The Days of Multi第四部第17章パート2 投稿者: DOM
The Days of Multi
第4部 Days with the Kashiwagis
☆第17章 綾香の秘密 (マルチ10才) Part 2 of 2



 トゥルルルルルル…

 綾香の携帯が鳴り出したのは、芹香の電話から三日後のことだった。

「失礼。」

 さっと自室へ下がる綾香。
 この時一緒にいた母親は、やはり心配そうな顔をして、娘の消え去った方を見つめていた。



「…もしもし、長瀬さん?」

 気がせいていた綾香は、いつもと違って、自分から長瀬の名を呼んでしまった。

「はい、そうですが…
 お嬢様、どうかなさいましたか?」

 長瀬のいぶかしそうな声で、自分の慌てぶりに気がつく。
 落ち着いて、落ち着いて…

「実はね、二、三日前にわかったことなんだけど…」

 綾香は、マルチの異状を詳しく説明した。

「なるほど…」

 長瀬が考えこんでいる。

「どうしたらいいと思う?」

「故障自体は、それほど深刻なものではないようですから、
 どう対処するか、じっくり考える余裕がありますが…
 いずれにしても、最終的には、
 私か、スタッフの誰かがあの娘に会って、
 総点検の上、修理する必要があります。」

「やっぱりね…」

「お差し支えなければ…
 あの娘が今どこにいるか、教えていただけませんか?」

「…隆山よ。」

 綾香は一瞬ためらった後、そう答えた。
 どのみち、長瀬たちには、マルチに会ってもらわなければならないのだ。

「隆山?
 …あの、温泉で有名な隆山ですか?」

「そう。」

 長瀬は思い出した。
 そう言えば、綾香の姉は隆山に嫁いでいる。
 おそらく、姉妹のどちらかが、隆山市内で偶然マルチと遭遇したのだろう。

「隆山温泉…」

 長瀬はうまいアイデアが浮かんだ。

「…そう言えば、秋の慰安旅行の行き先は、
 決まりましたっけ?」

「は?」

 綾香は、マルチと慰安旅行がうまく結びつかず、間の抜けた声を出す。

「会社で毎年慰安旅行に行きますよね?
 まだ行き先が決まっていないようでしたら、
 隆山温泉などいかがでしょう?
 きっとうちのスタッフ連中も、
 喜んで全員参加すると思いますが…」

 例年、スタッフの中には、慰安旅行に行くよりも、メイドロボの研究や修理をしている方がいいと、
研究所に居残る者が結構いるのだ。

「…そうか。慰安旅行ね。
 そうすれば、皆おおっぴらに出かけられるってわけか。」

 耕一にわけを話して、宿泊先を鶴来屋にすれば、うまくマルチと接触できるだろう。

「さすがは長瀬さんだわ。
 伊達に年はとっていないわね。」

「…一言、余計ですよ?」

 長瀬が苦笑する。

「だって、本当のことじゃない。
 …まったく。
 もうちょっと若ければ、お茶にでもお誘いするのにね。」

 マルチの修理の見通しがついて気がゆるんだ綾香は、自分でも思いがけぬことを口にする。

「え?」

 長瀬の声。
 心なしか慌てているようだ。

「あ、い、いえ、その…
 慰安旅行の件は任しといて。
 必ず隆山に行けるようにするからね。
 それじゃ、また連絡お願いします。」

「はい。それではこれで。」

 プッ…

(あたしったら… 何であんなことを…?)

 電話を切ってからも、何となく落ち着かない綾香だった。

(…………)

 公衆電話の受話器をフックに戻した後も、その場を立ち去り難い風情の長瀬だった。



 来栖川エレクトロニクスの社内慰安旅行の宿泊先が隆山温泉の鶴来屋だと知ると、会長も旅行につ
いて行くと言い出した。

「とかく、会長というと、
 雲の上に祭り上げられてしまいがちだからな。
 たまには、社員との交流を深める努力をしないと。」

 などと、もっともらしいことを言ってはいるが、本心は隆山にいる娘と孫に会いたい一心であるこ
とくらい、セバスチャンでさえもわかっていた。

 隆山には来栖川家の別荘があるとはいえ、多忙の会長としては、そう年がら年中訪れているわけに
はいかない。
 その点、社内旅行について行くという大義名分があれば、堂々と娘たちに会いに行けるのだ。

「親馬鹿もいい加減にしてほしいわね。」

 などと、呆れたように綾香にもらしていた母親も、いよいよ会長の旅行参加が正式に決まると、
ちゃっかり自分もついて行くことにしてしまった。
 親馬鹿は夫婦とも、似たりよったりのようだ。



 鶴来屋に着いた「来栖川エレクトロニクスご一行様」(会長夫妻および社長含む)は、鶴来屋会長
(千鶴)および副会長夫妻(耕一および芹香)に出迎えられた。
 会長夫妻はロイヤルスイートに通されると、芹香が連れて来た香織−−もうすぐ満一才になるとこ
ろで、一段とかわいくなっている−−の相手に夢中になっている。

 別室に泊まる綾香は、会長夫妻の相手を芹香に任せて出て来た耕一を見つけると、そっと耳打ちし
た。

「そちらの手はずは?」

「大丈夫。任せておいてくれ。」

 耕一もささやき返す。

 …社員一同は、それぞれ割り当ての部屋に落ち着いた。



「ごめんくださいませ。
 お茶をお持ちしましたぁ。」

 長瀬以下、研究所のメイドロボ開発スタッフは、広い一室を占拠していた(3名いる女性スタッフ
は、もちろん別室である)。
 一同が夕食をすませてくつろいでいるところへ、ノックの音と、女の子の声がした。

「お、ありがとう。」

 そう返事をすると、ドアをあけて、お茶の用意をした少女がひとり入って来た。

(…?)

 部屋の中にいた一同は、一瞬怪訝そうな顔になる。
 お茶を持って来たのが、アルバイトにしても若すぎる、子どもだったからだ。

(…?)

 その子の顔を見た一同の頭の上を、再びクエスチョンマークがよぎる。
 少女が、どこかで見たような顔をしていたからだ。
 黒く短い髪、黒い瞳、そして満面の笑顔…

 最初に気がついたのは長瀬だった。
 彼は、信じられないといった口調で、

「…マルチ、か?」

 と呟いた。
 とたんに少女は、さらに相好を崩して、

「はい! …お父さん、お久しぶりです!
 やっぱり… また…会えましたね… ううっ…」

 そのまま泣き出してしまう。

「マルチ!」

 長瀬も涙をこらえつつ、「娘」を抱きしめた。



「え!? マルチ!?」

「マルチなのか!?」

 たちまち一同がマルチと長瀬を取り囲む。

「しゅにーん!
 いつまでマルチを独り占めにしてるつもりですか!?」

「俺だって、マルチをだっこしてやりたいんですよ!」

 もとの笑顔を取り戻したマルチを見て、スタッフは感激のあまり、マルチの取り合いを始めた。
 しばらく、スタッフにだっこされたり、頭を撫でられたり、もみくちゃにされて、泣いたり笑った
りしながらも、幸せそうなマルチであった…



 ようやく興奮が静まってきた一同を見て、おもむろに長瀬が口を開く。

「さて、皆、用意はいいね?」

 一同、ここへ来たそもそもの目的を思い出して、頷く。
 それぞれの荷物に手分けして持って来た、点検修理の器具類を取り出し始める。
 女性スタッフにも声がかけられ、開発部のメンバー全員が、マルチのために一室に集まっていた。

「さてと、マルチ。
 大体のところは聞いているが、
 もう一度、具体的に教えてもらえるかな?
 どういう風に調子が悪いんだね?」

「はい。
 …生まれて間もない頃みたいに、
 何もない所でしょっちゅう転ぶんです。
 それから、お料理をしている時とか、
 急に右手の動きが鈍くなることがあって…」

 マルチは自分の体の具合を詳しく話し始めた。

 一通り話を聞くと、マルチが異常を訴えた箇所を重点的に、全身のチェックをする。
 ほどなく結果が出る。
 右腕と両足の関節部分にかなりの摩耗や疲労が見つかったが、部品を取り替えればすむ程度のもの
で、特に深刻な故障ではない。
 長瀬たちは、チェックの結果を見ながら、該当箇所のみならず、ほかの部品も取り替えられるとこ
ろは交換しておくことにした。
 この次マルチの点検修理をしてやれるのがいつになるか、わからないからだ。

「うーんと… あれ?
 顎や舌のところも結構摩耗が、目立つけど…
 マルチ、何か特に口を使った覚えはないかい?」

 木原が不思議そうに尋ねると、マルチはちょっと慌て気味で、

「え? く、口ですか?
 …いえ、別に、これといって心当たりは…」

 と答える。

 何となく頬を赤らめているマルチの様子を訝しく思いながらも、交換すべき部品がそろっているか
どうか荷物を調べる木原だった。



 部品の交換が終わると、かなり夜もふけていた。
 スタッフ連は、隆山名物の温泉を楽しむことも忘れて、マルチとのおしゃべりに打ち興じていた。

「それじゃ、あのとき、
 あやうく連中につかまるところだったのか?」

「はい。もう少しで車に連れ込まれそうになりました。
 …それを、ご主人様が助けてくださったんです。」

「たったひとりで、あの調査員ふたりをノックアウトしたの?
 ずいぶん強いご主人様なんだね。」

「ええ…」

 鬼の秘密をばらすわけにはいかない。

 因みに、今のご主人様が誰なのかは話していない。
 綾香と耕一が事前に相談の上、「隆山市内に住んでいる」ということしか伝えないことにしたので
ある。

「それで、そのご主人様の家にかくまってもらったわけ?」

「はい。
 ご主人様はそのころ、あの町でアパート住まいをしておられまして…
 誰かの目について、メイドロボとわかるとまずいということで、
 変装をすることになりました。」

「なるほど。それで、その姿なのか…
 しかし、センサーをはずして、髪の毛と目の色を変えるなんて、
 うまいこと考えたなあ。
 どう見ても、普通の女の子だよ…
 あ、もちろん、そんじょそこらの女の子より、
 ずっとかわいいけどね。」

「えへへ、木原さん、お世辞がお上手ですね。」

「いやいや、俺の目から見ても、
 マルチはとびきりの美少女だと思うよ。」

「そ、そうですか?」

「俺も賛成。
 こんなにかわいいんだから、
 ご主人様も、さぞかわいがってくれるんだろうね?」

「え、ええ。それはもう…」

 マルチが頬を染めながら答えると、

「おやおや、赤くなっちゃって…
 何だか怪しいな。
 マルチ、ご主人様って、どんな風にかわいがってくれるんだ?
 そこんとこ詳しく教えてくれないかな?」

 幾分嫉妬もまじっているらしく、食い下がるスタッフもいる。

 マルチが困っているのを見て、長瀬が助け船を出す。

「こらこら、プライバシーに立ち入るのはよくないぞ。
 …そういえば、マルチ、
 この頃焼きもちを焼くようになったんだって?」

「あ、は、はい。…そうなんです。
 ご主人様が、ほかの女の人に優しくしているのを見ると、
 何だか胸が苦しくなって…
 私、だんだん心が醜くなっていくような気がして、心配で…」

「大丈夫だよ。
 好きな相手ができると、焼きもちを焼くようになるのは、
 人間として自然なことなんだ。
 マルチは、また一歩人間に近づいたということなんだよ。
 心配しなくても大丈夫だから。」

「そ、そうなんですか?」

 マルチはほっとした様子だ。

「…何だって?
 こんなかわいいマルチが傍にいるのに、他の女に手を出す?
 とんでもないご主人様だ!
 よし、マルチ。
 俺がこれからおまえのご主人様に会って、直談判を…」

「だから、人のプライバシーに首を突っ込みなさんなって。」

 またぞろ熱くなるスタッフに、長瀬が苦笑する。



 そんな調子で、マルチを囲む一夜はにぎやかに更けていくのであった…


−−−−−−−−−−−−

第二部で、マルチが、そして長瀬が「きっと、また、いつか…」と呟いた再会の時。
ようやく果たすことができました。


次へ


戻る