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■「教科書読破主義」の授業の進め方(例)

 ここでは、前ページで述べた「教科書読破主義」の授業についてお話します。

@年間計画

 現在の文科省検定済「現代社会」教科書は、概ね60単元で構成されてい ます。これを2単位×1年間(=標準的には年間70コマ)で読破するためには、1回の授業で1単元(おおむね見開き2ページ)を終わらせていく必要があります。

A1回の授業の進行

 そのため、私は1回の授業を次のように進めています(生徒には「読書会形式」と言ってい ます)

 (@)教科書の本文を生徒に読ませる:一文(句点)ごとに交代しながら、その日に授業する予定の単元の全文を一回通読します。この段階で、漢字の読み間違いを直します。

 (A)意味の分からない語句や文を質問させる:語句の解釈は事前に辞書などで調べるように薦めていますが、それでも分からない箇所を質問させます。質問を受けた語句から内容説明を始める場合もあります。複雑な文についての質問では、その文の構造を国語的に解析しながら説明していくと、自然に内容が整理されていきます(その際に文章の構造を板書で図解することがあ ります)。なお、 初歩的な質問の場合は回答を簡潔にします。時間の消費を防ぎ、次のBのステップまで進めるようにするためです。しかし時間に余裕があるときなどは即答せず、生徒に自力で考えることを促す意味で、質問された箇所に授業者から逆質問をかけて生徒に考えさせ、自力で答えにたどりつくように指導することもあ ります。

 (B)重要な点を補う:その単元の中で重要と思われるにもかかわらず生徒から質問が出なかった箇所を、授業者から説明します。生徒から質問が出なくなったときを見計らって、例えば「この点は分かっているようだから説明してみなさい」という趣旨の発問をすると、生徒は“自分の認識が甘かった”ことに気づいて、授業者に説明を求めて きます。

 (C)生徒には「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という諺を紹介し、恥ずかしがらずに質問することを奨励しています。いっぽう授業者には、生徒がどんな初歩的な質問をしても絶対に嘲笑や排除をしない、もし答えられない質問が出た場合には次の授業で必ず回答する、などの心がけが求められます。

B説明

 “授業者が説明したいこと”ではなく、“生徒がわからないこと”を優先的に説明する、という点が重要です。私は、一般的に「1年間で教科書を全部終えることができない」悩みの大きな原因は 、授業者が自分で説明したいことを全部説明しようとしている点にあるのではないか、と考えています。 しかし例えば歴史の授業で詳しい知識まですべて説明していると、当然のことながら教科書の最後まで進めないという結果になります。多くの場合、現代史の部分が残ってしまって「残りは自習しておきなさい」ということになってしまいます。しかしそれでは担当教員として“責任”を果たしたことにはならないのではないでしょうか。

 教科書を読破するという方針に立つなら、説明する箇所を精選しなければなりません。授業時間を無駄に消費しないよう説明内容を簡潔明瞭にし、また優先順位をつけるなどして、説明できなかった箇所がなるべく残らないように努力する必要が あります。

 もちろん、このことは現在の学習指導要領において地歴公民科の授業配当時間数が絶対的に少ないという問題を度外視するものではありません。本来ならば、地歴公民科の授業時間数はもっと多くなければならず、教育課程そのものの見直しが必要です。この点で私たちは文部科学省にどんどん要求を出すべきです。しかし一方で、現状の枠組の中で最善の努力もするようにしなければならないと思います。

C板書・サブノート形式のプリント

 私は、原則として板書はしません(したくありません)。板書をすると、生徒のノート筆記を待つ必要もあり、全体に時間がかかるためです。どうしても文字や図解で説明する必要がある等の場合だけ板書し、基本的に授業は口頭での説明を中心にしています。

  教科書読破主義の授業では、サブノート形式のプリントはまったく作りません。サブノート形式のプリントとは、教科書の内容をあらかじめ箇条書きに整理し、重要語句が入る部分を空欄や下線で空けてあるような教材です。このようなサブノート形式のプリントは、教科書を読むという行為から生徒を遠ざける効果をもつことになり、読解力を養う観点からは不適切だと私は考えています。プリント配布はぜひ見せたい資料があるときなど必要最小限度に し、まず第一に「教科書の文章と格闘する」ように指導します。

D比較

 教科書読破主義と一点豪華主義は、次のように比較することができます。この比較からも分かるように、私は一点豪華主義を全否定するつもりはありません。状況に応じて使い分けることがあって良いと考えます。

 

教科書読破主義

一点豪華主義

趣旨・長所

教師が教えたいことよりも、生徒に必要なことを教えなければ責任を果たしたことにならない(特に歴史の授業では現代まで到達しないと必要な知識が空白になる)。

読解力不足の著しい最近の生徒には、文章読解の訓練機会となる。

ひとつのテーマを掘り下げる面白さを味わうことができる。

学習意欲のある生徒にとって興味のある内容であれば大きな刺激となる。

短所

教科書に記載されていない内容を別に補う必要がある。

下手をすると、教師の自己満足で終わる危険がある。

 

>>「教科書を教える」授業は駄目なのか?


2009/12/29 初出

2010/2/14 一部加筆