通知」が郵送で届きました。

 やったぁ!! コレで、夢にまで見た鉄道屋になれる・・・最初は駅だけど、必ず乗るぞ・・・と心に燃えるモノがありました。

 そうすると、毎月、月初めに社内報が届くんですよね・・・なんか、少し待遇がよくなったような気がしましたが、思えば、コレもお金かかることだよなぁ・・・と思いました。

 さて、いつだったことでしょうか?・・・一冊の本が送られてきました。「打たれても出る杭になれ」という本ですが、コレを読んで感想文を書け・・・というモノでした。

 基本的に私は作文が苦手です、コレを読んでいただければわかるヒトにはわかると思いますが、文章伸ばすのはどうにかなりそうですが、「いい文章」を書けと言われたら、全くダメなんです・・・

 とにかく、苦手な作文をなんとかこなし、提出したと思いました。

 そして、昭和62年4月1日・・・

 ついに入社式の当日になりました。

 そして、この日は「日本国有鉄道」が分割民営化されたその日でもありました。

 家を出て、近くの線路を走っている横須賀線の側面に「JR」の大きな文字が入っているのを見て、ついに・・・って感慨深いモノもありましたが、この日からは会社員なのですね・・・

 入社式はやっぱり本社で行いました。本社の窓からはJRの車庫が見えるのですが、そこの客車にも巨大な「JR」シールを貼ってあったのも印象的でした。

 そこで、妙に大きな声を張り上げて「誓いの言葉」を読み上げる、なんか味のありそうなヤツがいました。

 確かに、こういうヤツはしっかり気合い入れないとイキじゃないのですが、それにしても、何か、こう、高校野球の選手宣誓じゃないんだから・・・という感じのノリなんです、話す機会があったらおもしろそうだなぁ・・・なんて思っておりました。

 まさか、そんなのと腐れ縁になり、一緒に海外旅行まで行くようになるなんてこのころは思いも寄りませんでしたが・・・そう、この「誓いの言葉」が、旅行記に出てくる「金さん」だったのです・・・

 ちなみに、このとき、社会人になるんだから・・・と、しっかり背広かなんか親に支度してもらっちゃったりしたのですが、入社式には「制服着用で」・・・ということで、早速着替えることに・・・

 そして、その日から、その背広を必要としないような状況になってしまいました・・・

 入社式を終えると、その日から10日間、「人事部教育課」という部署の管轄で「導入教育」というのを受ける事になってまして、会社にいる間は制服着用なので、普通のカッコウで教習所に来ていいからね・・・と、教育課の教師のおはなし、結局、高いゼニ出して買った背広は1日限りのシロモノでありました。

 駅員候補80名、他、ガイドさん候補、事務掛の候補、メカ屋さん、電力屋さんなどの候補が全部で200名ほどもいましょうか?・・・

 そのメンバーが、そそくさと電車に乗って教習所のある駅に動くことになったのでした。