The Days of Multi第一部第3章パート2 投稿者:DOM
The Days of Multi
第1部 Days with Hiroyuki
☆第3章 浩之家のマルチ (マルチ生後4ヶ月〜8ヶ月) Part 2 of 2



 あかりは、浩之の家から帰って来たばかりだった。
 妙なけだるさを覚えながら自分のベッドに倒れ込んでいた。
 このところ、浩之の家から帰る度に、こんな調子だ。

 浩之の家へ行くのは、浩之自身に頼まれたからだった。
 教える者がいないためなかなか料理の腕が上達しないマルチを見かねて、浩之があかりに頼んだの
だ。
 「マルチに料理を教えてくれ」と。

 本当はいやだった。
 馬鹿にしないでと言いたかった。
 私から浩之ちゃんを奪ったメイドロボのために、なぜ私が一肌脱がなきゃならないの?
 メイドロボが私から覚えた料理を浩之ちゃんに食べさせて、
 浩之ちゃんからますます可愛がられるように、そのために手助けしなきゃならないの?
 私は一体何なの?

 でも、実際には、私はこう答えたのだった−−苦笑しながら。

「しょうがないなあ。
 でも、ほかならぬ浩之ちゃんの頼みだから… いいよ。」

 もし浩之ちゃんが望むなら…私のすべてをあげても後悔しないのに。
 私は浩之ちゃんの前で、嫉妬深い女ではなく、心が広くて優しい女を演じたかったの。
 浩之ちゃんがいつか目を覚まして、私のところに帰って来てくれるように。
 そして何よりも私は、少しでも浩之ちゃんの傍にいたかったの。
 料理を教えることを断わったら、
 もう二度と浩之ちゃんの家に行けなくなるような気がして…こわかったの。

 実際にマルチちゃんと一緒にいると、「演技」はむずかしくなかった。
 無邪気で人を疑うことを知らず、ひたむきだけどドジなマルチちゃんは、
 見ていて微笑ましかった。

 でも、こうして家に帰って来ると…
 マルチちゃんに対するどす黒い思いが心に沸き上がって来る。
 自分でも恐くなるくらい醜い思いが。

 マルチちゃんを憎らしいと思う。
 マルチちゃんがいなくなればいいと思う。
 マルチちゃんが浩之ちゃんに捨てられて泣き悲しめばいいと思う。
 マルチちゃんなんか壊れちゃえと思う。
 マルチちゃんなんか死んじゃえと思う。

 …自分でも恐くなるくらい、醜い思い。

 でも、私なんか、十年以上も浩之ちゃんと一緒なのに。
 幼馴染みだったのに。
 ずうっとずうっと、浩之ちゃんを好きだったのに。
 生まれたばかりのメイドロボに、浩之ちゃんを取られちゃうなんて。

 浩之ちゃんが来栖川先輩とつきあっているという噂を聞いた時は、ショックだったけど、でも、
しかたがないか、とも思った。
 だって、私には太刀打ちできない。
 あんなきれいな人に。
 あんな上品な人に。
 どんなに私があがいても手の届かないものを、あの人は持っていたから。

 来栖川年輩なら、まだ諦めもついたのに。
 あの人が選んだのはメイドロボ。
 お料理も満足にできないメイドロボ。
 そのメイドロボが、あの人の笑顔をひとりじめしているなんて。

 今頃ふたりは、抱き合っているかも知れない。
 熱い口づけを交わしているかも知れない。
 お風呂で裸の体を流し合っているかも知れない。
 それともベッドで濃厚な愛撫をしているかも知れない。
 そうして、私のことを馬鹿にしているかも知れない…

 「うふふ…
  あかりさんて、ほんとうにお人よしなんですね。」

 マルチちゃんが笑っている。
 ひどいよ、マルチちゃん。

 「あはは… あいつは、あれしかとりえがないんだ。」

 浩之ちゃんが笑っている。
 ひどいよ、浩之ちゃん。

 浩之ちゃんが動く。
 マルチちゃんが嬌声をあげる。
 そしてふたりで私のことを笑う。
 ひどいよ、ふたりとも。

 「うふふ… あかりさんのお人よし。」

 ひどいよ、マルチちゃん。

 「うふふ… お人よし。」

 ひどいよ、マルチちゃん。

 「うふふ…。」

 ひどいよ、マルチちゃん。

 「お人よし。」

 ひどいよ、マルチちゃん。

 「うふふ…。」

 ひどいよ、マルチちゃん。

 「うふふ…。」

 ひどいよ、マルチちゃん。
 ひどいよ、マルチちゃん。
 ひどいよ…

 …自分でも恐くなるくらい、醜い思い。



「あかり?」

 え?

「あ? ああ、志保?」

 …学校だった。

「あんた、顔色悪いわよ。」

「そ、そう?」

 夕べよく眠れなかったから…

「寝不足なんじゃない?」

「そ、そんなことないよ。」

 なぜか否定してしまう。

「でも、まぶたも腫れぼったいし…」

「ちゃんと寝てるんだけどなあ?」

 ううん。この頃よく眠れない。

「おう。あかり。」

 浩之ちゃん?

「昨日はサンキュな。」

「どう致しまして。」

「マルチも喜んでたぞ。」

「…そう?」

 マルチちゃんが?
 喜んでたの?
 笑ってたの?
 「うふふ」って?
 ねえ、やっぱりそうなの!?

「昨日何かあったの?」

 志保の声がする。

「あかりがマルチに、料理を教えてくれたんだよ。」

 ほんとは教えたくないんだけど。

「はあ? マルチに?
 …ったくぅ、あかりもたいがいお人よしねぇ。」

 やめてよ。志保まで私を馬鹿にするの?

「なあ、あかり。
 またマルチに料理を教えてやってくれよな。」

 浩之ちゃん。どこまでも私を馬鹿にするんだね?

 でも私はちょっと苦笑しながら、

「いいよ。
 …ほかならぬ浩之ちゃんの頼みだから。」

 そう答えてしまうのだ。
 心の奥に涙をしまい込みながら…



「待ってよ、あかり。」

「志保?」

「一緒に帰ろ。」

「…うん。」

「ヒロは?」

「…先に帰ったみたい。」

「そっか…」



「ねえ、あかり。
 あんな甲斐性なしの世話なんか、
 もういい加減にしときなさいよ。」

「…………」

「もうそろそろ諦めたら?
 あいつは、ただのメカフェチの変態なのよ?」

「…………」

「あんなやつ、熨斗つけてマルチにくれてやればいいのよ。
 ほかにいくらでもいい男がいるんだから。」

「…………」

「無理してマルチに料理教えてやることなんかないよ。
 …あんたが無理してるのは、端から見てればすぐわかるんだから。」

「…………」

 …時々、志保が嫌いになる。



「ご主人様、今日は何時頃お帰りですか?
 その前に、夕食の買い物をすませておきますので…」

「そうだなあ…
 うん、マルチ。
 今日は一緒に買い物しないか?
 学校の帰りに直接スーパーに寄れば、
 手間も省けるし、荷物も持ってやれるしな。」

「ほ、本当ですか? 嬉しいですぅ。
 それじゃ、何時頃お待ちしてたらよろしいですか?」

「そうだな、時間は…」



 このごろ何だかすっきりしない。
 ヒロは、メイドロボに構ってばかりだし。
 あかりは、見るからに無理してるし。
 雅史は、部活でつきあい悪いし。
 商店街でも冷やかして帰ろう。
 …あれ、今、スーパーに入って行ったのは?
 ヒロ、と… メイドロボ!?



「ご主人様。
 お肉とお魚と、どっちが食べたいですか?」

「…マルチが食べたい。」

「!? ご、ご主人様!?
 い、いやです、そんなこと、大きな声でおっしゃっては!」

「そんなことって? どんなことだ?」

「え? あ? あの…」



 何よ、あのふたり。
 まるで新婚さんじゃないの。
 仲睦まじく寄り添って。
 冗談言って赤くなって。
 今にも手を握らんばかり。
 公衆の面前で、何べたべたしてんのよ!?



「え、えーと、お野菜はですねぇ。
 キャベツとぉ… たまねぎとぉ…」

「マルチ、まだ顔赤いぞ。」

「いやですってばぁ…」



 ええーい、うっとうしい!
 何であんなに幸せそうなのよ?
 あかりが泣いているのを知らないの?
 あたしが…怒ってんのが…わからないの?



「よし、マルチ。
 これは俺が持ってやるよ。」

「あ、だ、だめですぅ。
 ご主人様に全部持ってもらうなんて。
 私も半分持ちますからぁ…」

「何言ってんだ。
 マルチは女の子なんだぜ?
 これくらい、俺ひとりで持てるからさ。」

「で、でも…」

「そのかわり…
 (ぼそっ)今晩たっぷりサービスしてくれ。(にやり)」

「え? ええ!?(真っ赤)
 あ、あの、サービスって…?」

「何赤くなってんだ?
 もちろん晩飯のサービスだろ?」

「あ? ああ、ご主人様の意地悪ぅ…」



 …ぶちっ

「こぉら、ヒロォ!
 まだ日も高いのに人前ででれでれと、メイドロボにうつつを抜かすなんて!
 いい根性してるじゃない!?」

「…し、志保? 何でここに…?」

「あっ、志保さん?
 おひさしぶりですぅ。」

「正義のヒーロー志保ちゃんが、その根性を叩き直してあげるわよ!
 覚悟しなさい!」

「…女だから、『ヒロイン』だろ?」

「うるさい!
 そのデリカシーのなさが、皆を不幸にしてるのよ! この鈍感男!」

「何でそこまで言われなきゃなんないんだよ?
 俺がいつ、だれを不幸にした?」

「黙れ!
 あかりが毎晩泣いてるのを、知らないとは言わせないわよ!」

「はぁ? あかり?
 こないだの晩も、マルチに料理教えてたけど、機嫌はよかったぜ?」

「馬鹿か、あんたは!?
 亭主を寝取った女に料理教えて喜ぶ女房が、どこの世界にいるっての!?」

「おい! 言うに事欠いて…」

「事実でしょ!?
 メイドロボに鼻毛読まれて古女房を捨てた、甲斐性なしの亭主のくせに!」

「それ以上言うと、いくら志保でも承知しねえぞ!」

「お、おふたりとも、やめてください…」

 マルチがおろおろ口を挟む。

「何よ! このカマトト女!
 めそめそしてたら赦してもらえると思ったら、大間違いよ!」

「え? え?」

「あんたのせいで、あかりは不幸になったのよ!
 わかってるの!?」

「え? あかりさんが?」

「そうよ!
 ううん、あかりだけじゃない、皆が不幸になってるのよ!
 あんたのせいでね!」

「わ、私のせいで… 不幸に?」

「おい、志保!
 マルチが何をしたってんだよ?
 言いがかりもたいがいに…」

「何をしたか教えてほしいっての?
 じゃあ教えてあげましょうか?
 マルチは、せっかくうまくいっていたヒロとあかりの間を裂いて、
 めちゃめちゃにしてしまったのよ!
 あかりを不幸のどん底に落とし込んで、毎晩泣かせておきながら、
 自分はヒロとこんなところで、いちゃいちゃ買い物してるなんて…!」

「だから、あかりは泣いてなんか…」

「泣いてんのよぉ!
 そんなこともわかんないのぉ!?
 ヒロの馬鹿ぁ!
 あたしも雅史もわかってんのにぃ…
 あんたは馬鹿よ! 大馬鹿よぉ…」

「し、志保?
 おまえ… 泣いてんのか?」

「あたしじゃない…
 泣いてんのは…あたしじゃないのよぉ…
 あかりなのよぉ…
 あの娘は優しいから…あんたたちを傷つけまいと…
 無理して笑ってるんじゃないのぉ?
 そんなことも…あんたには…わかんないのぉ…
 そんなに…このロボットが…かわいいのぉ…
 ううっ… ヒロの…ヒロの…大馬鹿ぁ!!」

「し、志保さん…」

 マルチが泣き出した志保の肩に手を置こうとすると、志保はその手を激しく振り払った。

「触るな!
 あんたなんかに気安く触られたくないわ!
 あんた前に言ってたじゃない! 人の喜ぶ顔が見たいって…
 だのに、あんたがしてることは何よ!
 喜ばせるどころか…
 あかりを泣かせて…皆を泣かせて…不幸にして!
 あんた、メイドロボなんでしょ!?
 なのにどうして、人を不幸にして平気でいられるのよ!?
 あんたなんかメイドロボ失格よ!
 さっさとスクラップにでもなった方が、世のため人のためってもんだわ!」

「志保、やめろ!!」

 マルチは固まっていた。
 志保の罵りの言葉が、刃のようにマルチの意識を貫いていく。

 あかりを泣かせた。あかりを不幸にした。
 皆を泣かせた。皆を不幸にした。
 人を不幸にするメイドロボ。
 メイドロボ失格。

(私は… 私は…
 ただただ…ご主人様の…あかりさんの…皆さんの…喜ぶ顔が…見たくて…
 一生懸命…頑張って…きたのに…)

 あかりを泣かせた。あかりを不幸にした。
 皆を泣かせた。皆を不幸にした。

(私は… 私は… いない方が…よかったの?)

 人を不幸にするメイドロボ。
 メイドロボ失格。

(私は… 私は…)

 人を不幸にするメイドロボ。

(私は…)

 メイドロボ失格。

 …………

 ぷしゅーっ

「マルチ!?」

「え? ちょ、ちょっと?」

 思考系に過大な負荷のかかったマルチは、安全回路が働いて、システムダウンした。
 ぐらりと地面にくずおれていくマルチを慌てて抱きかかえる浩之。
 買い物袋が放り出され、中身が路上に散らばる。

「マルチ! しっかりしろ!」

 路上でぐったりした少女を必死で抱きかかえる浩之。
 そんな浩之をもの珍しそうに眺める通行人。

「え、えーと… あたし、帰るわね。」

 口が過ぎたことを後悔しながら去って行く志保。

「マルチ!」

 目を閉じたメイドロボの顔には、深い悲しみの影が宿っているように見えた。



 ぶうううん…

 起動音がした。
 やがて、うっすらと目をあけるマルチ。
 ほっとする浩之。
 だが、マルチの顔は悲しそうだ。

「ご主人様…
 志保さんの言ったことは…本当ですか?」

「え?」

「私は…人を不幸にする…メイドロボ…なんですか?」

「な、何を言うんだ?
 そんなことはない。」

「私は…メイドロボ…失格…なんですか?」

「馬鹿! 言っただろう?
 あいつは学校随一のほら吹き女だって…」

「私なんか…いない方が…皆さんのため…なんですか?」

「マルチ!」

 浩之はマルチを抱き締めた。

「頼むから…いない方がいいなんて…言わないでくれ。
 春に、おまえと別れてから…おまえがいなくなってから…
 俺、魂が抜けたようになって…
 自分が生きているのか、死んでいるのかもよくわからないほどだった…
 おまえがいなくなれば、俺は間違いなく不幸になる。
 おまえがいてくれれば、俺、他のものがなくても十分幸せなんだよ。
 だから… 自分がいない方がいいなんて言わないでくれ。」

「ほんと…ですか?
 ご主人様は…私がいないと不幸なんですか?
 私がいると、幸せなんですか?」

「そうとも!
 だから、前にも言った通り…ずっと俺の傍にいてくれよ。」

「…はい。ご主人様。
 私はご主人様のお傍にいます。
 …ご主人様に、幸せになっていただきたいですから。」

 ようやく笑顔を取り戻すマルチ。
 ふたりで散乱した買い物を拾い、帰途につく。
 また、いつもの平穏な、幸せな日常が始まる…はずだ。

(でも…)

 歩きながら、マルチは考えた。

(私がご主人様を幸せにしようとすると、他の誰かが不幸になるとしたら…
 私はどうしたらいいの?)

 マルチの心の疑問は解決されないまま残った。


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