The Days of Multi第四部第27章 投稿者: DOM
The Days of Multi
第4部 Days with the Kashiwagis
☆第27章 熱い戦争 (マルチ13才)



「…………」
 耕一さん…

 芹香が潤んだ目で見上げる。

「芹香…」

 耕一がささやく。

 芹香は耕一の胸に顔を埋めた。
 耕一は芹香を抱き締める。
 ふたりの夜が始まる…と思ったとき。

「パパーーーー!!」

 香織の泣き声が障子の外から聞こえてきた…



「ど、どうした、香織!?」

 耕一が慌てて障子をあけると、ウサギのぬいぐるみをかかえた香織が、わんわん泣きながら立って
いた。

「ううっ… こわいゆめ、みたですーーっ!!」

 香織は父親にすがりつくと、そう言ってさらに泣いた。

「な、何だ… 夢か?」

 耕一はほっとしたが…安心するには早すぎた。

「こわいですぅ、パパといっしょにねるですぅ、
 そうしたらこわくないですぅ。」

 と香織が言い出したからだ。

「か、香織。
 大丈夫だよ、もう恐い夢なんか見ないから…
 ひとりでおやすみできるだろう?」

「わーーーーーん!!」

「え、えーと…
 そう、マルチお姉さんか、楓お姉さんにお願いして…」

「もうふたりとも、ねてるですぅ!」

 この場合は、充電中ということだ。

「そ、それじゃ… 初音お姉さんに…」

「あーーーーーん!!
 パパがいいですぅ、パパじゃなきゃ、やですぅ。」

 耕一は途方に暮れた。
 背中に、芹香の視線が突き刺さるような気がする。
 芹香にとっては、一週間に一度の逢瀬なのだ。
 娘といえど、邪魔されたくはないだろう。
 さりとて、泣きじゃくる娘を放っておくわけにはいかないし…
 妻と娘の板挟みになって悩む耕一。



 やがて香織は、ひっくひっくとしゃくりあげながら、

「パパは、かおりのこと、じゃまですかぁ?」

 と上目遣いに父親の顔をのぞき込んだ。
 もちろん涙目だ。
 言葉遣いだけでなく、仕草までマルチの影響を受けているらしい。

 耕一がこの攻撃に耐えられるわけもなく、

「じゃ、邪魔なわけないだろう?
 …わかった、今夜はパパといっしょに寝よう。」

「ほんとですか?
 …わーい、パパ、だいすきですぅ。」

 とたんに満面の笑みを見せる。
 現金なものだが、可愛い娘は何をしてもやっぱり可愛い。
 耕一が相好を崩していると、後ろでゆっくりと立ち上がる気配がした。

 はっ!?

 耕一がおそるおそる振り返ると、芹香が部屋を出て行こうとしていた。

「せ、芹香…
 すまん、この埋め合わせは必ずするからな?」

 耕一の声も耳に入らぬかのように、無表情な芹香は廊下に足を踏み出した。
 ゆっくりと振り返る。
 耕一の胸にすがりつく娘に冷ややかな視線を送る。
 すると香織は…
 耕一からは見えないが、母親に顔を向けると、べーっと思いきり舌を出したのだ。
 続いて、勝ち誇ったような表情。

 …芹香の顔がいつもに増して青白く見えたのは、月の光のせいだったのだろうか…



 香織は、芹香とそっくりな顔をしていた。
 髪も長く伸ばしているので、母親のミニチュア版と言って差し支えないほどだ。
 ただし、表情は、母と比べ物にならないほど豊かである。見ていて飽きない。
 おまけに、父親がマルチの独特の言葉遣いや仕草を気に入っていることを、子どもながらに感じ
取っているのか、このところどんどんマルチっぽくなってきた。

 姿形は芹香で、言葉や仕草はマルチ…
 永遠の恋人である楓を除いては、耕一に対するこれほど強力な「武器」はないだろう。
 その「武器」が、このところあからさまに芹香と対立している。
 耕一は何度もふたりを諌めたが、香織だけでなく芹香までむきになっており、どうにも収拾がつか
ないのだ。

 香織は、母親に嫌われているものという思い込みを強めている。
 芹香も、娘がマルチたちになつき、自分を疎んじていると思い込んでいる。
 意志の疎通を欠いた母娘の対立は、耕一を巡ってさらに熾烈なものと化していった。
 最近では、ひとりの男を争う「女の闘い」の様相をも帯びるようになったのである。
 そして極めつけが、香織による「芹香の夜」の強奪であった…



 「事件」から五日ばかり経った夕方。
 来栖川会長夫人から、電話が入った。
 受けたのは綾香である。
 会長の検査が終わり、結果が明らかになったという。
 それは、先日会長夫人が語った内容を、ほぼその通り確認するものだった。
 続いて会長本人が電話口に出た。
 綾香としばらく言葉をかわした後、芹香と代わってほしいと言う。
 受話器を持った芹香に対し、しばらく沈黙した後、会長はこう言った。

「芹香… 勝手なことを言うようだが…
 何とかならないだろうか…?」

 初めて聞く父親の弱々しい呟きに、芹香の胸は激しく痛んだ。



「…………」

「せ、芹香…
 わかってるんだ、そちらも大変だということは…
 でも、鶴来屋をほったらかしにしていくわけにはいかないし…」

「…………」

「え? 千鶴さんがいれば大丈夫です?
 …そう簡単にいかないから、苦労しているんじゃないか?」

 芹香は、耕一に、いっしょに来栖川グループを担ってくれと頼んでいた。
 誓約書の件がひっかかるなら、芹香が会長に就任してもいいから、傍にいて助けてほしいと言うの
だ。
 しかし、芹香の希望をかなえるためには、ふたりで隆山を出なければならない。
 もちろん、香織も連れて行くことになる。
 しかし…

「…………」

「え? 楓さんとマルチさんも一緒に連れて行けばいい?」

 こくこく

 芹香は、耕一をひとりじめにするつもりはなかった。
 ただ、父親の危機を救うためには、是非とも隆山を離れる必要がある。
 それならいっそ、耕一の「妻」全員を引き連れて行けばいい、と考えたようだ。

「し、しかし…」

 耕一はなおもためらう。

 最後の要はやはり鶴来屋、というよりも千鶴であった。
 今耕一が抜ける事によって、鶴来屋の内部紛争が再開し、千鶴や足立が退陣に追い込まれたりした
ら…
 柏木家のために長年尽くしてくれた足立にも、柏木家の苦悩を一身に担ってきた千鶴にも、申し訳
ないと思う。

 耕一が、改めて芹香にそのことを説明すると、芹香は俯いた。
 ややあって、ぽつりと口を開く。

「…………」
 そんなに千鶴さんが大事ですか?

「芹香?」

「…………」
 私よりも、千鶴さんの方が大事なのですか?

「芹香!? そういう問題じゃないだろう?」

「…………」
 だったら、どうして千鶴さんと結婚しなかったんですか?

「やめなさい!!」

 芹香は沈黙した。



 やがて、涙に潤んだ目を耕一に向ける。
 すっと近づいて、耕一の腕にすがる。

「…………」
 ごめんなさい、わがままだということはわかっているんです。

「芹香…」

「…………」
 でも、今度だけは、私のわがままを聞いていただきたいのです。

「芹香…」

「…………」
 一度だけ。一生に一度のお願いです。私と一緒に、来栖川に来てください。

「うう…」

 耕一の心は揺れた。



「そ、それじゃ…」

 耕一が口を開きかけたとき、

「パパー!!」

 香織の声が聞こえた。障子の外だ。

「香織!? どうした?」

 耕一が障子をあけると、涙目で見上げる娘がいた。
 のっけから、強烈なパンチをくらってしまう。

「かおりは、どこへもいきたくないですぅ。
 ここのおうちにいたいですぅ。」

 両親の話を立ち聞きして、すべては理解できないまでも、柏木の家を離れるかどうかの問題だとい
うことはわかったらしい。

「か、香織…」

「まるちおねーたんも、かえでおねーたんも、
 いきたくないというに、きまってますですぅ。」

「あのね…」

「ちづるおねーたんも、きっとかなしむですぅ。」

 千鶴の名が会話の中に出て来たので、すかさず利用しているようだ。
 案の定、耕一の顔が苦悩に歪む。

「みんな、いきたくないですぅ。
 いくなら、ママだけいけば、いいですぅ。」

 芹香の顔色が変わる。

「香織!! 何てことを言うんだ!?
 ママに謝りなさい!!」

「だってママは、わがままですぅ。
 わがままいったら、しかられるですぅ。」

 芹香の言葉を逆手に取る香織。

 芹香は表情を固くした。そして、

「…………」
 耕一さん、お願いです。私といっしょに来てください。

 そう言いながら、耕一の左腕にしがみついた。

「パパ、いったらだめですぅ!!」

 香織も右腕にしがみつく。

「う、う…」

 耕一は困惑しきっていた。
 頭の中をさまざまな思いが駆けめぐる…
 苦しい決断をしなければならなかった。

「芹香…」

 芹香の体がぴくっと動く。
 不安と期待に瞳を揺らせながら、耕一を見つめる。

「…赦してくれ。」

 呆然とする芹香。

「このうちをでなくても、いいんですね?
 わーい、よかったですぅ。」

 香織は歓声を上げた。



 数日後。
 来栖川家の玄関をふたりの女性がおとなった。
 応対に出たミリーは、メイドロボに可能な限りで驚きの表情を浮かべた。

「−−お姉様? どうなさったのですか、突然に?」

 来客のひとりは、綾香のもとにいるはずの試作型セリオだったのだ。

「−−お嬢様のお供をして来たのです。」

 そう言うと、スーツケースを持ったセリオは、自分の陰に隠れていた人物に注意を促した。
 そこに悄然と立っていたのは、芹香だった…



「芹香。本当にいいのか?
 考え直すなら今のうちだぞ?」

 父親の心配そうな声。

「…………」
 いいんです、と芹香は短く答える。

「夫婦が離れて暮らすというのは、大変なことなんですよ?」

 母親も言葉を添える。

「…………」
 いいんです、と芹香はくり返す。



 …何の前触れもなく突然来栖川邸に帰って来た芹香は、父親の窮状を見るに見かねて、自ら来栖川
の会長となるべく、耕一と別居する決心をしたと言うのだ。
 その思いつめた様子を見て、両親は、耕一と気まずいことになったのではないかと危ぶんだが、

「…………」
 よく話し合った上で、耕一さんのご了解を得て来ました。

 芹香はそう主張した。



 …芹香がどうしても父を助けたいと言い張るのを、千鶴以下柏木家の人々は、無下に押しとどめる
ことができなかった。
 形は違えど、「家」と「事業」を守るための苦労は、自分たちも経験しているからだ。
 おまけに、両親と叔父を亡くした柏木姉妹には、父を思う芹香の心に共感を覚えこそすれ、反対な
どできるわけがない。
 耕一も、自ら来栖川のために尽力できない以上、妻に対してあまり強い態度を取ることができな
かった。

 今度のことに責任の一半を感じていた綾香は、セリオを連れて行くように姉に勧めた。
 人間よりもすぐれた聴力を持つセリオは、芹香の小さな声を細大もらさず拾ってくれるし、以前綾
香のもとで社長秘書をしていた経験も役に立つはずだからだ。

 というわけで、芹香とセリオのふたりの来訪が、来栖川邸を驚かすこととなったのである。



 やがて、来栖川グループの人事異動が発表された。
 現会長は健康上の理由で退任。顧問となる。
 新会長は柏木芹香。来栖川エレクトロニクス社長も兼任する。
 副会長は、引き続き柏木耕一である。

 事前の根まわしが効いていたためか、あまり大きな混乱はなかったが、メイドロボの「通訳」付き
でぼそぼそ話す芹香の姿に、呆気に取られた役員が大半だった。
 その際立った美貌には皆が目を奪われたが、どことなくぼんやりとした様子に、「本当に会長が務
まるのか?」と危ぶむ声がそこかしこで聞こえていたという。



 芹香の会長就任後間もなく、ひとりの人物が面会を申し出た。
 例の調査員のリーダーだ。
 恒例により、新会長に挨拶がしたいと言う。
 芹香は承諾した。

「…それでは、及ばずながら、
 今後も来栖川グループのために尽力させていただく所存ですので、
 よろしくお願い申し上げます。」

 リーダーは、型どおりの祝辞を述べた後で、そう締めくくった。

「…………」
 こちらこそよろしく、と芹香は答えた。

「それでは、私はこれで…」

 と退出しようとするところを、

「…………」
 待ってください、と引き止める。

 リーダーは無言で芹香を見つめた。
 芹香の漆黒の瞳には、何の感情も見られない。
 少なくとも、外からは見て取れない。

「…………」
 十年ほど前、先々代の会長が、試作型メイドロボHMX−12の廃棄処分を命じたことがありまし
たが、覚えていますか?

「はい。」

 来たか、と思いながらも、リーダーは簡単明瞭な返事をした。
 今さらしらばくれてもどうにもならない。
 妹の綾香と協力してマルチを助けた芹香のことだ。調査員たちの責任を追及するつもりだろう。

(いずれにしても、俺はクビだろうが… 何とか部下だけは…)

 そんなことを思う。それがリーダーの務めだ。

 ところが、芹香は意外なことを言い出した。

「…………」
 あの命令をたった今、この場で取り消します。今後は、あの命令を気にかける必要はありません。

「?」

「…………」
 それだけです、お引き止めしました。

 リーダーは一瞬戸惑ったような目を、通訳のメイドロボに向けた。
 まさか、それが自分たちの動きを封じ込めた「セリオ探偵団」のチーフだということは、夢にも考
えつかなかったが。

「−−もう下がってよろしい、ということです。」

 セリオが改めてそう言うと、リーダーは夢から覚めたような様子で、一礼して部屋を出て行った。



「−−お嬢様。あれでよろしかったのですか?」

 セリオが尋ねる。

「…………」
 いいのです、あの人も自分の職務を果たそうとしただけなのですから。

 淡々と答える芹香であった。



 調査員のリーダーはいまだに信じられない思いで、社内の廊下を歩いていた。

(お咎めなし…ということか?)

 調査員たちが試作型マルチの破壊に失敗し、その行方を探し求めていたことを追及すれば、当然、
長瀬や開発部のスタッフが「会長命令に逆らって」マルチを助けたことや、芹香たちがマルチをかく
まったことなども認めなければならない。
 そうなると、すでに退職した長瀬はともかく、残りのスタッフたちの責任が問われる可能性がある。
 芹香自身は今まで会社組織とは無関係だったから責任云々はないにしても、現会長がかつて元会長
の明白な意向を無視したことがあるというのは、会長職の威信を自らおとしめるようなもので、決し
てほめられた話ではない。
 だから、調査員たちの行動を細かく追及しないことが賢明な判断であることは確かなのだが…

(それにしても…見事だ。)

 調査員に対する私的な感情をいっさい表に出さず、例の会長命令の取り消しだけを伝えたあのやり
方は…鮮やかすぎる。
 芹香は、必要最小限の方法で、試作型マルチへの脅威を取り去ったのだ。
 今後は、たとえ調査員たちがマルチの居場所を知っていても、手を出す必要はない。マルチの廃棄
命令は取り消されたのだから。
 これ以上マルチに危害を加えようとすることは、調査員にとっては百害あって一利なし。
 せっかく過去の経緯を水に流してくれた新会長の機嫌を損ねるだけである。

(見事だ…)

 リーダーは、芹香の、感情を映さぬ漆黒の瞳を思い浮かべ、改めて魅了されるような気がした。
 そして、首尾を気にかけているはずの部下に朗報を伝えるべく、足を速めたのである。



 芹香は、来栖川グループのおおまかな方針を決めるだけで、具体的な事柄はそれぞれの部門や専門
家に任せる方法をとった。
 先々代の会長(芹香の祖父)が、何によらず嘴をはさみ、自ら決裁しなければ気がすまず、先代
(芹香の父)もある程度そのやり方を踏襲していたことから、芹香のやり方は一種の放任と受け取ら
れた。
 楽でいいと言う者もあるが、これではまとまりがつかないとぼやく「うるさ型」もいる。



 そのうち、芹香の力量を試すような事件が起こった。
 セリオから、グループ内のある会社の経理に不健全な傾向が見られることを聞いたのが発端である。
 芹香は思案の末、例の調査員たちに内情を探らせることにした。
 新会長の信任を得て喜び勇んだ(?)調査員たちは、間もなく詳細な報告書を提出してきた。
 それによると、乱脈経理の元凶は、社内で実権を握っている、芹香の遠縁にあたる人物ということ
だ。
 その実力と、来栖川の親族であることのために、周囲もあえて口を挟むことができないでいるらし
い。

 芹香はまず、その報告書をセリオに見せて相談した。
 セリオは、いくつかの解決策を示した。
 どれを取るかは、芹香次第である。
 芹香は考え込んだ。

 やがて芹香は、しばらく席をはずしてほしい、とセリオに頼んだ。
 彼女が一礼して出て行くと、芹香はポケットに手を入れて、何かを取り出した。
 それは、かつて浩之のことを占ったあのカードだったのである。
 ほんのひととき、懐かしい思い出に浸っていた芹香は、気を取り直すと、この上なく真剣な面もち
でカードをさばき始めた…



「一体何事ですかな?」

「さあ…
 臨時役員会ということしか聞いていませんが?」

 その場に集まった役員の誰も、会合の趣旨を把握していなかった。
 会長の召集による臨時役員会…
 やがて、出席予定者が全員集まったことが確認されると、セリオを伴った会長が姿を現した。
 一斉に礼をする役員たち。

「…………」
 お忙しいところ、お集まりいただいて恐縮です。

 女性特有の柔らかい切り出しであった。

「…………」
 まず、これをごらんください。

 セリオがスイッチを入れると、大画面に、何かの書類が映し出された。

「…………」
 この会社の経理に、明らかな不正が見られます。

 会場がどよめいた。

 芹香はセリオに指示して、具体的な証拠をいくつか提示させた。
 そのたびに、会場にかすかな動揺が起こる。

「…………」
 責任者を呼んでありますので、直接聞いてみましょう。

 芹香は、別室に待たせてあった、例の元凶を呼び出した。

 やがて姿を見せたその男は、役員が一堂に会していることを知るとちょっと驚いた顔をしたが、す
ぐに余裕を取り戻した。
 役員の何人かとはつながりもある。
 それほど恐れることはない。
 おまけに、新会長は…と、男は芹香を見やった。
 自分の親戚だ。
 彼女が小さい頃から何度も顔を会わせている。

 単純に、自分が実権を握っている会社の業務内容か何かを聞かれる程度と思ってのんきに構えてい
た男は、やがてそれが自分を弾劾する役員会であることに気がついて、慄然とした。
 それでも、あれこれ言い訳をしながら身の潔白を主張していたが、次々と提示される証拠に次第に
しどろもどろになり、ついに沈黙せざるを得なかった。

 最後に芹香は、男を別会社に出向させることを申し渡した。

 芹香の無表情な追及の前に、てっきり懲戒免職と覚悟していた男は、明らかな左遷にもかかわらず、
最悪の事態を免れてほっとした様子だった。

 男を退出させると、芹香は言った。

「…………」
 おおもとの火を消せば、災いはおのずと静まるでしょう。

 そして、臨時役員会の終了を告げた。



 退室して行く役員たちの何人かは、秘かに冷や汗を拭っていた。
 彼らは、例の乱脈経理を見て見ぬふりをしていたり、いくらかおこぼれに与ったりしていたからだ。
 芹香は明らかにそれを知っている口振りだったが、今回は追及しないことに決めたらしい。
 彼らが胸をなでおろしたのも無理はない。
 いずれにせよ、これを機に、芹香に対する評価は一変し、彼女の手腕に疑いを差し挟む者はひとり
もいなくなったという。



 芹香について会議室を後にしながら、セリオ自身も舌を巻いていた。
 よもや芹香が、ああいう断固とした態度に出るとは思わなかったのだ。

(−−感服致しました、芹香お嬢様。)

 その芹香は、会長室に向かいつつ、そっとポケットの上から、例のカードの存在を確かめていた。


−−−−−−−−−−−−

亡くなった来栖川翁同様、調査員たちも「罰する」ことができませんでした。
(途中までは明確な罰を与えようかとも思っていたんですが)
むしろ、調査員たちが芹香さんの神秘的な魅力(包容力も含む)に心服して、
彼女の忠実な配下になってしまう…そういう形で、(マルチに対して)無力化されるようにしました。


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