The Days of Multi第四部第26章パート2 投稿者: DOM
The Days of Multi
第4部 Days with the Kashiwagis
☆第26章 冷たい戦争 (マルチ13才) Part 2 of 2



 夕食の頃には、香織の機嫌も直っていた。
 芹香の方は、食卓に顔を見せたものの、食欲がなくて、何も食べたくないと言っていた。

 香織はまず、食堂に勢ぞろいした10人の「せりおおねーたん」と10人の「(まほうをかけられ
た)かえでおねーたん」を見て、目を丸くした(さっき廊下で泣いていたときは、父親の胸に顔を埋
めていて、気がつかなかったのである)。
 セリオタイプの方は、さっきのミリーの説明を思い出して、みなセリオの妹らしいと見当をつけた
ものの、10人の楓の方は何と考えてよいものか、思案に暮れていると、ミリーが香織の怪訝そうな
様子に気がついた。

「−−香織さん。
 どうかしましたか?」

「えーとですねぇ…
 みりーさんたちは、せりおおねーたんの、
 いもうとなんですねぇ?」

「−−その通りです。」

「ひい、ふう、みい…
 じゅうにんとも、いもうとなんですか?」

「−−はい。」

「ふえーっ、せりおおねーたんって、
 いっぱいきょうだいがいるんですねぇ…」

「−−そういうことになりますね。」

「きょうだいだから、みんな、
 せりおおねーたんにそっくりなんですね?」

「−−そうです。」

「えーと、じゃあ…
 りなさん、だっけ?
 りなさんたちは、どうして、みんな、おなじかおなんですか?
 まほうつかいが、まほうをかけたんですか?」

 香織の心にこのとき浮かんだ意地悪な魔法使いは、芹香の顔をしていた…

「−−魔法? いいえ…」

 ミリーは、マルチタイプの顔が皆同じであることを、香織にわかりやすいように、やはり姉妹関係
という点から説明しようとした。

「−−リナさんたちも、自分のお姉さんとそっくりの顔をしているんです。
 だから、皆同じ顔に見えるのですよ。」

「りなさんにも、おねえさんがあるんですかぁ?」

 香織は、ちょうど給仕をするために近寄って来たリナに、そう尋ねた。

「はい。私たちには、マルチというお姉様があります。」

「まるちおねーたん!?
 りなさんたちは、まるちおねーたんの、いもうとなんですかぁ?」

 新しい事実に驚きの声を上げる香織。

 一方のリナは怪訝そうだ。

「香織さんは、マルチお姉様をご存じなのですか?」

 試作型マルチは、十年以上も前に廃棄されたはずだ。
 三才の香織がどうして知っているのか、リナが不思議がるのももっともである。

「あ、リナ。
 悪いけど、ワインをもう少し持って来てくれない?」

 綾香が気を利かして用事を言いつける。
 マルチの存在が知られるのは、たとえ身内の間でもまずいのだ。

「かしこまりました。」

 リナは早速用事を果たしに出て行く。



「…芹香、本当に何も食べなくて大丈夫か?」

 耕一が妻を気づかってささやく。

「パパ!
 せりおおねーたんには、
 じゅうにんも、いもうとがいるんですって。
 すごいですねぇ。
 かおりも、いっぱいいもうとがほしいですぅ。」

 すかさず、香織が父親に話しかける。
 耕一が芹香にかまうのが、気に入らないのだ。

「ほほほ。
 それじゃ、ママにお願いして、
 いっぱい赤ちゃんを産んでもらうことね。」

 曾祖母が上品に笑いながら言うと、香織はきょとんとして、

「ママにおねがいしないと、だめなんですかぁ?」

「そうですよ。」

「うーん…」

 芹香に「お願い」するのはしゃくだ、と香織は思う。

「そうだ。ママにおねがいしなくてもいいですぅ。
 はつねおねーたんや、かえでおねーたんや、まるちおねーたんに、
 『あかたん』をいっぱいうんでもらうですぅ!」

 自分の母親代わりの名前を次々に挙げる香織。
 それを聞いて、思わず料理をのどに詰まらせる耕一。
 そして、誰も気づかなかったが、いよいよ寂し気な色を深める芹香。

「あらあら、それじゃ家中赤ちゃんだらけになりそうね。」

 曾祖母は、小さな子どもがわけもわからず言っているものと、笑って受け流している。
 実は、香織の上げた三人のうち、ふたりは耕一の妻だし、ひとりは前世における妻だ、などと知れ
たらどうなるだろう… 耕一は秘かにそんなことを考えていた。

「ねえ、香織。
 この間、新しいお友だちができたって言ってたでしょう?
 どんな子か、教えてほしいなあ。」

 綾香がそう聞いたのは、これ以上香織がマルチの事を持ち出さないように、話題を変えようとした
からだ。

「ひろしたんのことですか?
 うん、かえでおねーたんと、こうえんにいったですぅ。
 おすなばで、あそんでいたら…」

 香織は綾香の誘いに乗って、得々と喋り始めた…



「…それで、またあそぼうねって、おやくそくしたですぅ。」

 香織の話は延々と続く。
 芹香の娘と思えないくらい話し好きだ。
 これはきっと、祖母(芹香たちの母)の血を受け継いだに違いない、と綾香は思い、ふと気がつい
た。
 その、いつもよくしゃべる母親が、今日はほとんど口を開こうとしないのだ。

(珍しいわね… 何だかんだ言っても、お父様の事が心配なのかしら?)

「そのつぎあったとき、けっこんしようといわれたですぅ。」

「あらあら、その年でもうプロポーズされちゃったの?
 さすが、私の姪だけあるわね。
 …で、返事は? OKって言ったの?」

 綾香は面白そうに聞いている。

「うーん、かおりはこまったですぅ。
 ひろしたんはすきだけど、けっこんはこまるですぅ。
 ひろしたんとけっこんすると、パパのおよめさんになれないですぅ。」

「へえ、香織はパパのおよめさんになるの?」

 綾香は声を潜めて、耕一にだけ聞こえるようにささやいた。
 芹香が傍にいるときは、エルクゥの聴力を解放していることを知っているからこそできる芸当だ。

「義兄さんが浮気性だってことは知ってたけど、
 まさか、実の娘にまで手を出していたとは知らなかったわ…」

「…………」

 耕一は黙って綾香を睨んだ。
 心外だと言いたいらしい。

「でも香織、パパのお嫁さんはママなのよ。
 残念だけど、香織はパパとは結婚できないわね。」

 綾香は耕一を無視する。

「できるですぅ。」

 香織はむきになっている。

「どうやって?」

「ええと、えーっと…」

 香織は一生懸命考える。

「そうだ!
 かおりがパパのおよめさんになって、
 ママは『にごうさん』になるですぅ!」

 ぐっ

 再び耕一が料理をのどに詰まらせる。
 芹香も、片方の眉をぴくりと動かした。
 香織はそこまで知らないが、耕一の「本妻」は芹香ではないのだ…

「に、二号さんって…
 あんた、そんな言葉、どこで覚えたの?」

 さすがに綾香も焦る。

「ひろしたんにきいたですぅ。
 ひろしたんのきんじょに、にごうさんがいるそうですぅ。」

「…友だちは選ばないとな。」

 ようやく料理を飲み込んだ耕一が呟く。

「だから、かおりはおよめさんで、ママはにごうさんですぅ。
 …そうだ、まるちおねーたんや、かえでおねーたんも、
 パパのことがすきだから、みんな、にごうさんになるといいですぅ。」

 香織はいよいよ危険な発言をする。

「…………」
 香織。いい加減にしなさい。

 芹香の声がいつになく刺々しいことに、耕一は気がついた。

「はつねおねーたんもやさしいから、パパのにごうさんになるといいですぅ。
 ちづるおねーたんも、あずさおねーたんも、せりおおねーたんも…」

 香織は芹香の声が聞こえないふりをしていた。

「…………」
 香織。

 さらに声を荒らげる芹香。

「あやかおねーたんも、パパのにごうさんになりませんかぁ?」

 なおも母を無視する香織。

「ちょ、ちょっと香織…」

 思わず隣の長瀬を気にする綾香。

「みりーさんも、りなさんも、みんなみんな、パパのにごうさんに…」

「香織!」

 一同、はっと息を飲んだ。
 芹香が、食卓についている全員に聞こえるような声を出すなど、生まれて初めてではないだろうか?
 香織も大きく目を見開いている。

「…………」
 あなたは絶対に耕一さんのお嫁さんにはなれません。それだけは覚えておきなさい。

 芹香は、かろうじて自分を抑えながら、しかしきっぱりと娘に言い渡した。
 まるで恋敵に対するような口調だ。

 じっと母親を見つめる香織の目に、不意に涙があふれてくる。
 あわや泣き出す、というところで、芹香がさらにささやいた。

「…………」
 泣いたら、薬を飲ませますよ?

 ひくっ

 香織はおびえた顔になると、懸命に涙をこらえた。
 いつだったか魔法薬を飲まされて、泡を吹いてひっくり返ったことを思い出したのだ。
 それから食事が終わるまで、香織は借りて来た猫のようだった。



 夕食が終わって、めいめい部屋に引き取ろうというとき、綾香の傍に近寄った母親が、何事かささ
やいた。
 綾香は一瞬怪訝そうな顔をしたが、頷いた。
 耕一たちが部屋に入ろうとすると、綾香が言った。

「姉さん。義兄さんも。
 お母様が大事な話があるんだって。
 30分ほどしたら、応接室に来てほしいそうよ。」

「大事な話? 俺たちふたりにかい?」

「あたしと長瀬も呼ばれてるわ。」

「何の話か見当つくか?」

「さあ…?」

 多分、母親がいつになく寡黙だったのは、その話と関係があるのだろう、と綾香は思った。



 部屋に入って耕一が気がついたのは、母と娘の冷戦状態だった。
 ふたりともお互いの顔を見ようとはしない。
 それぞれ耕一には話しかけるが、母娘の会話はない。
 耕一は苦笑しながら、いつまでけんかをしているんだ、いい加減仲直りをしなさい。と勧めたが…

 けんかじゃありません。
 けんかじゃないですぅ。

 と、あっさり否定されてしまった。



 コンコン

 ノックの音。

 ガチャ…

 綾香の顔が見える。

「そろそろ行きましょうか?」

「おう。」

 耕一が返事をする。

「かおりもいくですぅ。」

「…………」
 香織はここにいなさい。

「いやですぅ。いきたいですぅ。」

 香織は駄々をこねる。
 芹香は香織を睨みつけた。
 香織も一生懸命睨み返す。
 母娘の争いは、いよいよ熾烈を極めようとしている。

(おいおい…)

 耕一は今日何度目かの苦笑を浮かべると、ふたりを仲裁しようとした。
 が、その前に芹香が体を翻すと、戸棚の奥を探って何やら小さな壜を取り出した。

「そ…それは?」

 耕一は不吉な予感を覚えながら尋ねた。

「…………」
 性格の悪い子どもに飲ませて、いい子にするための薬です。

 何となく、芹香の顔に無気味な薄笑いが見えるような気がして、耕一は背筋が寒くなった。
 香織もさすがに恐れをなしたらしく、残念そうに俯くと、

「…おるすばんしてるですぅ。」

 と呟いた。



 応接室にはすでに会長夫人が待っていた。

「お疲れのところ、お呼び立てしてすみません。
 どうしてもお話ししておかなければならないことができたものですから。」

「いえ、こちらは構いませんので…
 どうぞお気兼ねなく。」

 耕一が言うと、

「で、お母様、話って…?」

 綾香が促す。

「ええ… 実は…」

 母親は少しためらってから、

「主人の事なんですけど…」

「お父様… もしかして、悪性の病気なの!?」

 綾香は、母親の話がそのことではないかと危惧していたらしい。

「いえ、今のところ、命に別状は…」

「そ、そう。」

 綾香はほっとした様子だ。

「でも、もう、仕事はできないの。」

「…え?」

 母親のもらした言葉に、綾香は当惑した。

「それ、どういうこと!?」

「お父様は、心臓が弱っているの。
 体も、あちこちに無理がきてるみたい。
 詳しいことは、検査が全部終わらないとわからないそうだけど…
 ただ、特に悪性の病気ではないので、
 無理さえしなければ、まだまだ長生きできるそうよ。
 けれども、来栖川の会長なんて心労の多い仕事を続けていたら、
 一年もつかどうか…
 まして、今みたいに社長兼職なんてことをすれば、
 命がいくつあっても足りないそうよ。」

「そんな…」

 綾香が絶句する。
 しばらく、沈黙が部屋を支配する。



「つまり…」

 長瀬が控えめな口調で切り出した。

「引退して養生すれば長生きできる。
 そうでなければ命の保証はできない、と医者が言っているわけですか?」

「そういうことになりますわね。」

「それじゃ…」

 今度は耕一が口を開いた。

「引退していただくしか…
 この際、道はないんじゃないですか?」

「ええ。」

 母親の返事は短い。

「そんなの当たり前よ!
 死ぬとわかってて、仕事を続けさせられるわけがないじゃない!?」

 綾香が激昂する。

「確かにそれしか道はないでしょうけど…
 それじゃ、誰が後を引き受けてくれるの?」

 母親が静かに言葉を継ぐ。

「え? …あ。」

「あの人は、
 香織が成長して来栖川の跡継ぎとなるまで頑張る、と言っていたわ。
 でも、それはもう無理なことがわかった。
 …皆さんのおっしゃる通り、あの人は引退するしかありません。
 問題は、会長と社長を誰が引き受けて下さるか、その一点よ。」

「…………」

 再び沈黙が支配する。



「…今の所、一番妥当な方法は…」

 やがて、母親が再び口を開いた。

「副会長である耕一さんが、会長職を継いで、
 願わくは、来栖川エレクトロニクスの社長も引き受けて下さること。
 そうすれば、
 やがては香織かその夫が来栖川を受け継ぐという方針に変更を加える必要もなく、
 皆も納得するでしょうし…
 大きな混乱もなく、事態はおさまると思います。」

「し、しかし、それでは当初の話と…」

 耕一が困惑する。

「ええ、そうですね。
 あのときの打ち合わせと違ってきます。
 ですが、こんなに早く主人が引退せざるを得なくなったこと、
 そこからして、すでに予定外の事態なのです。
 何とか無理をお願いできませんでしょうか?」

「…………」

「このまま主人が引退して、
 しかも耕一さんが会長就任をお断りになるとすると、
 来栖川グループは、まず間違いなく会長の座を巡って争いを起こし、
 下手をすれば分裂騒ぎになるでしょう。
 …いえ、来栖川の存立そのものが危うくなるかも知れません。」

「…………」

 耕一はしばらく押し黙っていたが、

「やはり…お受けすることはむずかしいと思います。
 会長にならないという誓約書もありますし…
 会長兼社長としての務めを果たすには、
 隆山を離れて、こちらへ本拠地を移さなければならないでしょうが…
 はっきり言って、今そんなことをすれば、
 鶴来屋に悪影響が出ることは必至です。
 第一、来栖川エレクトロニクスの社長なんて、
 何をどうすれば務まるのか、さっぱり見当がつきませんし…」

「どうしても… ご無理ですか…」

 会長夫人が、すがるようなまなざしで耕一を見た。

「…………」

 耕一は返答に窮した。

「義兄さん… ごめんなさい。
 元はと言えばあたしのせいで、こんなことに…」

 綾香がすまなそうに言う。

「綾香…
 そうだ、いっそ綾香が返り咲くという案は…?」

「無理ね。」

 耕一の思いつきを、綾香は言下に否定した。

「前にも言った通り、あたし自身、そんな鉄面皮なやり方はいやだし…
 セリオの話では、あたしの退職の仕方が無責任だって、
 上層部でかなり悪い印象を持っているらしいのよ。
 そんなあたしが後継者ですなんて事になったら、
 かえってグループ分裂のもとになりかねないわ。」

「そうなのか…」

「義兄さんも無理、あたしもダメ…とすると、
 後は姉さんくらいかしらね?」

 綾香が何気なく言った言葉に、母親ははっとした。

「芹香… そう、芹香なら…
 来栖川の直系だから文句は出ないでしょうし、
 耕一さんが今のまま副会長に留まることもできる…」

「お、お母様?
 あたし、本気で言ったわけじゃ…。」

「そうすれば、耕一さんは今まで通り鶴来屋の方に専念できるし…
 来栖川グループも危機を乗り越えられる!
 そうだわ、どうして今まで気がつかなかったのかしら!?」

 母親はすっかり、芹香の会長就任案に夢中になっている。

「しかし、それには大きな問題がありますよ。」

 長瀬が母親を落ち着かせようとする。

「問題とおっしゃいますと?」

「一方では耕一君が鶴来屋に専念し、
 もう一方では芹香さんが来栖川の会長に就任する、となると…
 夫婦別居は避けられないでしょう。」

「あ… そ、そうでしたわね。」

 母親はたちまち顔を曇らせる。
 いくら何でも、そこまで娘夫婦に強いることはできない。

 後は名案もなく、一同押し黙るばかりだ。

 やがて、このままでは埒があかないと見た綾香が、とりあえずの結論を下した。

「ともかく…
 今日はこれ以上アイデアも浮かばないみたいだし、
 お父様の検査結果が出たところで、改めて相談することにしたら?」

 一同頷くしかなかった。



 翌日、耕一たちはもう一度病院に会長を見舞った。
 会長自身は、まだ引退の必要を知らされていないので、娘夫婦と孫に対して、屈託のない笑顔を見
せていた。

 隆山への帰途につく耕一たちは、言葉少なだった。
 みな、昨晩の話し合いのことを考えていたのだ。
 耕一も、頭を悩ませながら、ふと、芹香と香織の冷戦状態がまだ続いていることに気がついた。
 母娘のよそよそしい態度から、それは一目瞭然である。
 こっちの問題はどうしたものかと、さらに頭を悩ませる耕一であった…


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