The Days of Multi第五部第12章 投稿者: DOM
The Days of Multi
第5部 Days with Serika
☆第12章 風と波と仲間 (マルチ25才)



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<おもな登場人物>

 柏木耕一  鶴来屋の副会長。
 柏木千鶴  耕一の従姉。鶴来屋の会長。
 柏木芹香  耕一の妻。来栖川グループの会長。
       仕事の関係で、耕一と別居を余儀なくされている。
 柏木香織  耕一と芹香の娘。高校一年生。
       容姿は芹香そっくりだが、明るく活動的、やや脳天気。
 長瀬綾香  芹香の妹で、長瀬源五郎の妻。元エクストリームの女王。
 松原葵   東風高校エクストリーム部の創始者。現在は自分で道場を経営している。
 田口翔子  東風高校エクストリーム部の部長。
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 どこだろう、ここは?
 見たこともない山の中。
 だれだろう、私は?
 なぜ、抜き身の剣を提げているのだろう?

 不意に私の周りでいくつのか人影が跳ねた。
 いや…「人ならぬもの」の影だ。
 激しい憎悪と殺気。
 しかし、それを受けた途端、私自身の内に、より激しい憎しみと、殺戮への暗い欲望が沸き上がっ
た。
 …思い出した。
 私の…いや、俺の名は…
 …次郎衛門。

 襲いかかる「人ならぬもの」を、雑作もなく切り捨てた。
 俺の剣術は人界でも並外れたもの。
 そして俺の剣は…エルクゥ殺しの秘剣。
 リネットの授けた魔性の剣。

(これで終わりなのか…?)

 そうだとすれば、なんとも呆気ない…
 いや、まだだ。
 少なくとも、エルクゥの長たるダリエリが、まだどこかに潜んでいるはず。
 逃げ延びたか?
 いや、それはないだろう。
 狩猟者の誇りにかけて、獲物の前から逃げ出すことなどあり得ぬはずだ。
 ふと、さらなる気配を感じた。
 20ばかりの「人ならぬもの」。
 その中には、ダリエリも含まれおるに違いない。
 よし…これで終わりだ。復讐の完成だ。
 ダリエリらを倒し、エルクゥを絶滅する。
 純真なリネットをだましてまで目論んだ、大いなる復讐の完成だ。
 さあ来い、ダリエリ。最後の狩猟者たちよ。
 我こそは「狩猟者を狩る者」。
 …次郎衛門。

 20ばかりの影が、一斉に覆いかぶさって来た…



「だああああああああーーーっ!!」

「きゃあああっ!?」

(?)

 狩猟者にしては、ずいぶん「ひ弱な」叫びだが…?
 俺を取り囲む20ばかりの「人ならぬもの」は、エルクゥのはず…いや、違う?
 彼らは…ただの「人」だ。
 そんな馬鹿な… どうしてここに人がいるのだ?

「か、柏木さん… どうしたの?」

 柏木?
 え? 柏木って…?
 …そうよ、私は柏木香織。
 そしてここは…ここは?

「柏木さん?」

 不意に意識がはっきりして来た。
 私の周りを…20人ばかりのエクストリーム部員が心配そうに見守っている。
 そして私に声をかけてきたのは…

「柏木さん! 気がついたのね?」

「あ… 部長?」

「よかった…」

「あの… 私…?」

 何だか記憶が混乱している。

「ごめんなさい。
 私、つい取り乱して…
 うっかりあなたを絞め落としてしまって。
 本当にごめんなさい!!」

「あ… いえ… お気づかいなく…」

 とりあえず、おわびは無用と言っておいて…

「ところで…
 その『しめおとす』って、何のことですか?」

 格闘技の用語だろうか?

「は?」

 部長がきょとんとしている。

「か、柏木さん… もしかして、知らない?」

「ええ… よくわかりません。」

 部長はじっと私を見つめ…そして、大声で笑い出した。
 部員たちも、こらえ切れない様子で笑い出す。
 私、馬鹿なこと聞いてしまったんだろうか?

「あ、あの… それって、常識的な言葉ですか?
 すいません、私…
 その、いろいろ非常識なもので…」

「あははは… え? い、いえ…
 うぷ、うぷぷ…
 そ、そうね、考えてみれば…
 格闘技を知らない人は… ぷぷ、
 き、聞いたことが、ない、かも…
 ぷぷぷ…」

 部長は、笑うのが失礼と考えたらしく必死に抑えようとしているが、うまくいかない。
 部員たちも、お腹を抱えて笑っている…

 ええい、こうなったらやけだ!

「あは、あはは、あはははははは!」

 私も負けずに高笑い。

「ははは、ははは、ははははは!!」

 私たちはひとしきり一緒になって笑い続けたのだった。



「あー、苦しかった…」

 皆涙目を擦っている。もちろん私もだ。
 あんまり笑うとお腹の筋肉が痛くなる、ってほんとだね。
 面白すぎて苦しくなるなんて…うまくできてるのか、その反対なのか。

「柏木さん、重ね重ねごめんなさい。」

 部長がもう一度頭を下げる。

「あ、いえ、こちらこそ、
 力任せに投げちゃって、申し訳ありませんでした。」

「それはいいのよ。
 こちらからお願いしたことだし。」

 部長はさっぱりしている。さすがスポーツマン。

「それにしても…あなたって不思議な人ね。」

 部長は私の顔をまじまじと見つめた。

「やたら強いかと思えば、簡単に絞め落とされ…意識を失っちゃうし、
 恐ろしい殺気を放つかと思えば、妙に抜けてる…
 あ、ごめんなさい、また失礼なことを。」

 慌てて口をつぐんでいる。
 思ったことを口に出してしまう質らしい。

「いえ、いいんです…
 え? 殺気って何のことですか?」

「覚えていないの?
 さっき目をさます直前、あなた物凄い殺気を放ったのよ。」

「ええ… 私たち、てっきり殺されるかと思いました。」

 部員のひとりは、そう言って身震いする。
 お芝居とは思えない。

「ご、ごめんなさい…」 

 鬼どもを殺そうと次郎衛門…パパの前世…が放った殺気だ。
 でも、なぜ「私」が次郎衛門になっちゃったんだろう?

「ほんと、不思議な人…」

 部長は目を細める。
 面白がっているような節もある。

「是非あなたのこと、いろいろ教えてほしいんだけど?」

「あ、えーと、でも…」

 エルクゥのこととか突っ込まれたら困る。

「あ、大丈夫よ。
 あなたのプライバシーは尊重します。
 ただ、仲間のひとりについて、最小限のことは知っておきたい、
 そう思うだけよ。」

(「仲間」か…)

 私にとっての仲間は…ほとんど身内ばかり。

(でも、この人たちなら…仲間になれるかもしれない。)

「わかりました。
 どういうことをお知りになりたいですか?」

「…ま、座りましょ。みんなも。」

 私たちは神社の建物の前で、思い思いに腰をおろした。

「まず…あなたは、元エクストリームのチャンピオンだった、
 来栖川綾香さんの姪に当たると聞いたけど、それは本当?」

「ええ。私の母が、綾香の姉に当たります。」

「ふーん。
 でも、あなた自身は、
 綾香さんに格闘技の手ほどきを受けたことはないのね?」

「ええ。
 叔母は、私がごく小さいとき、
 隆山で一緒に住んでいたことがありますが、
 私が三才の頃来栖川の家に移り住んで、ずっとそのままでしたから。
 今度私がこちらに来るまで、別々に暮らしていたんです。」

「そうなの?
 …じゃあ、あなたのあのジャンプは、誰に習ったの?」

「いえ、あれは…」

 誰に習ったのでもない。

「うちの…父方の家系だと思うんですけど、
 特にスポーツをやっていなくても、足腰のバネが強くて、
 …跳躍力とか、脚力とか、そういうんですか?
 それが物凄いんです。」

「ほんと? …あなた確か、
 走り高跳びとか100メートル走で記録的な数値を出したそうだけど、
 それも単に血筋のなせるわざだってわけ?」

「ええ、父方の親戚には、
 陸上選手で結構知られた人もいるみたいですし…
 大体私、中学も三年間帰宅部でしたから、
 訓練する間もなかったです。」

「ふーん…
 じゃあ、ジャンプはまあいいとして…」

 部長は諦めたような口調で言うと、

「あの素早い身のこなしは? それにあの投げ…
 あれは、血筋のせいでは説明し切れないわよ?」

 部長の目が鋭くなる。

「あれは…確かにお手本がありますが…
 教わったと言うよりも、見よう見まねなんです。」

「『見よう見まね』ですって?」

 部長が苦笑する。

「この間松原先輩があなたのことを、
 『技や型を見よう見まねで覚えてしまう不思議な人』って言ってたけど、
 でも、いくら何でも、あの動き、あの投げが…」

「でも、本当なんです。」

 私も食い下がる。

「実は、やはり父方の親戚なんですが、
 ふだんとってもおとなしい人がいて…
 とてもそんな芸当ができるとは思えなかったんですが、
 ある日、私、ちょっとした誤解がもとで、その人と大げんかをしたんです。
 そのときその人が見せたのが…あの身のこなしなんです。」

 これは事実だ。

「私、信じられませんでした。
 私が何度本気で飛びかかって行っても、
 すべてあの動きでかわされて…
 指一本触れることができませんでした。」

 私は唇を噛む。

「それどころか、その人、
 攻撃をかわす度に、私に突きを入れたり蹴りを入れたり…
 一番痛かったのがあの投げでした。
 何度も何度もくらって、ひどいダメージを受けました。
 きっと、それで体が覚えちゃったんだと思います。」

 部長は、私がくやしそうな顔をしたり、ちょっと自慢そうな顔をしたりするのをじっと見ていたが、
どうやら嘘はないと思ってくれたらしく、にっこりして見せた。

「ふーん…
 柏木さんって、本当にユニークな人ね…」

「ユニーク…ですか…?」

 鬼だもんね…

「あ、誤解しないで、悪い意味で言ったんじゃないの。
 とっても個性豊かな人、って意味よ。」

「そ、そうですか?」

 ほめられてんのかな?

「ふふ… 何はともあれ…」

 部長は笑顔で、

「これで柏木さんも、私たちの仲間になってくれたわけね?
 そうでしょ?」

「あ… い、いいんですか、私みたいなドジが仲間でも…?」

「何言ってるのよ、立派な仲間よ。
 そうでしょう、みんな!?」

 オオオーッ!!

 その返答の音量の凄まじさに、私は圧倒されながらも、

(『仲間』っていいもんだな…)

 そう思っていた。



 …がばっ!!

 ハァ、ハァ、ハァ…

(また…夢…)

 今日もSMプレイだった…

(何でよー、パパってそういう趣味だったの!?)

 それとも私自身にそういう…?

(嘘だよぉぉぉぉ…!!)



 その頃、芹香は、自分の部屋で、透明の水晶球をのぞき込みながら、相変わらずぼーっとした顔を
していた。
 …だが、もしも耕一がいたら、彼女の顔に深い憂慮の色を見て取ることができただろう。



 今日は陸上部に顔を出す番だ。
 エクストリームの「仲間」に比べると、こっちは倍くらい部員の数が多い。
 でも、数が多けりゃいいってもんでもなくて…
 部員の中には、私がかけもちで部活をやっていることを快く思わない人もいるようだ。
 …ま、気に入らないから出てけって言われたら、潔くやめるつもりだけど。
 私はただ、「風」になるのが楽しくて…それで走っているだけだから。



「おい、柏木。」

 先生が声をかけて来た。

「はい。何でしょう?」

「おまえ、ハードルやってみる気はないか?」

「ハードル、ですか?
 …ええと、できれば単純に走るだけの方が性に合ってるんですが…」

「性に合う?」

「ええ、根が単純なものですから。」

 まわりでぷっと吹き出す声。
 先生も相好を崩している。

「はは、そうか。
 しかしな、ハードルだって、そう面倒なわけじゃないぞ。
 …そう、何というか、
 いったん波に乗ればそのまんま、って感じかな?」

「波に乗る?」

 波かぁ…

「ふーん… 面白そうですね?」

「面白そう?
 …ああ、そうだな、そうかもしれないな。」

(陸上競技を「面白そう」なんて言ったやつ、今まであったかな?)

「柏木は、ハードルはまったくの初めてか?」

「ええ、ルールもよく知りません。」

「ははは、そうか。
 まあ、おいおい教えてもらうんだな。
 …おい、九十九(つくも)、
 柏木にハードルを指導してやってくれんか?」

「…わかりました。…こっちへ来て。」

(何となく冷たそうな感じの人だけど?
 …いやいや、外見だけで判断しちゃいけないか。
 セリオお姉ちゃんだって、パッと見にはロボットみたい(!)だけど、
 根は優しいし、面白いもんね。)



「…ふーん、要するに『あれ』を倒さないように皆飛び越えて、
 しかもできるだけ早くゴールインすればいいんですね?」

「まあ… そういうことね…」

 九十九さんは言った。

「どう… 『面白そう』?」

 その言葉に妙なアクセントが置かれていることに、私は気がつかなかった。

「ううーん…
 実際やってみないと、もうひとつよくわかりません…」

「へえ… じゃ、走ってみる?」

「ええ、よろしければ。」

「やってごらんなさい。」

 私はスタートラインに着いた。

(波に乗る…と言ってたわね。)

 波と言うと…やっぱり大波小波とか?
 放物線のイメージかな?
 うーん…

 よし!

 私は走り出した。
 両足をそろえて、思いきりジャンプ! …クリア!
 次もジャンプ!
 次も!
 …………

 ぴょんぴょん跳んでゴールイン、と。
 ふーん、まあ、面白い…かな?

 私が九十九さんのところに戻ろうとすると…あれ?
 彼女は地面に倒れ込んで俯いている。
 気分でも悪くなったのかしら?
 慌てて駆け寄る。

「つ、九十九さん、しっかり!
 お腹でも痛いんですか?」

「く…く…く…」

 どうしよう? 返事もできないくらい苦しいんだ。
 えーと、救急の場合は…と。

「く、く、く… あ、あはは、あははは!!」

 え? 九十九さんが…笑っている?

「あは、あは、あはは、やだ、お腹が痛い…
 か、柏木さん、何、あれ?」

「え、何って? 何のことですか?」

「だから…
 あははは、あは、あの、あの、あなたの、跳び方よ、
 ま、まるで、ウサギみたい…
 あはは、あれじゃ、幼稚園の、おゆうぎよ!
 あははははは!! だ、駄目、もう駄目!!
 あははははははははははは!!」

 …つまり、あたしの跳び方がおかしかったわけ?

 気がつくと、グラウンドのあちこちで、座り込んで大笑いしたり、脱力したりしている人がいる。
 そんなにおかしかったの?
 先生も顔に手を当てているし…さすがに、ちょっと恥ずかしい。

「す、すみません、九十九さん。
 ちゃんとした跳び方を教えていただけますか?」

「あはは、あははは…
 わ、わかったわ、とりあえず模範は見せてあげましょう…
 でも、ちょっと待ってね、
 お腹、お腹が、痛い… あは、あは、あは…」

 九十九さんはひとしきり笑った後、少し自分を落ち着かせて、おもむろに腰を上げた。

「大笑いした後だから、
 ちょっとフォームが崩れるかも知れないけど、許してね?」

 と言って、スタート地点に向かう。

 …スタート!

 九十九さんは、猛スピードで走り出した!

 …あ、なーるほど…
 さっきみたいに高く跳ばないで、ハードルすれすれを跳んで行くのか…
 そうすればぐんとスピードも上がるし…
 …両足そろえて跳ぶんじゃなくて、片足でハードルのすぐ上を蹴飛ばすような感じかな?
 こりゃ、さっきのジャンプじゃ笑われるわけだ…

 でも…九十九さん、きれいだな…
 波に乗って…風になって…
 うん、ハードルって面白そう!



 九十九さんが私のところに帰って来た。

「どうだった?」

「きれいですね。」

「え?」

「九十九さん、きれいでした…
 風のように、波のように…リズミカルで…」

 九十九さんは絶句している。

「ハードルって、面白そうです。」

「何ですって?」

 九十九さんの顔がなぜか険しくなる。

「本気でそう思うの?」

「ええ… 九十九さんはそう思いません?」

「面白いなんて、冒涜よ!」

「え?」

「私たち、お遊びでやってるわけじゃないのよ!!
 毎日血の滲むような練習を積み重ねているの!!
 それを、『面白い』の一言ですまされちゃ、たまんないわよ!!」

 周囲から「そうだそうだ」という声が聞こえる。



 …………

 …そうか…
 …やっぱり私は、この人たちとは仲間になれなかったのか…

「すみません。
 お気に触りましたら、おわびします。」

 私は面白いからこそやりたかったのに…

「私…今日限り失礼させていただきます。」

「おい、柏木!?」

 先生が驚いている。

「いえ、仲間は大切ですから…」

「? 何のことだ?」

「仲間の結束を乱す者があってはならない…」

「!?」

 私は知らず知らず妙な力を込めていたらしい。
 皆がぎょっとした顔をしている。
 …いけない、ついエルクゥのことに重ねて、深刻になっちゃった。

 私は笑顔になった。

「ですから、私みたいに、皆さんをかき乱す者は、
 退散した方がいいと思うんです。」

「柏木…」

「でも…」

 そう。私は、やってみたかった。…面白そうだから。

「…最後に一度だけ、ハードルをやらせてください。」

「『面白い』から?」

 九十九さんが皮肉を言う。

「ええ。」

 と私は答える。

「私にはやっぱり…そうとしか言いようがないんです。
 ハードルは面白そうだし…
 ハードルを跳んで行く九十九さんは、きれい…
 私って単純ですか、やっぱり?」

「…まあ、いいわ。最後くらい好きにさせてあげる。
 ウサギのダンスでも何でもするがいいわ」

「ありがとうございます。」

 私はもう一度スタート地点に立った。

(波か…)

 私は目を閉じた。
 隆山の青い海を思い出す。
 押し寄せる波…



「何やってんの、あの娘?」

 九十九は呆れ顔で呟いた。

「天才少女のやることは、われわれ凡人には理解できないわよねぇ。」

「早くスタートするように言ってやりましょうか?
 あとの練習にも差し支えますし…」

 他の部員も口を添えるが、

「『最後くらい好きにさせてやる』んだろ?」

 教師がそう言って釘を刺した。



 …私は目を開けた。
 目の前には、幾重にも重なる波がある。
 その波を越えて行く風がある。
 私はその風になるのだ。
 そして…波を越えて行くと…
 隆山のその地には…

(パパ…)

 私…やっぱり… パパに会いたい…

「パパー!!」

 …私は風になった。



「あ…あの娘、ファザコン?」

 九十九が呆然としている。
 グラウンド中に響き渡るような大声で父を呼びながら走る少女に、度胆を抜かれたのだ。
 他の部員も唖然としている。
 が、すぐに皆の表情が驚きに変わる。

「な…何、あの速さ!?」

 香織は、さっき九十九が見せたのとそっくり同じフォームでありながら、遥かに速いスピードで
ハードルを飛び越えて行ったのである…



 風だ。私は風。波を渡る風。

(こういう風もあるんだ…)

 知らなかった…
 やっぱり、面白い。
 風は自由だから。
 自由な風になって、波を越えて、海を越えて、パパに会いに行きたい…
 いや、行くんだ。
 きっと、きっと、行くんだ。



 香織はゴールラインを越えても、なおそのまま駆け続けた。



 それが香織の陸上部最後の日だった。


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