The Days of Multi第四部第20章 投稿者: DOM
The Days of Multi
第4部 Days with the Kashiwagis
☆第20章 会見 (マルチ12才)



「もしもし?」

「もしもし、親父か? 源五郎だよ。」

「源五郎!?
 おまえがわしに電話をかけて来るとは!
 一体どうした!?
 不治の病にでもかかったのか?」

 この父子が、日頃どれだけ親密にしているか、わかるというものだ。

「相変わらずだなぁ…
 実は、その…」

 源五郎が口籠っている。
 セバスチャンは、珍しいこともあるものだ、と思いながら、

「何だ?
 言いたいことがあるなら、男らしくはっきり言ってみろ!」

「…じ、実は、
 …ぜひ会ってほしい女性(ひと)がいるんだ…」

「な、何だと!?」

 セバスチャンも、珍しくうろたえている。

「…それはつまり…
 嫁にしたいおなご、ということか?」

 40過ぎるまで女っ気なしで来た息子が、今頃?

「ま、まあ、そんなところだ…
 それで、今度の日曜、あいているかい?」

 滅多に連絡を取り合わない父子は、双方うろたえたり戸惑ったりしながら、お互いのスケジュール
を詰めていった…



「…親父。
 こんな時まで、執事の服装かい?」

 日曜の午後。
 喫茶店で父親を迎えた長瀬主任は、セバスチャンがいつもの黒服で来たのを見て、呆れたような声
を出した。

「何を言う?
 本来仕事中なのを、綾香お嬢様の格別なご配慮により、
 抜けさせていただいたのだ。
 着替える暇などあるものか。
 それより、おまえの相手のおなごというのは、どこにおるのだ?
 時間がない、さっさと会わせてくれ…」

 そのとき、喫茶店のドアが開いた。
 入って来たのは…

「あ、綾香お嬢様?」

 セバスチャンは思わず立ち上がり、丁寧にお辞儀をする。

「お嬢様!
 このセバスチャン、決して油を売っている訳ではありませぬ!
 昨日申し上げましたように、
 愚息の一生に一度の大事な用件とやらで、致し方なく…」

「ああ、わかってる、わかってるから、落ち着いて。
 …取りあえず、座ってちょうだい。」

 言われて、ようやく腰をおろすセバスチャン。

「…それにしても、
 お嬢様は何ゆえ、おひとりでこんな所に?
 昼日中とは申せ、危のうございますぞ?」

「大丈夫よ。
 外にセリオを待たせているから。」

「外に?
 はて、何ゆえ中に連れておいでになりませぬ?
 それでは、護衛の役が務まりませぬでしょうに?」

「大事な話が終わるまでは、中に入れる訳にはいかないの。」

 そう言って、綾香も腰をおろす。
 源五郎の隣、セバスチャンの斜め向かいである。
 セバスチャンは、綾香が妙な所に席を占めたのを訝しく思ったが、まだその意味に気がついていな
かった。

「大事な話…と申されますと?」

 すると、綾香は、源五郎に目配せした。
 主任は、この男にしては珍しいほど顔を赤くしながら、

「お、親父。紹介するよ…
 この女性(ひと)が、そうなんだ。」

 その声に合わせて、綾香がぺこりとお辞儀をする。
 …セバスチャンに向かって。

「? ? ?」

 セバスチャンの頭の上を、いくつものクエスチョンマークが飛び交うのが見えるような気がした。

 源五郎は、致し方なく、さらに具体的に紹介することにした。

「こ、この女性(ひと)に、その…
 長瀬家の後継ぎを儲けてもらいたい、と思っているんだ。」

「? ? ? ? ? ?」

 主任としては精一杯具体的に言ったつもりらしいが、セバスチャンの顔は、フリーズしたモニター
の画面のようだ。
 事態をさっぱり理解できないらしい。

 業を煮やした綾香は、強制終了の後に再起動、といった調子で、はっきりと言い切った。

「つまり、私たちふたりの結婚を認めてほしいんです。
 …お義父さん。」

 最後の言葉が決定的だった。

「な、な、な、何ですとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」



「な、何だって!?」

 綾香の父親が慌てる。

「だから、会ってほしい男性(ひと)がいるのよ。」

 綾香の口調はいつも通りだが、頬が赤く染まっている。

「そ、それは…
 結婚したい相手の方、という意味?」

 母親もうろたえている。

「ま、まあ、そんなところね…」

 いよいよ照れる綾香。
 この娘が照れるところなど久しく見たことのない両親は、これは本物だ、と覚悟した。

「お父様、確か、
 明後日は夜あいているって言ってらしたでしょ?
 よかったら、どこかで夕食でもご一緒に…
 と思っているんだけど?」

「そ、それは… 構わんが…」

 思わず肯定の返事をしてしまう父親。

「それで綾香、お相手の方というのは…?」

 詳細を尋ねようとする母親をしり目に、

「あ、それじゃ、そういうことで…」

 そそくさと部屋を出て行く綾香。

「あ、綾香。待ちなさい…」



 とあるホテルのレストラン。
 綾香の父親は、さっきから時計を気にしながら、しきりにそわそわとしている。

 あれから、セリオとセバスチャンを呼んで、綾香の相手を確かめようとしたのだが、なぜかふたり
とも、綾香の用事とやらでどこかに出かけてしまっていた。
 そういうわけで、相手の男が誰なのかわからないまま、今日のこの時に至ったわけだ。

「…あなた。
 少しは落ち着いたらいかが?」

 対照的に、母親はどっしりと構えている。
 女というものは、特に母親というものは、いざとなると、たいていの男より肝が座るものなのだ。

「おまえはそう言うが…」

「まだ約束のお時間には早いですよ。」

 などと言っていると、

「旦那様あああああああ!!」

 ホテル全体を揺るがすような大声が鳴り響いてきた。
 言わずと知れたセバスチャンだ。
 巨漢は、呆気にとられている夫妻のテーブルの前まで駆けて来ると、

「も、申し訳ございませぬ!!
 このたびのこと、すべてこのセバスチャンが至らぬため…
 この上は、死をもってお詫びを!…」

 そう叫びながら、どこからか取り出した短刀を腹に突き立てようとする。

「ま、待て、長瀬! 早まるな!」

「…恐れながら、セバスチャンにございます。」

 この期に及んでなおこのこだわり、あっぱれと言うべきである。

「−−いけません。」

 その時、セバスチャンの背後から静かな声が聞こえたと思うと、短刀がはじき飛ばされた。

「うぬ、セリオか?
 邪魔をするでない!」

「−−駄目です。
 ここであなたが死んだりすれば、ホテルの皆様だけでなく、
 旦那様や奥様、綾香お嬢様にも大変なご迷惑がかかります。
 …それでもよろしいのですか?」

「う…」

 痛い所を突かれたセバスチャンはひるむ。

「し、しかし…
 このたびの不祥事、何とかお詫びをしなければ…」

「−−では、旦那様の仰せをお待ちになってはいかがですか?
 旦那様が、何らかの罰が必要とお考えになれば、
 そのお言葉に従うことこそ、忠実な執事の道と存じますが…」

「その通りだ、長瀬…いや、セバスチャン。」

 来栖川会長は、ともかくセバスチャンを静めようとした。

「まあ、もう少し待て。
 …今回のこと、よくよく見極めた上で、
 おまえに罰が必要かどうか申し渡す。
 それまで、早まった真似をしてはならん。」

「…はは、もったいなきお言葉にございます。」

 セバスチャンはようやく落ち着いたようだ。



「…お取り込み中、申し訳ありませんけど…」

 そのとき、綾香の声がした。
 彼女は、相手の男性を迎えるため、ホテルのロビーで待っていたのだ。

「ここへお連れしても、よろしいかしら?」

「おお、見えたのか? 
 …セバスチャン、セリオ、
 ちょっと席をはずしてくれないか?」

 ふたりはレストランを出て行こうとする。
 セリオは綾香とすれ違うとき、ちょっと立ち止まってささやいた。

(−−申し訳ございません。
 …ちょっと目を離した隙に、逃げられてしまいまして。)

 セリオは、源五郎と綾香の仲を知って、綾香の両親に死んでお詫びをすると言うセバスチャンを、
ずっと監視していたのだ。

(できてしまったことは、しかたがないわ。
 …それにしても、あんたがドジを踏むなんて、珍しいわね?)

(−−はい。並の人間には、絶対逃げられないようにしてあったのですが…)

 それでも逃げ出したセバスチャンって一体…?



 セリオたちが姿を消し、来栖川夫妻がテーブルに腰をおろすと、綾香はレストランの外に待たせて
あった男性を連れて来た。

「お父様、お母様。
 …この男性(ひと)です。」

 頬を染めて紹介する綾香。

「……………」

 相手の男が、自分よりやや若い程度の年輩なのを見て、絶句する父親。

「初めまして。
 …長瀬源五郎さんですね?」

 一方、こういう展開をある程度予想していたらしい母親は、むしろ余裕をもって、相手の名を言い
当てたりしている。

「お母様? 知ってらしたの?」

 意外そうな綾香。

「母親というものはね、
 娘のことなら、何でもわかるものなの。」

 うそぶいてみせる母親であった…



 食事が進む。
 綾香の父親は、自分とさほど年の変わらない男が綾香の相手と知って、不機嫌を隠そうともしない。
 はっきり言って嫉妬しているのだ。
 長瀬はそんな会長を前に、緊張しまくっている。
 綾香はふたりを見比べながら、はらはらしている。

 ひとりリラックスしているのは綾香の母親だ。
 最初から余裕を持っていたせいか、いろいろ話しかけながら、長瀬の人となりをじっくり観察して
いる。
 最初のうちは、綾香の財産と美貌を目当てに、長瀬の方から積極的に近づいて来たのではないか、
という疑いを持っていたのだが、見るからに恋愛沙汰に疎そうな様子に、だんだん安心してきた。

(愚息は、若い頃からメイドロボとやらをつくることにうつつを抜かし、
 おなごに興味を見せたこともございません…)

 かつてセバスチャンがそう言っていたが、なるほどその通りのようだ。
 食事が終わる頃には、父親の仏頂面とは反対に、長瀬に対して好意を持つようになった母親であっ
た。



「え、えー…」

 やがて、長瀬は、いっそう緊張した面持ちで、口を開いた。

「そ、そういうわけで…
 お、お嬢様を、その…
 い、い、いただきたい、のですが…」

 必死の思いで言葉を絞り出す。

 続いて綾香も、

「お父様、お母様。お願いです。
 この男性(ひと)との結婚を認めてください。」

 真剣な面持ちだ。

 父親が言下に拒絶しようと口を開く。
 それと察した母親は急いで、

「まあ、今日お会いしたばかりで、
 いきなり結婚させてほしいと言われても…
 もう少し、お近づきになるためのお時間をいただきたいですわ。
 家の方にもお越しいただいたりして…
 …その上で、はっきりとしたご返事を差し上げたいと存じますが?」

 と、にこやかに告げた。

「は、はい。わかりました。」

 長瀬は急いで頭を下げる。

「ありがとう、お母様。」

 綾香の目も潤んでいる。
 ふたりとも、真っ向から反対されるのではと危ぶんでいたのだ。

 ひとり不機嫌そうな父親は、妻の目配せで、口を開くきっかけを失っていた。



「なぜ、あの場ではっきり断わらなかったんだ?
 なまじ希望を持たせたりしたら、
 あの男にも綾香にも、かえってためにならないだろう?」

「まあ?
 あなたったら、実の娘のことが何もわかっていらっしゃらないのね?
 …あそこで頭から反対したりしたら、
 綾香のことですもの、きっと思いつめて、
 挙げ句の果ては、
 駆け落ちしてでも添い遂げようとするに決まっています。
 そんなことになったら、家も会社も大騒ぎですわよ?」

「う… そ、そうか…な?」

 確かに綾香ならやりかねない。

「こういうことは、慌てて結論を出さないで、
 じっくり時間をかけた方がよろしいのですよ。
 もしかして、綾香が一時的にのぼせ上がっているだけだったら、
 そのうちに熱が冷める可能性もありますし…」

「なるほど…」

 父親としては、その可能性に賭けたい気持ちだった。



「長瀬さん?
 よかったわね、何とか認めてもらえたみたいよ!」

 例によって携帯による会話だ。
 綾香は、いささかはしゃいでいるようである。

「いやはや…
 こんなに緊張したのは、生まれて初めてですよ。」

 ようやく本来の調子を取り戻した長瀬は、照れくさそうに白状する。

「ふふ、ほんと。
 長瀬さん、こちこちだったものね。
 どうなることかと、こっちまではらはらしたわ。
 …長瀬さんって意外とウブなのね?」

「からかっちゃいけません…」



 来栖川夫妻は、それから間もなくして、長瀬を自宅に招いた。
 父親の方には、来栖川家の生活レベルが長瀬のそれとは違うことを見せつけて、結婚を諦めさせよ
うというねらいがあった。
 一方母親は、長瀬に好意を持っているものの、本当に綾香に相応しい相手かどうか、さらに確かめ
るつもりだった。

 結婚の申し込みという、最も大きな試練を乗り越えた長瀬は、今回はだいぶ本来の調子を取り戻し
ていた。
 来栖川家の、一般庶民の家を何十軒も飲み込めそうな大きさといい、豪華な調度品といい、並の神
経なら一歩足を踏み入れただけで圧倒されそうなものだが、長瀬は「ほうーっ」といかにも感心した
ような声を上げながら、平然と歩を進めて行くのである。
 父親のもくろみは、どうやらはずれたようだ。

 面白かったのは、来栖川家のそこかしこで働いているメイドロボたちの反応だった。
 長瀬の姿を見ると、それぞれが「あ、お父さん!?」などと言いながら、例のバージョンアップに
よって可能になった、魅力的な微笑みを浮かべるのだ。
 手がすいていると、わざわざ近寄って来て、丁寧に挨拶していく娘もいる。
 どういう仕組みか、メイドロボたちは、自分の生みの親を見分けることができるようである。
 長瀬の方も、いちいち「やあ。元気かい?」「頑張ってるか?」などと気さくに声をかけている。
 頭をなでてもらって嬉しそうな量産型マルチもいる。
 そうした長瀬とメイドロボたちの暖かいやり取りは、母親の目にも、もちろん綾香の目にも、たい
そう好ましいものに映った。

 …そういうわけで、今日も不機嫌な顔をしているのは、綾香の父親ひとりであった。



 長瀬と綾香は、まだふたりきりのデートは許されていなかった。
 もっとも、ふたりとも忙しく、スケジュールがなかなか合わないので、たとえ許されてもそうそう
デートの機会もなかったのであるが。
 勢い、その後もしばしば長瀬が来栖川家に招かれたときが、とりもなおさずふたりの逢瀬となった。



 試作型マルチの捜索を諦めていない調査員たちは、当然、長瀬が来栖川家にしばしば出入りするよ
うになったことに気がついた。
 そして…

「長瀬が来栖川のお嬢様と?」

 リーダーもさすがに意外そうな声を上げた。

「はい。
 会長の方はあまり乗り気でないようですが、
 会長夫人は長瀬に肩入れしているようで…
 結婚までこぎつけるかどうか、予断を許さない状況です。」

「…………」

 長瀬が綾香と結婚すれば…調査員たちにとって、極めて不都合な状況を生み出す可能性がある…
 さりとて、今は軽々しく行動することはできない。

「しばらくは様子を見るしかないか…」

 リーダーはそう呟いた。



 ところが、それから間もなく、リーダーは会長に呼び出された。
 「長瀬の私生活について、徹底的に調べてほしい」という要請だった。
 長瀬の側に何かしら「傷」を見い出して、綾香との結婚を拒む口実にしたいらしい。
 もちろんリーダーは、その要請を承諾した。

 調査員たちはそれから、長瀬の私生活を徹底的に洗い上げたが…
 これといった落ち度は見つからなかった。
 特に、女性関係のトラブルは皆無だった。
 セバスチャンがいみじくも言ったように、長瀬はずっとメイドロボ研究に打ち込んできたため、そ
うした問題が起きるような素地がなかったのである。

 ただ一つ、長瀬がしばしば公衆電話を使って長話をするのが、気になると言えば気になる点であっ
た。
 何とかして、その会話の相手と内容を知ることができれば、あるいは…
 調査員のリーダーは、読唇術に長けた男を見つけ、かなりの謝礼を約束して待機させておいた。
 長瀬が電話を始めたら、気取られぬよう望遠レンズを使ってその唇の動きをビデオに収め、それを
元に会話の内容を探ろうというのだ。

 最初の二回は失敗した。
 長瀬の唇が見える角度を確保できなかったからである。
 三度目にやっと、うまく長瀬の口の動きをとらえることができた。
 調査員たちの要請を受けた男は、早速ビデオを見ながら、長瀬の唇の動きを読み始めた。
 …が、間もなく、調査員たちの間に失望の色が広がった。
 電話の相手が綾香だとわかったからである。
 長瀬がひそかに別の女性とコンタクトをとっていたのなら、大きな収穫だったのだが…

 男がなおも、懸命に読唇術を続けるのを、興味を失ったように見つめていた調査員たちであったが、
しばらくして、リーダー以下全員がはっと耳をそば立てた箇所があった。

「何だって!?」

 リーダーが低い声で叫ぶ。

「おい、今のところをもう一度頼む!」

「は、はい。」

 言われた男は、調査員たちが急に興奮し始めたことに戸惑いながらも、巻き戻された画像を見なが
ら、もう一度読唇を試みた。

「『…ところで、マルチの消息はその後何か?』」

 これだ。「マルチの消息」…
 10年前、調査員たちの前から姿を消した、試作型マルチのことに違いない。

 調査員たちは、長瀬の唇を読む男の声を一言も聞き漏らすまいと、耳をすました…



 テープが終わった時、調査員たちは、いつになく興奮していた。
 ついに、試作型マルチの所在を突きとめたのだ。
 あろうことか、マルチの廃棄処分を命令した前会長の孫娘が、その逃亡に荷担していたとは…

 マルチは、姉娘の芹香が嫁いだ、隆山市の柏木家に匿われているらしい。
 長瀬の電話の内容から、そのことが伺われた。
 リーダーはただちに、数名の部下に命じて、マルチの破壊のために隆山に向かわせることにした。

 …どのみち、綾香はマルチびいきだ。
 長瀬との仲がどうなろうと、前会長の命令でマルチの破壊を実行し(ようとし)た調査員たちを、
将来厚遇してくれるとは思えない。
 それならば、活動を封じられる前に、できるだけのことを−−つまり、過去に失敗したマルチの破
壊を−−しておこうと思ったのである。
 それは、調査員たちの意地でもあった。

 試作型マルチは、来栖川綾香と姉の芹香、そして芹香の嫁ぎ先である柏木家によって保護されてい
る。
 その破壊は、従って、極秘裡になされなければならない。
 間違っても、来栖川会長直属の調査員たちが(独断で)やったなどと知られる訳にはいかないのだ。
 リーダーは、そのことをくれぐれも忘れないよう、部下に言い含めてから送り出した。
 リーダー自身が動かないのは、長瀬の件で会長から問い合わせがあった時、自分がいないことが職
務怠慢とみなされることを恐れたからだった。



 芹香は香織を抱いて、縁側でぼーっと座っていた。
 高校時代によく中庭でやっていたような按配である。

 しかし、母親と違って活動的な香織は、そうそういつまでもじっとしていられない。
 おりよく初音の姿が見えたのをきっかけに、母親の手をすり抜けて、若い叔母のもとへ駆け寄った。

「はつねおねーたん! あそぼ!」

 そういって抱きつく。

「あらあら、香織ちゃんは、本当に甘えん坊ね?」

 そう言いながら、初音は芹香の方を見る。
 人一倍気配りをするたちなので、母親の許可なく香織と遊ぶような、でしゃばった真似はしない。

 こくん

 芹香が頷いたのを確認すると、初音は香織に笑いかけながら、

「じゃあ、何して遊ぼうか?」

「んーと、んーと… おにわ!」

 柏木家の庭は広く、小さな子供にとっては、ちょっとした公園のような感じだ。
 香織は、その「公園」を歩き回っては、いろいろなものを「発見」するのが好きだった。

「はいはい。
 それじゃ、お庭に行きましょう。」

 香織に靴をはかせると、自分もサンダルばきになって、庭におりる。
 初音は今年で25才になるが、相変わらずの童顔のため、20才そこそこにしか見えない。
 未成年と間違われることもよくあって、千鶴にうらやましがられたりしている。

 芹香は、娘が初音の手を嬉しそうに引っ張りながら、植え込みの向こうに消えて行くのをぼーっと
見送りながら、かすかなため息をついた。

 芹香は、自分の今の境遇が決して不幸せだとは思わない。
 むしろ、とても幸せだと思う。
 自分が好きになった男性と、めでたく結ばれたのだから。
 楓やマルチのことは承知の上で結婚したのだから、恨んだり焼いたりする気持ちはない。
 それどころか、法律上は自分が耕一の妻であり、しかも他のふたりにはいくら望んでも不可能な、
愛する男性の子供を産むことまで許されたのだ。
 芹香には不満はない。
 むしろ、ほかのふたりに申し訳ないと思うくらいだ。

 ただ、芹香に何らかの悩みがあるとすれば…それは、娘が、自分よりも初音やマルチになついてい
ることだった。
 もっとも、これには芹香の側の責任もある。
 日中はぼうーっと座っているか、魔法の実験をしているかどちらかという母親の傍にいても、小さ
な子供としては面白いはずがない。
 しかも、一度魔法薬の実験で、得体の知れないものを飲まされて、泡を吹きながらひっくり返ると
いう経験をしていれば、なおさら警戒するというものだ。
 因みにその時は、きょとんとしている芹香の回りで、マルチと初音が慌てふためいて大騒ぎをし、
その間に冷静な楓が、香織の体を逆さにしながら胃の中身をことごとく吐き出させたため、事なきを
得たのであるが…

 帰宅して一部始終を聞いた耕一は青くなって、芹香には二度と再び娘に薬を飲ませてはならないと
厳命し、マルチたちには今後こういうことがないように気をつけてほしいと頼み込んだ。
 おかげで、芹香と香織がふたりでいると、必ずその近くに楓かマルチか初音がいて注意を払ってお
り、その結果、香織は母親以外の3人、特に表情豊かなマルチと初音の傍に来たがるようになったの
である。



 少し離れた所から聞こえて来た、香織のはしゃぎ声と初音の優しい返事を耳にしながら、いささか
寂しい思いを味わっていた芹香であった。


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