The Days of Multi第一部第4章パート2 投稿者:DOM
The Days of Multi
第1部 Days with Hiroyuki
☆第4章 綾香の怒り (マルチ生後9ヶ月) Part 2 of 2



 ピンポーン

「? こんな時間に誰だろう?」

「私、見てきますぅ。」

「あ、待て。俺も行く。」

 危険はないと思うが、念のためだ。


 
 ピンポーン ピポピポピポーン

 ドンドンドンドン

 相手はかなりせっかちらしく、ブザーを立て続けに押した後、ドアを叩いている。

「はい。どなたですか?」

「浩之? あたしよ。開けて!」

 どっかで聞いたような声だが?

「どちらさん?」

「綾香よ! 来栖川綾香!
 早く開けてったら!」

 イライラと声が答える。

 綾香だって?

 ドアを開けると、

「!? な、何だ、その格好は?」

 綾香は、パーティーから抜け出したようなドレスを着ていた。

「話があるの!
 上がらせてもらうわよ!?」

 怒ったような口調で言うと、勝手に家の中へ入って行く。

「お、おい…」

 綾香はソファに腰をおろす。

「どうしたんだよ、こんな時間に?」

「だから、話があるって言ってるでしょ?
 そこに座って!」

 …ここ、俺んちなんですけど?

「えーと、今お茶をお持ちしますぅ。」

 マルチが行きかけると、

「マルチもここにいて!」

 と有無を言わせない。

「…で、話って?」

 俺が促すと、綾香はしばらく俺たちを睨みつけていたが、

「あんたたち…」

 ゆっくりと口を開いた。

「…マルチの最初のテストのときに、
 肉体関係を持ったって、本当?」

「ええっ!?」

 当然俺たちは驚いた。

「ど、どうしてそれを…!?」

「…ということは、本当なのね?」

 し、しまった。

「そう…」

 綾香がゆらりと立ち上がる。

「…お爺様の言う通りだった、てわけね?」

 何のことだ?

「…ふっ…」

 笑ってる?

「おかしい…」

 何が?

「こんな男に惚れてたなんて…」

 え? 今、何て?

「うふふ… あははは!」

 何を笑ってるんだ?

「お、おかしい…
 あんまりおかしくて、涙が出ちゃう。」

 綾香の瞳に光るものが…

「本当に…馬鹿ね…」

 綾香が後ろを向いて言う。なぜ後ろ向きに?
 それに馬鹿って…俺のこと? それとも…

 綾香はしばらく向こうを向いたまま、小刻みに肩を震わせていた。
 笑っている? 泣いている?

 やがて綾香は目を擦ってこちらを向くと、

「あんたたちにね、いいことを教えてあげる。」

 いいこと?

「それはね…」

 綾香は一旦言葉を切ると、

「…あんたたちが、大馬鹿だってことよ!」

 そう叫びざま、俺の胸に蹴りを…!

「ぐぅっ!」

 不意をつかれた俺は、まともに蹴りをくらって、吹き飛ばされ、部屋の壁に激突した。
 壁にかかっていたパネルが落ちる。
 一瞬意識が遠離る。

「ご、ご主人様あああっ!」

 マルチが慌てて駆け寄る。

「特に浩之、あんたがね!」

 綾香は一飛びで俺の目の前に来ると、胸ぐらを掴んで無理矢理立たせた。

 うぐ…!

 胸に激痛が走る。
 さっきの蹴りで、骨にひびでも入ったのかも知れない。

「馬鹿! 馬鹿! 浩之の大馬鹿!」

 綾香は俺を前後に揺すぶる。
 そのたびに胸の痛みが。

「や、やめてくださーい!」

 マルチが必死で綾香の手にしがみつくが、

「うるさい!」

 綾香が大きく手を振ると、

「きゃっ!?」

 マルチは俺と反対側に吹き飛ばされた。
 幸いそこにあったソファに倒れ込んだので、ダメージはないようだ。

「馬鹿! 馬鹿!」

 綾香は片手で俺の胸ぐらを掴むと、片手で俺の顔を平手打ちにした。
 何度も何度も…

「やめてーーーーっ!!」

 マルチはソファから起き上がると、今度は綾香の腰めがけて抱きつこうとした。
 しかし、マルチより一瞬早く綾香の体が動くと、

 ガッ

「!!」

 マルチの顔面に後ろ蹴りをくらわす。
 マルチは再びソファまで吹っ飛ぶと、今度は動かなくなった。
 ブレーカー落ちしたらしい。

「馬鹿! 馬鹿! 浩之の大馬鹿!」

 綾香は再び俺の顔に平手打ち。
 鼻血が飛び散る。
 唇が切れる。
 顔が腫れ上がって目が塞がれて行く…

 俺は意識がもうろうとしてきた。
 下手をするとこのまま死ぬかも…という考えがちらっと俺の頭を横切った時、突然平手打ちがやん
だ。

「…?」

 見ると、綾香が俺の左肩あたりに顔を押しつけて泣いていた。

「馬鹿ぁ… 馬鹿ぁ…」

 肩を震わせて泣き続ける綾香。
 ぷーんとアルコールの匂いがする。酔ってるのか?
 一体…何がどうなってんだ?

 そのとき、マルチの起動音らしい音が俺の耳に入ってきた。



 俺は壁際にへたり込んでぐったりしていた。
 胸が痛い。顔がパンパンに腫れている。
 綾香は、俺の前に座り込んで放心状態のようだ。
 マルチは、えっ、えっ、と泣きながら、懸命に、俺の顔を濡れたタオルで冷やしている。

 少し落ち着いたところで、俺は口を開いた。

「綾香…」

 うっ。口を聞くと顔が痛い。

「俺… 綾香に何か悪いことした?」

 すると、綾香は、まだどことなく放心したような声で、

「私にじゃない… 姉さんによ。」

「先輩に?
 …俺が先輩に、何をしたっていうんだよ?」

 綾香は再び怒りの表情を浮かべた。
 うっ! もう平手打ちは堪忍してくれ。

「あんたは姉さんを裏切ったのよ…
 ううん、姉さんの信頼に答えられなかったのよ!」

「…何のことだ?」

「…そうよね。
 あんたは、試されてたこと知らないんだものね。」

「?」

「いいわ。…教えてあげる。」

 そう言って綾香は話し始めた… 祖父から聞いたマルチの秘密を。



「う…嘘だ! そんな馬鹿な!」

「本当よ。…あんたはお爺様に試された挙げ句、
 見事にマルチの体にのめり込んでしまった、大馬鹿者なのよ!」

「わ、私…
 本当に浩之さんのことが好きなんですけど…」

「だから!
 それはあんたがそう思い込んでいるだけなのよ! 
 そういうプログラムなのよ!
 いかにも自発的に好きになったように見えるけど、
 実は最初から、そうなるように仕組んであるんだってば!」

「で、でも…
 お父さんは、私にはちゃんとした心があるって…」

「お父さんって?」

「は、はい、長瀬主任のことですぅ。」

「長瀬主任?
 ああ、セバスの息子のことね、メイドロボを開発したという。
 …その人が本当のことを言うわけないじゃないの、
 うちのお爺様とグルなんだから。
 あんた、騙されたのよ。」

「そ、そんな…
 お父さんは、嘘をついたりはしませーん!」

「違うったら!
 その、あんたのお父さんはね、
 お爺様に頼まれて、二つのことをしたのよ。
 一つは、あんたが浩之を好きになるように、プログラムを変えたこと。
 浩之が何もしなければそれまでだけど、
 あんたにちょっかいを出せば、その都度好きになって行くようにね。
 もう一つは、あんたに性交機能をつけたこと。
 これも、浩之が何もしなければそれまでだけど、
 もしあんたの体を求めるようなことがあれば、あんたには逆らえない…
 いや、むしろ、喜んで差し出すのかしら?
 それはプログラム次第ね。」

「う、嘘です。」

「ふーん、じゃあ聞くけど、
 何であんたは、セックスのできる世界で唯一のメイドロボなの?
 今度売り出されるマルチタイプにも−−あんたが元になっているのよね−−、
 もちろんセリオタイプにも、そんな機能はついていないわ。
 なぜ、あんただけは、メイドロボのくせに、男の人を受け入れられるようにできてるわけ?
 是非聞かせてほしいわ。」

「そ、それは… わかりません…」

「なぜ、高校で運用試験を受けたあんたが、性交機能を持っているわけ?
 そんなもの高校生活に必要ないじゃない?
 なのに、どうしてあんただけが、あんたひとりだけが、
 そんな機能を持っているの?」

「…………」

「答えは簡単よ。
 あんたにだけ、その機能が必要だったから。
 浩之が体を求めて来る可能性のある、あんただけに。
 …それだけのことよ。」

「…………」

「…………」



「これでおわかり?」

「そ、それじゃ、マルチには心があるように見えるけど、
 実はそんなものはないってことか?」

「そういうこと。」

「マルチが俺のことを好きになったのも、自分の意志ではなくて、
 そうなるようにプログラムされてただけってことか?」

「そういうこと。すべては幻影なのよ。
 プログラムがつくり出した幻影。
 この子があんたを見てにっこりするのも幻影。
 恥ずかしがるのも幻影。
 悲しそうに泣くのも幻影。
 あんたに愛の告白をするのも、何もかも皆幻影。
 この子には、自分自身のものなんてない。
 何もかも、人間がつくり出したプログラムのなせる業なの。
 そうしてあんたは、その幻影に見事に踊らされてしまった、
 いとも哀れで滑稽なピエロってわけ。」

 綾香はもう一度静かな怒気を含んで、俺を睨んだ。

「何で… 何で、こんな単純な罠に引っかかっちゃったのよ!?
 何でマルチになんか手を出したのよ!?
 この子はコンピューター仕掛けの高級な、でも、ただのダッチワイフに過ぎないのに…
 たった…8日間、たったそれだけの間、姉さんから目を離さないでいてくれれば…
 姉さんは幸せになれたのに!」

 綾香の目に涙が光った。

「だ、だって…
 俺はマルチのことが好きになったから…」

「今でもそう言えるの?
 心から、本気で?」

「…………」

「…………」

「…………」



「…帰るわ。」

 綾香はのろのろと立ち上がった。
 玄関に向かう。
 俺もマルチも、ショックで立ち上がることすらできなかった。
 綾香は途中で立ち止まると、俺たちに背を向けたまま、

「マルチ…
 自分とこの製品を悪く言いたかないけど…」

 マルチはぴくっと反応する。

「それに…自分の意志を持たないあんたを責めても始まらないけど…
 でも…やっぱり言いたいの。」

「…………」

「あんたさえいなければ…
 いえ、少なくとも、あんたが姉さんの高校で運用試験さえしなければ…
 姉さんは幸せをつかめたはずなのよ。
 もしかすると、一生に一度しかないかも知れない、
 幸せのチャンスをね。
 それが、…あんたが、あのとき、あそこにいたばっかりに…
 姉さんは幸せになれなかった…」

「…………」

 マルチは小さく震えている。

「私、やっぱり…」

 綾香が結ぶ。

「あんたを…恨むわ。」

 綾香は出て行った。

 間もなく車のエンジンの音。
 走り去る音。
 俺たちはまだ座り込んでいた。



 ふと気がつくと、マルチの様子が変だった。
 うつむいて、あらぬ一点を見つめている。
 ぶつぶつと何事か呟いている。

「マルチ? マルチ! どうした?」

 俺はマルチの体を揺さぶった。

「うっ!?」

 俺の胸に激痛が走る。
 綾香に蹴られたところだ。

「マ…マルチ!?」

 痛みをこらえながら声をかける。
 マルチに変化はない。
 しばらくすると、マルチの呟きが次第に大きくなってきた。

「私には…心がない…
 すべては幻影…
 プログラムのなせる業…」

 感情のこもらない声だった。
 それこそ「ロボットのような」声。

「マルチ!?」

「お父さんが…私を騙した…
 私は…コンピューター仕掛けの…ダッチワイフ…」

「マルチ、よせ!」

「私が…いなければ…芹香さんは…幸せになれた…
 私が…いたから…芹香さんが…不幸になった…
 私が…いたから…あかりさんが…不幸になった…
 私が…いたから…皆が…不幸になった…」

「マルチィィィィィ!」



 俺が何度呼びかけても、変化はなかった。
 ぶつぶつと呟き続けるだけだった。
 俺は一縷の望みを込めてマルチのメインスイッチを落とすと、しばらくして、再起動させた。

 ぶううううん…

 頼む、元のマルチに戻っていてくれ…
 あの明るい笑顔の似合うマルチに…

 だが、期待は裏切られた。
 マルチはしどけない格好で座ったまま、うつむき加減でまた呟き始めた。

「私には…心がない…
 お父さんが…私を騙した…
 私が…いたから…芹香さんが…不幸になった…」

 何度起動しなおしても同じだった。

 俺はとうとう最後に電源を落とすと、

「マ…ル…チ… う…く…」

 意識のないマルチの体を抱き締めながら、泣いた。


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