The Days of Multi第五部第1章 投稿者: DOM
The Days of Multi
第5部 Days with Serika
☆第1章 マルチの戦い (マルチ16才)



「ああー… いい気持ち。
 たまには、女同志でお出かけ、ってのもいいわね。」

 綾香が深呼吸しながら言う。

「…………」

 こくこく

「何だか昔を思い出しますねぇ。」

 マルチは、かつて浩之を中心に四人で町へくり出した頃のことを、懐かしく振り返っていた。

「−−私たちの最初の運用試験から、16年が経ったのですね。」

 感情がないはずのセリオも、何となく感慨深そうに見える。



 四人は、たまたま芹香の時間があいたのを利用して、ひさしぶりに揃って出かけることにした。
 そしてショッピングの後、近くの公園を散歩していたのである(荷物はセバスチャンに送り届けさ
せた)。



「でも、うらやましいわね。
 マルチもセリオも、16年前とまるっきり変わってないじゃない?
 あたしたちなんか、年を取る一方なのにねえ。」

 綾香がぼやく。

「そんなことないですぅ。
 綾香さんも芹香さんも、若くておきれいですよぉ。」

「−−私たちメイドロボも、パーツの劣化や磨耗がありますから…
 その意味で年は取るのですよ。」

「でも、部品を取り替えさえすれば、いつまでも若いままなんでしょ?」

「−−理屈ではそうですが…
 必要なパーツがいつまでも製造されているとは限りませんし、
 やはり永遠に生きることはできません。」

「そっか…
 結局人間と同じで、寿命はあるわけだ。」

「−−そういうことです。」

 何となくしんみりした雰囲気がただよう。



 三ヶ月前に、芹香たちの祖母が亡くなった。
 芹香が来栖川家に戻って来る前後から体調を崩し気味で、入退院を繰り返していたのだが、今年に
入ってやけに調子がいいと本人も周りも喜んでいたら、ある朝寝床の中で帰らぬ人となっていたので
ある。
 いやでも、人の命のはかなさを思い知らされる出来事だった。



「…………」
 お墓参りに行きませんか、と突然芹香が言い出した。

「お墓参り? …ああ、そうね。
 ひさしぶりにのぞいてやるか。」

「そうですねぇ。」

 このメンバーで墓参りと聞いて、綾香とマルチはピンときたらしい。

「−−どちらのお墓ですか?」

 芹香たちの祖母の墓参りは、つい先日すましたばかりだし…と、セリオが訝しがる。

「浩之よ。」

「−−ああ… そうですね。お供します。」



 四人は藤田家の墓石の前にたたずんでいた。
 しばらくおとなう人がなかったと見えて、雑草がぽつぽつ生えている。
 四人は、草むしりをしたり、墓石を洗ったりして、掃除をした。
 途中で買って来た花を飾る。
 きれいになった墓石の前で、しばらく瞑目した。
 ちょっと目つきの悪い、しかし心根の優しい少年の姿が脳裏に浮かぶ。
 メイドロボにも、オカルト好きの孤独な少女にも、格闘技の女王にも、自然な態度で接してくれた
希有な存在。
 四人に、それぞれの仕方で、かけがえのない思い出を与えてくれた人物。
 長い長い時間、彼女たちはそうしていた。

(浩之さん…)

 マルチは何も言わなかった。
 ただ、懐かしさに胸がいっぱいだった。
 彼女の心は成長し続けている。
 耕一のもとを離れて、三年が過ぎようとしているこの頃、ようやく耕一と過ごした日々を冷静に振
り返ることができるようになった。
 浩之のことも、耕一のことも、今となっては懐かしい思い出なのだ。

「…浩之。また来るからね。」

 帰り際に、綾香がぽつりとつぶやいた。



「行ってらっしゃい。」

「はい。楓お姉ちゃん。行って来ます。」

「車に気をつけるんですよ。」

「はい。千鶴お姉ちゃん。」

「道草くわずに帰って来いよ。」

「わかってるよ。」

 ランドセルを背負った香織が、耕一に向かって口をとがらす。
 今年から一年生だ。

「行って来まーす!」

 元気な声で駆け出す香織。
 このところ、物静かな楓と千鶴の影響で、言葉も仕草もだいぶ落ち着いてきたが、生来の活発さは
変わらない。



 梓と初音が相次いで嫁いで行った後の柏木家は、耕一、千鶴、楓、香織の四人暮し。
 かつての香織の母親代わりは、今では楓しか残っていない。
 実の母の別居が続いているので、実質上楓が母親と言って差し支えない状態だ。

 芹香は、香織の入学式にも都合がつけられず、結局顔を見せることができなかった。
 不憫に思った柏木家では、父親である耕一はもちろん、楓と千鶴も入学式に出席することにしたの
だ。
 芹香と疎遠な香織は、むしろ楓たちが来てくれたことを喜んでいた。
 次第に女の子らしいものに目覚めてきた香織にとって、落ち着いた美人の千鶴と楓は、憧れの対象
であり、ふたりの言うことはよく聞いている。
 …父親の耕一に対しては、相変わらずわがままなのだが。

 香織は幼稚園に行かずいきなり小学校だったので、耕一たちは最初のうち、友だちができるかどう
か心配していたが、母親そっくりの美少女でありながら明るく活動的な性格のおかげか、クラスでは
結構人気者のようだ。
 男の子から「結婚しよう」ともちかけられることもよくあるようで、父親の耕一は今から神経を尖
らせている。



「参観日か…」

 耕一は唸った。
 香織の参観日の通知をもらったのだが、その日はちょうど大事な会合があって、耕一も千鶴も抜け
られないのである。
 芹香は最初から考慮の外だ。

「私が行きましょうか?」

 楓が申し出る。

「だけど…」

「大丈夫です。
 このごろでは、メイドロボが親代わりに来ることも、
 珍しくないそうですから。」

 楓は、姿形は自分本来のものだが、両耳のセンサーだけは残してある。
 メイドロボであることは一目瞭然だ。

「香織、参観日は楓お姉さんが来てくれるそうだけど、
 それでいいかい?」

「うん。」

 今の香織にとっては楓が母親である。異論があるはずはない。
 その件はそれで落着した…はずだった。



 参観日当日。
 着飾った母親たちに混じって、メイドロボの姿も二、三見える。
 両親の都合がつかないために、代理で出席しているのだ。
 楓も、その中のひとりだった。
 さすがに、楓ほど容姿を大幅にカスタマイズしたものは珍しく、周囲からある程度好奇の目で見ら
れたが、間もなく参観が始まると、皆自分の子どもに注意を向け始めた。
 香織は、振り返ってしばらくきょろきょろしていたが、楓の姿を確認するとにっこりした。
 楓も静かな微笑で返す。

 授業が始まる。算数の時間だ。
 担任の女教師の質問に、子どもたちが一斉に手を上げる。
 香織も「はい、はい!」と懸命に手を上げている。
 「母親」の前で、いいところを見せたいのだろう。

 何回目かの質問。

「だれに答えてもらいましょう…?
 では、柏木さん。」

 香織が元気よく立ち上がる。

「はい。答えは6です。」

「その通りです。よくできましたね。」

 先生にほめられた香織は、誇らしそうに楓を振り返った。
 楓も、笑顔で答える。

 しかし、楓は、「柏木」という名を耳にした途端、周囲で起こったかすかなざわめきが気になった。
 そっと耳をすましてみると…

(あれが柏木の…)

(母親がいないとか?)

(両親がほとんど離婚同然なんでしょ?)

(ご主人が鶴来屋の会長さんといい仲なんで、奥さんが腹を立てて飛び出したそうよ。)

 !!

 楓は自分の耳を疑った。そんな噂があったなんて…
 周囲の母親たちは、楓のことをただのメイドロボと思っているせいか、平気でひそひそ話を続けて
いる。

(どうしてすっぱり別れてしまわないのかしら?)

(どちらも大企業のお偉いさんなんでしょ?
 離婚となると、いろいろ不都合なんじゃない?)

(お金持ちのすることは、わからないわねえ。)

 楓は思わず、ささやきを交わしている母親たちを睨みつけた。
 彼女たちは一瞬怯んだが、「メイドロボのくせに何よ」とばかり睨み返してくる。
 楓は腹が立ったが、まさか学校でエルクゥの力を解放して凄みをきかせるわけにもいかない。
 幸い、間もなく授業終了を告げるチャイムが鳴った。



 休憩時間になって、子どもたちはそれぞれの母親のところに向かう。

「楓お姉ちゃん!」

 香織も嬉しそうに飛んで来た。

「香織。ちゃんとお答えできたわね。
 お利口さんね。」

 頭を撫でてやると、

「………あ。」

 と目をとろんとさせる。
 マルチから伝わった癖で、これだけは抜けないのだ。
 楓は、香織に対する好奇の視線を意識しながらも、あえて無視することにした。

「後で、一緒に帰りましょうね。」

「うん!」

 そのとき、男の子がひとり、母親と思しき女性の手を引いてやって来た。

「香織ちゃん!」

「あ、浩ちゃん。」

 浩は、香織が小さいとき、公園で知り合って以来の友だちだ。
 楓も何回か顔を合わせたことがある。もちろん母親もだ。

「こんにちは…」

 その母親は、何となく引き気味だ。
 先ほどからのひそひそ話を耳にしていたに違いない。
 周りを気にしているようだ。

「今日、一緒に帰ろうよ!」

 浩が香織にそう言うと、母親はますます困惑して、

「ええとね、浩、今日は帰りに寄る所があるから…」

 苦しい言い訳を始めた。
 すかさず楓が、

「今日はご都合が悪いみたいだから、またこの次お願いしますね。」

 と言うと、母親はほっとしたようだ。

 浩はちょっと残念そうだったが、

「それじゃ、またね。」

「うん。」

 と離れて行った。

 保護者にはこれから面談がある。
 浩の母親が、ほかの参観者の中に紛れ込もうとすると、

(佐々木さん、柏木さんとことお知り合いだったのね? 知らなかったわ。)

(い、いえ、たまたま子ども同志が顔見知りというだけで…)

 そんな会話が楓の耳に届いた。



 面談の時間。
 メイドロボの姿をした楓を見ても、担任は驚かない。
 やはり珍しくないのだろう。

「香織ちゃんは、明朗活発で、皆に好かれていますね。
 お友だちも大勢ですし…」

 一応丁寧に話してくれる。

「勉強も頑張っているようですから、特に問題はないのですが…」

 担任がかすかにためらう気配なのを感じた楓は、

「家庭のことで何か?」

 と聞いた。

 女教師は、楓の口調が人間くさいのに驚いたが、そういうカスタマイズもあるのだろうと気を取り
直し、

「…そうですね。確か、お母様が別居中とか?」

「はい。仕事の関係で、やむを得ず。」

 楓はその点を強調したかった。

「そうですか。…ええと、あなたは楓さん、でしたね?」

「はい。」

「…実はですね、先日香織ちゃんとお話をしたときに、
 お母様の話題になりまして…」



「香織ちゃん、これは誰の絵? お友だち?」

 担任は、香織が描いた絵を見ながら尋ねた。

「ううん。これはパパ。これは楓お姉ちゃん。
 こっちは千鶴お姉ちゃん。これがマルチお姉ちゃん。
 それからこれが…」

 香織は、画用紙いっぱいに描かれたたくさんの人の形を、次々に指さした。

「へえ、お姉さんがいっぱいなのね?」

「うん!」

 香織は嬉しそうだ。

「お母さんはどこにいるの?」

 担任が何気なく聞くと、

「お母さん?」

 香織はきょとんとした。

「ママは遠くにいるよ。」

「…いいえ、この絵の中にはいないの?」

 担任は自分の質問の意味をそう説明したが、

「うん、いない。」

 香織は当然そうに答える。

「…ママがいないと、寂しいでしょう?」

 何となく気になった担任は、ついそう聞いてしまった。

「どうして?」

 香織は不思議そうだ。

「だって…お母さんですもの。」

 予期せぬ反問に、焦って妙な返事をする。

「寂しくないよ。ママなんて、いなくて平気だもん。」

 香織は平然と言う。虚勢を張っているようでもない。

「楓お姉ちゃんも、千鶴お姉ちゃんもいるし…」

 そう言った後で肩を落とすと、

「マルチお姉ちゃんと、初音お姉ちゃんがいないのは、寂しいけど…」

 今度は心底寂しそうだ。

「ね? ママもいなくて、やっぱり寂しいでしょう?」

 担任がもう一度聞くと、

「ママなんていなくていい。ママ、私のこと嫌いだもん…」



「そうでしたか…」

 楓は考え込む。
 香織は以前から母親に対してよそよそしかったが、そんな風に考えていたのか…
 先ほど教室で耳にした噂といい、柏木家の家庭のあり方が改めて気になり出した。



「芹香と一緒に暮らせないかって?」

 耕一は楓の申し出に対し、今さら何を、という顔をして見せた。

「それができるくらいなら、最初からそうしてるよ。」

「でも、せめてもっと頻繁に会うようにしたら…」

 耕一は年に二、三回、香織を連れて来栖川家を訪れるだけで、それ以外に芹香と会う機会はない。

「仕事の都合がつかないんだよ。」

 そうだろうか、と楓は思う。
 楓には、耕一が芹香と会うために、積極的な努力をしているようには思えない。
 一応は話し合いの上とはいえ、夫と娘を置いて実家に帰ったかたちの妻に対し、腹を立てているの
だろうか?

「もう少し工夫すれば、何とかなるのでは?」

「ならない。」

 耕一は不機嫌そうに言うと、

「仕事のことで、千鶴さんと打ち合わせておかなくちゃいけないんだ。
 悪いけど、その話はここまでにしてくれ。」

 と立ち上がって行ってしまった。

「あ…」

 楓はその場に取り残された。



 今まで考えてみたこともなかったが、例の噂を耳にしてみると、柏木家の状況は、確かに邪推され
ても無理からぬところがあった。
 当主の耕一は妻と別居中。
 同居の従姉である千鶴は、美貌の独身女性。
 楓はメイドロボなので、こういう場合は考慮されない。
 あとは小さな香織だけで、邪魔だてするような家族もいない。とすれば…
 耕一と千鶴の仲が取りざたされても、仕方がないではないか?
 おまけに、ふたりは仕事の関係で、ほとんどいつも共に行動しているし…

(どうしたらいいの?)

 今の状況を打開する方法がないか、考え続ける楓であった。



 某国から来栖川のメイドロボを大量購入したいという申し出があったのを、芹香は断わった。
 購入予定数がかなりのものだったので、役員の何人かが考え直すよう忠告したが、芹香は聞かな
かった。
 購入の条件に、ある特別な仕様を施してほしいというのがあったが、その内容を聞いたセリオが、
軍事目的であることを見抜いたからである。

 メイドロボを製造している会社はほかにもあるが、生産台数も性能も、来栖川のそれには遥かに及
ばない。
 実戦に耐えるメイドロボは、来栖川にしかないのだ。
 だから、今のところ芹香が拒否することで、メイドロボの軍事使用は不可能となる。
 しかし、いつまでもこの状態が続くとは限らない。

 芹香はセリオたちの意見を聞き、熟考の末(最後にカードで占って)、メイドロボの軍事使用を禁
止する国際協定の実現に向けて乗り出すことにした。
 そして、家族や友人たちの協力のもと、大々的なキャンペーンを開始したのである。


 セリオは、衛星回線を通じて世界中と連絡を取りながら、メイドロボ保護のための地ならしを始め
た。
 長瀬は、従来通り店を続ける傍ら、来栖川の特別顧問に任ぜられ、メイドロボに関する専門的な質
問に即座に答えられるようにした。
 綾香は、国際ジャーナリストとして活躍中の志保に協力を要請した。志保は早速、メディアを通じ
ての訴えを開始する。
 綾香はさらに、格闘技の道場を開いている葵と連絡を取った。ふたりして、元エクストリームの女
王という肩書のもとに、スポーツ界を通じて働きかけるためだ。
 スポーツ界と言えば、長年日本サッカーのヒーローで、今は某チームのコーチを務める雅史も、志
保からキャンペーンのことを聞いて、協力を申し出た。
 同じく志保経由で事情を知ったあかり(母親と共に料理教室を開いている)も、何か手伝えること
があれば…と打診してきたのである。

 そして、マルチ。
 …彼女は、自らが世界で唯一の心を持ったメイドロボであることを公表し、至る所に赴いては、
「妹」たちが戦争の道具となることを防いでほしい、と訴えた。
 心を持たない「妹」たちの、ただひとりの代弁者として立ち上がったのである。

「私も妹たちも、人間の皆さんのお手伝いをするために生まれました。
 皆さんに喜んでいただくために造られました。
 それなのに、人間の皆さんを傷つけるために使われるなんて、
 そんな恐ろしいことがあっていいはずはありません。
 お願いですから、妹たちを助けてください。
 心置きなく皆さんのお手伝いができるようにしてください。」

 マルチは、特に雄弁というわけではなかったが、時には笑顔で、時には涙ながらに、一生懸命語り
続けた。
 心を持ったメイドロボの登場は世界を驚かせ、それはそれで物議をかもしたものの、マルチが切々
と訴える姿に接した者は、大抵非常な感銘を受けるのだった。

 やがてマルチは「メイドロボの平和使節」として、国外にも足を伸ばすようになったのである。



 こうして、マルチたちの戦いは続けられていった。


−−−−−−−−−−−−

「長いばかりで内容の少ない」第五部の始まりです。
終わりに近づくほど貧困になっていくので、「尻切れとんぼ」とも言います。
(そんなもの投稿するなよ>私)

この章では、マルチの登場が「物議をかもした」ことをもっと書き込もうかとも思ったんですが、
それだけでまた、ずいぶん長くなりそうなので、取りやめにしました。
…もうすでにいい加減、図書館の場所塞ぎをしておりますので。


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