The Days of Multi第四部第22章 投稿者: DOM
The Days of Multi
第4部 Days with the Kashiwagis
☆第22章 綾香の結婚 (マルチ12才)



「もう我慢できん!
 今度こそ、はっきり言い渡してやる!
 二度と娘に近づくな、と。」

 綾香の父親は、そう息まいた。

「あなた、そう感情的になっては何もかもぶち壊しですわ。
 もう少し冷静に…」

「いや、これ以上待てん!
 このまま放っておいたら、
 綾香は本当にあの男と結婚してしまう!」



 時は10月。
 綾香が長瀬を両親に紹介してからほぼ半年経った頃だ。
 綾香の父親は、娘が一時的にのぼせ上がっているだけという可能性にかけて、我慢に我慢を重ねて
きた。
 そして、この半年間、綾香にも長瀬にも、お互いの住む世界は違うのだということを、くどいほど
教えてやったつもりなのだが…
 ふたりは一向に諦める様子がないのだ。

 それもそのはず、マルチのリハビリと救出をきっかけに、10年越しのつきあい(ほとんど携帯電
話によるものだが)を続けて来たふたりが、今さらのぼせるだの冷めるだの、あるはずがない。
 ふたりは、しっかりとした愛と信頼の関係を築き上げてしまっているのだ。



「それならそれで、致し方ないではないですか?
 長瀬さんも、頭はいいし、信用のおける人柄だし、
 綾香の相手としては、安心だと思いますけど?
 …まさか、執事の息子では、綾香と不釣り合いだなどと、
 古臭いことはおっしゃいませんよね?」

「違う! 年だ! 年が離れ過ぎている。
 あれでは、いくら何でも世間体が…」

「確かに少々年の差はありますが…
 こういうケースは昔からよくあることですし、
 本人同志それで幸せなら、よろしいんじゃありませんこと?」

「よくない!」

「まあ…
 そもそも、綾香をファザコンにしたのは、
 あなたじゃありませんか?
 あの娘が、あなたと同じくらいの年輩の相手を選ぶのも、
 身から出た錆ですわ。」

「何を言う!?
 おまえは長瀬の味方なのか?
 私はこの結婚には、断じて賛成できん!」

「…まさか、あなた。」

 綾香の母は、夫の顔を睨みつけた。

「綾香をファザコンにしただけでは飽き足らず…
 そうなんですね?」

「何?」

「実の娘に、恋愛感情をいだいてしまったんでしょう?
 それで、綾香を誰にも奪われまいと…
 どうも、最近、あなたが綾香を見る目が妙だと思っていたら…」

「お、おい?」

 いきなり話が妙な方向に展開したため、目を白黒させる夫。

「確かにあの娘は、母親の私から見ても、
 きれいな娘ですけど…
 そう言えば、この間、
 綾香のお気に入りの下着が一枚なくなったと騒いでいましたが…
 犯人はあなただったんですね?」

「な…!? ば、馬鹿!
 私が娘の下着を盗んだりするものか!?」

「もしや、綾香も、貞操の危機を感じて…
 それで、長瀬さんとの結婚を急いでいるのでは?
 それとも、もう娘に手をつけてしまったとか…?
 いけません! そんな!
 近親相姦なんて、いくら何でも許されませんわ…」

「いい加減にしろ!」

 綾香の母は、かなりの妄想癖があるようだ…



「お父様。お話って?」

「うん。
 …まあ、かけなさい。」

 綾香は素直に、リビングのソファに腰を下ろす。
 とある日曜日の午後。珍しく、父親とふたりきりだ。

「実は…
 その、長瀬君のことだが…」

 綾香はやや緊張気味になる。

「お父さんは…
 やっぱり、この結婚には賛成できない。
 あの男は、はっきり言って、
 綾香には不釣り合いだと思う。」

 父親は、自分を叱咤しながら、言いにくい言葉を何とか言い終えた。
 当然、娘のすさまじい反撃があるだろう、と予想していたのだが…

「そう…」

 綾香の口調は落ち着いていた。

「どうしても…
 認めてはくださらない?」

 静かに尋ねる。

「ああ。諦めてくれ。
 …そのうちきっと、
 綾香にふさわしい相手が現われるから。」

 父親はいささか拍子抜けしながらも、そう駄目押しをした。

「…………」

 綾香は無言で立ち上がった。
 リビングから出て行こうとする。

 娘の様子が気になった父親は、もう一度声をかけた。

「綾香。
 お父さんの言ったことが、わかったか?」

 綾香は立ち止まる。
 父親に背を向けたまま、やはり静かに答える。

「…ええ。わかりました。」

「そうか。
 それじゃ、長瀬のことは諦めてくれるんだな?」

「いいえ。」

「何? …だが、たった今、わかったと…」

「お父様が、私たちの結婚に反対だということは、
 よくわかりました。」

 綾香は姿勢を変えずに、淡々と言う。

「ですから、残念ですけど、
 お父様のお許しなしに結婚することにします。」

「綾香!? 何を馬鹿なことを!?」

「私もあの人も、結婚するのに、
 親の承認がいるような年齢ではありませんから。」

「ふざけるんじゃない!」

「ふざけてなんかいません。
 至極真面目なつもりです。」

「…そんなことをしたら、おまえも長瀬も、
 来栖川グループにはいられなくなるぞ!
 もちろん、この家にもだ!」

「覚悟は、とうの昔にできています。」

 次第にエキサイトしてくる父親に対し、綾香はあくまで冷静だ。

「こ、この家を出るというのか!?
 会社も何もかも捨てて行くというのか!?
 馬鹿な! 第一、どうやって食べていくつもりだ?」

「ご心配なく。
 お父様のご迷惑になるようなことは致しませんわ。」

「あ、綾香…」

 あまりに落ち着いた娘の言葉に、父親はそれ以上何も言えなくなってしまった。
 綾香は部屋を出て行った。



「あなた!
 だから、あれほど申し上げたのに…
 何て早まった真似を!」

「い、いや、まさかあんなに簡単に出て行くとは思わなかったのだ。」



 綾香はその後、まるであらかじめ準備をしてあったかのように、身の回りのものと着替え少々を詰
めた鞄を持って、さっさと来栖川邸を出て行ってしまったのだ。
 我に返った父親が、綾香の部屋をのぞいたときには、すでにもぬけのからだった。
 ご丁寧にも、机の上に、綾香と長瀬の辞職願まで置かれてあったところを見ると、親に反対された
場合にはこうすることを打ち合わせてあったに違いない。
 慌てて手のあいている使用人や警備員、メイドロボたちに綾香の後を追わせてみたが、すでにその
姿はどこにも見い出すことができなかった。
 長瀬の社宅にも人をやって見たが、そこも無人であった。
 そうこうしているうちに、外出していた綾香の母が帰って来て、事情を知ると、早速夫に食ってか
かったというわけだ。



「何が『まさか』ですか!?
 これじゃ、あのふたりを追い詰めて、
 無理やり駆け落ちさせたようなものじゃありませんか!?
 …いえ、駆け落ちならまだしも、
 万一前途を悲観して、心中でもしようなんて気を起こしたら…」

「お、脅かすな!」

 父親はますます焦る。

「な、長瀬! …いや、セバスチャン!
 セバスチャンはいないか!?」

 妻の攻撃をかわすためにも、執事を呼んで、綾香たちの行く先に心当たりがないかもう一度尋ねよ
うとしたのだが…

「セバスチャン様でしたら、
 綾香お嬢様が出て行かれたのも元はと言えば息子のせいだから、
 自分が責任をとると言って、
 外へ駆け出して行かれました。」

 家の者があらかた出払った中で、万一のためにひとり残っていた量産型マルチのリナが答えた。

「そ、それじゃ、セリオは?」

「セリオお姉様は、綾香お嬢様の行方を追うために、
 『セリオ探偵団』の先頭に立って、
 やはり出て行かれました。」

「そ、そうか…」

「あなた!
 一体、どうなさるおつもりなのです!?」



 数日経っても、綾香たちの行方は杳として知れなかった。
 会社と研究所へは、当面病気療養のため休むということにしておいた。
 会社の方はセリオが頑張って穴埋めをし、研究所の方は、長瀬が今後の仕事の予定を細かく書き残
しておいたために、一ヶ月や二ヶ月は大丈夫そうだ。

 しかし、いつまでもごまかし切れるものではない。
 何とか早く見つけ出さなくては…
 来栖川会長は、毎日ため息をついていた。
 あれ以来、妻が顔を合わすたびに文句を言うのだ。
 この分だと、綾香の行方がわかるまで、毎日言われ通しということになりかねない。
 もしやと思って芹香に連絡をとってみたが、やはり心当たりがないという。
 途方に暮れる会長だった。



「えー、それでは、ただ今より、
 お父さん…じゃない、長瀬源五郎と来栖川綾香の結婚式を執り行いますですぅ。」

 ややおぼつかないところはあるが、マルチは真剣な表情で開式を告げた。

 所は、柏木家の一室。
 耕一と楓が結婚式を挙げた、例のもうひとつの客間である。
 楓たちの場合と同様、今回もマルチが牧師の代わりを務めているのは、(長瀬が『父』とはいえ)
やはり新郎新婦と血縁関係がないこともあるが、両人のたっての望みでもあったからだ。
 なにしろ、二人の仲は、マルチがとりもったようなものだからである。

「主任…じゃなくて、長瀬源五郎。
 あなたは、来栖川綾香を妻とし、
 お金持ちでも貧乏でも、丈夫なときでも病気でも、
 傍にいて愛し続けることを誓いますかぁ?」

 無意識にマルチ流のアレンジが入っているようだ。

「はい。誓います。」

 長瀬が真剣に答える。

「来栖川綾香。
 あなたは、長瀬源五郎を夫とし、
 お金があってもなくても、元気なときも病気のときも、
 ずっと一緒にいて愛し続けることを誓いますかぁ?」

 さっきと少し言葉が違うようだが…?

「はい。誓います。」

 綾香も真剣だ。

「それでは、指輪の交換を。」

 新郎新婦の薬指にリングが輝くと、列席者(柏木家の一族)から歓声が上がり、次々に祝福の言葉
がかけられた…



 綾香は、父親の最後通告を受ける少し前から、自分たちの結婚について、母親は好意的だが父親が
不賛成であることを見抜いていた。
 そして、強硬に反対された場合のことを、芹香に相談していたのである。
 芹香は、万一の場合は長瀬と綾香を隆山に迎えようと考え、柏木家全員の了解を得ておいた。
 そして、今回の結婚式となった次第である。
 婚姻届は、来栖川の家を出て長瀬と落ち合ったとき、その足で出して来た。
 二人は正式の夫婦となったわけだ。



「しばらくご迷惑をおかけします…」

 式が終わると、新郎新婦は柏木家の面々に丁重に頭を下げた。
 空き部屋がいくつもあって居住空間の問題のない柏木の屋敷とはいえ、いきなり転がり込んで来た
居候には違いないのだ。

「いえいえ。
 義妹夫婦と同居するというだけですから。」

「そうですよ。
 家族なんですから、他人行儀はやめて、
 気楽になさってください。」

 耕一と千鶴がそう言うと、

「そうそう。
 また綾香さんと飲み比べができると思うと、
 嬉しくてたまんないよ。
 遠慮はいらないからね。」

 にぎやか好きの梓もそう付け加える。

「お父さんや綾香さんといっしょに暮らせるなんて、
 夢みたいですぅ。」

 マルチに至っては手放しの喜びようだ。

 芹香も、今まで特に辛いこともなかったとはいえ、明朗活発な妹が傍にいてくれるのは、やはり嬉
しいらしい。
 楓は無表情に、初音は天使の笑顔で長瀬夫婦を歓迎した。



 式後、会場にお祝いのごちそうを整えていると、

「柏木さーん。電報でーす。」

 という声が玄関から響いてきた。
 梓が受け取りに行く。

「…祝電だってよ。」

 梓が怪訝そうな顔で帰って来た。

「祝電?」

 やはり怪訝そうな顔を見合わせる一同。
 今日の結婚式のことは、外部の人間は知らないはずなのだが…

 受取人の新郎新婦が文面を見ると、

「ご結婚おめでとうございます。末永くお幸せに。
 P.S.プライバシーは尊重致します。
                    セリオ」

 とあった…



 柏木家の内情をよく知らなかった長瀬は、最初のうち、メイドロボの楓が実は柏木姉妹の一員であ
ることや、楓・マルチ・芹香がいずれも耕一の妻であることなどに面喰らっていたが、柔軟な頭の持
ち主らしく、すぐに受け入れてしまった。
 耕一たちは、エルクゥの力についてはあからさまに告げなかったものの、柏木家のメンバーが一種
の超能力を持っていると打ち明けた。
 長瀬はその事実もすんなりと受け入れた。

「実は、うちの親戚筋にも、
 超能力者らしいのがいましてね…」

 その一言で、お互いの秘密に深入りしないという、暗黙の了解が成立したのである。



 長瀬も綾香も、当面は仕事がない。
 ふたりとも、せめて生活費だけでも柏木家に入れたいと思って、仕事を探そうとしたのだが、

「ほとぼりが冷めるまで、
 あまり外に出ない方がいいでしょう。」

 と耕一や千鶴に説得されて、やむなく断念した。

 ただし、時々会社や研究所のことで問い合わせがある。
 セリオは、長瀬たちの居場所を誰にも明かしていないが、研究所の木原にだけは、主任と連絡をと
る方法を知っていると告げておいた。
 それで、開発部の仕事が壁にぶつかったりすると、セリオ経由で指示を仰いでくるのだ。
 セリオ自身も、綾香の穴埋めをするために必要な事柄を打診してくる。

「やれやれ。
 私たち、もう退職したはずなのにね。」

 綾香は口ではぼやきながらも、こまめに返事をしてやる。
 長瀬も同様だ。
 ふたりとも、もともと責任感が強いので、ああいった形で仕事を中断してきたことを申し訳なく
思っている。
 だから、むしろセリオからの問い合わせに答えられることを、嬉しく思うのだ。



 時間を持て余し気味の綾香たちは、やがてそれぞれの仕事を見つけた。

 綾香は、マルチと初音と楓に教わって、料理の修行。
 学生時代は格闘技の練習に余念なく、就職後は社長見習いからすぐに社長そのものになって多忙を
極め、料理など作ったこともなかったのだ。
 しかし、結婚してみると、他の多くの女性たちと同様、夫に自分の手料理を食べてほしいと思うよ
うになった。
 梓、マルチ、初音、一歩遅れて楓と、料理の上手がそろった柏木家に暮らすとなれば、なおさらと
いうものだ。

 ある晩、愛娘のマルチが作った料理にしきりに舌鼓を打つ長瀬の横顔を羨ましそうに見ていた綾香
は、食事が終わると、料理を教えてほしいと言い出したのである。
 芹香の例があるので最初は危ぶんでいた柏木家の面々だが、やってみるとなかなか筋がよく、一同
安堵の胸を撫で下ろしたのであった。



 長瀬の仕事は…楓がもっと人間らしい表情や動きができるように、改造することであった。
 楓は例のマイナーバージョンアップを受けていないので、いまだに人間らしい微笑みを浮かべるこ
とができなかった。
 下手にバージョンアップをして、せっかくひかりの中で安定している楓の自我に妙な影響を及ぼし
てはと、耕一も楓も危惧の念を抱いたからである。

 長瀬が楓に施そうとしている改造は、メイドロボの自我に影響を与えないような形で、顔や体の動
きをより人間に近づけようというものだった。
 楓はすでに人間の心を持っているので、体の方を心に追いつかせるような形になるから、悪影響は
ないはずなのだ。

 長瀬の説明を受けた楓は、しばらく考えた後、

「マルチタイプの顔のままでなくて、
 もとの自分の顔に戻すことはできますか?」

 と聞いた。

「時間はかかりますが、できると思いますよ。」

 という長瀬の言葉に顔を輝かせた楓は、さらにしばらく思案してから、おずおずと、マルチのよう
な(性交)機能はつけられないか、と尋ねた。
 今度は長瀬が考えこむ番だった。

 しばらくして、顔を赤らめながら(女の子とこの手の話をするのは、大の苦手なのだ)こう言った。

「量産型のメイドロボには、構造上、
 あの機能を搭載することは不可能なんです。」

 肩を落とす楓。

「ただし、あなたは、体は量産型とはいえ、
 中味はれっきとした人間なのですから…
 何とかなるかも知れません。」

 楓が顔を上げる。

「そ、それで、ですね…
 そ、その、ためには… ええと…
 つかぬことを伺いますが…」

 わざとらしくせき払いなどをしながら、どう言えばよいのかと迷う長瀬。

「つまり、ですね…
 今の体でも…その… 感じますか?」

 質問の意を理解した楓は、やはり恥ずかしそうにうつむきながら、小さく頷いた。

「そうですか…
 いや、それならたぶん、お力になれると思います。」

 こうして、長瀬による楓改造計画が実行に移されたのだ。



 必要と思われるパーツ類一式をひそかにセリオ経由で届けてもらうと、長瀬はさっそく改造にか
かった。
 かなり大がかりな改造なので、楓は何日間か活動停止を余儀なくされた。
 長瀬は朝食が終わるとすぐ、楓のいる一室に閉じこもり、昼食に顔を出したきりで、終わるとまた、
そそくさと引っ込んでしまう。
 そんな毎日だった。
 妻の綾香がやっかみたくなるほど、楓(の改造)に熱中しているようだ。



 とある日の夕方。
 耕一も千鶴も、仕事が終わると飛ぶように帰って来た。
 前後して梓も帰って来る。
 今日は、楓の改造が完了する予定の日なのだ。

 耕一は特に、楓のことを心配していた。
 耕一の希望で、体の方も、できるだけもとの楓に近づけてもらうことにしたのだが…
 それにかこつけて妙な改造まで施されないか、いや、そもそも改造自体うまくいくのか、不安だっ
たのだ。
 マルチの生みの親だから任せて大丈夫と思う反面、マルチの親だからこそ、という懸念もある。

 改造はまだ終わっていないとのことで、皆がいらいらしながら待っていると、

「お待たせしましたぁ、
 お食事の用意ができましたぁ。」

 と、何とも緊張感のない声が聞こえた。
 もちろんマルチである。

「お父さんも呼んで来ますぅ。」

 マルチは長瀬の閉じこもった部屋の方へ、トテトテと歩いて行った。
 皆は居間に集まった

「あっ!?」

 マルチの叫びが小さく聞こえる。

「!?」

 皆がはっとする。

 間もなく、廊下を歩いて来る気配がして、居間に顔をのぞかせたのは…

「…………」

 一同絶句。

「…か、か、楓ちゃん…」

 そこに立っていたのは、両耳のセンサーこそあれ、柏木楓その人だった。
 量産型の無表情ではなく、恥ずかしそうに、また心配そうに、上目使いで耕一の方を見ている。

「耕一さん…」

「楓ちゃん!」

 耕一はたまらず、楓に駆け寄って、その細い肩をぎゅっと抱きしめた。

「楓ちゃん! 楓ちゃん! 楓ちゃん!」

 感極まった耕一は、言うべき言葉が見つからず、ただ楓の名を連呼する。
 楓は頬を染めながら、幸せそうな表情を浮かべる。
 もとが楓なので控えめとはいいながら、量産型の表情とは比べ物にならないほど人間らしい。



「…こほん。」

 せき払いの音に、はっと我に帰るふたり。

「いや、お邪魔をするつもりはないんですが…
 どうにも腹が減って、我慢できないものですから。
 申し訳ありません。」

 居間の入り口をふさがれた格好の長瀬が、にやにやしながら立っていた。
 後ろには、まだ驚きの冷めやらぬマルチもいる。



 食事の間も、話題の中心は楓のことだった。

「本当に、何から何までもとの楓に戻ったなあ。
 …どうせなら、センサーも取っちゃったら?」

 と梓。

「センサーなしでうっかり外に出たりしたら、
 死人が生き返ったって大騒ぎになるわ。
 これをつけておけば、メイドロボの顔だけ作り変えたんだって、
 皆納得するでしょう?」

「あ、なるほど…」



「楓さんって、お写真で拝見するより、
 ずっときれいな方なんですね…」

 マルチがしみじみと言う。
 今まで自分と同じ顔をしていたのが、こんな美少女に変貌を遂げて、ますます耕一を夢中にさせ
るのでは、という心配も全くないわけではない。

「あの無表情な量産型を、よくもここまで人間らしく…
 見直したわ、あなた。」

 綾香がつくづく感心したように言う。
 こちらは、若干の夫自慢も含まれている。

「よかったわね、楓…
 もういつでもお嫁に行けるわね。」

 目頭を熱くしている千鶴は、何だかとんちんかんなことを言っている。

「楓お姉ちゃん、
 元どおりになれてよかったね。」

 初音の天使の笑顔。
 相変わらず不純度ゼロだ。

「…………」

 芹香は無言だ。
 マルチ同様、楓の美少女ぶりに、心穏やかならぬものがあるらしい。
 なにしろ楓は、高校生の姿のままなのだ(体は中学生という説も)。
 芹香は…今年30になった。
 他人から見ると相変わらずの美しさなのだが、芹香にしてみれば、外見の差を気にするなという方
が無理というものだ。



「ねーねー、かえでおねーたん、どうしたの?」

 ひとりわけがわからないのは、満三才になったばかりの香織である。
 たれ目気味のマルチとそっくりの愛らしい、しかし無表情な顔をしていたはずの楓が、どちらかと
いうとつり目がちの美少女に変わって、そっと香織に微笑みかけたりするのだから、わけがわからな
くて当然だ。

「香織ちゃん、
 これが本当の楓お姉ちゃんの顔なんだよ。」

 初音が納得させようとする。

「ほんとうのかお? じゃ、いままでは…?
 …そうか、まほうつかいに、まほうをかけられてたんだ!
 そうなんだね?」

「え? う、うん、まあ…」

 初音もそれ以上の説明が思い浮かばないようだ。

 香織は、自ら思いついた「魔法使いのしわざ」という説明に納得して、何度も大きく頷くと…
 なぜか突然ぎょっとした顔で、隣にいる母親を盗み見るのだった…



 その夜、耕一と楓は、満ち足りた思いで枕を並べていた。

「楓ちゃん…」

「耕一さん…」

 それ以上何も言えない。
 ただ、幸せだった。



 その後しばらく、香織は母親とふたりきりになるのをいやがっていたという…


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