The Days of Multi<セリオ編>第一部第3章 投稿者:DOM
The Days of Multi <セリオ編>
第1部 Days with Hiroyuki
☆第3章 セリオの恋 (マルチ生後4ヶ月)



「はあ、ふう、はあ、ふう…」

 寺女の校門近く。
 駆け詰めに駆けて来た浩之は、大きく喘ぎながらも、ある期待をもって登校風景を見守っていた。

 別にいやらしい目的でそうしていたのではない。
 実のところ、セリオのことが気になって、ゆうべよく眠れなかったのだ。
 仕方なく、朝も早くから学校へ行く支度をしていたときに、ふと、今から急げばセリオの登校時に
会えるかも知れない、と思いついた。
 そう考えると、矢も盾もたまらなくなって、あかりを置き去りに走って来たというわけだ。

 会ってどうしようというあてはなかった。
 ただ、無性に会いたくなった、それだけである。



「はあ、はあ、はあ…」

 大分呼吸が楽になった。
 かつてサッカーで鍛えていた頃は、このくらいの距離走っても、そう答えなかったように思うが…
 このところ運動らしい運動をしていないせいか、ちょっと疲れた。
 それでも、目的の人物(?)だけは見のがすまいと、懸命に目を注いでいると、

 ぽん

 と、いきなり後ろから肩を叩かれた。

「うわっ!?」

 前にばかり注意を向けていた浩之は飛び上がった。

「あ、あら、ごめんなさい。
 そんなに驚くとは思わなかったもんだから…」

 振り向くと、長い黒髪の美少女が立っていた。

「ええと、確か…
 綾香、だったよな?」

 以前に会ったことがある。
 来栖川先輩の妹だったっけ、と浩之は記憶を呼び覚ましていた。

「あら、いきなり呼び捨て?
 …まあ、いいわ。その方がこっちも気が楽だし。
 その代わり、あたしもあんたのこと、浩之って呼ばせてもらうわよ。」

 …「あたし」だの「あんた」だの、ほんとにこいつは来栖川のご令嬢なのか?



「…ところで、こんな時間にこんな所で、何やってんの?」

 綾香の問いに正直に答えるわけにはいかない。
 言葉に詰まっていると、綾香は悪戯っぽい笑いを浮かべた。

「女子校の前で、制服の少女たちを食い入るように眺める、他校の男子生徒か…
 挙動不審の典型例ね。
 もてないひがみを純真無垢な少女に向ける、欲望にぎらついたその目…」

 言いたい放題言ってくれるじゃないか。

「…なーんてね。
 さては、うちの学校に、お目当ての彼女がいるんでしょ?」

 ぎくっ

「…あら、当たった?
 やだ、ほんの冗談だったのに。」

 呆れたような口調に、にやにや笑い。

「てっきり姉さんが本命だと思っていたんだけどなぁ…」

(実はあたしだったりして… んなわけないか… とすると?)

「ねえ、誰を待っているの?
 もう教室に入った後かもよ。
 何なら呼んで来てあげようか?」

「い、いいよ…」

 これでは、とても落ち着いてセリオと話すことはできないだろう。
 身を翻して歩き出そうとした浩之の視線の端に、ちらりと緋色の影が見えたような気がした。
 はっとして足を止める。
 よく見ると、確かにセリオだ。
 しかし、綾香が見ている前でセリオに声をかけるのもためらわれるし…と浩之が二の足を踏んでい
ると、

「−−浩之さん?」

 セリオの方が浩之を見つけてしまった。
 こちらへ歩いて来る。

(どうしよう…)

 今さらながら焦る浩之。

 …何を言えばいいんだ?
 俺はここへ来てどうするつもりだったんだ?…

「−−お早うございます、浩之さん。
 昨日はどうもありがとうございました…」

 言いかけて、セリオはようやく、浩之の傍に綾香が立っていることに気がついた。
 はっとした顔をするセリオ。

(−−どうして、こんな近くに来るまで、お嬢様に気がつかなかったんだろう?)

 セリオにしては珍しいことだ。
 それだけ浩之に気を取られていたらしい。

 ほんのわずかの時間、浩之と綾香を見比べたセリオは、

「−−すみません。
 お邪魔致しました。」

 と、一礼して、校門に向かおうとする。

「お、お邪魔って…
 セリオ! 誤解よ、誤解!」

 セリオの遠慮の意味を瞬時に理解して、なぜかむきになる綾香。

「そ、そうだ、誤解だよ!
 俺は、おまえに会いに来たんだ!」

 思わず本音をもらす浩之。

「−−え?」

「え?」

 セリオと綾香が、同時に浩之の顔を見る。

(う! …し、しまった…)

 しばしの沈黙。
 やがて、セリオが口を開く。

「−−私に何かご用ですか?
 …マルチさんのことで、何かご相談でも?」

 浩之が自分に用事があるとすれば、それくらいしか思いつかない。

「あ、えーと、その… まあ、要するに、何だ…
 そんな…とこかな…」

「−−それはつまり、
 マルチさんのことでお話があるということでしょうか?」

 浩之の、理解しがたい返事に対し、セリオがそう言って確認を求める。

「あ、ああ… そ、そうなんだ。
 それで、よかったら一度、ゆっくり話をしたいと思ってさ。」

 セリオとゆっくり話したいというのは本当の気持ちだ。

「−−それでしたら、マルチさんもご一緒の方がよろしいのではありませんか?
 昨日のようにバス停のところで落ち合って…」

「い、いや、
 …セリオにだけ、話を聞いてほしいんだよ。」

 浩之は慌ててそう言った。

「−−私にだけ、ですか?」

「ああ、そうだ。
 …セリオにだけ。」

 浩之は、精一杯の思いを込めて、その言葉をくり返した。
 セリオの澄んだ瞳が浩之を見つめる。
 浩之も、真剣な面もちで見つめかえす。
 綾香は、何だかよくわからない、といった顔をしてふたりを見ている。



「−−ところで、浩之さん?」

 セリオがふと気がついたように、腕時計に目を落としながら聞いた。

「−−もうそろそろ始業時間なのですが…
 浩之さんの学校も、同じくらいに始まるのでは?
 こんな所にいらっしゃって、よろしいのですか?」

「…ああ、いいんだ。」

「−−しかし…」

「遅刻は覚悟の上だから。」

 家を出たときから、そう思っていた。
 遅刻してもいいから、セリオに会いたいと。

 再びセリオの瞳が浩之を見つめる。
 美しい瞳。
 吸い込まれそうな気がする…

「−−わかりました。」

 セリオが口を開く。

「−−遅刻しても構わないくらい重大なお話でしたら、
 私もおつき合いするのが順当と思われます。
 …綾香お嬢様。
 誠に恐れ入りますが、
 セリオは点検整備の必要があって、今日は遅れて来ると、
 学校にお伝え願いますでしょうか?」

「へ?」

「−−ぜひお願い致します。」

 セリオが深々と頭を下げる。

「え、あ、わ、わかった。いいわよ。
 だから、もう頭を上げてちょうだい。」

 綾香が慌ててそう言うと、

「−−申し訳ありません。」

 セリオはそう言ってから、浩之に向き直って、

「−−では、浩之さん。
 どこでお話し致しましょうか?」

「え? う、うーんと…
 まあ、歩きながら考えようぜ。
 こんなところに突っ立ってたら、人目についてしょうがないからな。」

 セリオを促して歩き出しながら、

「じゃ、綾香。またな。」

「−−綾香お嬢様。
 お手数おかけしますが、よろしくお願い致します。」

 浩之の軽い挨拶に、セリオの丁寧なおじぎ。

「う、うん… またね。」

 どちらにともなく綾香の返事。

(しっかし… メイドロボが「仮病」を使ってずる休みなんて…)

 ある意味、優秀すぎるのかも。

(それはそうと… マルチのことで大事な話があるって言ってたわね?)

 マルチとは確か、セリオと同じ期間、浩之の学校で運用試験をしている、もうひとつの試作型メイ
ドロボのはずだ。

(マルチのことって、何?)

 あんなに真剣な顔で相談って…

(…まさか、浩之、そのメイドロボに心を奪われて!?)

 写真でしか見たことがないが、笑顔の似合う可愛い娘だった。
 人間そっくりの表情が印象的な。
 …人間そっくりの。

(あれだけ人間そっくりなら… 浩之が好きになっちゃうってことも…あり得るわよね。
 ど、どうしよう、姉さん?)

 姉への心配に、自分の心配も無意識にまじえる綾香だった。



 浩之は、セリオを伴い、無言で歩き続けた。
 セリオも沈黙したままである。
 セリオは平気かも知れないが、浩之には何となく気詰まりな状態だ。

(どこで…何を話せばいいだろう?)

 そんなことを考えながら歩いているうちに…
 特に意識していたわけではないが、気がつくと、浩之の家の近く、公園の前に来ていた。

「…そうだな。
 ここで話すとするか?」

「−−はい。」

 浩之はベンチに腰をおろした。
 セリオは浩之に向かって立っている。

「? …座れよ。」

「−−いえ、私は、ここで結構です。
 どうぞ、お話しください。」

「これじゃ主人と召使いみたいで、話しづらいじゃないか。」

「−−私はメイドロボですから、それでよろしいのです。」

「…ちっともよかぁないぜ。」

 浩之は少しむっとした表情を見せる。

「俺たちはそんなんじゃなくて…
 その… 『友だち』じゃないか。」

 浩之は、とりあえず当たり障りのない表現を用いることにした。

「−−友だち…ですか?」

 セリオが小首をかしげる。
 いつも大人びた態度のセリオが、ほんの一瞬あどけない少女のように見えた。

「そうだよ。
 おまえもマルチも、俺の大事な友だちだ。
 だから、遠慮なく座りなよ。
 友だち同志の話がしたいんだ。」

「−−……………」

 セリオはしばらく考え込んだが、やがて、

「−−わかりました。
 それでは、お言葉に甘えることに致します。」

 ようやく浩之の隣に腰をおろしたのである。



(浩之ちゃん… どうしちゃったの?)

 あかりは、一向に姿を見せない浩之を案じていた。
 もう昼休憩だというのに…
 ふと窓の外に目をやると、ベンチにぼーっと腰をおろしている人影が見えた。

(来栖川先輩はあそこにいる…ということは…)

 浩之は、芹香に会いに行ったわけではないようだ。
 少し安心する。

(でも、それじゃ… 一体どこへ?)

 再び心配になるあかりであった。



 浩之は、あのまま公園でセリオと話し続けていた。
 マルチのことで相談があると言った手前、最初のうちはHMX−12の感情プログラムのことや体
の構造などを聞いていたのだが、やがて話題はセリオ自身のことに移っていった。
 浩之が時々曖昧な言葉遣いをすると、セリオはいちいちその内容を確認した上で返事をする。
 その律儀さが微笑ましく思われる。
 どうにも答えようのないような質問をすると、考え込みながら、それでも何とか浩之の求める答え
を口にしようとする。
 その懸命さは、マルチの健気さにも通じるものがある。
 それこれやで、浩之はついつい話し込んでしまった。

 そのうちに、

 ぐうー…

 唐突に浩之のおなかが鳴った。
 狼狽する浩之。
 しかし、セリオは、

「−−申し訳ありません。
 すっかりお時間をとってしまいまして。
 もうそろそろお昼です。
 おなかがおすきでしょう?」

 言われて時計を見ると、確かにもう12時前だ。
 それにしても、セリオに謝られる筋合いはない。

「何言ってんだよ。
 誘ったのは俺の方じゃないか。
 セリオが謝ることなんかないんだ。
 謝らなきゃなんないのは、こっちだぜ。」

「−−ですが…」

「ほらほら。
 さっきも言ったろう?
 友だちなんだぜ。
 妙な遠慮はいらないさ。」

「−−はい。」

「…さてと、どこかで腹ごしらえしなくちゃな。」

「−−浩之さんのお宅は、ここから遠いのですか?」

「え? いや、もうすぐそこだけど?」

「−−お家には、お母様がおいでですか?」

「いや。両親とも共働きで、家にいないことの方が多いな。」

「−−そうですか…
 それでは、ご迷惑でなければ、
 私がお昼ごはんの用意をさせていただきたいと思いますが、いかがでしょう?」

「え? セリオ、料理できるの?」

「−−はい。一通りは。」

「本当? …じゃ、お願いしようかな。」

 セリオの手料理を食べてみたい。
 そう思った浩之は、ベンチから立ち上がった。



「うまい!」

 …浩之の希望を聞いたセリオに、「和食っぽければ何でもいい。」といとも大雑把な答えを返した
ところ、ろくな材料もなかったはずなのに、セリオは立派な昼食を用意してくれた。
 一口食べた瞬間の、お世辞抜きの感想がこれだ。

「−−そうですか?
 よかったです。」

 セリオは例によって、淡々と答える。

「セリオって料理がうまいんだな。
 …マルチも、やっぱり上手なのか?」

「−−…………」

 ん? と浩之は、セリオの沈黙の意味を考えてしまった。

「−−そう言えば、
 マルチさんのことで大事なご相談があるとかおっしゃいましたが、
 どういった内容でしょう?」

 何だかはぐらかされたような気がするが…
 しかし、そう言ってセリオを連れ出したのは確かだし、答えないわけにはいかない。

「うん。…その…」

 セリオは、あの静かに澄んだ瞳で、浩之を見つめている。

「実は… マルチって、人間と同じ心を持ってるって聞いたけど、
 それってつまり、人を好きになることもできる、ってこと?」

 これはセリオが予測していた範囲内の質問だ。
 浩之がマルチを好きになって、そのことの相談を持ちかけようとしているのだ、と最初から見当を
つけていたのである。

「−−はい。人間と同じ、恋愛感情を持っています。」

 だから、よどみなく答えることができる。

(−−そして、浩之さんのことが大好きなんですよ…)

 セリオが、そう浩之に教えてやろうとした瞬間、

「それじゃ、セリオは?」

 という質問を投げかけられた。
 一瞬虚をつかれた格好になったセリオは、

「−−え?」

 と妙に人間くさい返事をしてしまう。

「だから、セリオは、人を好きになったりできるのか?」

「−−…………」

 なぜか即答をためらうセリオ。
 だが、答えはひとつしかない…はずだ。

「−−私はマルチさんと違って、感情というものがありません。
 ですから、人を好きだとか嫌いだとか、感じることもありません。」

 浩之はショックを受けたようだ。

「…嘘…だろ?」

 朝から話し込んで、ある程度打ち解けて、セリオが幾分かは自分に「好意」を寄せてくれたものと
思っていたのに。

「−−本当です。」

 セリオは静かに答える。

「…………」

「−−それで、マルチさんがどうかしましたか?」

 セリオは本題(とセリオが思い込んでいるもの)に戻ろうとする。

「マルチのことは後だ。
 それよりも…」

 どことなく傷ついた様子の浩之は、低い声を出す。

「それじゃ、セリオは、
 俺とゲーセンで勝負したり、朝からいろいろ話したりしたことも、
 別に楽しくはなかったってことか?」

「−−『楽しい』ということがどういうことか、理解できませんので。」

「…………」

 浩之は黙り込んだ。
 セリオは、自分の言葉が浩之を不快にさせたことを察したが、それがなぜなのかはわからなかった。



「…じゃあ、セリオは…」

 浩之は、なお一縷の望みをかけて口を開く。

「…相手が俺でなくても、ゲーセンに誘われたら、そいつについて行くのか?
 俺でなくても、マルチのことで話があると言われたら、
 やっぱり学校をさぼってそいつと話をするのか?」

「−−…………」

 セリオは返事ができなかった。
 浩之が見ると−−いつもと変わらない表情のはずなのだが−−何となく、戸惑っているように感じ
られる。

(−−もしも、相手が浩之さんでなかったら…)

 セリオは、質問の内容を反復していた。

(…私は、バスの時間を遅らせてまで、エアホッケーにつき合っただろうか?
 もしも、浩之さんでなかったら、学校を休んでまで、お話を伺おうと思っただろうか?)

 自分の行動は、大事な運用試験中にメイドロボのやるべきこととかけ離れているのでは…?
 浩之に指摘されて、初めてそのことに気がついたのだ。
 セリオは返事ができない。
 自分でも自分の行動を説明できないからだ。

「…どうなんだ?
 相手が俺でなくても、よかったのか?」

 浩之がたたみかける。

「−−…よく…わかりません…」

 セリオが絞り出すような声で言う。
 セリオのこんな声は、浩之もむろん初めて耳にするが、セリオ自身も今まで発した覚えがない。

「わからない?」

「−−はい。…自分の行動が…自分でもよく分析できないのです。」

 それは、常に説明可能な行動を取るべきメイドロボにとって、戸惑い以外の何ものでもなかった。

「−−ですが… 多分…」

「多分?」

「−−多分… もし浩之さんでなかったら…」

 セリオは、そんな曖昧な言葉遣いしかできないことを、メイドロボとしてふさわしくないことだ、
と思いながら続けた。

「−−…ついて行かなかった…と思います。
 昨日も、今日も…」

 今のセリオには、そこまで言うのが精一杯だった。

「そ、そうか…
 俺でなかったら、ついて行かなかったか…?」

 しかし、メイドロボにあるまじき歯切れの悪い返事を聞いた浩之は、なぜか機嫌を直したらしい。

「そうか、そうか。
 …なら、いいんだよ。」

 セリオは、人のご機嫌を取るためにお世辞を言うようなタイプではない。
 彼女の言葉を額面通りに受け取るならば、浩之はセリオにとって「特別」な存在ということになる。
 それはやはり、自分に対する「好意」の表れではないか?
 セリオ自身は意識していないのかも知れないが…

「−−よろしいのですか?」

 曖昧な答え方だったのに、それが浩之の気に入ったことが理解できないながら、セリオはとりあえ
ずほっとした。

「−−ところで、マルチさんがどうかなさったのですか?」

 落ち着いたところで、再びそう切り出すセリオであった…



 いつものバス停。
 向こうから緑色の髪の少女が歩いて来る。

「あ! 浩之さん!」

 少女は、バス停にたたずむ人影に気がつくと、満面の笑みを浮かべて、一目散に駆け出した。

「あ、マルチ。
 あんまり急ぐと転ぶ…」

 ぽてっ

(…遅かったか。)

 浩之はマルチの傍に駆け寄る。

「大丈夫か、マルチ?」

「あううー…
 は、はい。大丈夫ですぅ。」

 鼻の頭を押さえながらも、健気に答えるマルチ。
 両目には涙がにじんでいるというのに…

(やっぱり、ほっとけない奴だな。)

 何となく、今日一日マルチの世話をしてやれなかったことを後ろめたく思った浩之は、

「どうだ、マルチ。
 今日もエアホッケーするか?」

 そう声をかけた。
 マルチは、顔を輝かせながらセリオの方を見る。

「−−私の方は構いません。」

「そ、それじゃ…
 ぜひお願いします!」

 妙に力が入るマルチ。
 勝負に燃えているのだろうか?

「よし。行こうぜ。」

 ふたりを促してゲーセンに向かう浩之だった。



 長瀬は、自分の前に横たわるセリオに目をやりながら、考え込んでいた。
 今日一日のデータを点検整理する際に、なぜか娘は、長瀬ひとりでその作業を行なってほしいと頼
んで来たのだ。
 ひとりでできないわけではないが、セリオの行動の評価等のため、いつも複数で行うのが普通の作
業である。
 いぶかしそうな顔をした長瀬に、セリオはそっと事情を説明し…希望をかなえてもらったわけだ。
 ほかのスタッフには、寺女のある生徒に関するプライバシーを見聞したらしいので、と断わってお
いた。
 そして、長瀬ひとり、セリオの今日一日のデータをレビューしながら、娘の言った通りの内容であ
ることを確認し…改めて驚いていたのである。



 モニターに、寺女付近の光景が映る。
 校門が近づく。
 モニターの端に、小さな人影。
 と思った途端、いきなりその人影が画面の中央に現れた。
 つまり、セリオがその人物を認識した途端、大急ぎでそちらに目をやったということである。

 人影はふたり。
 いずれも長瀬の知っている人物だ。直接の面識はないが。
 藤田浩之と来栖川綾香。
 映像(綾香の場合は写真も)で何度も目にしている。

 長瀬は最初、セリオが綾香を注視しているものと思った。
 が、よく見ると、画面の中央に位置しているのは、綾香でなく浩之である。
 セリオが浩之に昨日の礼を言いかけ、そこで急に画面が動き、綾香が中央に来た。
 ここで初めて綾香の存在に気がついたらしい。
 会長からわざわざ綾香の監視を依頼されているにもかかわらず、である。

 しばらく画面中央を、浩之と綾香が行ったり来たりした後、

「−−すみません。
 お邪魔致しました。」

 というセリオの声。
 同時に画面が動き、校門が中央に来る。
 続いて綾香と浩之の制止の声がする…

 公園で隣に座るように促す浩之。
 「友だちだから」と言っている。
 マルチのこと、セリオのこと、学校のことを聞いたり話したりする浩之。
 その間、モニターは(つまりセリオの目は)ほとんど終始浩之の顔を映し出している。

 浩之宅での台所風景。
 手際よく料理していくセリオの手が映る。
 料理に箸をつけた浩之。
 「うまい!」と一言…



「?」

 長瀬は怪訝そうにモニターを見つめた。
 浩之がセリオの料理をほめたその瞬間の画像に、プロテクトがかかっている。
 むろん、セリオがかけたのに違いない。



 マルチも料理がうまいのか、と浩之が聞く。
 続いて、いぶかしげに見つめる浩之の顔。
(セリオの沈黙の意味を理解した長瀬は苦笑した。)

 そして…浩之の重要な質問。
 「相手が俺でなくてもよかったのか?」との問いに、画面が再三揺れる。
 セリオが落ち着きを失って、視線をさまよわせているのだ。
 そして、ふだんのセリオからはとても想像がつかない、自信のなさそうな返事…



 …長瀬が高速で画面を送りながら、要所要所を通常時間で再生し、やっと一部始終を見終わった頃
には、夜も遅くなっていた。

「…………」

 今日のデータを見る限り、結論は一つしかない。
 しかし、それはあり得ないことのはずだった。

「セリオは… この藤田君のことを…」

 まさか、と思いながら、それ以外には考えられない、というもうひとりの自分の声に耳を傾ける長
瀬であった。


−−−−−−−−−−−−

「実はセリオにも心がある」という設定は、あちこちのSSで見受けます。
だから浩之を好きになれる、と。

私はセリオの恋心を、機械と人間の相性の延長として考えました。
もちろん、セリオはただの機械ではなく、本来感情を持たないものの、自我はありますから、
ただ相性がいいということにとどまらず、やはり人格を持ったものとしての反応−−浩之を慕う思い、
という形で現れるでしょう。
また、傍にいるマルチの反応を見ながら、
「嬉しい」「悲しい」「幸せだ」という状況を認識していくうちに、
もともとはなかったはずの感情がゆっくり育っていくのではないか、
そんなことを思いつつ、この分岐を書きました。


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