The Days of Multi第二部第3章 投稿者:DOM
The Days of Multi
第2部 Days at Laboratory
☆第3章 マルチの脱出 (マルチ2才)



「しゅ、主任!?」

「ん? どうしたね、木原君。
 そんなに慌てて…
 また悪い夢でも見たのかね?」

 自分の事を棚に上げて長瀬が言うと、

「ち、違うんです!
 聞いてください!」

 木原は林田の一件を長瀬に話した。

「…………」

 長瀬は黙って立っていた。
 端から見ているとただぼんやりしているようだが、こういう時の主任は、実はものすごい勢いで考
えを巡らしているのだ。

「…よし。」

 主任! ぜひそのすばらしいお考えを…!

「…ちょっと、散歩に行って来るわ。」

「は?」

 木原は気が抜けたような声を出す。

「あ、すぐ帰って来るからね。」

 長瀬は手をひらひらさせながら出て行った。
 木原は呆然とその後ろ姿を見送った。

 …もしかして… 本当にぼんやりしてただけなんじゃ?



「どういうことだね?
 マルチは、ぴんぴんしているそうじゃないか?」

 来栖川会長は不機嫌な声を出す。

「それはあり得ません。
 確かに我々全員で確認を…」

 調査員は心外そうだ。

「それは替え玉だということだぞ?」

「まさか!? そんなばかな…」

「ともかく、ただちに調べるんだ!
 自宅の可能性もあるが、研究所の見込みが強いそうだ。
 どちらも、隅から隅まで調べろ。
 ほかにも可能性のある場所があれば、そちらもな。」

「かしこまりました。」

「今度失敗したら… 次はないからな。」

「承知しております…」



 長瀬はのほほーんという感じで、研究所の外に出た。
 この男がこういう状態なのは年中なので、だれも気に止めない。

 長瀬は、研究所を出た所にあるテレフォンボックスに入った。
 研究所内の電話を使うと、記録に残る恐れがあるからだ。
 記憶を確認しながら、番号を押す。

 ピッ ポッ ピッ …

 トゥルルルルル… トゥルルルルル…

 カチャッ

「もしもし?」

「もしもし。
 来栖川綾香さんですか?」

「? そうですけど?
 どちらさまですか?」

「今、そこに、おひとりですか?」

「そうだけど… あんただれ?」

 綾香の声に警戒の響きが混じる。

「…研究所の長瀬です。」 

「! 長瀬さん!?
 ごめんなさい、電話だと声が違って聞こえて…」

「お嬢さん、よく聞いてください。
 とても重大なことなんです。」

 長瀬が、普段の調子からはとても考えられないような、真剣な声で言う。

「…何です?」

 綾香の声も真剣味を帯びる。

「マルチを助けてください。」

「…マルチ?
 …でも、マルチは…」

「死んではいません。
 生きています。」

「…………」

 一瞬の沈黙の後。

「な、なあんですってえーっ!?」

 綾香の大声が、長瀬の耳に響き渡った。



「あう…」

 思わず受話器を遠ざける長瀬。

「どういうこと!?
 ちゃんと説明してよ!?」

「死んだマルチは替え玉です。
 本物のマルチは生きています。研究所の中で。」

「替え…玉?」

 綾香の信じられないような声。

「ところが、本物のマルチのことが外部にもれたらしく、
 今すぐマルチを逃がさないと、今度こそ殺されます。
 文字どおり、今すぐでないと。」

「…わかったわ。
 あたしは何をすればいいの?」

「ともかくマルチを匿ってください。
 後の事は、おいおい考えましょう。」

「いいわ。」

「今すぐ、研究所の近くまでおいでになれますか?」

「あたしはあいにく動けないんだけど…
 ちょうどセバスがいるから、大至急行かせるわ。」

「…会長にもれませんか?」

「あんた、自分の父親が信用できないの?」

「…いや… いろいろありましてね。」

「あたしも姉さんも、浩之やマルチとしょっちゅう会ってたんだけど、
 セバスは協力してくれたのよ。
 うちの『くそじじい』にばれたら、
 セバスと言えど、クビになるかも知れないのにね。
 これで信用できる?」

「…わかりました。
 それでは、研究所から西へ500メートルのところに公園があります。
 今からマルチをそこへ向かわせますので、
 父と落ち合うようにお願いします。」

「西へ500メートルの公園…ね?
 わかったわ。」

「それから、マルチは人目につかないよう、身を隠していると思います。
 公園内をくまなく探すよう、念のためお伝え願います。」

「了解。」

「なお、私への連絡は、研究所も自宅もいっさいご無用に願います。
 必要な時は、この携帯へ直接お電話しますので。」

「OK。」

「ではこれで。
 くれぐれもマルチをよろしく。」

「任せといて。」

 カチャッ

(ふう…)

 血の気は多いが、頭のよさそうなお嬢様だ。きっとうまくやってくれるだろう。
 それに、他の方法では間に合わない。
 長瀬は、ボックスを出ると、再びのほほーんとした感じで歩き出した。



「…じゃ、頼んだわよ、セバス。
 本当はあたしも行きたいんだけど。」

「存じております。お任せください。
 不肖セバスチャン、命に代えても、その…
 からくり人形を連れて参ります。」

「マルチ…よ。
 名前ぐらい覚えてね。」

「かしこまりました。
 それでは、これよりただちに。」

 セバスのリムジンは、猛スピードで走り出した。

(あたしも行ってやりたいんだけど…)

 何せ、これからお見合いなのだ… 綾香自身の。



「マールチーっ。
 ちょっと、お使い頼まれてくれるかな?」

「お使いですか?
 はい。参ります。」

「うん。行き先は…
 ここの公園。」

 主任がなぐり書きの地図を示す。

「しゅ、主任!?
 気でも狂ったんですか?
 マルチを外へ出したりしたら…」

「中にいるより、ずっと安全だと思うんだけどなあ…」

「そんな…」

 木原を初めとするスタッフたちが抗議する。
 因みに、まだスタッフの三分の一くらいしか出勤していない。

「いいかい、マルチ?
 そこに着いたら、ほかの人に見つからないように、
 そーっと隠れてるんだよ。
 わかるね?」

 長瀬はスタッフの反論も知らぬげに、悠々とマルチに指示を与える。

「公園についたら、隠れるんですね?
 わかりました。」

「そのうち、おまえに会いに来る人がいるから…
 その人の名前は、セバスチャン。」

 それを聞いたスタッフたちがずっこける。

「しゅにーん!?
 マジですか、その名前?」

「その人の顔は…」

 父親の写真など持ち合わせているはずのない親孝行な長瀬は、どうやって容貌を説明しようかと思
案したが、実にわかりやすい方法があることに気がついた… 少々忌ま忌ましい気もするが。

「…私によく似ている。
 だが、私より年を食っている。
 つまり、私によく似た顔のおじいさんだ。」

 やっぱり忌ま忌ましい。

「主任によく似た顔のおじいさんですね?」

 マルチ、それだけはくり返さないでくれ。

「そう。その人について行きなさい。
 あとは、その人のお友だちが、どうしたらいいか教えてくれるから、
 その通りにするんだ。」

「わかりました。」

「よし。
 それじゃ、これからマルチがどうするのか、
 初めから話してごらん。」

「はい。
 私はこれから、地図に従って公園に行きます。
 公園についたら、そこで隠れます。
 セバスチャンという、『主任によく似た顔のおじいさん』が来るのを待ちます。」

 …マルチ、今、気になる所だけ強く言わなかったか?
 気のせいだろうなあ?

「その『主任によく似た顔のおじいさん』について行きます。」

 ほら、また。
 …だれか、リハビリの合間にギャグも教えたのか?

「後は、その『主任によく似た顔のおじいさん』のお友だちの、
 おっしゃる通りにします。」

 三度も続くと意図的としか思えないが…?

「うん… よくできたね。」

 まあ、ほめてやろう。
 間違いはない。



「…何か、本来のマルチより、
 今の方がしっかりしているような…」

「…俺もそんな気がする。」

 スタッフたちの呟きをよそに、マルチが手を差し出す。

「では、主任。
 その地図をください。」

「それがね、これはあげられないんだよ。
 マルチはこれをよく見て、覚えて行きなさい。」

(万が一、マルチが連中につかまって、この地図が見つかったら…
 親父はともかく、綾香お嬢様にまでとばっちりがかかるかも知れない。)

 本当に長瀬は親孝行だ。

「地図を覚えて行くんですね?
 わかりました。」

 マルチはじっと紙片を見つめ、

「覚えました。」

 と言った。

「主任、大丈夫ですかね?
 だって、マルチって迷子の名人…」

 そうだな。一本道でも必ず迷うという特技もあったし。

 長瀬はマルチに一枚の紙と鉛筆を渡した。

「マルチ。
 ちゃんと覚えたかどうか、確かめるからね。
 これに、さっきの地図と同じものを描いてごらん。」

「はい。」

 マルチはさらさらと地図を描く。
 長瀬は二枚の地図を見比べる。

「うむ。…完璧だ。」

「…やっぱり、今のマルチの方が、
 断然しっかりしているような…」

「…俺もそんな気がする。」

 またしてもスタッフのささやき。



「さてと…」

 長瀬は、マルチに彼女のノートパソコンを渡す。

「これはマルチの大事なものだから。
 わかってるね?
 なくすんじゃないよ。」

「はい。」

「それじゃ行っておいで。
 気をつけてな。」

「はい。行ってきます。」

「…あ、そうだ。マルチ。」

 長瀬は、ほんのついでといった軽い感じで声をかける。

「はい?」

「さっきのセバスチャンという人に会うことが大切なんだけど…
 もしも、もしも、ずーっと待ってても、
 どうしても、その人に会えなかったりしたら…」

「?」

「その時は、ここへ帰って来てはいけない… 絶対に。
 もし帰って来たら… きっとおまえは殺される。」

 いつの間にか長瀬は真顔になっていた。
 スタッフが全員息を飲む。

「帰って来ては…いけない…ですか?」 

 マルチが長瀬を見つめながら言う。

「そうだ。」

「どこへ行けば…いいんですか?」

 心なしか、マルチの顔に寂しそうな表情が見えるような…

「…マルチ。」

 長瀬は辛そうに呟く。

「おまえは私たちの娘だ。
 だから、私たちはよく知っているのだが…
 おまえは自分で思っているよりも、もっとずっと賢い娘なんだよ。
 だから、その時は…
 セバスチャンに会えなかった時は…
 自分で考えるんだ。工夫するんだ。
 できるだけ、ひとりで生きていけるようにね。
 そして、おまえがおまえであることを、だれにも知られないように。
 それがどうしても無理だったら…
 おまえが、この人なら絶対信用できる、と思ったその人にだけ、
 おまえの事を話しなさい。」

「私の…事…?」

「おまえがマルチだということだよ。」

「私が…マルチだと…いうこと?」

 長瀬ははっとした。
 この子は、自分がだれかわからないんだった。

 長瀬が絶句しているうちに、マルチは次の質問に移った。

「それで、絶対信用できる人というのは…」

 マルチは首をかしげる。

「主任の事ですか?」

「…マルチ…」

 長瀬の声が震える。

「…スタッフの…皆さんの事ですか?」

「マルチ!」

「マルチちゃん!」

 スタッフたちの涙声。

 長瀬はマルチに微笑みかけた。

「…そうだな。そういうことだ。
 そしてな、マルチ。
 この建物の外にも、私たちのように、
 おまえが信用できる人が、きっといるはずだ。
 ただし、悪い人たちもいっぱいいる。
 そういう人に捕まると、おまえは殺される。
 だから、よくよく気をつけなさい。
 おまえは賢い娘だから、きっと大丈夫だろう。」

「…………」

「さ、あまり遅くなるといけない。
 早く行きなさい。
 …ただし、慌てて走ったりはしない方がいいな。
 転ぶといけないからね。
 普通に歩いて行きなさい。」

 下手に急いで、怪しまれては困る。

「はい。」

 マルチは言うと、

「行って来ます。」

「ああ… 行っておいで。」

 さりげない…長瀬の言葉。



 マルチはドアのノブに手をかけながら、もう一度振り向いて、

「また… 会えますよね?」

「ん?」

「私… また… 会えますよね?
 …皆さんに。」

 一瞬の沈黙。

「ああ、もちろんさ。
 その時まで元気でな、マルチ。」

 長瀬が微笑む。

「マルチ! また会おうぜ!」

「マルチちゃん! 元気でね!」

「待ってるからな、マルチ!」

「今度会う時までに、おまえに合う下着用意しておくから…」

「やっぱりおまえは変態か!?」

「いてて、冗談だってば…」

 スタッフたちの泣き笑い。

「皆さん…」

 マルチはドアを開けた。

「きっと、また、いつか…」

 マルチは出て行った。



 先日マルチの破壊にやって来た調査員たちは、今日は20人ばかりに数が増えていた。

「自宅の方は手配したな?」

「はい。三人で家捜ししているはずです。」

「…しかし、あの時のメイドロボが替え玉だったなんて、本当ですかねえ?
 皆で厳重にチェックしたはずなんですが。」

「それに、あれを壊す時の、あの三人の形相ったら…
 凄まじかったですよねえ?
 あれが演技だとしたら…
 あいつら俳優かなんかで、立派に食っていけますよ。」

「…ま、我々としては、
 今回のタレコミがデマであってくれた方が、ありがたいわけだ。
 我々の失点にならなくてすむからな。
 しかし…」

 リーダー格の男は厳しい顔をする。

「もしあれが替え玉だったのなら…
 今度こそ、本物を見つけ出さなければならん。
 そうでなければ…われわれの破滅だ。」

 男たちは皆押し黙った。



 研究所の入り口にいた警備員は、一体のメイドロボが鞄をたずさえてこちらへ来るのを見た。
 別に急ぐ風でもなく、普通に歩いて来る。
 一目でマルチタイプとわかる。
 どうやら外へ出ようとしているらしい。

「お嬢ちゃん、ちょっと。」

 メイドロボとはいえ、余りにも可愛らしい容姿なので、つい優しい言葉使いになる。

「はい。何ですか?」

 小首をかしげる動作も可愛い。
 これでにっこり笑ってくれると、言うことないんだが…
 まあ、無理だよな、メイドロボじゃ。

「どこか行くのかい?」

「はい。お使いです。」

「そうか。偉いね。
 …ごめんよ、決まりだからね。
 ここから出る人は、みんなおじさんが調べなくちゃいけないんだ」

「はい。どうぞ。」

 男はいい加減にメイドロボの体に触れると、「OK」と言った。
 こういう場所では、外から入って来る人間には厳重なチェックを行うが、『中から出て行く』人間
には甘いのだ。
 それに、いかに相手がメイドロボで、しかも子供の体型とはいえ、女の子である。
 あまり念入りに探り回すのは、「アブナイおじさん」みたいで嫌だ。
 …実際、マルチタイプの購入者の中には、その手の趣味の連中もかなりいるのではないか、と巷の
噂である。

「もう、行ってもいいですか?」

「ああ、ご苦労さん。」

 メイドロボは歩きかける。

「…あ、ちょっと。」

「はい?」

 振り返るメイドロボ。

「ごめんな。
 …その、手に持ってる物は何かな?」

「これですか?
 ノートパソコンです。」

「…悪いけど、ちょっとそれ、立ち上げてくれるかな。」

 まさかと思うが、機密ファイルをコンピューターで外へ持ち出す…ってのも…

「はい。」

 メイドロボは、パソコンを広げると、電源を入れた。



「うん… うん… そうか、了解」

 無線で連絡を取っていた男は、先方の報告を聞き終わると、リーダー格の男に言った。

「自宅の方ですが…
 やはり、めぼしい収穫はありませんでした。」

「そうか。確かだろうな?」

「…はい。
 地下10メートルに埋まっている、というのでもない限り、
 間違いないそうです。」

「…………」

 笑えないギャグだ。
 俺の回りには、その手のセンスがないやつばっかりだな。

「ということは、」

 俺は結論をくだす。

「本命はやはり、研究所、というわけか。」



 警備員はメイドロボのパソコンを少し念入りに調べた。
 内部構造の疑問も、怪しいファイルもないようだ。

「ありがとう。
 すまないね、何度も引き止めて。」

「いいえ。お仕事ご苦労さまです。」

「はは、君は優しい子だねえ。
 じゃあ、外は危ないからね、気をつけて行くんだよ。」

 ねぎらいの言葉をかけられたせいか、つい、こっちも必要以上に優しくなってしまう。

「はい。ありがとうございます。」

 …えっ?
 笑った?

 もう一度よく見ようとした時には、メイドロボはもう背を向けて歩き出していた。

 今、確かに…

 メイドロボも笑えないことはないのだが、いかにもぎごちない機械の微笑といった感じで、あまり
積極的に見たい代物ではない。
 だが、今の子は… もっと自然な笑みを浮かべていたような…
 そう… たとえて言えば、内気な女の子が、はにかみながら、でも一生懸命笑いかけようとしたよ
うな…微かではあるが、極めて人間らしい微笑みだった気がする…

 しかし、男は、一瞬後に、自分の考えを一笑に付した。
 そんな馬鹿な。だってメイドロボなんだぜ…



 メイドロボが出て行くのと入れ違いのようなタイミングで、20人ばかりの男の一団がずかずかと
入って来た。
 かなり強面の男たちだ。暴力団でもなさそうだが…
 まっ、仕事は仕事、どんな相手でもやるべきことはやらなければ…

「失礼ですが、決まりですので、チェックを…」

 先頭の男が、無造作に身分証を突きつける。

「! …し、失礼致しました!」

 思わず両方の靴の踵をチャッと鳴らし、軍隊式の最敬礼までしてしまう。
 会長子飼いの調査員たちだったのだ。
 もっとも、名前は「調査員」だが、やっていることはかなりヤバいことまで含まれる…とか。
 この連中のボディチェックを強行したりした日には…
 家族で路頭に迷う羽目になりかねない。

「会長の承認の下に、この研究所の出入りを一時差し止める…
 協力してくれるな?」

 先頭の男が、有無を言わさぬ威圧感をこめて言う。

「も、もちろんであります!!」

「よろしい。
 …我々の指示があるまで、ここから誰も出してはいけない。
 誰も入れてはいけない。
 …猫の子一匹な。」

「はい!」

「実にシンプルな命令だ。
 これ以上簡単な命令はないくらいのな。
 そうだな?」

「はい!」

「よろしい。
 それほど簡単で、実行しやすい命令なのだから…」

「…………」

「万が一失敗したら…
 わかるな?(ニヤリ)」

「…………(ゴクリ)」

「では、よろしく頼むぞ。」

(…俺も人の事は言えないな。やはりユーモアのセンスには欠けているようだ。)



 調査員たちが奥に進もうとする。
 警備員は、いつの間にか全身に吹き出ていた汗に今さらながら気がついて、ふうーっと大きく息を
吐く。

「…そうだ。念のため聞いておくが…」

 調査員のリーダーが振り返る。
 再び警備員の体に走る緊張。

「我々が来るまでに研究所から出て行ったメイドロボは、いなかったろうな?」

 まだ朝も早い時間だ。それほどの出入りは…

「は、現在までにこの出入り口から出て行ったメイドロボは、
 一体だけであります!」

「一体? マルチタイプか?」

「そうであります!」

「で、そいつはいつ戻って来た?」

「いえ、まだであります!
 …ほんの、ついさっき、出て行ったばかりですので、
 もう少ししないと帰らないと思うのであります!」

「ついさっき…」

 リーダーは思案しているようだ。
 そして、部下のうちの、ふたりを呼んだ。
 はっ、とリーダーに近づくふたり。

「…まさかとは思うが、念には念を入れた方がいい。
 そのメイドロボを探せ。
 まだ遠くには行くまい。
 『チェック』をして、該当しなかったら、すぐに戻って来い。
 そのメイドロボを連れ戻す必要はない。」

 そう指示してから、念のために、

「もちろん該当する場合は、ここへ連れて来い。
 逃がしたりしたら容赦はせんぞ…
 よし、行け。」

 ふたりは、はっ! と低い声で返事をして、研究所を飛び出した。



 残りの調査員たちは、広い研究所の中を効率良く調べ上げ、すべてのマルチタイプをホールに集め
た。
 マルチタイプは全部で30体。それぞれのマスターに付き添われている。
 ホールには、長瀬たち開発部のメンバーも集められていた。
 ただし、出勤状況はまだ半分くらい。他の部署にくらべると、大分成績が悪そうだ。

「これで全部か?」

「は、チェック致しました。
 マルチタイプは全部揃っています。」

「どこかに隠れている可能性は?」

「皆無です。」

「よろしい。」

 今、研究所内にいるマルチタイプはこれで全部。
 ということは…
 例のHMX−12がもし健在だとすれば、間違いなくこの中にいるわけだ。



 それでは、早速調べるとするか。

「よろしい。
 それでは、各マルチタイプのマスター諸君。
 これより会長のご意向に則って、マルチタイプの検査を行う。
 諸君の協力を請う次第である。」

 ここにいるマスターたちは、皆ここの所員である。
 「会長のご意向」に逆らえるはずがない。

「…まず、マルチタイプは、こちらに来て、
 横に10人ずつ、3列に並ぶこと。」

 言われた通りマスターたちが指示を出すと、マルチタイプはきれいな3列横隊を作った。

 こりゃ、ちょっと手を加えりゃ、立派な軍隊になるんじゃないか?
 …危ない発想だな。

「次に、マスター諸君はこのあたりで、
 一固まりになってくれたまえ。」

 マスターたちの集団ができる。

「よろしい。それでは…
 マスター諸君は、今より一斉に、それぞれのマルチタイプに命令をくだして、
 身につけているものすべてを脱いで、裸になるようにさせてくれたまえ。」

 マスターたちがきょとんとする。
 続いて、一斉に抗議の声。

「何でそんな必要が!?」

「他にも検査のしようがあるでしょう!?」

 ブー、ブー…

「言われた通りにしてくれ。」

「どうしてです?
 どうしてもマルチタイプの体を調べる必要があるのなら、
 一体ずつ、別室で行なえばいいじゃあありませんか?
 何もこんな、衆人環視の中で一斉にしなくても…」

 そうだ、そうだ、という声が上がる。

 マルチタイプのマスターには、それぞれ自分のメイドロボに思い入れがあるらしく、妹か娘のよう
に感じているらしい。
 自分のかわいい妹や娘が、大勢の男たちの目の前で裸体をさらすのは、先日長瀬たちが感じたよう
に、この上なく無念なことだろう。
 リーダーは皆の抗議に耳を貸す様子もなく、平然と、

「時間がない。
 一体一体別々に調べていたりしたら、日が暮れてしまう。
 我々としては、この研究所の業務に差し障りのないよう、
 できるだけ早く作業を終わらせたいのだ。」

 もっともらしいことを言う。

 再びブーイング…

「ああ、待ってくれ。
 大勢で一度に言われてもよくわからない。
 意見があるなら、ひとりずつ手を挙げて言ってくれたまえ。」

「はい! 俺…!」

 ひとりの若い所員が手を挙げる。

「俺は…!」

「意見を言う前に、所属と名前を教えてくれないか?」

「所属と…名前?
 一体何のために?」

「自分の発言に責任を持つのは、民主主義の根本だろう?
 会長のご意向に関する君の意見をしっかり受け止めて、
 所属と名前を添えて、会長ご自身にご報告申し上げる。
 もし君の意見が認めてもらえれば、出世のチャンスだぞ?」

「…………」

「というわけで、君の所属と名前を教えてほしいのだが?」

「…………」

「おや? どうした?
 意見がないのかな?
 …では他の諸君。
 意見のある者は、所属と名前を告げた上で、
 どんどん遠慮なく発表してもらいたい。」

 明らかな脅しだ。
 だれも発言できなくなる。

「…そうか。
 異論がないようなので、全員納得していただいたものとみなす。
 それでは改めてお願いする。
 ここにいるマルチタイプ全員に命令をくだして、
 身につけているものをすべて脱がせてくれ。」

「…………」

 マスターたちは黙っている。

「…ちっ。」

 リーダーは舌打ちすると、部下の方を向いて言った。

「おい、マスターの皆さんのリストは整っているな?」

 部下のひとりが、はいっ、と応える。

「よし。そのリストをファックスで会長にお送りしろ。
 メモをつけてな。
 その内容は…
 この方々が、会長のご意向に反対意見を表明し、
 そのため調査が進みませんが、いかがとりはからいましょうか、…というものだ。
 わかったな?
 わかったら、急いでやって来い。」

 その部下が、はっ、と言って出て行こうとする。
 リーダーは畳みかけるように言葉を継ぐ。

「まさかそんなことはないと思うが、
 もし万が一、この中の誰かが会長の逆鱗に触れ、
 クビにでもなるようなことがあれば、
 …ここのメイドロボの所有権自体は会社にあるから、
 マスターと言えど、二度と自分の愛するメイドロボに会えなくなる訳だ。
 そのメイドロボは、さぞ悲しむだろうな。
 いや、それとも新しいマスターに仕えられることを喜ぶか?
 …ははは、俺も馬鹿なことを言っているな、
 所詮、メイドロボに感情などないのに。」

 言うことを聞かなければ自分のメイドロボと離れ離れになる、ということがマスターたちにとって
決定的だったらしい。
 マスターのひとりが、

「ううっ! …ユイ!
 ふ、服を脱いで、…裸になってくれ! 頼む!」

 涙声で命令した… いや、頼んだ。
 すると、その声に応じて、一体のメイドロボが、しずしずと服を脱ぎ始めた。
 感情がないので、恥じらうこともないのだ。
 マスターの方が、よっぽど苦しそうである。

「ヒロミ! …おまえも…裸になってくれ!」

「マイ! …す、すまん…
 服を脱いでくれ… 着ているもの、全部…
 うう… と、『父さん』を赦してくれえ!」

 口々に自分のメイドロボに呼びかけ始めた。
 皆泣きそうな声である。
 詫びを入れている者もある。



 …こうして、結局、すべてのマルチタイプが服を脱いだ。
 同じ顔、同じ裸体の30人の少女がきちんと並んでいる様は…何となく異様だった。
 そして、何心なく立ち続けているメイドロボの静寂と、
 苦渋にうめき続けるマスターたちの対比も、やはり異様だった。


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自分で投稿するようになって初めて気がつきましたが、読者の皆様の感想って気になるものですね。
いや、ほめていただこうなどとは思っておりません。
ともかく、「やめとけ」とか「GO HOME !」とか「俺のマルチをよくもぉぉぉ!!」とか
(『マルチ』のところに、芹香、綾香、あかり…などの名前を入れてくださっても結構です。)
そういった反応だけを恐れています。


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