ホライズン・カレンダー

 先に見たダイヤモンド富士の見える方向は、富士山頂から見ればちょうど逆の季節の日出、日没の方位となる。


図1 富士山頂での日出、日没の方位(二十四節気別)
ただし地平線の伏角を0°としている。大気の屈折も考えていない。

 そして富士山頂に限らず、どこの場所でも日出、日没の方位は季節によって決まっている。このことは既に古代から知られていて、環状列石などと呼ばれる遺跡が世界各地に見られる。それらを総称して「ホライズン・カレンダー Horizon Calendar」という。中で特に有名なものに英国の「スト−ンヘンジ」がある。

図2 ストーンヘンジ(北緯51°)における日出、日没の方位(二十四節気別)

 ストーンヘンジは英国南部にある環状列石遺跡で、BC2200年頃の新石器時代には既に建造されていたものと言われる。
 
 また、ホーキンズは91,92,93,94と番号がつけられた石について、これらが長方形を形作り、
 ・《92→91》(方位角49.1°)および《93→94》(51.5°)は「真夏の日の出」(逆方向は「真冬の日の入り」)
 ・《93→92》(140.7°)は「真夏の月の出の最も南寄り」
 ・《91→94》(319.6°)は「真冬の月の入りの最も北寄り」
であるとしている。なお、ここでの「真夏」、「真冬」とは夏至、冬至を意味する。これらの方位が直交する(長方形になる)のはストーンヘンジの緯度(北緯51°)でのみ起こる現象である。

 ホーキンズはまた、ストーンヘンジは春秋分の日出、日没の方位も示しているとする(ただし「春秋分の方向は未発表」という注釈がある)。
 春秋分には太陽は真東から昇り真西に沈む。この真東、真西がわかっているなら話は簡単であるが、新石器時代人がそれを知っていただろうか?夏至、冬至の方位は極値(最も北寄り/南寄り)であるから、毎日観察すればわかる。しかし春秋分の真東、真西はちょうどその真ん中である。「ちょうど真ん中」をどうやって知ることができただろうか?
 実は簡単な方法がある。要するに「角度の2等分」ができれば良いということである。具体的には、円を描いてその上に夏至の方位、冬至の方位に印をつける(日出、日没の両側)。この夏至〜冬至の円弧の長さを2等分する点が真東、真西なのである。
 他に、北極星を見て北を知り、それに直角な方向とすることも考えられるが、数千年の間には北極星は移動しているので、古代人がこの方法を使えたかどうかはわからない。
 ところで、冬至から夏至または夏至から冬至の日数を数えて、その真ん中を春秋分とする方法も考えられるが、こちらはうまくいかない。実は、冬至〜春分、春分〜夏至などの日数は同じではないのだ。地球の公転軌道が楕円で、太陽に近い時には動きが速く遠い時には遅いという『ケプラーの法則』によるものである。 。ただし、現在では夏至〜秋分のほうが長い。ヒッパルコスの時代には地球が遠日点を通過するのが夏至より前だったのが、現在では夏至より後になったためである(これを歳差という)。
 二至二分(夏至、冬至、春分、秋分)やその他の「二十四節気」を決める方法に「定気法」と「平気(または恒気)法」がある。定気法は、太陽の動きの遅速を考慮して決めるものであるが、平気法はそれを考えない。したがって平気では冬至〜春分と秋分〜夏至は同じ日数である。しかしそれでは真の春秋分(真東から昇り真西に沈む)とはならない。ここで示した角度の2等分という方法は定気に相当する。ストーンヘンジを作った新石器時代人は定気によったと言うことができる。

 ところで、 も紹介されている。引用すると、
二十世紀の初めに、ステーション・ストーンの対角線《91-93》が五月六日および八月八日頃の日の入りと一致し、また《93-91》が二月七日および十一月八日の日の入りと一致することはロッキャーも示している。これらの日付は夏至と冬至、春分と秋分のそれぞれほぼ中間点にある。そこで彼は、ストーンヘンジには暦としての用途があると考えた。これは興味ぶかい示唆であるが、この考えには賛成できない。
 「夏至と冬至、春分と秋分のそれぞれほぼ中間の点」というのは、要するに東アジア暦の四立しりゅう(立春、立夏、立秋、立冬)である。なお「二月七日および十一月八日の日の入り」というのはあきらかに「日の出」の間違いである(図2参照)。ホーキンズ自身はこの説に否定的であるが、筆者は正しいと考える。その根拠としてケルトの暦を挙げることができる。

ハロウィーンは節分だった!


Mar. 2016
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