The Days of Multi<セリオ編>第一部第6章パート2 投稿者:DOM
The Days of Multi <セリオ編>
第1部 Days with Hiroyuki
☆第6章 幸せと不幸せ (マルチ生後7ヶ月) Part 2 of 2



 芹香は数日後退院し、自宅療養をすることになった。
 帰ってみると、芹香の部屋からは、魔法関係のアイテムが一切取り除かれていた。
 孫娘が魔法の実験で危うく命を落としそうになったことを知った会長が、今後一切の魔法活動を禁
じる旨申し渡し、そうした品々も処分させたのである。

 もちろん、学校での研究会活動もやめさせられ、部室は封鎖された。
 …後日、この「開かずの間」から夜な夜なうめき声が聞こえるだの、ひとりでこの部屋の前を通り
かかるといきなり扉が開いて中へ引き込まれるだの、さまざまな怪しい噂が流れるようになったとい
う。



 魔法のアイテムが、年頃の娘の部屋に相応しい調度に置き換えられた自室で、芹香はぼんやりと
ベッドに横たわっていた。
 綾香がかたわらで声をかける。

「姉さん。
 ひさしぶりの家はどう?
 やっぱり落ち着くでしょ?」

 芹香は返事をしない。

「のど渇かない?
 …果物でももらおうか?」

 やはり返事がない。

「今夜は姉さんの退院祝いだから、
 父さんたちも、夕食に間に合うように帰って来るって。
 よかったわね?」

 …沈黙。



 医者の話では、芹香は肉体的には何の問題もなく、数日自宅療養をして体力が回復すれば元通りの
生活ができる、ということであった。
 家族一同(セバスチャン含む)、それを聞いて大いに胸をなでおろしたものだが…
 病院から帰って来た芹香は、まるで抜け殻のようになっていて、だれが話しかけても返事をしない。
 わざと無視している風でもなく、ただ、心ここにあらず、という状態が続いているようだ。



「綾香お嬢様。」

 廊下で行き会った執事が会釈をする。

「…セバス。
 姉さんの事で、何か心当たりはない?」

「心当たり…と申されますと?」

「あんたも知ってるでしょ?
 姉さん、春先は結構明るい顔をしていたのに、
 急に元気をなくして、
 誰とも口を聞かなくなったと思ったら、
 あんなことになって… 
 何かあったんじゃない?
 あんた、毎日姉さんの送り迎えをしてたんでしょ?
 姉さんがあんなに落ち込んだ原因、見当がつかないの?」

「それは…」

 セバスチャンが困ったような顔をする。
 綾香の目が光る。

「知ってるのね?
 姉さんがあんなになった理由。」

「いえ、正確に存じ上げているわけでは…
 ただ、もしかしたらこういうことが原因なのでは、
 という憶測に過ぎませんので…」

「浩之のこと?
 …姉さんと同じ学校に通っている、藤田浩之。」

 執事の体がぴくりと反応する。

「やっぱりそうなのね?
 一体何があったの?
 教えてちょうだい。」

「いえ、ですから…
 ただの憶測でございまして…」

 困惑するセバスチャンを、綾香はさらに問い詰めていった…



「今日はどうする?
 また、エアホッケーの勝負をするか?」

 まだセリオに勝ったためしのない浩之が誘う。

「−−申し訳ありませんが、
 今日は早く帰って来るように言われておりますので。」

「何でも、大事なチェックがあるそうなんですぅ。」

 セリオとマルチの言葉に、ちょっと残念そうな顔をする浩之。
 あかりは、今日は志保につかまって、買い物につき合わされている。

 三人が話しながら、学校帰りの坂道を降りかけたとき。
 黒いリムジンがすべるように近づいて来たかと思うと、浩之たちの行く手を遮るかのように前で止
まった。

「?」

 浩之は、しばらく顔を合わせていない芹香を迎えに来た車かと思ったが、ドアが開いて降りて来た
のは…

「…綾香?」

 綾香は腕を組んで、浩之の前に立ちはだかった。
 いつもの、人を小馬鹿にするような笑みはなく、鋭い目で睨みつけている。

「−−綾香お嬢様。
 おひさしぶりです。」

 セリオがお辞儀をする。

「綾香さん? …綾香お嬢様ですか!?
 は、初めまして!
 私、メイドロボの来栖川… あれ?
 く、来栖川のメイドロボ、マルチですぅ。」

 マルチは慌てている。

 …綾香はふたりの挨拶を完全に無視した。

「浩之… 楽しそうね?」

「え?」

「お人形遊びが…そんなに楽しい?
 男のくせに、変ね。」

「? 何のことだ?」

「そこのふたりのお人形よ。
 …確かに人間そっくりだけど…
 人形は、人形じゃない?」

 浩之は不機嫌な顔になる。

「何だよ?
 からかってるのか?
 俺はともかく、マルチやセリオを悪く言うと、承知しないぞ。」

「承知しないって?
 あたしと戦うとでも?」

「…おまえ、けんかを売りに来たのか?」

「そんなつもりはないわよ。
 ただ、噂に高い『メカフェチ』の浩之さんが、
 お人形に囲まれて鼻の下を伸ばしている様子を見に来ただけ。
 …もっとも、そっちからけんかを売ろうっていうのなら、
 いつでも買いますけど?」

 険悪なムードに、マルチはおろおろし始めた。
 一方、セリオは急いで格闘技データをダウンロードした。
 万一の場合、浩之を守るためだ。
 一般人による襲撃なら、セリオ固有の能力で十分対処できるのだが、エクストリームの女王が相手
では、そう簡単にはいかない。

「浩之。いい加減に目をさましなさい。
 もうお人形遊びはやめることね。
 今日限り、そのふたりから手を引くのよ。」

「やなこった。
 おまえの指図は受けない。」

 綾香の目がすっと細くなる。
 今度はメイドロボに向かって語りかける。

「マルチも、セリオも、浩之に近づくのはやめなさい。
 所詮あんたたちはメイドロボ。先が見えてるわ。
 ほどほどにしておくことね。
 …それでもまだ、浩之の周りをうろつくようなら、
 あたしがこの手でスクラップにしてあげる。」

「よせ!」

 浩之がたまりかねたように声を荒らげる。

「こいつらを脅かして、どうするつもりだ!?
 …俺がいるうちは、おまえにゃ指一本触れさせねえぞ!」

「言ったわね…」

 不意に、綾香が風になった。

 猛然と浩之に襲いかかる風を、払い除けたたおやかな腕は…セリオだ。

「セリオ!?
 よせ、危ないから引っ込んでろ!」

「−−いいえ。
 綾香お嬢様は、エクストリームのチャンピオンです。
 まともに戦えば、浩之さんが無事ではすみません。
 私は格闘技データをダウンロードしましたので、お嬢様と互角に戦えます。
 この場はお任せください。」

「格闘技データ…?」

「はっ、さすがはお人形ね!
 そんな『ずる』をしなくちゃ勝てないの!?
 …何のデータだろうと、持ち出すがいいわ!
 そんなものに負けたりしないからね!」

「−−お嬢様といえど、
 浩之さんに危害を加えさせるわけにはいきません。」

「上等よ… てぃっ!」

「−−はっ!」

 綾香とセリオの戦いが始まった。
 ふたりとも、優美な舞いを思わせるような動きに恐るべき破壊力を秘めて、渡り合っている。

「お嬢様!」

 ふたりの力量が五分五分と見たセバスチャンは、綾香に加勢しようと飛び出す。

「おっと、そうはさせるか!」

 浩之がセバスチャンの前に立ちはだかる。

「うぬ、小僧、邪魔するな!」

 浩之とセバスチャンも戦いを始めた。

「ふええええええん、やめてくださあああああい!」

 マルチは泣きながら皆をなだめようとするが、誰も聞く耳を持っていない。



 …息詰まる戦いがどれくらい続いた後だろう。
 綾香の突きをかわしたセリオの足もとが崩れた。
 小石に足をとられたらしい。

(−−しまった…!)

 この状況で体勢を崩すのは命取りだ。
 もちろん、綾香が見のがすはずもない。
 はっとした時にはすでに、綾香のすらりとした足がセリオの目の前に迫っていた。

 次の瞬間、セリオの体が地面に転がる。
 とっさに受け身をしながら、セリオはいぶかしく思った。
 あの蹴りをまともにくらって、この程度の衝撃ですむはずがないのだ…

 ふと見ると、地面にもうひとりの人物が倒れている。
 浩之だ。
 苦し気に右肩のあたりを押さえている。

「−−浩之さん!?」

 セリオは瞬時に理解した。
 浩之が自分をかばって突き飛ばし、自ら綾香の蹴りを受けたのだと。

「−−ひ、浩之さん!?
 しっかりしてください! 浩之さん!」

 慌てて取りすがるセリオは、日頃の冷静さをすっかり失って取り乱している。

「浩之さあん!」

 マルチも駆け寄って来る。涙をぼろぼろこぼしている。
 綾香とセバスチャンは、思わぬ事の成りゆきに、呆然としている。

 セリオが顔をしかめた。
 浩之は鎖骨が折れているようだ。肩の関節も損傷を受けているらしい。
 セリオは、キッと綾香を睨みつける。

「−−何て事をなさるんですか!?
 浩之さんに怪我をさせて、どういうおつもりです!?」

 思いがけぬメイドロボの非難に、思わず身をすくめる綾香。

「かーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!
 からくり人形の分際で、お嬢様をなじるとは!
 身の程知らずもたいがいにせい!」

 セバスチャン得意の一喝も、切れた(?)セリオには効き目がない。

「−−お嬢様も浩之さんが好きなのでしょう!?
 なのに、どうしてこんなことをなさるのです!?」

 口にしてはならぬことを言ってしまう。

「え!? えええ!?
 な、な、何を…
 ばかなこと言わないで!
 あたしがどうして、こんなメカフェチの変態を…」

 顔を赤くして否定する綾香。

「−−浩之さんに好意を寄せる女性については、調べがついています。」

 やや冷静さを取り戻したセリオ。

「な、な…」

 わなわなと震えながら一瞬言葉を失う綾香。
 だが、すぐに反撃に転じる。

「何言ってんの!?
 そういうあんたこそ、浩之に首ったけのくせに!」

 今度はセリオが焦る番だ。

「−−わ、私は…
 私には感情がありませんから…」

「感情がない?
 たった今、あんなにむきになって怒っていたくせに、
 何が感情がないよ!?」

「−−お…こって…いた…?」

 セリオには自覚がなかったようだ。

「ふん! 今さら取りすましてもだめよ!
 本当は、浩之が好きで好きでたまらないんでしょう!?
 しらばくれても、顔に書いてあるわよ!
 …でも、おあいにく様ね。あんたもマルチもメイドロボ。
 どんなに浩之が好きでも、結婚するわけにはいかないわ。
 そのうち浩之にいい人が見つかって、あんたたちはお払い箱よ。
 そんなみじめな思いをする前に、さっさと諦めた方が身のためでしょう?
 あたしが言いたかったのはそれだけよ!
 …セバス! 帰るわよ!」

「ははっ、かしこまりました。」



 リムジンが遠離って行く。
 セリオとマルチは、綾香の最後の言葉に呆然としていた。

(そのうち浩之にいい人が見つかって、あんたたちはお払い箱よ。)

 お払い箱…
 浩之と会えなくなる…
 浩之の傍にいられなくなる…

 マルチもセリオも、今まで「浩之との将来」を考えたことがなかった。
 メイドロボの思考は、基本的に現在の事を重視するようにできているのだ。
 だから、ふたりとも、できればいつまでも今のような状態が続いてくれればよい、程度にしか考え
ていなかったのである。
 だが、改めて指摘されてみると、確かに、自分たちが浩之と結婚するわけにはいかないし、いつま
でも今まで通りではいられない。
 差し当たって、運用試験が終われば、今度こそ長い眠りにつく可能性が大きいし…

 ふたりのメイドロボを我に返らせたのは、浩之のうめき声だった。

「−−浩之さん!?
 マルチさん、ともかく浩之さんを病院へお連れしましょう。」

「は、はい!」



 セリオは浩之を背負って歩き出し、先に坂道を駆け降りたマルチがタクシーを拾って、浩之を病院
に運んだ。
 全治一ヶ月の怪我。
 ただし入院の必要はなく、学校へも行ってよいとのことだった。
 そのかわり、ギブスをはめられ、右腕が全く使えない状態だ。

 予定時間に帰れなくなったセリオは、病院から長瀬に電話して事情を説明した。
 すると、間もなく長瀬本人が病院に駆けつけて来た。

「君が藤田君だね?
 娘たちがいつもお世話になっているそうで、ありがとう。」

「あ、ども…
 マルチとセリオの『お父さん』ですか?」

 ふたりとも、直接顔を会わせるのは初めてだ。

「−−お父さん。
 お願いがあります。」

「ん? 何だね?」

「−−浩之さんは、右手がご不自由です。
 これでは、おひとりで生活なさることは大変ですので…
 よろしければ、お傍でお世話させていただきたいのですが。」

「そうですぅ。
 私も、浩之さんのお力になりたいですぅ。」

「そうか。…いいだろう。
 しばらく、藤田君のお手伝いをさせてもらいなさい。」

「い、いっスよ。
 そんなたいそうな怪我じゃないし…」

「ともあれ、着替えとか食事の準備とかするには不自由だろう?
 まあ、メイドロボの家事能力を試すチャンスでもあるし、
 こちらとしてもお願いしたいのだが、どうかな?」

「はあ…」

 長瀬は最初からそのつもりだったらしく、病院の駐車場に止めてあった来栖川研究所のバンの中に
は、ふたりのメンテナンスキットその他の荷物が積んであった…



 セリオとマルチは、浩之宅に荷物を運び込むと、着替えを手伝ったり、食事の世話をしたり、遠慮
する浩之の顔や手足を熱いタオルで拭いたり、ベッドを整えたりした。
 浩之が床に就くと、マルチとセリオは、とりあえずリビングに置かれてあるメンテナンスキットで、
充電の準備を始めた。

「…セリオさん?」

「−−何ですか、マルチさん?」

「綾香さんのおっしゃったこと、どう思います?」

「−−どう、と言いますと?」

「私たち… いつまで浩之さんのお傍にいられるんでしょう?」

 マルチも、セリオが浩之に好意を寄せていることは、うすうす感づいていた。
 しかし、別に焼きもちを焼くこともなく、むしろふたりして浩之の傍にいられたら幸せだ、と思っ
ている。
 セリオも同じようなものだ。

「−−マルチさん。」

 セリオが淡々と答える。

「−−先のことは、私にもわかりません。
 浩之さんにもわからないでしょう。
 …ただ、少なくとも浩之さんのお傍にいられる間は、
 精一杯お世話をさせていただきたい…
 と、そう思っているだけです。」

「…そうですね。
 先のことは、わかりませんものね。」

 マルチもうなずくと、左手にケーブルをつなぎ始めた。



 ピンポーン

「浩之ちゃーん。朝だよーっ。
 まだ寝てるのーっ?
 いい加減に起きないと遅刻…」

 ガチャッ…

 あかりの目の前で藤田家のドアが開く。

「あ、あれ?
 マルチちゃん? セリオさんも?」

「−−お早うございます、あかりさん。」

「お早うございますぅ。
 今日もいいお天気ですねぇ。」

「ど、どうしたの、ふたりとも?」

「…よう、あかりか。学校行こうぜ。」

「ひ、浩之ちゃん!? 起きてたの?」

 あかりは思わず空を見上げる。

「またそれか?
 雨も雪も降りそうにないぜ?」

「…え? …ああ! ごめんなさい!」

 あかりが身を小さくする。

「あれ? ど、どうしたの?
 怪我でもしたの?」

 浩之のギブスに気がついて、うろたえるあかり。

「ああ、ちょっとな…」



「ふーん、それでマルチちゃんたちが…」

 浩之は、学校帰りに派手に転んで骨折し、マルチとセリオのふたりが家事能力のチェックも兼ねて、
しばらく浩之の世話をすることになった、と説明した。

「そうだったの。
 …私も、『できるだけ』お手伝いに行くからね。」

 そう言ったあかりは、それから『毎日』藤田家を訪れては、ふたりのメイドロボと一緒になって料
理や洗濯や掃除をし、浩之の世話を焼くのであった。


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