The Days of Multi第五部第2章パート1 投稿者: DOM
The Days of Multi
第5部 Days with Serika
☆第2章 和解 (マルチ21才) Part 1 of 2



「やったわね…」

 綾香が感慨深げに言う。

「−−ええ。」

 セリオの返事は簡潔だ。

「…………」

 こくん

「とうとう…」

 マルチは目をうるうるさせている。

「ああ。とうとう、ここまでこぎつけたな。」

 長瀬も嬉しさを隠し切れない。

 五人は、モニターに映る情景を見つめていた。
 メイドロボの軍事使用を禁じる国際協定の調印…
 五年にわたる戦いが、ついに実ったのだ。
 協定の内容はごくおおまかなものであり、いくらでも改善の余地はあるのだが、ひとまず最大の目
標を達することができた。



 志保や葵、あかりや雅史も、それぞれ別の場所で同じ映像を目にしながら、感無量の面もちだった。

「ヒロ。見てる? やったわよ。
 …それにしても、マルチって、
 あんたが惚れただけのことはあるわね。
 あんながんばり屋さんとは思わなかったわ。」

「先輩。…少しは、先輩にご恩返しができたでしょうか?」

「浩之ちゃん… きっと、喜んでくれてるよね?」

「浩之。よかったね。
 これで、マルチちゃんや、その妹たちを、泣かせなくてすむよ。」

 …………



 鶴来屋の会長室。
 耕一と千鶴が、テレビでやはり同じ情景を見ていた。

「芹香さんもマルチちゃんも、がんばりましたね…」

「うん…」

「お祝いの電話か電報でも入れられたらどうですか?」

「うん…」

「?」

 千鶴は、耕一があまり乗り気でないのに気がついた。



 耕一の芹香に対する態度は、年ごとによそよそしさを増すばかりだ。
 相変わらず年に何回か香織を伴って来栖川家を訪れているものの、肝心の芹香は例のキャンペーン
のために飛び回っており、会えないことが多い。
 もっとも香織は、祖父母が歓待してくれるのに満足して、母親に会わずじまいでも苦にならないら
しいが…
 この何年のうち、耕一と芹香がまともに顔を会わせた回数は、片手の指で足りるくらいではなかろ
うか。
 そう言えば、芹香からのキャンペーン参加要請も通り一遍のものだったし、耕一の方も、キャン
ペーンのポスターを要所に貼り出したくらいで、積極的な活動はしていない。



(これでも夫婦と言えるのかしら?)

 しかし、そうした状態をつくり出した遠因は、鶴来屋に…いや、鶴来屋をひとりでまとめきれない
自分にあるのだ。
 そう思うと、あまり差し出がましいことも言えない。

「…そう言えば、もうすぐ香織の誕生日だっけ。
 いつまでも赤ちゃんだと思っていたら、
 あいつももう、12になるんだなあ。
 来年は中学だなんて信じられないや。
 …ねえ、千鶴さん?」

 耕一が気まずい話題をそらすように言った。

「ええ。そうですね…」



「それでは、国際協定の調印を祝して…かんぱーい!」

「かんぱーい!」

 来栖川邸で行なわれた非公式の祝賀会。
 ワインと蒸留水による乾杯が行なわれた。
 メンバーは、芹香、綾香、長瀬、マルチ、セリオ、葵、あかり、雅史。
 そして、「アドベンチャー・ナガセ」のメイドロボ10体、来栖川邸のメイドロボ20体。
 ある意味、協定の内容にふさわしいメンバーとも言えよう。
 因みに、志保は海外にいるため不参加。
 自分の料理教室にキャンペーンポスターを貼り出しただけのあかりは、

「私は、そういうお祝いに出る資格はないから…」

 と遠慮したが、綾香やマルチにしきりに誘われてやって来たのである。

 出席者38名のうち、人間は6名だけなので、食事や飲み物は簡単な立食形式。
 メイドロボたちが給仕役に回る必要がないよう、配慮してある。
 いくつかの簡単なスピーチが終わると、あとは自由に食事しながら歓談となった。
 内輪の気軽な集まりなので、皆思い思いの場所で立ったり座ったりしながら、これまでの苦労談や
こぼれ話などをシェアしている。
 蒸留水入りのグラスを手にしたメイドロボ同志でも、結構話が盛り上がっていたりする。

「…初めての講演会、面白かったわねぇ。
 マルチがこちこちになっちゃって、
 前に進み出ようとして派手に転んじゃって。
 マイクは吹き飛ぶし、聴衆は吹き出すし…」

 綾香が楽しそうに話すと、

「あううーっ、もうおっしゃらないでくださあい。」

 マルチが赤面する。

「−−あのときは、最初に挨拶された芹香さんも、
 ずいぶん緊張しておられたんですよ。」

 セリオも暴露する。

「え? あのとき、姉さん、いつも通りに見えたけど…?」

「−−舞台の袖で、気を落ち着かせるための、
 ありとあらゆるおまじないを試しておいででした。」

「…………」

「え? そういうセリオさんも、珍しく何度も通訳をトチられました?
 …セリオ、本当なの? あれ、セリオは?」

「ちょっと会場内が暑いようなので、
 空調をチェックしてくると言われましたぁ。」

「まったく、逃げ足だけは早いんだから…」



「ハッピーバースデーツーユー
 ハッピーバースデーツーユー…」

 香織の12才の誕生日のお祝い。
 梓と初音も、嫁ぎ先から駆けつけて、楓と共に料理の腕を振るった。

 ふーっ

 香織が一息にケーキのキャンドルを吹き消す。

 パチパチパチパチ…

 一斉に拍手。

「香織、お誕生日おめでとう。」

「おめでとう。」

 口々にお祝いの言葉。

「うん。ありがとう。」

 上機嫌の香織。

 続いてプレゼント。
 耕一からは、かわいい洋服。

「わーっ、素敵! ありがとう、パパ!」

 香織に抱き着かれ、いささか照れ加減の耕一。
 香織の好みがもうひとつよくわからない耕一は、楓に頼んでショッピングにつき合ってもらい、い
くつかの候補の中から、最後は自分自身の趣味で購入したのだが…娘が気に入ってくれてほっとした。

(それにしても…香織も、マルチの設定年齢ぐらいに成長したんだな。)

 かつて、マルチのために、小学6年生くらいのサイズの服を探して来てやった経験を思い出しなが
ら、耕一は何となく面映いような感覚を覚えていた。

 四姉妹はそれぞれ、アクセサリーの類を贈った。
 どれも趣味のよい品々で、香織は大喜びだ。

「あっ、そうそう…
 ママからもプレゼントが届いてたんだ。」

 耕一が小さな包みを取り出した。

「ママから…?」

 香織の顔から笑みが消える。

「…あけてみたら?」

 楓が促す。
 香織は頷いて、包みを開いた。すると…

「何、これ?」

 香織が怪訝そうに取り上げたものは、ペンダントのようだが、奇怪な彫刻が施され、見るからに古
色蒼然としている。

「センス悪ぅ。さすがはママね。」

「香織。そんなこと言うもんじゃありません。」

 楓にたしなめられて、

「はぁい。」

 と返事はしたものの、ちょっと不満そうだ。

「カードがついてるよ。」

 初音が気がついた。

「え? あ、ほんと…
 えーっと…」

 『お誕生日おめでとう。
  幸運のお守りです。いつも身につけていなさい。
                       芹香』
  (芹香はなぜか、娘に宛てたメッセージや手紙に『母』と書いたことがない)

「…えーっ!? 冗談じゃないわよ!
 こんなもの身につけてたら、クラスの皆に馬鹿にされちゃう!」

「香織…」

 楓が再びたしなめようとすると、

「じゃ、せっかくママがくれたんだから、大事にしまっておきなさい。」

 と耕一がさらっと言う。

「うん。そうする。」

 父親の提案に、ほっとした顔の香織。



「それから、これがおじいちゃん、おばあちゃんから。
 これは綾香叔母さんから。これはマルチから。」

「わあ…」

 来栖川の祖父母から届いたのは、サファイヤの周りに小粒のダイヤを配した指輪だ。
 もちろん本物である。
 女の子だけあって、香織の目は釘付けになっている。

「よかったね。よそいきの時なんか、使えばいいんじゃないか?」

 耕一が言う。

「うん!」

 綾香からは、ちょっとしゃれたデザインのボールペンだ。

「綾香お姉ちゃんって、センスいいなぁ。
 姉妹なのに、どうしてこんなに違うんだろう?」

 無意識かも知れないが、母へのあてこすりがある。

 続いてマルチのプレゼント。

「あ、ハンカチだ。きれい。
 …ふーん、マルチお姉ちゃんが外国に行ったときに、
 買っておいてくれたんだって。
 嬉しいな。
 …マルチお姉ちゃん、忙しくしてるみたいだけど、大丈夫かな?
 会いたいな。」

 実の母親より、マルチの方が懐かしいらしい。



「例のキャンペーンも一段落したみたいだし…
 今度会いに行こうか?」

 と耕一が言うと、

「え!? ほんと!? いつ、いつ!?」

 香織が目を輝かせる。

「慌てるなよ。マルチの都合も聞かないと…
 でも、できるだけ早く行けるようにするよ。」

「パパ、お仕事大丈夫?」

「うーん、確かに忙しいけど…
 そこはかわいい娘のためだ、何とか都合をつけるさ。」

 耕一が胸を張る。

「わーい、だから、パパ、だーい好き!!」

 またしても抱き着く香織。

 仲の良い父娘の姿を見ながら、千鶴と楓は思った。
 どうしてふたりとも、芹香に会いに行く相談ではこんなに盛り上がらないのだろう、と…



「おじいちゃん、おばあちゃん、こんにちは。
 遊びに来ました!」

「おお、香織。よく来たな。」

「あら、その指輪、とってもよく似合うわよ。」

 来栖川の祖父母にとって、芹香にそっくりの姿に、綾香のような明るさを持った孫は、目の中に入
れても痛くないようだ。

「えへへ、この間はプレゼントありがとう。」

 よそいきということで、早速例の指輪をしている香織である。

 そのとき、おずおずとした感じの声がかかった。

「香織さん…ですか?」

「え? あ!? マルチお姉ちゃん!」

 香織は、かれこれ三年ぶりに会うマルチに抱きついた。

「香織さん…
 すっかり大きくなられて、見違えました。」

 今の香織は、マルチとほぼ同じくらいの背丈がある。
 見た目は同級生だ。

「マルチお姉ちゃん!! 会いたかったよ!!」

 香織は涙ぐんでいる。

「わ、私も、…お、お会いしたかったですぅ。」

 涙もろいマルチも、目をうるうるさせている。

「あらあら、ふたりともこんな所で。
 さ、耕一さんも、香織も、奥へどうぞ…」



「す、すみません。
 芹香さんも、今日は早く帰っておいでになるはずだったんですが…
 急用ができてしまったそうで、私だけひと足お先に…
 でも、夕食には多分間に合われるそうですぅ。」

 マルチが我が事のように恐縮する。

「ママも忙しいものねぇ…」

 香織は意に介さないようだ。



「香織も来年は中学ね…」

 祖母はしみじみと言う。

「大きくなったでしょう?」

 香織は自慢げだ。

「そうだな。何かお祝いをしてやらないとな。」

 祖父も目を細める。

「あ、いいんですよ。
 こないだも、高価なものをいただいたばかりですし…
 お気遣いなく。」

 耕一が遠慮する。

「でも、せっかくの機会ですから…
 大したことはできませんが、何かさせてくださいな。」

 来栖川家で「大したことでない」という場合、一般のレベルでは大したことであるケースが多い…



 夕方。
 仕事を終えた長瀬と綾香が帰宅する。

「綾香お姉ちゃん! 長瀬のおじちゃん!」

「香織、ひさしぶり!」

「いやー、すっかり美人になったねー。」

「…あなた、何鼻の下伸ばしてんの?
 身内に手を出したりしたら、承知しないわよ?」

「? 何の話?」

「いえ、別に…」



 夕食時。
 来栖川の祖父母、長瀬夫妻、耕一と香織が食堂へ。
 マルチも同行する。

「姉さんは?」

 芹香の姿が見えないのを不審がる綾香。

「−−先ほどセリオお姉様と会社を出られたそうですので…
 間もなくお帰りかと存じます。
 お食事は先に始めておいてくださいとのことです。」

 メイドロボのミリーが言う。

「やれやれ。相変わらず姉さんも忙しいわね。」

「それじゃ、始めようか?」

 綾香の父が言った。



「芹香お嬢様。間もなく到着致します。
 香織お嬢様にお会いになるのが、楽しみでございましょう?」

 車を運転しながらセバスチャンが聞いた。
 芹香は無言である。

「−−お嬢様は、少しお疲れのようですので。」

 セリオがそう言うと、

「おお。それは失礼致しました。」

 セバスチャンは、気を使って口をつぐむ。

 セリオは知っていた。
 芹香が香織に会うことを、必ずしも楽しみにしていないことを。
 今日も、本当はもっと早く帰れたのだ。
 明日に回しても良い仕事を、今日中に仕上げようと芹香自身が言い出して、遅くなったのである。
 母娘の確執にセリオは気づいていたが、感情のない彼女には、こういった問題をどう扱えば良いか、
さっぱり見当がつかなかった。



 夕食がほぼ終わりかけた頃、芹香たちが帰って来た。

「あっ! セリオお姉ちゃん!」

 香織の歓声は、母に向けられたものではなかった。

「−−お久しぶりです、香織さん。
 耕一さん、ようこそお越しくださいました。」

「セリオも変わりなさそうだな? 何よりだ。」

 それからおもむろに、

「芹香? 元気か?」

「…………」
 はい。耕一さんもお変わりなく。

 芹香はそう言って席についた。

 耕一とのやりとりも素っ気なかったが、香織に対しては言葉すらかけない。
 もっとも、香織の方からも母に声をかけないので、おあいこではあるが。
 綾香は何となく妙な雰囲気を感じ取って、香織にそっとささやいた。

「香織。ママに挨拶しないの?」

 香織はしぶしぶ、

「こんにちは、ママ。」

「…………」
 よく来たわね、香織。

 ひさしぶりの母娘の会話は、それだけで終わってしまった。


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