The Days of Multi第五部第7章 投稿者: DOM
The Days of Multi
第5部 Days with Serika
☆第7章 エディフェル (マルチ25才)



「…またか。」

 香織が下駄箱をのぞいて、ため息をつく。
 今日もラブレターと思しき手紙が入っている。
 それも、一通や二通ではない…

 自分がもてるということを実感するのは、特に悪い気持ちではない。
 悪い気持ちではないが、わずらわしいことも確かだ。

 香織、高校一年の春である。



「ふふ。香織、もてるのね。」

 一緒に夕食の準備をしながらぼやく香織に、楓は微笑んだ。
 香織は、ラブレターにいちいち返事を書いたりはしないが、そのまま捨てるのも悪いと思うので、
一応目は通すようにしている。
 中にはずいぶん凝った文面もあるが、たいていは同じような、個性のない文章だ。
 もしかすると、同じネタ本でも使っているのかと疑ってしまう。

「同じ文章を使い回して、別の娘にも出してたりしてね。」

 自分で言って、自分でおかしそうに笑う。
 香織自身は、まだまだ恋愛沙汰には疎いようだ。



「…ねえ、楓お姉ちゃんも、もてたんでしょ?
 ラブレターもらったこと、ある?」

「ええ。」

「やっぱり。…で、どうしたの?」

「…香織ほどじゃないけど、私も何通かもらったから…
 でも、どれにも返事は出さなかったわ。」

「ふーん。
 …もしかして、その頃、もう心に決めた人がいたとか?」

 そういう話に関心がないわけでもないようだ。

「…ええ、いたわ。」

「ほんと!? …で、その恋は実のったの?」

「香織。」

 楓は苦笑した。
 まさか、相手が香織の父親であるとばらすわけにはいかない。

「…柏木楓の肉体は、高校二年の時に消滅したのよ?」

「! …ご、ごめんなさい。」

 恐縮した香織は、それ以上その件を突っ込もうとしなかった。



 楓は話題を明るい方へ持って来ようと、

「ラブレターと言えば、
 一番凄かったのは千鶴姉さんでしょうね。
 …時々、鞄に入り切らないくらいもらって、
 困るとか言ってたもの。」

「へええー…」

 さすがに香織も呆れる。

「でも、梓姉さんも、初音も、
 千鶴姉さんほどではないにしても、
 ラブレターにはずいぶん悩まされてたわね。
 梓姉さんなんか、
 『何で女の子からラブレターが来るんだよ!』って、
 しょっちゅう腹を立ててたわ。」

「女の子から?
 …そう言えば、梓お姉ちゃん、さっそうとしてるもんね。」

 実の母娘のように仲良くおしゃべりしながら、夕食の準備をするふたり。



 香織の通う高校は、かつて楓も行っていた隆山第一高校である。
 …もっとも、第二、第三高校がないので、なぜことさら「第一」なのか、よくわからないのだが。
 浩は、成績の関係で、隆山高校に進学した。
 かつて梓が陸上部で活躍していた高校だ。
 今でも、男女とも陸上部は優秀で、もちろん浩も入部している。

 中学時代ずっと仲は良かったものの、大きな進展もないままで、別の高校に通うようになってから
全く顔を合わせなくなったふたりだ。通学路がまるで違うからである。
 香織としては、ちょっと寂しい気もするが、さりとて、わざわざ連絡を取って会いに行くというほ
どでもない。
 目下のところ、高校という新しい環境に関心が向いていたからだ。



 夜中、香織はふと目をさました。のどがカラカラだ。
 夕食の後、内緒でポテトチップスを摘んだのがまずかったかな…と思いながら、台所へ水を飲みに
行く。
 何となく、目が冴えてしまった。
 広い邸内は、昼間でもしんとしているが、夜はまた無気味なくらい静まり返っている。
 何心なく、屋敷の中を歩き回った。

(ビルの警備員って、こんな感じかしら?)

 毎晩人気のない所を見て歩くのも大変だ…などと思いながら、縁側に出た。
 広い庭。小さい頃は、格好の遊び場だった。
 もう少し行くと耕一の部屋だ。

(パパ…)

 香織が恋愛感情に近いものを抱いている相手がいるとすれば、それは第一に耕一だった。
 思春期の少女に往々にして見られる、父親への慕情。
 そればかりでなく、とてつもない力を持ったエルクゥの男性に対する、同族としての憧れも強かっ
た。



(…?)

 耕一の部屋に何かの気配を感じて、思わずエルクゥの聴力を解放した。
 パパと…もうひとり…誰かがいる?

(耕一さん…)

 楓お姉ちゃんの声? どうしてこんな時間に?

(楓ちゃん…)

 パパの声…だけど…
 聞いたこともないような響きがある。どうしたんだろう?

(耕一さん…)

 ぶるっと身震いがする。
 何とも切なそうな声… 楓お姉ちゃんも変だ。

(楓ちゃん、好きだよ…)

 !! パパ… 今、何て!?

(耕一さん… 愛してます…)

 楓…お姉…ちゃん!?



 香織は耕一の部屋の前まで行った。
 しばらく無言で障子を見つめる。
 小さい時から、この部屋の障子を自分から開けてはならないと、教え込まれてきた…



 香織は一気に障子を開け放った。
 部屋の中央に、はっと固まる男女の姿。
 エルクゥの視力があるので、手に取るようにわかる。
 上には…パパ。下には…楓お姉ちゃん。
 ふたりとも…裸!!

「か、香織!?」

 パパがうろたえたような声を出す。

 パパは…もう、パパじゃない。
 ちょっと美人にだらしないけど、優しくて、強くて、素敵なパパじゃ…ない!

 香織は怒りに任せて「力」を解放した。

「香織!! 落ち着いて!!」

 楓お姉ちゃんが叫ぶ。

 楓お姉ちゃん…
 美人で、もの静かで、母親のように世話をしてくれた楓お姉ちゃんは…どこへ行ったの!?

「…どういうこと?」

 香織は低い声で尋ねた。

「噂は本当だったのね?
 …千鶴お姉ちゃんじゃなくて、楓お姉ちゃんだったのね?
 だから、ママは出て行ったのね!?」

「香織、力を収めなさい。ちゃんと説明するから…」

 パパが言う。

 説明? 裸で抱き合っていながら、何をどう説明するっていうの!?

「パパは、ママを裏切ったんだ…
 香織のことも騙してたんだ…」

「違うんだ、香織。これにはわけが…」

「不潔よ! ママが…ママが可哀相…
 あんなにパパのことを愛しているのに…
 パパの馬鹿!!」

「香織。お願いだから話を聞いて。」

「楓お姉ちゃんも!! 私、信じてたのに!!」

 香織の内に、激しい怒りの炎が燃え上がる。

「馬鹿ああああああああああ!!」

 香織の右腕が唸る。
 間一髪避ける耕一と楓。それぞれ「力」を解放し始める。
 エルクゥ化した三人の体重を受けかねて、床がミシミシと悲鳴を上げているが、香織は意に介さな
い。

「お姉ちゃんの馬鹿!!」

 ビュン!!

「パパの馬鹿!!」

 ビュン!!

 怒りに任せて右に左に振られる腕。
 耕一たちはかろうじて避けながら、どうやって香織を静めようかと途方に暮れる。
 エルクゥとしての香織の力はかなり強い。
 生半可な対応では、こちらが重傷を負ってしまう。



 そのとき、三人はもうひとりのエルクゥの存在を感知した。
 香織が振り返ると、縁側に人影が見えた。
 千鶴だ。
 香織が解放したエルクゥの力のせいで、目をさましたのである。



「香織。やめなさい。」

 赤い瞳で無表情に呟く千鶴。

「いやよ!! だって、パパと楓お姉ちゃんは…!!」

 ふと、香織は気がついて、

「もしかして、知ってたの? ふたりのこと。」

「ええ。」

 千鶴の答えは簡潔だ。

「!? ち、千鶴お姉ちゃんまで…
 みんなして、ママを裏切ったのね!?
 みんなで、私を騙してたのね!?」

 香織は新たな怒りを燃え上がらせた。

「グオオオオオオオオオオオ!!」

 獣のように吠えると、千鶴めがけて鈎爪をふるう。
 千鶴は余裕で身をかわすと、ひらりと庭に飛んだ。

「…なってないわね。
 それじゃ、私たちにかすり傷ひとつ負わせられないわよ。」

 嘲るように言う。

「なあんですってええええええええええ!?」

 怒り狂った香織も庭に飛び下りると、再び千鶴に攻撃をしかける。
 千鶴は身をかわしながら、香織の背中に打撃を加えた。

「あう!」

「ほらほら、隙だらけよ!」

「く、く… このっ!!」

 香織はいよいよ冷静さを失う。
 力では劣るものの、訓練を積んだ上に戦士リズエルの記憶を持つ千鶴の速い身のこなしは、香織の
単純で直線的な動きに遥かにまさっていた。



「ハア、ハア、ハア…」

 千鶴に対して一向にダメージを与えることができず、逆に突きや蹴りや投げ技を食らった香織は、
次第に息が上がってきた。

「もうおしまい?
 その程度で私たちと戦おうなんて、10年早いわよ?」

「ウオオオオオオオオ!!」

 単純な挑発に乗って、再び飛びかかる香織。
 千鶴は攻撃を避けながら、足払いをくわせた。

「きゃっ!?」

 香織が前のめりに倒れる。
 すかさず耕一が背中に飛び乗って、パワーを全開する。

「う、うう…」

 鬼となった耕一の体重は、香織の力をもってしても、簡単にはねのけられるものではない。
 手足をじたばたさせるのが関の山だ。

「放して!! 馬鹿!! パパなんて嫌い!!」

 格好だけを見ていると、駄々っ子のようだ。

 香織が一向に静かにならないのに業を煮やした耕一は、やむなく娘に対して殺気を放った。

「…ひっ!?」

 香織の顔から血の気が引いた。
 自分より数段上のエルクゥパワーを持った相手に押さえ込まれた上、殺気を向けられたのだ。
 怒りは急速に萎え、代わって恐怖が香織の心を支配する。

 …パパ… 私を…殺すつもりなの!?
 こわい… こわい… こわいよぉ!!

 香織は、生まれて初めて味わう本物の恐怖に打ち震えた。

「…おとなしくするんだ。」

「は、はい…」

 ぶるぶる震えながら返事をする。
 そこへ楓が近づいて来た。
 悲しそうな目をしている。
 楓はしゃがみ込むと、香織の目をのぞき込んだ。

「!?」

 その瞬間、香織の頭に、楓が放ったエルクゥの信号が満たされた…



 青く澄んだ月の下。
 ひとりの娘が月を仰いでいる。

(きれいな星… 何と言う星だろう?)

 一心に眺めていると、背後から近づく気配を感じた。
 やや警戒しながら振り向くと、ひとりの男が立っていた。
 この星の原住民だ。害意はないらしい。
 男は何やら話しかけて来る。
 あいにく言葉はわからないが、途切れ途切れにかすかな信号を感じるので、おおまかな意味は見当
がついた。
 …この星の原住民にこの類の信号を使える者がいるとは、思っても見なかったが。

 いささか興味を引かれたので、しばらく会話につき合うことにした。
 男はどうやら、こちらの身を案じているらしい。
 が、言葉が通じないのに気がついて、外国人と思ったようだ。どこから来たのかと尋ねる。
 正直に答える義理はないのだが、なぜだか素直に空を指さした。
 男はちょっと驚いた顔をしたが、納得したらしい。
 そして、最後に…

(何だろう? この信号は…?)

 不思議に暖かく、心を満たしていく信号…

「ホントウニ、オマエハ ウツクシイナ」

 …………



「また原住民の襲撃だそうよ。」

 長姉のリズエルが言う。この手の襲撃は二度目だ。

「どうせ返り討ちだろうが、
 念のため、戦闘要員は全員出撃だ。」

 次姉のアズエルが付け加える。

「わかりました。」

 私は短く答えた。

「お姉様方。お気をつけて。」

 妹のリネットが声をかける。
 リネットは、ヨークと連絡のできるただひとりの存在であるため、戦いには参加しない。



 戦いは、前回同様、一方的なものだった。
 ほとんどエルクゥの男たちだけで片がついてしまった。
 どうしてこの星の原住民は、こんな無益な戦いをしかけて来るのだろう?
 獲物が狩猟者に勝てるはずがないのに…
 そう思いながら、手分けして戦場を調べる。
 もしや生き残りでもいたら、始末するためだ。
 ゆっくり歩いているうちに、ふと原住民の気配を感じた。…生きている。
 気配のする方向に目をやると、木の陰からひとりの男が現れた。
 脇腹に怪我をしているが、殺気を放っている。
 手には抜き身の剣。戦うつもりらしい。

(無駄なことを…)

 勝てるわけがないのに。
 そう思いながら、男が近づいて来るのを待った。
 お互いの顔が見えるくらいに近づいたとき、私はいささか狼狽した。
 あの月夜の晩に出会った男だ。
 男も、私に気がついて驚いている。殺気が弱まる。
 男が何か言った。
 私には理解できなかった。ためらうような信号を感じるのみだ。
 だが、男は再び顔を引き締めると、剣を構えた。
 やる気らしい。

(やめなさい。あなたに勝ち目はないわ。)

 男が飛びかかって来る。
 私は右腕を振るう。
 勝負は一瞬にしてついた。
 朱に染まって倒れる男。

 勝負に勝ったのに、ちっとも嬉しくない。
 獲物を狩ったのに、何の喜びも感じない。
 どうしてだろう?
 瀕死の男が私を見た。
 なぜだか微笑みを浮かべている。
 そして、私の心に流れ込んだ信号…

「ホントウニ、オマエハ ウツクシイナ」

 …………



 私は泣きながら男の介抱をしていた。

(死なないで…)

 それだけを考えていた。
 男は私を愛していたのだ。それが、あの信号の意味。
 そして…私も男を愛していた。それが…あの信号を感じ取れた理由。
 私は男にエルクゥの力を与えることで、その生命を救うことに成功した。
 今や高貴な狩猟者の一員となった男… だが、私の予想に反して、男は怒り狂った。
 私は乱暴に押し倒された。
 それでも私が抵抗せずに耐えていると、男は次第に荒々しさを収め、やがて優しく愛撫してくれる
ようになった。
 私の気持ちが通じたようだ。
 私たちは、一緒に暮らすようになった。
 …私の名はエディフェル。男の名は、次郎衛門と言った…



 だが、幸せは長くは続かなかった。最初から覚悟はしていたが。
 姉のリズエルが私を討ちに来た。
 無表情の面(おもて)の下に、実の妹を殺さなければならない悲しみを隠したリズエル。
 私にはその辛さがわかる。だから抵抗しなかった。
 朱に染まった私の体を、次郎衛門が見つけた。

(良かった。最後に、ほんの少しでも、あなたに会えて…)

 私たちにはエルクゥの血がある。
 きっとまた、生まれ変わって巡り会うことができる。
 こんなに愛し合っているのだもの…



 私の名は柏木楓。私はかつて、エディフェルだった。
 私には好きな人がいる。
 柏木耕一。私の従兄、そして次郎衛門の転生。
 500年の思いがようやくかなう…と思ったのもつかの間、私は再び命を失った。
 血に染まった自分の右手を呆然と眺める、姉の千鶴。リズエルの転生だ。

(皮肉なものね。また、リズエルに殺されるなんて…)

 恨んではいない。ただ、悲しかった。
 私と耕一さんは…エディフェルと次郎衛門は、永遠に結ばれない定めなのだろうか?
 お願いだから、もう一度チャンスを… 耕一さんと会えるチャンスを…



 ヨーク。エルクゥの乗り物。優しい心を持った船。
 ヨークが私の魂を、メイドロボの体に送り込んでくれた。
 最初の何日か、自分が何者なのか、意識がはっきりしなかったけれど…
 今ではわかっている。私は楓。私はエディフェル。
 …今日耕一さんに、お見合いの話があった。
 耕一さんはきっぱり断わったそうだけど…
 私は心配だ。耕一さんは、私がここにいることに気がついていない。
 そのうち断わり切れなくなって、他の人と結婚してしまうのでは…?
 そんなのいや。せっかくヨークが、もう一度チャンスをくれたのに。
 …でも、私がメイドロボになったと知ったら、耕一さんはどう思うだろう?
 もう愛してくれないかも知れない。嫌われるかも知れない。
 耕一さん…



 迷いながらも、耕一さんの部屋をおとなう。
 …耕一さんは、私に気がついてくれた。
 そして…愛してくれた!
 嬉しい。耕一さん。楓は幸せです。
 これで、ずっと一緒に暮らせますね…?

 …………



 …楓の信号を受けた香織は、その内容に呆然としていた。

「それが真実なのです。」

 楓が静かに告げる。

「…じゃ、ママは… どうして?」

「それも教えてあげます。
 …でも、いつまでもこんな所では何ですから、
 居間にでも行きましょう。
 エルクゥの力を収めなさい。」

「うん…」

 香織に続いて、耕一たちも力を収めた。
 耕一は香織を助け起こすと、寝間着に着いた泥を払ってやる。
 香織は、心ここにあらずといった感じだ。



 居間に集まる。
 耕一は、芹香との結婚の経緯を詳しく話した。
 楓と千鶴も、ところどころ補足説明を加える。
 …マルチとの関係を除き、耕一の女性関係をすべて知らされた香織は、ただただ唖然とするばかり
だ。



「…いきなりいろいろなことを知ったので、
 香織もどうしたらいいかわからないでしょう。
 今夜は休んで、また明日のことにしませんか?」

 千鶴が提案する。
 全員異論はない。

「それにしても、千鶴さん、凄かったね。
 香織の攻撃をうまくかわしながら、
 少しずつダメージを与えておとなしくさせるなんて…
 あの状況としては、最も適切な処置だったと思うよ。」

 耕一が感心したように言うと、

「いえ、別に、あれくらいは…」

 千鶴が照れくさそうに頬を染める。

 楓はそっと苦笑をもらした。
 …千鶴はあのとき、寝起きでひどく不機嫌だった。
 その不機嫌を香織にぶつけていたことを、楓は知っていたのである…


−−−−−−−−−−−−

千鶴さんは寝起きが悪い、というのは Leaf ファンの常識だったと思いますが…
私の勘違いでしょうか?


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