The Days of Multi第五部第21章 投稿者: DOM
The Days of Multi
第5部 Days with Serika
☆第21章 雪 (マルチ25−26才)



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<おもな登場人物>

 柏木耕一  鶴来屋の副会長。
 柏木千鶴  耕一の従姉。鶴来屋の会長。
 柏木楓   千鶴の妹。実は耕一の「正妻」。メイドロボ体だが、本物の楓の魂を宿す。
 柏木芹香  耕一の妻。来栖川グループの会長。
       仕事の関係で、耕一と別居を余儀なくされている。
 柏木香織  耕一と芹香の娘。隆山第一高校に通う一年生。
       容姿は芹香そっくりだが、明るく活動的、やや脳天気。
 佐々木浩  香織の幼友達。隆山高校の一年生。
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「浩ちゃん! ごめんね、待たせた?」

「いや、そうでもないさ。」

 校門の近くで待っていた浩に、香織は手を振りながら、駆け寄って来た。



 …友人に飢えていた香織は、昔なじみの浩が家に訪ねて来たことが嬉しくて、翌日学校が終わると、
浩の通う隆山高校へと急いだ。
 そして、何とか浩の下校に間に合ったのだ。
 昨日の今日で慌てる浩を伴い、商店街をぶらついたりしてから別れたのだが…

 「明日も迎えに来る。」という香織を説得して、浩の方から香織を一高に迎えに来るということで
承知させた。
 市内の高校生の間で評判の香織がわざわざ迎えに来たものだから、一緒にいた男子数名にさんざん
冷やかされたせいである。
 以後、浩の方から香織を迎えに来て、一緒に町にくり出したり、柏木家でお茶をごちそうになった
りするのが日常となった…



「ごめんね、実は文化祭の打ち合わせが残ってて…
 あと30分ぐらいかかりそうなのよ。」

「そうか? じゃ、待ってるよ。」

「それじゃ、悪いから中で待ってて。」

「いいよ、ここで。」

「いいから、いいから、遠慮しないで。」

「お、おい…」

 戸惑う浩の手を引いて、どんどん歩いて行く香織。
 それでなくとも、女子が他校の男子生徒の手を引いていたりすれば目立つものだが…

「ねえ、あれって柏木さんじゃ…?」

「ほんとだ。…ずいぶん大胆ね。」

「でも、相手の子、なかなかハンサムじゃない?」

「道理で、他の男子に見向きもしないわけだわ…」

 などとささやかれたりしている。

 ルックスの良いふたりは、とにもかくにも人目を引くようだ。



「…じゃ、できるだけ早く終わるようにするから、待っててね?」

「お、おう…」

 香織は結局、自分の教室まで浩を連れて来て、隅の椅子に腰かけさせると、離れたところで打ち合
わせのために残っている一団のところへ近寄った。

「柏木さん、あの人は…?」

 などと興味津々の声で尋ねられているのを耳にして、落ち着かない浩であった。



「…お待たせ!! 一緒に帰ろ!!」

 打ち合わせを終え、あくまでにこやかな香織。

「あ、ああ…」

 一刻も早く周囲の視線から逃れたい浩。

 グラウンドの端を横切りながら、校門に向かう。
 ちょうど陸上部の練習が行われているところだった。
 浩は、思わず立ち止まって、その練習風景を見つめる。

 その顔に心なしか陰がさしているのに気がついた香織は、

「浩ちゃん… 陸上部やめたの、後悔してる?」

「え? …いや、別に…」

「ふうん…
 実はね、私も向こうの学校で、
 ちょこっと陸上部に入れてもらったんだけど…
 一週間そこそこでやめちゃったんだ。」

「え? 香織が陸上を?」

「うん…」



 香織が陸上部に勧誘されてからやめるまでの顛末を語ると、浩は驚いたり失笑したりした。

「ハ、ハードルを越えるのに、
 ウサギみたいなジャンプをしたって?
 …か、香織らしいや、くくく…」

 浩はその様子を想像しながら、お腹を押さえている。

「笑わないでよぉ。
 知らなかったんだからぁ。
 …二回目は、ちゃんと教えられた通りできたんだよ?」

 香織は赤らめた頬を膨らましている。

「わ、わかった、わかった…
 しかし、香織に陸上の方の素質があったなんてなぁ…」

「素質なんかないよ。
 ただ、楽しく走りたかっただけなんだけど…
 そんないい加減なことじゃ、部活はできないみたい。」

「確かに…そうかもな…」

 浩は、かつての自分のことを思い出していた。
 少しでも早く走るために、練習に練習を積み重ねていた毎日。
 部員はみな真剣だった。
 香織のように脳天気なことを言っていたら、浮き上がるのも当然かも知れない。



「私って、結局、『仲間』とは縁がないんだ…」

 ふと香織がもらした言葉は、いつもの明るい調子とは別人のようで、浩をはっとさせた。
 その声には、胸を締めつけるような寂しさがにじみ出ている。

「で、でもよ…
 隆山には友だちがいるんだろ?」

「うん… だけど、『仲間』と言えるほど親しい友だちは、ひとりもいない…」

「…………」

「おしゃべりの相手なら、クラスに何人かいるけど…
 それだけだし…」



「…お…俺は…どうなのか、な?」

「え?」

「俺は…その… 香織の『仲間』にはなれないのか?」

 香織は浩をまじまじと見つめた。

「仲間に…なってくれるの?」

 香織は浩が見たこともないくらい真剣な顔をしている。
 一方では期待に溢れながら、もう一方では、あまり期待をかけると失望するのではないか、という
不安が、香織の瞳の中を揺れ動く。

「おう… 香織さえよければな。」

 言い知れぬ孤独感を香織の中に見い出してしまった浩は、何とか力になってやりたかった。

「私が…浩ちゃんの考えているのと…違う女の子でも…?」

「え?」

「それでも…仲間でいてくれる?
 どんなことがあっても。」

(たとえ、エルクゥの力があっても…)

 浩は、香織の真剣なまなざしにごくっと唾を飲み込んだが、ややあって、

「おう、香織がどんな子でも、
 …何があっても、俺たちは仲間だぜ。」

 そう、きっぱりと言い切った。

「ほ、ほんと? …う、うう…」

「お、おい… 泣くなよ、みっともないぜ?」

「だ、だって…
 嬉しいんだもの、やっと、やっと…」

 香織は涙を擦りながら、大きな安堵感を覚えていた。

(そうよ。なぜ今まで気がつかなかったのかしら?)

 幼馴染みの浩ちゃんなら…

(浩ちゃんなら、きっと…
 私の『力』のことを知っても…友だちで、仲間でいてくれるに違いない…)

 香織は泣き笑いの表情を浮かべていた。



「ただいまー。」

「お邪魔しまーす。」

「…香織、お帰りなさい。
 佐々木君、ようこそ。」

 いつもの通り楓が出迎える。

 楓を見て、心臓の鼓動が高まる浩。

 …香織の部屋でダベリング。
 途中、楓もお茶を持って来て、しばらく会話に加わる。
 楓は、香織の浩に対する態度が、いつもよりもさらに親密さを加えていることに気がついた。

(少しは進展があったのかしら?
 だとしたら、たぶんいい傾向と見るべきでしょうね…)



「…そう言えば、昔、香織が佐々木君に、
 お弁当を作って持って行ったことがありましたね?」

 楓が、よもやま話の中でそんなことを思い出すと、

「そうだ!! 
 浩ちゃん、高校ではパンか学食っていってたわね?」

「ああ。」

 浩の母は、しばらく前からパートに出るようになり、その疲れで息子の弁当まで手が回らないらし
い。

「それじゃ、私がお弁当作ってあげる。」

「ええ?」

「朝、届けてあげるよ。
 で、帰りにお弁当箱返してくれれば、また次の朝使えるし…」

 香織は、「仲間」のために、何かしたくてたまらないのだ。

「い、いいよ…」

 浩は、楓が何と思うか気にしている。

「どうせ、毎朝パパのお弁当を作るから、手間はかからないよ。」

「ふふ、佐々木君、
 香織の気紛れに、ちょっとつき合っていただけませんか?」

 楓が静かな笑みをたたえてそう言ったので、

「はあ…」

 と、つい返事をしてしまう浩だった。



 その日から、香織は毎朝、浩の弁当を作るようになった。
 浩は、例の心配症の母親を考慮して、自ら柏木家の門前まで行き、弁当を受け取って、ついでに香
織としばらく言葉をかわしてから、学校へ向かうのが日課になった。



「お、佐々木ぃ。また手作り弁当かぁ?
 うらやましいなぁ。
 一体誰だよ、おまえにそこまで入れ込んでんのは?」

 狭い田舎町のこととて、香織が浩に弁当を渡している様子も、いつの間にかしっかり目撃されたら
しく、友人がそんなことを言ってからかう。

「うっせえ(もぐもぐ) …誰でもいいだろ?」

「へっへー、隆山一の美少女に惚れられて、
 『誰でもいい』はないだろ?」

「(ごくん)何のことだよ?」

「とぼけんなよ。
 いつだったか、おまえのこと迎えに来てたじゃないか。
 かわいい彼女がよ。」

「彼女って…(むしゃむしゃ)」

「町中でも、しょっちゅうくっついて歩いているし…」

「くっついてなんか…(ぱくぱく)」

「柏木のお屋敷も出入り自由なんだろ?
 大したもんだぜ。公認のカップルじゃないか。
 正式の婚約とかはまだなのか?」

「(ごっくん)やめろよ。」

 …浩が何と言おうと、見るからに心のこもった弁当を嬉しそうに食べながらでは、あまり説得力が
ない。



 10月。
 香織の16才の誕生日が巡って来た。
 梓と初音もやって来て、ひさしぶりに柏木四姉妹がそろう。
 香織は、内輪の誕生パーティーに浩を招いた。
 浩は大分遠慮したが、香織はぜひ「仲間」にもお祝いに参加してほしかったのだ。

「佐々木君だね? 香織の父です。
 娘がいつもお世話になっているようで…」

 少なくとも見た目は平然と挨拶をしている耕一だが、ここまで至るには、事前に楓と千鶴が何度も
説得しなければならなかった。

「い、いえ、こちらこそ、お世話になってます。」

 対する浩は緊張気味だ。



 ハッピーバースデーを歌って、キャンドルの火を吹き消す。

 ぱちぱちぱち…

 口々に「お誕生日おめでとう」の声。
 香織は満面の笑顔で「うん、ありがとう。」と答える。

 食事が始まる。
 耕一は何かと浩のことを気にして、ふたりのつき合いを中心に根掘り葉掘り聞きたがる。
 険悪なムードになりそうなその度に、楓や千鶴がうまくとりなして、何とか無事に食事が進む。



「…こっちは香織が作ったって?
 へえ、大したもんだ。
 これなら、いつでもお嫁に行けるな。」

 梓がほめると、

「えへへ、そうかな?」

 香織が照れる。
 なぜか浩も照れている。
 その様子を見て、いささか不機嫌そうな耕一。

「佐々木君、お代わりは?」

「あ… は、はい、お願いします。」

 楓に聞かれて上がり気味の浩。
 それを見て、さらに不機嫌そうな耕一。

(この野郎。楓ちゃんにまで色目を使いやがって…)

 自分が浮気性なのは気にならないが、他人のそういう徴候には結構神経質のようだ。



 浩が帰った後。

「なかなか純情そうな子ですね。」

 千鶴が言う。

「中身はどうかわからないよ。」

 耕一が言う。

「浩ちゃんは、中身も純情だよ。」

 香織が抗議する。

「香織のボーイフレンドなのか?」

 梓が尋ねる。

「ボ、ボーイフレンドってわけじゃ…」

 香織が戸惑い顔をする。

「そんなわけないよな?
 大体、あの男、むしろ楓ちゃんに気があるみたいだし…」

「え?」

「え?」

 耕一の言葉に、香織も楓も目を丸くする。

「気がつかなかったか?
 楓ちゃんがあいつに声かけるたびに、
 赤くなってもじもじしてたじゃないか?」

「そ、そうでしたか?」

 楓は頬を赤らめる。

「浩ちゃんが… 楓お姉ちゃんを…」

 香織はなぜか、少しショックな気がした。

「確かに、楓お姉ちゃんは高校生の美少女のままだもんね。」

 事情をよく知らない初音がそう言うと、香織は初めて、自分の母親代わりが、見た目は自分と同年
輩の美少女であることに気がついた。

(浩ちゃん…)

 楓と自分が並んだとき、浩はどういう目で自分たちを見ているのだろう?
 今まで考えてもみなかったことが、妙に気になり出した。



(浩ちゃん、か…)

 「ボーイフレンドか?」と梓に聞かれて、違うと言ったものの、よく考えてみれば、浩は自分に
とってどういう存在なのだろう?
 友だちであり「仲間」であることは確かだ。しかし…

(恋人、とか?)

 自分たちには、何となく似つかわしくないような気がするが…

(そう言えば…この頃パパの夢を見なくなったけど…)

 浩の存在が、何か関係しているのだろうか?

(浩ちゃん…)



「昨日は邪魔したな?」

「うん…」

「今日はどうする? ゲーセンでも行くか?」

「うん…」

「? どうした? 元気ないぜ?」

「うん…」

「香織?」

 浩が少し肩を揺すると、香織ははっとした様子で、

「あ? …あ、浩ちゃん?」

「おいおい、大丈夫かよ?」

「だ、大丈夫だよ…」

「何だか変だなぁ、いつものお前らしくないぜ?」

「いつもの…私…?」

「え?」

「いつもの私って…どんな感じ?」

「え? そ、そりゃ、明るくて楽しそうで…」

「それだけ?」

「それだけって… あと、何か?」

 香織は俯いて、

「明るくて、楽しいだけ…
 浩ちゃんにとって、それ以上のものではないの?」

「…何の話だよ?」

「何でもない…」



 香織はしばらくの沈黙の後、

「浩ちゃん、楓お姉ちゃんのこと、どう思う?」

「え!? か、楓さん?」

 香織は、明らかに焦っている様子の浩をじっと見ながら、

「どう思う?」

 と、重ねて聞いた。

「どうって… き、きれいな人だなあ、って…」

 香織の目が悲しそうになる。

「そうか… やっぱりそうなんだ…」

「な、何が?」

「浩ちゃん、楓お姉ちゃんが好きなんだね?」

「ええっ!? …な、何でそんなことを!?
 第一、楓さんはメイドロボじゃ…?」

「そんなの関係ないよ。
 人間だろうが、ロボットだろうが、
 好きなものは好きなんでしょ?」

 なぜか、香織の目に涙があふれてきた。

(どうしてこんなに泣けてくるの?)

 答えは考えるまでもない。

(私、浩ちゃんのこと…こんなに好きだったんだ…)

 ずっと父親に夢中だと思っていたのに…

(「仲間」になってくれると言ったあのときから…)

 浩は、自分にとってかけがえのない存在になっていったのだ。



「な、何だよ!? 何で泣くんだよ!?」

「私は…明るくて楽しくて…
 でも、それだけ。
 楓お姉ちゃんは…きれい。」

「おい!!
 …言っとくが、おまえだってきれいなんだぞ!?」

「…………」

「聞こえてんのか?
 おまえもきれいだって言ったんだ。」

「………え?」

 浩の言葉が香織の脳に届くまで、数秒を要した。

「きれいだよ、おまえも。
 それもとびっきり。
 さすが、隆山一の美少女と言われるだけあって、
 だれにもひけを取らないくらい、きれいだよ!」

「う、嘘だ…
 だったら、どうして最初からそう言ってくれなかったの?」

「馬鹿か、おまえは!?
 女の子に面と向かって『きれいだ』なんて、
 そう簡単に言えるかよ!?」

 浩は顔を真っ赤にしている。

「…そうなの?」

「そうだよ!!」

「でも… 昨日も、楓お姉ちゃんが何か言うたびに、浩ちゃん赤くなって…
 やっぱり楓お姉ちゃんのこと、好きなんでしょ?」

「ち、違うよ!!
 そりゃ、きれいな人だから、つい照れちゃうけど…
 俺が好きなのは楓さんじゃなくて、おまえだよ!!」

「え?」

「ああ、言っちまった…」

 浩は、赤い顔を見られまいと、後ろを向いた。

「ずっと好きだったんだよ、おまえのこと。
 …中学の時、久しぶりに会って、どきっとしたぜ。
 あんまりきれいになってたから…
 ほんとに俺の知ってる香織なのか、疑ったくらいだ。
 そのときから、好きになっちまったんだよ。
 それからずうっと好きなんだよ。」

「ほ…ほんと?」

「ほんとだよ。」

「ほんとなんだね?」

「信じてくれよ。」

「…嬉しい!!」

 香織は浩に抱きついた。



「ふんふんふん、ふーん、ふんふん…」

 鼻歌混じりに台所の手伝いをしている香織に向かって、楓はくすりと笑いかけた。

「ずいぶんご機嫌ね?
 何かいいことでもあったの?」

「まあね。」

「佐々木君に告白でもされたの?」

 ぎょっ

「ど、どうしてそれを!?」

「え? ほんとなの?」

「し、しまった…」

 興味津々いろいろ尋ねて来る楓の攻勢に、たじたじとなる香織。

(楓お姉ちゃんも、やっぱり女なんだね…)



 年が明けて一月。
 浩と香織の仲はいっそう親密になったものの、妙に奥手の所があるふたりは、いまだにキスもして
いない。

「うーっ、さぶい…」

「私の家で、おこたにでも入ろ?」

 市内には雪が降り積もっていた。

 ふたりはこの頃、できるだけ人通りの少ない道を選ぶようになっていた。
 よけいな取りざたをされたくないのと、なるたけふたりきりでいたいために、自然に身についた習
慣である。
 今歩いている道も、寒さのせいもあってか、ふたりのほかに人影はない。

 楽しくおしゃべりをしているうちに、前方から結構なスピードで車が走って来た。
 と、いきなりその車が方向を変えてふたりの方に突っ込んで来た。
 スピードの出し過ぎで、スリップしたのだ。

「!!」

 みるみる目の前に迫って来る乗用車。

 バンッ

 浩の体は、雪道に叩きつけられた。
 はねられた、と思ったのだが、半身を起こしてみても、怪我一つした様子がない。

「か…香織!?…」

 あわてて香織の姿を探した浩は、停止した車の前に彼女の姿を見い出して青くなった。
 てっきりぶつかったと思ったのだ。

「香織!? …大丈夫か!?」

「…うん…」

 その返事を聞いて、やや安心する浩。

 …そして、妙なことに気がついた。
 よく見ると、香織は、両手を伸ばし、足を踏ん張って、まるで走って来た車を力ずくで押しとどめ
たような格好をしているのだ。

(そんな…馬鹿なことが…)

 そのとき、下を向いていた香織がゆっくり顔を上げた。

「…大丈夫みたい…」

 その瞳は赤く染まり、虹彩が縦に裂けていた…



「浩ちゃん、どうしたの? 怪我でもした?」

 浩が真っ青な顔をして震えているのを見て、香織は心配そうに車から離れて来た。

「く、来るな!!」

「え?」

 香織は怪訝そうに立ち止まる。

「お、おまえ一体…何なんだよ!?」

「え?」

 そのとき香織は、自分が浩に向かって差し出した右手に目をやって、はっとした。
 …手袋が破れ、鋭い鈎爪が伸びている。

「…………」

「…………」

「…………浩ちゃん… 聞いて…」

 悲し気な顔で浩を見やる香織。
 だが、浩は、香織のエルクゥパワーに圧倒されて、地面に尻餅をついた格好でぶるぶる震えながら、
それでも懸命に後ずさりしようとしている。
 完全な逃げ腰だ。


「浩…ちゃん…」

 香織は…悲しかった。
 浩が「仲間」でなくなってしまったことが…自分たちが恋人同志でなくなったことが、たまらなく
悲しかった。
 香織は「うわーん!!」と泣いたつもりだったが…

 グオオオオオオオ…

 口から出たのは、獣の咆哮だった。

 グオオオオオオオ…

 もうひとたび悲し気な咆哮を響かせながら、香織は飛び上がり、あっという間にその場から姿を消
した。
 浩はしばらく、立ち上がることができなかった。



 やんでいた雪が、また静かに降り始めた…



 A.浩に会いに行く (香織/狂気編22章 ただひとりの仲間 へ)

 B.浩が会いに来るのを待つ (第22章 大団円 へ)


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蛇足ですが、車の運転手は無理な急停車のショックで気を失っています。


さて、いよいよ第22章で最終回です…が…
「ふざけるな」とか言われそう…(汗)


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