The Days of Multi第一部第3章パート1 投稿者:DOM
The Days of Multi
第1部 Days with Hiroyuki
☆第3章 浩之家のマルチ (マルチ生後4ヶ月〜8ヶ月) Part 1 of 2



 本編第一部第2章で”A.マルチに会いたい。”を選択した場合の続きです。

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 浩之はぼんやりと、中庭の芝生に腰をおろしていた。
 マルチと別れて以来、体の芯が抜けてしまったような心持ちがする。
 幼馴染みのあかりが心配するのも、今はただうるさく感じるだけだ。
 喧嘩友だちの志保ともやり合う気になれない。
 雅史が気を使ってひとりにしようとしてくれるのが、一番ありがたい。

 ふと、傍らに人の気配を感じた。
 見上げると、芹香の顔があった。
 どことなく心配そうだ。
 何か言われる前に浩之が機先を制する。

「先輩… お願いだから…
 何も聞かないでくれ…」

 それきり黙る。

 しばらくして、芹香がやはり芝生の上に腰をおろす。
 浩之の隣ではない。さりとて、そう離れているわけでもない。
 浩之がちらっと見ると、芹香は、よくやる中庭でのひなたぼっこのように、あらぬ方を見てぼうっ
としている。

 芹香なりの心遣いだろう。
 芹香は浩之と無関係にそこにいる、と言いたいのだ。浩之が余計な気を使わないように。
 しかし、浩之が必要とするなら、いつでも応じられる、そういう距離にとどまっていた。
 そして、浩之が頼んだように、何も言わず、しかもその沈黙が重苦しくならないように配慮しなが
ら、座っていた。
 浩之は、芹香のそうした態度がありがたかった。

 魂の抜けたような浩之と、ぼうっとした表情の芹香は、長い間そのままの姿勢を保っていた。

 やがて浩之は立ち上がると、

「ありがとな、先輩。
 …少しは元気が出たような気がするぜ。」

 と、心から礼を言った。
 芹香も嬉しそうな表情を見せて頷いた。



「…長瀬か?」

「恐れながら、セバスチャンにございます。」

「…セバスチャン。
 どうだ、うまくいったであろう?」

「はは。大旦那様の遠謀深慮には、感服仕りました。」

「はっはっは。
 しかし、正直、あそこまでねらい通りに行くとはな。
 おまえの息子は大した者だ。
 人間の男を夢中にさせるくらい、魅力のあるメイドロボを作るとはな。」

「はっ。…実はその男のことでございますが。」

「? 藤田がどうかしたか?」

「今日、芹香お嬢様がご一緒の所を拝見致しました。」

「何だと?
 性懲りもなく、またぞろ芹香をつけ狙っておるというのか?」

「いえ…
 あの藤田という男、例のからくり人形にぞっこんだったと見え、
 あれ以来腑抜けのようになっております。」

「それならねらい通りだが?」

「あまりのふがいない様子に、心優しいお嬢様が見兼ねて、
 慰めようとしておられるご様子と、お見受け致します。」

「…………」

(あのおとなしい芹香の方から積極的に男に近付くとは、計算外だった…)



「失礼します。
 開発部の長瀬です。」

「長瀬君か。入りたまえ。」

「…部長。
 メイドロボの再試験のこととか伺っておりますが?」

「うむ。実は君の所に保存してあるHMX−12のことだがね…
 会長の肝煎りで、長期運用試験を行うことになった。」

「長期運用試験ですか?」

「そうだ。
 君が主張していたように、
 学習型のメイドロボを、たった8日の試験だけで判断するのは無理がある、
 との会長のお言葉でね。
 前回試験を行なったのと同一の学校にて、
 最低一年間、最高二年間の試験を行う。
 試験の結果、有意義なデータが得られれば、
 今度のマルチタイプには間に合わなくても、
 次かその次のメイドロボに生かすことができるだろうと、
 長期的な展望に立っての会長のご意見だ。
 なお、メンテナンスその他の必要経費は、
 一定額を越えない限り、君の裁量で用いてよろしい。
 その他の詳細については、書類を回しておくから、目を通してくれたまえ。
 何か質問は?」

「…いえ。」



 修学旅行が終わり、またいつもの営みに戻る。
 相変わらず、体のまん中に穴が開いたような虚しさを覚える浩之だった。

 今日もいつもと同じ朝の風景…
 ホームルーム。
 先生が教室に入って来る。
 女生徒を連れて…
 え? 女生徒?
 あれは…

「あー、皆。転入生を紹介する。
 今日からこの学校で長期運用試験をすることになった、来栖川のメイドロボだ。
 皆、仲良くするように。
 では君、自己紹介を。」

 あれは…!

「えーと… 皆さん、こんにちはぁ。
 私、来栖川のメイドロボ HMX−12で、通称…」

「マルチ!?」

「はい、マルチですぅ… え?」

 名前を呼ばれたマルチは、驚いた顔をこちらに向ける。

「マルチ、なんだな!?」

「あっ…」

 浩之を見て息を飲む。

「あー、藤田?
 自己紹介の途中だ、邪魔をしないように…」

「ご…」

 マルチの目に見る見る涙が溢れていく。

「ご主人様ぁ!
 ま、また、会えましたぁ!」

 ざわざわざわ… (「ご主人様」だって!?…)



 1時限目が終わると、浩之はマルチの席へ駆け寄る。

「マ、マルチ。
 また一緒に…過ごせるのか?」

「はい! 今度は、もっと長く、学校に通えることになりました!
 私、今度こそ、ご主人様に、いっぱいいっぱいご恩返ししますから…」

「い、いいんだよ、そんなこと。」

「でも、私の気が済みませんから…」

「…それじゃ、マルチはずっと俺の傍にいること…
 それがおまえのご恩返しだ!」

「え? そ、それだけでいいんですか?」

「いいんだ!
 頼むから、ずっと傍にいてくれ!」

「は、はい…
 ずっと、ご主人様のお傍にいます!」

 周りが呆気にとられる中で、堂々と恥ずかしいことを言ってのけるふたりだった。



 2時限目の休憩時間。
 志保が飛んで来る。

「ちょっとぉ、ヒロォ! 聞いたわよぉ!
 あんた、メイドロボにご主人様と呼ばれて、鼻の下伸ばしているそうじゃないの!?
 来栖川先輩みたいな美人のお嬢様なら、あんたがくらくらするのも無理ないけど、
 よりによって、メイドロボとはどういうわけ?
 あかりを侮辱する気!?」

「し、志保、私は別に…」

「マルチとあかりと、何の関係があるんだ?」

「何言ってんのよぉ!
 あんたとあかりが夫婦同然ってのは、周知の事実じゃない!
 それなのに、メイドロボによろめくなんて…
 これが侮辱じゃなくて何なの!」

「志保ったら…」

「ご主人様ぁ、結婚しておられたんですかぁ?」

「志保!
 てめえがいい加減なこと言うから、マルチが泣きそうになってるじゃないか?
 …マルチ、安心しろ。
 この女はな、口にする言葉の半分はガセ、半分は妄想という、
 この学校随一のほら吹き女だ。
 決して信用してはいけない。
 信用すると、えらい目に遭うぞ。」

「そうなんですかぁ?
 安心しましたぁ。」

「そこで納得しないでよ!」



 浩之をご主人様と呼ぶマルチの噂は、たちまち全校に広まった。
 もちろん、噂の担い手はおもに志保である。

 「メカフェチ」のレッテルを貼られて陰口を聞かれても、一向動じない浩之。
 しかし、「高校生とメイドロボの恋愛」はやがて父兄の間で問題視されるようになった。
 自由な校風で知られる学校ではあるが、前代未聞の問題に教師陣も当惑し、とうとう7月、マルチ
は退学を余儀なくされる。



「ううっ…」

 マルチはぐすぐすと泣き続けていた。

「マルチ、もう泣くな。」

「で、でも、
 …せっかく、ご主人様と一緒にいられると思ったのに…
 せっかく、今度こそご恩返しができると思ったのに…
 ううっ… うわああああああああん!」

「マルチ…」



 学校最後の日、泣きながら帰途についたマルチをなだめつつ、バス停までたどり着いた浩之。

「それでその、おまえのお父さん…だっけ、
 その人が俺に何の用があるんだって?」

「よくは知りませんけど…
 何でも折り入ってご相談があるとか…」

 研究所前でバスを降りる。
 受付で用件を伝えると、マルチと共に開発部の方へ行くように言われた。

「お父さん、ただ今帰りました。」

「おお、マルチ。お帰り。」

「あのー、俺、藤田浩之ですが…
 マルチのお父さんですか?
 何かお話があるとか…」

「うん。まあ、どうぞこちらへ。」

 長瀬は、ふたりを脇の小部屋に案内した。
 他に人はいない。

「まあ、どうぞ、座って…
 実はマルチのことなんだがね…
 しばらく、君の家で預かってもらう訳にはいかないかね?」

「え?」

 浩之もマルチも、驚いた顔をする。

「実はね、マルチは最低一年は運用試験を行う予定だったのだが…
 まあ、知っての通りの事情で駄目になってしまった。」

「はい…」

「しかし、せっかくの試験を途中で打ち切るのは惜しい。
 そこで、試験の形態を若干変えて継続することになったのだよ。
 つまり、学校ではなくて、一般家庭における運用試験ということだ。」

 長瀬は、マルチが退学させられそうだと聞いて、あらかじめ会長にかけ合っておいたのだ。

「一般家庭?」

「そのとおり。
 で、その一般家庭だが…
 マルチは以前から、君にいろいろお世話になっているようだし、
 君もマルチの扱いに慣れているようだし、というわけで、
 君の家で試験をさせてもらえたら、ということなんだ…
 お願いできるかな?」

「…………」

「なお、マルチは試験期間終了後、研究所に引き取る予定だが…
 君さえよければ、研究に協力いただいたお礼ということで、
 そのままマルチを手許においてくれて構わない。
 もちろんその時点で、君がマルチのユーザーとなるように手続きをする。
 要するに、正式のご主人様となるわけだ。」

「ほ、本当ですか?」

「お父さん?」

 長瀬の夢のような申し出を、浩之はもちろんOKした。
 マルチも嬉し泣きをしていた。



 マルチは浩之の家に住み込むことになった。

「ご主人様…
 今度こそ、ずっと一緒にいられますね?」

「ああ。もう離さないからな。」

 ふたりは幸せを噛み締めていた。



(今日も会えなかった…)

 芹香は2−Bの教室を後にしながら、とぼとぼクラブ棟へ向かった。
 なぜか足取りが重い。
 浩之をオカルト研究会の活動に誘いに来たのだが、すでに帰宅した後だったのだ。

(今日もひとり…) 

 部室の鍵を開けながら、芹香は思った。
 以前はちょくちょく部室を訪れた浩之なのだが、このところ、学校が終わると飛ぶように帰ってし
まうため、顔を見ていない。

(マルチさん…)

 マルチがいなくなって、浩之は元気がなくなった。
 マルチが帰って来て、浩之は元気になった。
 そして今、マルチは浩之の家にいるという。

(マルチさんに会うために…?)

 マルチに会うために、浩之は毎日飛んで帰るのだろうか? きっとそうだろう。

(マルチさんが羨ましい…)

 そんなことを思ってはっとする。
 私は何を考えているのだろう?

(浩之さんはお友だちに過ぎない… そう、『たったひとりの大切なお友だち』に…)

 今日の実験を始めよう…



「姉さん。どうしたの?」

 綾香の不機嫌な声にはっとした。

(どうしたって…?)

「さっきから、全然私の話聞いていないでしょう?」

(あ… ごめんなさい。) 

 芹香は明日の日曜日、綾香とふたりで買い物に行く約束をしていた。
 どういうルートで行くか相談しようと、綾香が芹香の部屋に来たのだが…
 あれこれプランを練って喋っていた綾香がふと気がつくと、芹香は上の空でただ生返事をするばか
りだったのだ。

「姉さん… この頃元気ないわよ?」

 今度は心配そうな声になる。

 浩之と知り合って以来、芹香は日増しに明るくなり、それが綾香には嬉しいことであり、同時に寂
しいことでもあった。
 嬉しいというのは、長い間友人らしい友人もなく、もちろんボーイフレンドなどというものとも縁
がなかった孤独な姉に、初めて恋人らしいものが出来たことである。
 そして寂しいというのは、その姉の相手に、綾香自身も大いに心を引かれていたからである。

 その姉が、最近、以前のように、あるいは以前よりももっと寂しそうな顔をするようになった。
 そして、今日も、姉が自分の話に上の空でいてもきつく怒れないほど、その顔に寂しさの影が色濃
く現れているのだ。

「ははあ… さては浩之と喧嘩でもしたんでしょ?」

 姉を元気づけようと、わざと冗談めかして言ってみる。
 浩之の名を口にすることは、綾香自身にも幾ばくかの心の痛みをもたらすものではあるが、この際
致し方ない。
 案の定、浩之の名を耳にした途端、芹香がはっと反応した。
 浩之がなんらかの形で姉の悩みに関係していることは、まず間違いないだろう。
 しかし、芹香は目を伏せると、

(そんなんじゃありません。)

 と言った。

「喧嘩じゃないの? じゃ、何よ?
 あいつが姉さんを差し置いて浮気でもしたってわけぇ?」

 さらに冗談めかして言うと、芹香は少しむきになって、

(浩之さんとはそういう関係ではありません。)

 と答えた。

「やだー、むきになっちゃって。
 さては、焼きもちね?
 あいつの周り、結構可愛い子がいるもんね?」

(そんなんじゃありません、ってば。)

 ますますむきになる芹香。

「ふーん、察するところ、原因はあの子でしょ?
 いつも浩之の傍にいる…幼馴染みの…何てったっけ?」

(神岸あかりさんですか?)

「そうそう、その子。
 (フルネームで覚えてるなんて、やっぱり相当意識してるのね)
 そのあかりに、焼いてるんでしょ?」

(違います。)

「違うってどういう意味?
 焼きもちなんか焼いてないってこと?
 それとも、あかりじゃないってこと?」

(どっちも違います!)

「(あらら… ほんとに珍しいほどむきになってる)
 まあ、何でもいいけど、浩之なら大丈夫よ。
 あいつ、姉さんに首ったけなんだから…」

 芹香はきっと綾香を見た。

(どうして綾香に、そんなことがわかるんですか?)

 滅多に見ない姉の怒りに、綾香は思わずたじたじとなる。

「ど、どうしたの?
 …あいつ、ほんとに浮気したの?」

 すると芹香は、また寂しそうに顔を伏せて、

(浮気も何も… 私とあの人は、ただのお友だちなんですから…)

 と、自分に言い聞かせるように言った。

「ね、姉さん。わかるように話してよ。
 浩之が姉さんを振ったとでも言うの?」

 芹香はしばらく黙っていたが、やがて耐えられなくなったように、

(浩之さんには…私よりももっと大切な人がいるんです! それだけのことです!)

 と、一気に口にした。
 そして両手で顔を覆う。

「姉さん!? ちょっと!
 泣いてたってわかんないわよ!
 何がどうしたのか、ちゃんと話してちょうだい!」

 しばらく肩を震わせていた芹香は、やがて、張り詰めていた糸が切れたように、普段にもましてぼ
んやりとした感じになった。
 そして綾香が食い下がるごとに、ぽつりぽつりと口を開いていった…

 校門でぶつかった浩之…
 落とした本を届けてくれた浩之…
 占いをしてあげたこと…
 中庭でおしゃべりしたこと…
 ふたりで何度も魔法の実験をしたこと… 
 マルチが来たこと…
 マルチがいなくなったこと…
 落ち込んだ浩之を慰めようとしたこと…
 再びマルチが現れたこと…
 浩之が遠離って行ったこと…

 放心したように話す芹香の姿を見て、綾香は姉の悲しみと悩みの大きさがわかるような気がした。
 そして、さっき冗談めかして言ったことがどれだけ姉を傷つけたかと思うと、いたたまれない気持
ちになった。
 その気持ちは、メイドロボに心を奪われて姉を捨てた浩之への怒りへと向けられた。
 −−その怒りには、綾香自身の浩之に対する思いも反映されていたのだが。

「わかったわ! 姉さん、待ってて!
 あたし、これから浩之の所へ行って、ぎゅうぎゅうとっちめてやるから!
 メイドロボなんかとっとと追い出して、姉さんに謝るようにさせてやるからね!」

 綾香は美しい顔を怒りで真っ赤にすると、すぐさま飛び出そうとした。
 姉の手が、慌てたように綾香の腕を掴んだ。

(ま、待って、綾香… 浩之さんは悪くないの…)

「何言ってんのよ!
 浩之が全面的に悪いに決まってるじゃないの!?
 姉さんをこんなに苦しめるなんて!
 だから…」

(違うの。悪いのは…私。
 勇気のなかった私が…悪いの。)

「姉さん?」

(私には…勇気がなかったの。
 自分が恋をしていると認める勇気が。
 そして、好きな人に向かって好きと言える勇気が。
 だから…失うことになったの。)

「姉さん…」

(マルチさんには…その勇気があった。
 好きだと思ったら純粋に好きと言える、勇気が。
 そして、マルチさんは浩之さんに好きと言った。
 だからマルチさんは…浩之さんの傍にいられるの。)

「勇気…」

 綾香は呟いた。
 勇気がなかったのは自分も同じだ。
 浩之への恋心を認めて正面から立ち向かう勇気が、自分にはなかった。

(姉さんも、私も… 結局マルチに負けたのね… 勇気という点で。)

 綾香の怒りは急速に萎えていった。


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