The Days of Multi第一部第4章パート1 投稿者:DOM
The Days of Multi
第1部 Days with Hiroyuki
☆第4章 綾香の怒り (マルチ生後9ヶ月) Part 1 of 2



 ああ、退屈なパーティーだった…
 来栖川邸の廊下を歩きながら、綾香は思った。

 この屋敷では大小様々なパーティーが開かれる。
 だが、綾香が面白いと感じたパーティーは…この頃では一度もない。
 …子供の頃はパーティードレスで着飾るのが楽しみだったけど…

 今日のは特につまらなかった。
 来年売り出す予定のメイドロボのお披露目をかねた、商魂丸出しのパーティー。
 可愛らしい容姿をしたマルチタイプ。美しくて理知的なセリオタイプ。
 それぞれ5体ずつが会場に配置された。

 マルチタイプはメイド服で給仕をしてまわり、親父連中の鼻の下を伸ばさせ。
 セリオタイプはオフィススーツを着て、
 会場のそこかしこに置いてあるパソコンを器用に操作したり、
 サテライトサービスシステムでいろいろなデータを瞬時にダウンロードしてみせては、
 客を驚かせていた。

 来栖川エレクトロニクスは、すでにメイドロボの予約注文を始めている。
 今日の招待客は、大企業の役員や、医療・福祉施設などの関係者がほとんど。
 会場での反響は予想以上のものがあった。
 これで、メイドロボの注文は飛躍的に伸びるだろう。
 パーティーは大成功だったわけだ。

(でも私には… ただつまらないだけのパーティー…)

 いや、むしろ不愉快だった。
 原因は…メイドロボ。
 緑の髪が近づく度に胸に苦いものが走る。
 「お飲物はいかがですか?」と愛らしい口がささやく度に邪険に断わる。
 その繰り返しだった。

 彼女たちは悪くない。
 ただ…試作型にそっくりなその姿形が、綾香を不愉快にさせるのだ。
 浩之のメイドロボと瓜二つのそれが。
 マルチタイプの給仕はすべて却下したものの、人間の給仕はどんどん受けて、
 アルコールで不愉快さを拭おうとしたが…
 何だか悪酔い気味だ。



(終わってほっとしたわ…) 

 いつの間にか姉の姿がなかった。
 先に自室に下がったのだろうか。
 姉にとっても、今日のパーティーが面白かろうはずがない。
 もしかしたら、拷問にかけられているような心境だったかも知れない。
 自分の恋人を奪った少女の似姿が、絶えず自分の前を徘徊しているのだから。

(気分でも悪くなったのかも…)

 その可能性はある。
 姉さんの部屋をのぞいてみよう。

 そう思って足を速めた時。
 一室から聞き覚えのある笑い声が聞こえて来た。
 お爺様の声だ。
 いつも苦虫を噛み潰したような顔をしているくせに、今日はあんな上機嫌。
 パーティーが予想以上の出来だったからでしょうね。
 執事のセバスの声も聞こえる。
 思わずドアに近づいて聞き耳を立てる。


「大旦那様。
 今夜はいささかお過ごしになられたようでございますな?」

「ん? ははは、なあに、
 まだまだこれしきの酒に飲まれたりはせんわ、わっはっは…」

「なかなかの盛況でございましたようで。」

「そうだな。
 これで、来栖川のメイドロボが一世を風靡するのは間違いなし。
 いや、愉快愉快…」



 商売がうまくいきそうで、よござんしたね。
 こっちはそのメイドロボのおかげで、泣きの涙だというのに。

 立ち去ろうとした綾香の耳に、意外な言葉が入って来た。

 …「藤田」…?



「しかし、セリオタイプの好評は予測がついたが、
 あのマルチタイプが、あれほどの評判になるとは意外であった。
 この調子では、当初考慮されておらなんだ一般家庭への浸透も、かなり有望だぞ。
 …いや、さすがは、あの藤田とやらを骨抜きにしたメイドロボの『妹』だ、
 廉価版でも十分魅力的と見える。
 マルチタイプは当初販売を見送る予定であったが、
 まさに怪我の功名というものか。
 …何にしても、長瀬、おまえの倅は…」

「恐れながら、セバスチャンにございます。」

「…セバスチャン。
 おまえの倅は大したものだ。
 セリオといいマルチといい、あれだけ人間そっくりの…
 『からくり人形』をつくり出すことができるのだからな。
 まさに感服の至りだ。はっはっは。」

 来栖川翁はセバスチャンが以前に用いた表現を真似しながら、いよいよ上機嫌だった。



 綾香は、祖父の言葉に当惑していた。

 「藤田」を…骨抜きにした…メイドロボ?
 浩之を…骨抜きにした…マルチ、のこと?
 何でお爺様がそのことを?

 綾香はいっそう聞き耳を立てた。



「その『からくり人形』のことでございますが…」

 セバスチャンが思い切ったように口を開く。

「このたび売り出されますからくり人形にも、
 藤田の人形についておりますような、その…男を受け入れる機能が?」

「ん? ああ… いや、それはない。
 もともと性交機能は、メイドロボに搭載することを見送ったものだ。
 藤田の場合は、万全を期するために、おまえの倅に命じて特につけさせただけだ。
 第一、市販のメイドロボにセックスができるなどということになれば、
 大変な社会問題になることは目に見えておる。
 そんな馬鹿な真似はせぬよ。」

「さようでございますか。」

 セバスチャンはほっとしたように言った。

 セバスチャンには、いかに人間そっくりとはいえ、人形にそうした機能をつけるという感覚が信じ
られなかった。
 その点については、尊敬する大旦那様の考えとはいえ、あの藤田のメイドロボにその機能をつけた
時も、言い知れぬ嫌悪感を覚えたものだ。
 そう言えば、あのとき、会長命令とはいえ、その機能を搭載することをあっさり承諾した息子の感
覚も、理解の外だった。

 藤田家のメイドロボ以外その機能がついていないと知って、巨漢の執事は胸をなでおろした。
 もしもあのような機能をもったメイドロボを大量生産するようなことになれば、長年お世話になっ
た来栖川家にも愛想がつきてしまうかも知れない、そう思いつめていたからだった。



 ドアの外で、綾香はいよいよ混乱していた。

 浩之のメイドロボには…マルチにだけは…セックスの機能がついている?
 お爺様がわざわざ、セバスの息子−−そう言えばメイドロボの開発をしているとか聞いたことがあ
るような−−に命じて、その機能をつけさせた?
 マルチに…浩之を…「骨抜き」にさせる…誘惑させるため?
 だから、浩之は…マルチに夢中になった?
 でも、でも、なぜ、お爺様がそんなことを…



「いや… しかし、さすがにわしも、
 後になって、あれは少々やり過ぎたかと後悔した。」

 セバスチャンの無言の非難を察したのか、翁はいささか間の悪そうな顔をした。

「何せ、あのときは、気が立っておったからの…
 我ながら、どうも孫のことになると見境がつかなくなって困る。」

「恐れながら、大旦那様のお心のうち、
 よく存じ上げておる所存にございます。」

 セバスチャンにも、翁の心情はよくわかる。
 自分自身、芹香の周りにつきまとう小僧を見ては、大人気なく追い払ったものだ。
 孫可愛さの余りと言えば、自分にとっても−−恐れ多いこととは感じるが−−芹香は孫のようなも
のなのだから。

「おまえにそう言ってもらえるとありがたい。
 …はは、まだまだ若いつもりでおったが、やはり年を取ったようだな。
 どうも近頃、めっきり頑迷になったようでいかん。」

「何を仰せられます?
 …大旦那様のご計画が功を奏したればこそ、
 見事、芹香お嬢様をお救いできたのではござりませぬか?」

「…うむ。…うむ、そうだな。
 いささか行き過ぎはあったものの、
 終わりよければすべてよし、ということにしようか。」



 …なるほど。そういうことか。大体見当はついたわ。
 姉さんと浩之を引き離すために、マルチを利用したって訳ね。
 浩之は、まんまとお爺様の計略に乗せられたって訳か。
 馬鹿な浩之! 後でとっちめてやる。
 でもそれよりも…許せないのは!

 綾香の体に沈み込んだアルコールが一気に燃え上がり、青白い炎を上げたように見えた…



 ガアアアァァァァン

 部屋の扉が大きな音を立てて内に開く。
 驚いて目を向ける来栖川翁とセバスチャンが見たものは…
 たった今、扉を蹴り開けた綾香が、妙に静々と室内に進み入る姿だった…



「お爺様。」

 綾香は美しい顔に、あでやかともいうべき笑みを浮かべている。

「…今のお話、すべてお伺い致しましたわよ。」

 にっこり。満面の笑み。
 ことさら丁寧に言うあたりに、綾香の怒りの凄まじさが現れているのだが、翁はそれに気づかず、

「綾香? …聞いておったのか?
 いかに身内とはいえ、立ち聞きはいかんと、前にも言うたではないか?
 それに、その乱暴なドアの開け方は何だ?
 少しは女としての慎みを…」

 いつもの調子でたしなめようとしたところ、

「何言ってんの!?
 このくそじじい!!」

 綾香は怒り心頭という調子で怒鳴った。
 翁は愕然とする。
 孫の奔放な言動にはいつも苦笑させられていたが、さすがに面と向かって罵倒されたことは、一度
もなかったのだ。

「立ち聞きはよくない? 女の慎み?
 はっ、笑わせんじゃないわよ!!
 そんなの、あんたのしたことにくらべれば、何だって言うのよ!?」

 綾香は青白い炎を燃やしながら怒鳴り続ける。

「マルチに浩之を誘惑させる?
 …姉さんを『救う』ため?
 冗談じゃないわ!!
 あんた、自分のしたことがどういうことか、わかってるの!?」

「お嬢様!
 大旦那様に向かって、口が過ぎますぞ!」

「うるさい!
 そんなくそじじい、もうお爺様でもなければ、孫でもない!
 今日限り縁を切るわ!」

「綾香! いい加減にしなさい!」

「姉さんはねえ!」

 綾香は翁の言葉を意に介さない。

「ずうっとずうっと、ひとりぼっちだったのよ!
 友だちのひとりもなく、心を打ち明けられる人もなく、
 寂しく生きて来たのよ!
 それがようやく好きな人ができて、
 …ようやく心を許せる人ができたのに、
 …あんたがその、たったひとりの大切な人を奪い取ってしまったのよ!!
 あんなロクでもない人形を使ってね!
 おまけに、その人形にセックスまでさせて誘惑するなんて…
 呆れてものも言えないわ!」

「あ、綾香…」

 翁はうろたえた。
 年頃の孫娘が、公然と「セックス」という言葉を使ったことに対して、である。

「人の心を踏みにじっておいて…
 よくもそ知らぬ顔でいられたものね!
 あたしが知ったからには、ただじゃおかないわよ!」

「ほう…
 ただではおかないとは、どういうことだ?」

 すると綾香は、彼女特有の、人を小馬鹿にするような笑みを浮かべた。

「…人の恋路を邪魔するやつは、馬に蹴られて何とやら…と申しますけど、
 あいにくと、ここに馬はいないようですから、
 このわたくしが、謹んで蹴りをお見舞い申し上げます。」

 またもや丁寧な言葉遣いになる。

「何、このわしを蹴る、と?
 面白い。蹴られるものなら…」

「てぃっ!」

 いきなり綾香は飛び上がると、長いドレスの裾を翻しながら、傍らにあった小テーブルに踵落とし
を加えた。

 ばきっ!

 小テーブルとはいえ、年代物のがっしりした造りであったが、見事にまっぷたつになった。
 さすがの翁も、それを見て思わずうめき声をあげる。

「お…大旦那様!」

 綾香の様子がただ事でないのを察したセバスチャンは、慌てて翁の耳にささやいた。

「お嬢様は酔っておられます。
 万一の慮外あるやも知れませぬ。
 この場は私がお引き受け致しますので、大旦那様はその隙にお逃げください。
 屋敷中の警備員を総動員すれば、あるいはお嬢様をお止めすることも…」

「聞こえてるわよ。」

 綾香が嘲るように言う。

「内緒話はもっと小さな声ですることね?
 …屋敷中の警備員?
 面白い。一度思う存分暴れてみたかったの…
 でも、残念ながら、この部屋から逃げ出そうったって無理よ。」

 綾香の顔から笑みが消えた。

「セバス! あんたも知ってたのね!?
 姉さんはあんたを信じてたのに… 裏切り者!
 お爺様と一緒に、仲良く地獄へ行きなさい!」

 完全に切れている。



 綾香がぐっと近寄って来る。
 セバスチャンが、翁を守ろうと身を乗り出す。
 その巨体を、翁の手が押しとどめた。

「長瀬。まあ、落ち着け。」

「恐れながら、セバスチャン、にございます。」

 どこまでもこだわるやつだ。

 にじり寄る綾香を見ながら、翁はことさら平然とした態度で葉巻を取り出し、火をつけてくゆらせ
て見せた。
 翁も、若い頃はさんざん危ない目にも遭ってきた。
 この手の相手に対しては、へたに逃げ出したりするとかえって危険だ。
 むしろ、冷静に順々と話をする方が効果的である。

「…綾香。」

 と、あらぬ方を見ながら孫に呼びかける。

「それにしても、なぜさっきからそんなに怒る?
 いかに仲のよい姉のためとはいえ、
 余りにも感情的になり過ぎているようだが…
 ほかに理由でもあるのか?」

 ぴくっと綾香が反応する。
 ねらい通りだ。

「…ほっ、ほかの理由なんてないわよ!
 あんたが姉さんの心を踏みにじった、
 それだけで十分過ぎるほどだわ!」

 綾香は動揺している。

「ほう、そうか?
 わしはまた、てっきり綾香も、
 藤田君に好意を寄せているものとばかり思っていたのだが…」

 翁は、綾香を刺激しないため、藤田を「君」づけにしている。
 綾香はまたもやびくっとする。
 顔が赤いのは、アルコールのせいだけではないだろう。

「な、何を馬鹿な…!
 どうして私があの人を…?」

「セリオが、そう申しておったぞ。」

 翁が、動揺している相手に追い打ちをかける。
 口から煙をふうっと吐いてみせる。

「セ…セリオですって!?」

 さらに狼狽する綾香。
 しかし、すぐ翁の言葉の意味に気がついて、

「セリオ…ってことは…
 あたしにも、何かするつもりで!?」

 綾香は激しく詰め寄ろうとする。

「まあ、待ちなさい。」

 と牽制しておいて、

「こうなったからには何もかも話そう。
 …その上でなお、わしを蹴りたいのなら、好きにするがいい。」

 譲歩してみせる。

「…ふん。一応聞いてあげるけど、
 うまいこと言って丸め込もうとしても、そうはいかないからね?」

 綾香には真相を100パーセント知りたいという欲求がある。
 そこを突いたのだ。

「…わしはな。」

 次の一言が肝心だ。

「藤田君を、無理におまえたちから引き離そうとした訳ではない。
 彼を試しただけだ。」

 嘘である。
 しかし、できるだけさりげなく、悪びれずに言わなければならない。

「試した?」

 うまくいった。

「そうだ。
 おまえたちも年頃の娘、遅かれ早かれ恋もしよう、
 結婚を前提としたつき合いをすることもあろう、
 それぐらい、わしにもわかっておる。」

 わかってはいるが、平気でいられないだけだ。

「…それで?」

 綾香は翁のペースにはまりつつある。

「だから、近寄って来る男を、
 ことごとく追い払おう、などとは考えておらん。」

 できればそうしたいところだが。

「…………」

 綾香は話を聞く体勢になっている。

「しかし、寄って来るすべての男が、
 おまえたちにふさわしい、というわけでもなかろう?
 だから試すことにしたのだ。」

「…………」

「まず、セリオとマルチだが、
 あれらがおまえたちの学校へ行ったのは、そもそも偶然だ。
 決してわしが手配した訳ではない。
 わしの方には、行き先が決定してから報告が来たのだからな。」

 これは正真正銘の事実。

「…………」

「しかし、その報告を見た時わしは思った。
 …せっかく孫の通う学校へわが社のメイドロボが行くのに、
 黙って見ておる手はない、とな。」

「…それで、セリオとマルチに、私たちのことを探らせたってわけ?」

 再び綾香の声に静かな怒りがこもる。

「人聞きの悪いことを言うな。
 大体、運用試験が目的なのに、おまえたちのことを探り回らせたら、
 肝心のデータがとれないではないか?
 何億という開発費用をかけて作り上げたメイドロボを、
 一時の好奇心のために無駄にするほど、わしは愚かではないつもりだ。」

「それじゃ…?」

「あのふたりに、学校で孫を見かけたら、
 元気でやっておるかどうか見ておいてくれ、と言ったまでだ。」

 これは少々事実と違う。

「じゃあ、どうしてあたしのプライバシーまで?」

 綾香がふくれ面をする。

「それだがな…
 ふたりともメイドロボのせいか、妙に律儀な所があって、
 わしの頼みを真剣にとり過ぎたらしい。
 マルチはまっすぐ芹香の所へ挨拶に行くし、
 セリオはセリオで、何をどう勘違いしたのか、
 興信所まがいの調査をして報告してきた。
 実は、おまえが藤田君に関心があることをどうやって知ったのか、
 わしらも今もってわからぬのだ。
 セリオも教えてくれぬし。」

 これは大体事実通りである。

「…………」

「で、マルチが芹香に会いに言った時、
 たまたま傍にいたのが藤田君だったそうだ。
 ところが、マルチは藤田君を見て驚いた。
 自分の知った顔だったからだ。」

「どうして知っていたの?」

「うん、それが問題なのだが…
 何と藤田君は、マルチが充電中に忍び寄って、
 いきなり胸を揉みしごいたことがあるらしい。」

 これには時間的な嘘がある。
 藤田がマルチの胸に触ったのは、後日のことだ。
 さらに「揉みしごく」などというえげつない表現を使ったのは、藤田への嫌悪感を募らせるためで
ある。

「何ですって!?」

 案の定、綾香がショックを受けている。
 いい傾向だ。

「そういうわけで… わかるじゃろう?
 メイドロボとはいえ、初対面の女の子の胸を揉みしだくような男が、孫娘と親しいという。
 しかも、もうひとりの孫娘もその男と知り合いらしいとなれば…
 これは心配しない方がおかしい。」

 我ながらうまい理屈だ。

「…………」

「それで、わしは、メイドロボの製作者に依頼して、
 藤田君を試すことにしたのだ。
 一つには、マルチのプログラムに手を加えて、
 藤田君の好意を受け入れるようにしたこと。
 もう一つは、…その、…おまえも知っている機能を取りつけることだ。」

 孫娘に向かって言える言葉ではない。

「で、浩之を誘惑させたわけね?」

 綾香がまたもや鋭い視線を向ける。

「誘惑させたのではない、
 試したのだと言っているだろう?」

 本当は無意識に誘惑させたのだが。

「マルチを芹香と同じ柔件に置いて、
 藤田君がどちらに引かれるか、試したというわけだ。
 マルチは自分から藤田君に手を出すのではなく、
 藤田君がマルチに好意を見せた時だけ、自分も好意を示すようにした。
 その…例の機能も同様で、
 藤田君の方から求めた場合にのみ、使えるようにしてあった。
 つまり、マルチは自分から藤田君を誘惑することなど、できなかったということだ。」

 実際はもっと積極的だったはずである。
 しかし、この点を綾香が受け入れることが大切なので、わざわざ結論を強調する。

「…………」

「ところが、結果は…
 藤田君は芹香を無視して、マルチを追い回すようになった。
 しかも、あろうことか、運用試験中に例の機能を使わせてしまったのだ。」

 実際には試験の終わった後だが…まあ、最後の日のうちだから、期間中と言っても差し支えあるま
い。

「え!? でも、運用試験って8日間の筈じゃ…?」

「そうだ。
 知り合って1週間経つか経たないかのうちに、
 女の子にそういう行為を『求め』たのだ。
 …くり返して言うが、マルチは自分からその機能を発動させることはできない。
 あくまで、藤田君が、その、特定の行為を求めてこない限り、
 マルチにはどうしようもできなかったのだ。」

 孫娘を相手にこういう話は面映いが、この点を強調しなければ綾香の怒りは収まるまい。
 因みに、本当はマルチから求めたはずだ。

「…………」

「そういうわけだ。
 わしが藤田君を信用できなくても、不思議はあるまい?」

 今までの話が全部本当なら、こういう結論になるはずだ。

「…どうして、マルチをまた学校に戻したの?」

「それは簡単だ。
 マルチが試験を終えていなくなったとたんに、
 藤田君はまた、芹香の周りに現れるようになったのだ。」

 主体は芹香なのだが。

「ほ、本当?」

「ああ。長瀬が確認している。
 …そうだな?」

「さようにございます。
 …恐れながら、セバスチャンにございます。」

 どこまでも命名者である芹香に忠誠を尽くすというわけか?

「というわけで、
 そのような節操のない男が芹香の傍にいるのは、心配極まりない。
 そこで、急遽、試験を終えて保存してあったマルチを蘇らせて、学校に戻したのだ。
 今回ははっきりと、藤田君を芹香から引き離すために。
 芹香と何かあるよりは、メイドロボに夢中になってくれた方が、まだましだからな。」

「…今の話、本当?」

「本当だとも。
 何なら、藤田君かマルチに聞いてみたらどうだ?」

 よほど細かく突かない限り、ボロは出ないだろう。

「…そうするわ。」

 綾香はのろのろと体を動かすと、部屋を出て行った。

 …………



「…やれやれ。」

 と、翁は大きなため息をついた。
 握り締めていた手は緊張で汗ばんでいた。

「…どうやら、命の危険は去ったようだな。」


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