The Days of Multi第四部第24章パート1 投稿者: DOM
The Days of Multi
第4部 Days with the Kashiwagis
☆第24章 兄弟 (マルチ13才) Part 1 of 2



「ふう…」

 来栖川グループ会長兼来栖川エレクトロニクス社長、すなわち芹香と綾香の父親は、疲れた体を引
きずるようにして自宅へ帰って来た。
 たくさんの有能な部下の補佐があるとは言え、やはり会長と社長を同時にこなすとなると忙しい。

「−−お帰りなさいませ、ご主人様。」

 セリオタイプのミリーが出迎える。

「ああ、ただいま。」

 鞄を預けて、まずはリビング−−と言っても、下手をすると一般家庭の敷地面積を凌駕するぐらい
広いのだが−−に向かい、ソファに座り込んだ。
 最近、どうも疲れがたまりやすい。

「失礼致します。
 お茶をお持ち致しました。」

 マルチタイプのリナが盆を持ってやって来た。

「ああ、すまん。」

 香り高い紅茶を口に含み、やっと人心地がついたような気がする。

「…………」

 会長が疲れを覚えているのは、多忙のせいだけではない。
 綾香の退職により、来栖川の後継者問題が白紙に戻ってしまったことから、さまざまな取りざたや
暗躍が始まったためでもある。

 来栖川家の直系の子孫は、会長のふたりの娘である芹香と綾香しかいない。
 そのうち芹香の方は、隆山の鶴来屋グループ副会長夫人におさまっている。
 当然、妹の綾香が後継者とみなされていた。

 事実、綾香は、グループの要である来栖川エレクトロニクスの社長に就任し、なかなかの経営手腕
を見せていたので、彼女がゆくゆくはグループの会長となることに、誰も異論を差し挟もうとはしな
かったのである。
 それが突然の退職だ。
 表向きは病気療養のためとされているが、少なくともグループの上層部では、会長と仲違いをした
のが真の原因らしい、とささやかれていた。
 いずれにせよ、ここに至って、来栖川直系の後継者がいなくなってしまったのである。

 そのために、来栖川の分家の親族や、役員のうち特に実力のある者などが、自ら次期会長を望んだ
り、周囲からかつがれようとしたり、という動きが水面下で始まった。
 ひとつ間違えば、そうした次期会長候補者たちが派閥をつくってグループ分裂をもたらしかねない
ような、むずかしい状況となったのだ。

 会長は、耕一を通じてそれとなく、綾香に社長復帰の意向がないか打診してもらったが、綾香は
きっぱり拒絶した。
 ああいう勝手な辞め方をした人間がのこのこ帰って行くなど、甘えもはなはだしいと自ら考えてい
るようだ。綾香なりのけじめをつけるつもりであろう。



 会長は考え抜いた末、外孫である香織を後継者とする以外にグループをまとめる方法はないだろう、
と結論を下した。
 もちろん、三才の香織を、いきなり役職につけることなどできない。
 父親である耕一をしかるべき地位につけて、香織の将来を約束しようと考えた。
 この場合、耕一が野心家であれば、来栖川を乗っ取られる危険が大いにあるのだが、もともと耕一
をかなりの人材と見て高く評価していた会長は、それならそれでもよいのではないかと思った。
 いずれにしても、祖父や自分の苦労の結果は、耕一と芹香の血筋に受け継がれていくであろうから。

 しかし、耕一は、芹香の父の申し出を拒むことによって、そうした野心がまったくないことを明示
した。
 香織が目下、柏木家にとってもたったひとりの跡取り候補であったこともあるが、耕一が来栖川の
中で何らかの地位を得る事によって、鶴来屋に専念できなくなるのを恐れたことが、最大の理由であ
る。
 耕一は、昔も今も、柏木姉妹を守り、特に千鶴の負担を少なくしてやることを、亡き父から委ねら
れた自分の使命と考えていたのだ。

 だが、天下の来栖川グループをそっくり譲り受けるチャンスをあっさり断わった耕一の態度に、来
栖川会長はますます惚れ込んで、是非とも頼むと再三申し入れて来た。
 同時に芹香に対しても、来栖川グループの存亡の危機を訴えた。
 娘に対して頼みごとなどついぞしたことのない父が、腰をかがめて懇願する様子を見た芹香は、大
いに心動かされ、自らも率先して夫に働きかけた。
 日頃おとなしい芹香が、毎日のように耕一のところにやって来ては、熱心に頼み込むのである。
 耕一もついに折れ、まず千鶴や足立と相談し、さらに芹香の父との話し合いを積み重ねた結果、結
局次のようなかたちでおさまった。

 耕一は鶴来屋グループの副会長に留まったまま、来栖川グループの副会長に就任する。
 同時に、来栖川の役員会に対し、将来とも耕一本人が会長に就任する意志はない旨の誓約書を提出
する。
 現会長は、ゆくゆく香織を後継者とする意向であることを、役員たちに伝えておく。
 つまり、耕一と芹香の娘である香織の成人を待って、香織本人か、その夫を会長とするという案で
ある。
 香織は、将来来栖川グループと来栖川本家を継ぐことになるわけだ。
 ただし、娘の意向を尊重したい耕一夫婦は、香織が最終的に来栖川を継ぐことをいやがった場合は
無理強いしないことを、芹香の父に了解してもらっておいた。

 来栖川グループの後継者にまつわる暗躍が表ざたになる直前に、耕一と香織の一件について根まわ
しが始まった。
 耕一は今まで来栖川の経営にノータッチであったため、名目だけとはいえ副会長就任とは…と難色
を示す者もあったが、会長はとりあえず、耕一と役員たちの非公式な顔合わせに持ち込むことに成功
した。
 そして、いざ顔合わせとなると、異を唱えようとしていた者もみな沈黙してしまったのだ。
 その場の誰よりも若い耕一なのに、不思議な風格と人を圧する威厳があったからである。
 幾多の戦場をくぐり抜けた次郎衛門の経験と殺気、完全に制御されたエルクゥの力、柏木家の宿命
のすべてを理解した上でこれと戦い続ける決意、そうした諸々の要素が耕一に際立った特徴を与えて
いたようだ。
 こうして、耕一の副会長就任と香織の将来の件は、ごくすんなりと認められてしまったのである。

 役員の中には、耕一の人柄に惚れ込んで、早速近づきになろうとする者も何人かあった。
 さらには将来の会長の父親に今から取り入っておこうという現金な連中もあって、耕一を苦笑させ
たのである。

 間もなく耕一の副会長就任が公表され、来栖川の後継者問題にまつわるごたごたは、内外とも沈静
化した。

 耕一は来栖川の副会長就任にあたって、あらかじめ鶴来屋の役員たちに了解を得ておいた。
 耕一はその際、例の誓約書の件に触れながら、来栖川の副会長は名目だけで、根拠地は隆山に置き
続けること、来栖川と鶴来屋との合併等は絶対になく、従って現役員の地位はそのまま保証されるこ
とを強調しておいた。
 そうでないと、鶴来屋内にいたずらな動揺を招く恐れがあるからだ。



「…ごめんなさい、義兄さん。
 もとはと言えば、あたしが勝手な真似をしたせいで…」

 後継者問題に関する動きが一段落つくと、綾香は耕一に詫びた。

「謝ることはないさ。
 ああしなければ、好きな相手と結ばれなかったんだし…」

 エディフェルや楓との辛い経験を持っている耕一は、心からそう言った。

「それにさ、いったん自分の都合で退いた以上、
 二度と社長に返り咲く気はないなんて、
 潔くていいと思うよ。
 俺、綾香に惚れ直したな、うん。」

「ちょっと、義理の妹に向かって、何言ってんのよ…」

 調子のいい中にも優しさをのぞかせる耕一の言葉に、思わず笑いをもらす綾香だった。



「−−主任。お客様ですが…」

「だから、『主任』はもうやめてくれないかなあ?」

 長瀬はセリオにぼやく。

「−−では、お父さんとお呼びすればよろしいでしょうか?」

「うん、そっちの方がいいな。」

「−−承知しました。
 ところで、お客様をお通ししてよろしいですか?」

「あ、そうか。
 …お客ってだれ?」

「俺だよ。」

 声と共に、セリオの後ろから男の顔がのぞいた。

「? …兄貴!?」

「ひさしぶりだな、源五郎。
 …こんなとこに店出してたなんて、知らなかったぜ。」

 長瀬元主任とよく似た顔の男は、長瀬源三郎。
 源五郎のすぐ上の兄である。



 源五郎の父であるセバスチャンは、ひとり息子であるにも関わらず「源四郎」と命名された。
 ひとりでも四人分の力と闘志を持った男に育つように、というまことしやかな説明がなされていた
そうだが、実は、酔っぱらった父親が出生届に「源士郎」(父親は平家物語の世界が好きで、源氏の
武士にあこがれていたという)と書くつもりで間違えた、というのが真相のようだ。
 その源四郎は、自分が父親になると、今度は息子たちの名前を「穴埋め」にしようと考えたのか、
源一郎、源二郎、源三郎と順に名をつけた。
 そしてもうひとり生まれた子は、四男であるにもかかわらず、自分の名と重ならないよう「源五郎」
としたわけだ。
 すなわち、長瀬元主任である。



「兄貴はまた、どうしてこんなとこに?」

「あれ、知らせてなかったっけ?
 俺は今、隆山署勤務なんだよ。」

 源三郎は刑事だった。

「初耳だぜ。」

「…まあ、お互い無沙汰は言いっこなしとしようや。
 親父は元気か?」

「ああ、相変わらず達者なもんだよ。」

 などと言っているところへ、セリオがお茶を持って来た。

「−−どうぞ。粗茶ですが。」

「お、これはどうも。」

 源三郎が湯呑みを口に持って行く。

「−−はい、パパもどうぞ。」

 ぶっ

 滅多にものに動じない源三郎だが、思わずお茶を吹き出してしまう。

「セ、セリオ!?
 何が『パパ』だ!?」

 源五郎も焦っている。

「−−間違えました。
 …お父さん、どうぞ。」

 源五郎の前に湯呑みを置いたセリオは、まじまじと源三郎の顔を見つめる。

「…何か?」

 源三郎が怪訝そうに聞く。

「−−『伯父様』でいらっしゃいますか?」

「は?」

「…つまり、セリオは俺の娘だから、
 兄貴はセリオにとって、伯父にあたるわけだ…
 そういうことだな、セリオ?」

「−−はい。
 パパのお兄さんですから…」

「お願いだから、『パパ』はよしてくれ。」

「−−承知しました。」

 セリオは盆を持って下がって行く。

(これも耕一君の仕込みかな?)



「それにしても、お前が隆山に住んでるなんてなあ…
 いつ、こっちへ来たんだ?」

「去年の秋だったから… まだ半年ほどだな。
 どうしてここがわかったんだい?」

「いやな、田舎町に珍しく新しい店が、
 それも流行の最先端であるメイドロボ関係の店ができたってんで、
 結構巷の噂でな。
 …今日たまたま店の前を通りかかったら、
 『アドベンチャー・ナガセ』と書いてあるじゃないか?
 この辺じゃ、長瀬は珍しい名字だし、
 おまえがメイドロボの研究をしていることぐらいは聞いてたし、
 何か関係があるのかと思って入ってみたんだが…
 まさか、当のご本人にお目にかかれるとは、思っても見なかったよ。」

「なるほど、そういうわけか…」



 源三郎は今日は非番だそうで、よもやま話に花を咲かせているうちに、買い物に行っていた綾香
が帰って来た。

「ただいま…
 あら、お客様だったの?
 失礼しました。」

 綾香は源三郎にお辞儀すると、奥へ入ろうとする。

「お帰り。
 …あ、ちょっと待ってくれ。
 いい機会だから紹介しとこう。」

 源五郎は綾香を呼び止めると、

「兄貴、お、俺の…カミさんだよ。」

 年がいもなく照れる源五郎。

「奥さん!?」

 娘と言っても差し支えないくらい若い女性が弟嫁と知って、驚く源三郎。

「綾香。これは兄の源三郎。」

「まあ、お義兄様でいらっしゃいますか?
 初めまして。綾香と申します。
 ふつつか者ですが、どうぞよろしく。」

 丁寧に挨拶する。

「あ、これはどうも、ご丁寧に。
 源三郎です。隆山警察署に勤務しております。
 何かありましたら、いつでもご連絡ください。」

 さすがに刑事だけあって、いつまでも動揺してはいない。
 すぐにマイペースに戻る。

「…ぷっ。」

 綾香が口を両手で覆う。

「ん? どうかしたか?」

「…やだ… 似てる…」

「似てる?
 …そりゃ、兄弟だから、
 顔かたちが似ているのは当たり前…」

「ううん、外見はもちろんだけど…
 何と言うか…
 のほほーんとした雰囲気が、そっくりで…
 うぷぷっ… ご、ごめんなさい…」

 笑いを堪えようとする綾香。

「…そう言えば俺たち兄弟って、
 みんなこういう感じだよな?」

 源三郎は気にした様子もない。

「そうだな。親父はガチガチだけど…
 甥っ子にひとりだけ、暗ーいのがいたっけ?」

「ああ、触らぬ神にたたりなし、って言われてる奴だな。」

 源一郎兄によると、超能力者らしいが… その件には深入りしないことにしていた。
 源三郎自身の見解はともかく、超能力などというものの存在を認めてしまえば、警察の仕事がやり
にくくなることは必定だ。

「それにしても…」

 源三郎は、改めて綾香の顔に見入る。

「お美しいですねぇ…
 源五郎の奥さんがこんなにきれいで、
 いいんでしょうか?」

「あら、いやですわ。
 からかわないでください。」

 綾香は澄ましてみせる。

「いやいや、冗談抜きでおきれいですよ。
 …この町にも評判の美人姉妹がいますけど、
 あなたはそれに匹敵するぐらい美しい。」

「美人姉妹…?
 あ、それって、千鶴さんたちのことじゃ?」

「? …柏木千鶴さんをご存じですか?」

「ええ。」

「俺たち、今、柏木さんのお宅に住まわせてもらってるんだよ。」

「柏木の屋敷にか? どういう関係で?」

「私の姉が、柏木家に嫁いでいるものですから。」

「嫁いでいる?
 …あそこの男子は柏木耕一氏ひとりだけで…
 その奥さんは確か、来栖川家の娘さん…」

 源三郎が自分の記憶を探りながら呟く。

「ええ。それが私の姉です。」

「ということは… あなたも来栖川の?」

 源三郎はちょっと驚いた顔をする。

「そうなんです。
 もっとも、今はちょっとわけがあって、
 勘当同然なんですけどね。」

 綾香は悪戯っぽく笑う。

「なるほど、そういうことですか…」

 源三郎にはおおかたの見当がついた。

「こんな男とくっついたもので、
 お家の皆さんのご不興を買ったと…」

「あら、いくら実のお兄様でも、
 この人を悪くおっしゃると、承知しませんわよ?」

 綾香の口調がことさら丁寧になるときは、要注意だ。

「…兄さん、気をつけなよ。」

 源五郎が苦笑しながら言う。

「この人を怒らすと、ただじゃすまないからな。
 何せ、素手で戦えば、親父より強いんだから。」

「素手で親父に勝つって!?
 …そりゃまた…大したもんだ。」

 それだけ聞けば十分だ。
 源三郎は、綾香を刺激するような言動は慎しもうと心に誓った。

 因みに、源五郎がわざわざ「素手で」と言ったのは、源四郎セバスチャンが火器や刀剣の扱いにも
通じているからである… セバスチャンって一体…


−−−−−−−−−−−−

セバスチャン(源四郎)との名前の関係で、登用を差し控えていた長瀬刑事(源三郎)ですが、
どうしても一回顔を出させたくなって、こういうことになりました。
…今回は、我ながらこじつけが多かったような気がします。


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