The Days of Multi<セリオ編>第一部第2章 投稿者:DOM
The Days of Multi <セリオ編>
第1部 Days with Hiroyuki
☆第2章 セリオとの出会い (マルチ生後4ヶ月)



 本編第一部第1章で”B.セリオが気になる。”を選択した場合の続きです。

−−−−−−−−−−−−



 セリオとマルチが姿を消すと、翁は長瀬に真剣な顔を向けた。

「さて、長瀬君。
 君には是非ともやってもらいたいことがあるのだが…」

「どういったことでしょう?」

「HMX−12に、その藤田という男のことを監視させてほしい。
 …いや、監視というほどのものでなくてもいい。
 ともかく、その男が孫に近づかないようにしてくれればよい。
 必要なら、HMX−12に藤田を誘惑させても構わん。
 …あれはすでに、藤田に対してある程度好意を抱いているようだから、
 拒んだりはすまい。」

「…それでは、
 運用試験における有意義なデータ回収ができなくなる可能性がありますが…」

 長瀬の控えめな抗議。

「セリオタイプはともかく、
 学習型のマルチタイプについては、
 たかだか8日間の試験で有意義な結果が得られるはずはない、
 と主張していたのは、君ではなかったのかね?」

「…………」

「このままでは、試験の結果がどうあれ、
 少なくともマルチタイプは、世に出ることはあるまいと思われるが…?」



 その通りだ。
 すでに、来栖川エレクトロニクスの経営陣の大方は、セリオタイプ単独発売に傾いている。
 長期の稼動によって初めてその真価を発揮するマルチタイプの長所など、8日間という極めて短期
の運用試験で理解されるはずがない。
 今回の試験は、セリオの優秀性のみを強調する結果になり、経営陣の方針を確固たるものにするこ
とを、長瀬は試験の前から予想していた。



「…………」

「しかし、スペックを落として廉価型にすれば、
 十分販路は確保できるとの意見もある。
 君が協力してくれれば、わしからもその線で後押しすることを約束しよう。」

「…一つ、お願いがありますが…」

「何だね?」

「マルチとセリオ…HMX−12と13のことですが…
 すべてが順調に運びました後、
 その身の振り方については、私の裁量に任せる、とお約束いただきたいのです。」

「メイドロボの『身の振り方』かね?
 まるで実の娘を心配するようだな?
 具体的にはどうしようと考えているのかね?」

「当初の方針では、試験が終わった後は、
 データをとってから、匡体を保存することになっておりますが…
 私としては、いったん保存手続きをとった後、
 適当な時期に目覚めさせて、
 この研究所で働いてもらいたい、と思っております。」

「なるほど。
 …よかろう、約束しよう。
 では、今の話、よろしく頼んだよ。」

「承知致しました。…」



 長瀬主任は、充電中のマルチを見つめていた。
 愛らしい娘が安らかに眠っている、としか言いようのない姿である。

「さて、今度のこと…
 おまえにとって、吉と出るか、凶と出るか…」

 長瀬は頭をかいた。

「やれやれ… 頭の痛い話だ。」



 長瀬は次いで、別室にセリオを訪ねた。
 セリオは、充電の準備をしかけて、何か考え込んでいるようだ。

「セリオ。どうかしたのか?」

「−−あ、主任…
 いえ、別に何でもありません。
 …それより、何かご用ですか?」

「うん、いや…
 セリオがどうやって、綾香お嬢様と藤田君のことを知ったのか、気になってね。」

「−−それは…」

 セリオは口ごもる。

「やれやれ。
 …マルチもセリオも、私のかわいい娘なんだよ。
 どうしても言いたくなければ、無理に聞き出すつもりはないけど、
 おまえたちが学校に行っている間、どうしているかと、
 これでも結構心配しているんだ。
 おまえが何か危ないことでもしたんじゃないかと、気になるんだよ。」

 セリオはしばらく口をつぐんでいたが、

「−−ご心配かけて申し訳ありません。実は…」



 …高校での運用試験の初日、屋上にひとりたたずむ綾香の後ろ姿を認めたセリオは、早速データを
ダウンロードして、探偵に早変わりした。
 開発部のスタッフに大のミステリーマニアがいて、その影響をもろに受けたセリオも、探偵趣味が
あるのだ。

 彼女は、気がつかれないようにできるだけ近づくと、聴力を最高にした。
 マルチの聴覚が人間と大差ないのに比べ、セリオのそれは、人間の数倍の敏感さにまで高めること
ができるのだ。
 そのセリオの耳に聞こえてきた綾香のつぶやきは…

(ひろゆき…か… はぁ…)



 綾香の通う寺女は、もちろん女子校だ。
 「ひろゆき」というのは、学校外の人間に違いない(念のため、男性教師に該当者がいないことは
確かめた)。
 しかし、それ以上の手がかりはない。
 どうやって調べようか…と思案しながら帰途についたセリオに、格好の情報提供者が現れた。
 マルチである。

 同じく運用試験の初日を終えて、バス停でセリオと落ち合ったマルチは、楽しそうにその日の出来
事を話し出した。
 その中に、「藤田浩之」という名前が出て来たのである。

 もちろん、単に名前が同じ「ひろゆき」であるからといって、綾香の想い人と断定することはでき
ない。
 だが、とセリオは考えた。
 マルチの通う学校には、綾香の姉の芹香も通っている。
 芹香の関係で、藤田浩之と綾香が知り合う可能性がないとは言えない…



 翌日、ちょうど四時限目が休講になったのを幸い、セリオはそっと学校を抜け出した。
 その前に、演劇部の部室に忍び込んで、長髪のかつらとサングラスを拝借した。
 セリオのトレードマークとも言うべき、美しい緋色の髪と瞳を隠すためである。
 もちろん、センサーもさっさとはずしてしまった。

 ほとんど人間との区別のためにのみセンサーを付けているマルチと違い、セリオの場合はセンサー
をはずすと、かなり機能が制限されてしまう。
 しかし、それさえ覚悟しておけば、自分でセンサーを取るのに心理的な抵抗などは感じなくてすむ
のだ。

 マルチの通う学校に着いたセリオは、人目につかないように気をつけながら、かつらとサングラス
を着用した。
 そして、昼休憩になるのを待って、校門の近くを通る女生徒のひとりに声をかけ、「長岡志保」を
呼び出してもらった。
 マルチの話に出て来た、浩之の友人で、かなりの情報通という女性だ。

「あんた、誰?
 あたしに何か用?」

 間もなく出て来た志保は、寺女の制服にサングラスをかけた妙な相手に、胡散腐そうな目を向けた。

「−−長岡志保さんですね?
 すみません、こんな格好で。
 学校を抜け出して来たものですから、顔を人に見られたくないのです。
 実は、この学校で最も信頼のおける、最新の情報を提供してくださるのが、
 長岡さんだとお聞きしたもので…」

 とたんに相好を崩す志保。
 日頃、浩之にさんざんガセだのデマだの言われているせいだろう。

「あたしに聞きたいことがあるっての?
 いいわよ、何でも聞いてちょうだい。」

 胸を張る志保。
 こうなると、相手の素性などどうでもいいらしい。

「−−実は、サッカー部の佐藤雅史さんのことなんですが…」

 賢いセリオは、いきなり浩之の話を持ち出したりしない。
 サッカー部のエースで、かなり甘いマスクの佐藤雅史は、近隣の高校にも有名なのだ。
 もちろん、寺女の生徒の間にも、かなりのファンがいて、セリオは初日からその名を耳にしていた。
 その雅史が浩之の親友であることをマルチから聞いていたので、雅史の関係でさりげなく浩之のこ
とを聞き出そうとしたのだ。

「ああ、雅史ね。
 あいつは、あたしの友だちで…」

 志保にしてみれば、他校の生徒から雅史のことを聞かれるのは初めてではないので、疑うことなく、
得意そうに話し出した。
 セリオの思惑通りである。
 志保は、雅史の人となりから始めて、部活の様子やそのモテモテぶり、しかし、まだ決まったガー
ルフレンドがいないことなどを、しゃべりづめにしゃべった。

「−−長岡さんは、佐藤さんのお友だちということですが…
 佐藤さんには、ほかにもお友だちがおいでですか?」

 話が雅史の交友関係に及んだところで、セリオがそっと水を向ける。

「雅史の友だち?
 …神岸あかりって幼馴染みがいるけど、
 雅史とは何でもないから気にしないでいいわよ。
 あかりは、やっぱり雅史の友だちで、藤田浩之って男に首ったけなんだから。」

 とうとう浩之の名が出てきた。

「−−その、藤田浩之という方も、雅史さんのお友だちなら、
 きっと女性の方にもてるんでしょうね?」

「ヒロが?
 あはは、あいつがもてるわけないわよ。
 とりたててハンサムでもなし、
 口も悪けりゃ目つきも悪い、どうしようもない男だもん。
 あかりがあんな奴に夢中なのが、わけわかんないくらいだわ。」

「−−そうですか?
 …でも、長岡さんは、その方のことがお好きなのでは?」

 何気なく言ってみただけだが、志保の反応は予想以上だった。

「え!? あ、あたし!?
 …じょ、じょ、冗談じゃないわよ!
 誰があんな奴なんか!
 …大体、ヒロには、
 あかりという、れっきとした恋人がいるんですからね!」

 真っ赤になって反論するあたり、いかにも怪しい。

(…なるほど。)

 感情などないセリオであるが、それでも、志保が浩之を好きなこと、しかしあかりに遠慮して言い
出せないでいることがわかった。
 見かけによらずシャイで、同時に友情に厚い面もあるようだ。

「−−ところで、その方は、
 来栖川のお嬢様とは、何かご関係が?」

 セリオは、芹香と綾香の両方にかけてそう言った。

「え? 来栖川?
 …そう言えば、あいつ、このところ来栖川先輩とやけに親しくしているって、
 あかりが心配していたわね…」

 やはりそうか。
 セリオは、自分の推測がどうやら間違っていなかったらしいと思った。
 綾香は、芹香の関係で浩之と知り合いになったに違いない…



 志保から必要な情報を聞き出したセリオは、急いで寺女に引き返した。
 変装を取って元通りセンサーをつけた彼女は、何とか五時限目の始まりに間に合った。

 その日の帰り。前日のようにバス停でマルチを待っていると…

「セリオさーん!」

 元気な声が聞こえてきた。
 もちろんマルチだ。

「−−?」

 声の方を向いたセリオは、マルチの隣に男子生徒の姿を見い出して、訝しく思った。

「あ、こちらは、藤田浩之さんといって、
 とても親切にしていただいているんですぅ。」

 セリオの不審に気がついたマルチが、そう紹介する。

(−−藤田…浩之…?)

 今日の昼、セリオがあれこれ調べた、その本人?

「マルチ?」

 浩之も、訝しそうな声を出す。

「浩之さん。
 こちらは、私と同じく、運用試験中のメイドロボで、
 セリオさんとおっしゃるんですぅ。
 とっても優秀な方なんですよぉ。」

「−−来栖川のメイドロボ、HMX−13、通称セリオです。
 よろしくお願いします。」

 やっと平静を取り戻したセリオが、型どおりの挨拶をする。

「あ、こっちこそよろしく…」

 浩之も軽く頭を下げる。
 さりげない会話の中で、セリオは、浩之が綾香と面識があることをそれとなく確認しておいた。

(とりたててハンサムでもなし、
 口も悪けりゃ目つきも悪い、どうしようもない男だもん…)

 そう志保は言っていたが…
 セリオの見るところ、確かに目つきは少し悪いが、志保にぼろかすに言われるほどひどい容貌でも
ない。
 性格もそうだ。
 何より、自分たちメイドロボに対し、普通の女の子相手のように接してくれる。
 これは珍しい存在と言うべきだろう。

(−−綾香お嬢様も、この人の自然な態度に惹かれたのだろうか…?)

 この男なら、天下の来栖川グループの令嬢に対しても、やはり普通の女の子相手と同様の接し方を
するに違いない。
 セリオはそう思った…
 


 研究所に向かうバスの中。
 マルチはしきりにセリオに話しかける。
 話の内容は、大半が浩之のことである。

「−−マルチさんは、浩之さんのことが好きなのですか?」

「え? …はい、もちろん、大好きですぅ。」

 マルチは屈託のない笑顔を見せる。

「−−いえ、そういう一般的な意味ではなくて…
 こんなとき、女の子が、男の子を好きというのは、
 恋の対象として好き、ということなのですよ。」

 セリオは、母親が娘に教えるような口調でそう言った。

「え? こ、恋!?
 あ、で、でも、私、そんな…」

 急に赤くなって慌て出したマルチを見て、セリオは思った。

(−−マルチさん、綾香さん、芹香さん、志保さん、それにあかりさんという方も…
 皆、浩之さんが好きなのですね。)

「そ、そう言うセリオさんはどうなんですかぁ?」

「−−え?」

 とっさに返答できないセリオ。

「セリオさんは、浩之さんのことが好きですか?
 それとも嫌いですか?」

「−−私はマルチさんと違って、感情がありません。
 ですから、人を好きになるとか、嫌いになるとか、
 そういったこともありません。」

「そうなんですかぁ?…」

 マルチは、今一つ納得のいかない顔をしていたが、ちょうどそのとき、ふたりの乗ったバスが来栖
川研究所前に停まったので、その話はそれきりになってしまった…



「−−…というわけなのです。」

「そうだったのか。
 …しかし、変装するためにセンサーを取るだの、学校を抜け出すだの、
 ずいぶん思いきったことをしたものだなあ…」

 そう言いながら、長瀬はさほど驚いた風もない。
 大方そんなことだろうと最初から見当をつけていたのかも知れない。

「−−勝手なことをして、すみませんでした。」

 セリオは、長瀬に叱られると思ったのか、うつむいている。

「いや、まあ、おまえのことだから、大丈夫だと思うが…
 しかし、危険な真似だけはするんじゃないよ?」

 長瀬の方は、優しく諭すような口調だ。

「−−はい。ありがとうございます。」



 長瀬が出て行くと、セリオは、再び物思いに沈んだ。

(セリオさんは、浩之さんのことが好きですか?)

 マルチの問いを反復するセリオ。

(好きって…どういうことなんだろう?)

 そもそも好きだの嫌いだのといった感情などないセリオであるが、バス停で浩之と話しているうち
に、ある不思議な「傾向」−−としか言いようのないもの−−を自らのうちに見い出して戸惑ってい
たのだ。
 それは言わば、浩之に対する、プラスの傾向。
 それまで、どんな相手に対しても感じたことのない傾向だ。

 機械というものは、本来、どんな相手に対しても、同じ反応を示すはずだ。
 しかし、実際には、オペレーターと機械との相性のようなものが、しばしば存在すると言われる。
 心のない機械に過ぎないセリオも、浩之との「相性」がよいのかも知れない。

(もし私にも、マルチさんのような心があれば…)

 浩之を好きになっていたかも知れない。たぶんそうだろう。でも自分には…

(私には…心がないから… 感情がないから…)

 浩之を「好き」にはならない。なるはずがない…と思った。

(そう。私は心のない、ロボット…)

 目を閉じて、充電を開始するセリオだった。



 翌日、学校へ行こうとするマルチに、長瀬は会長からの命令を伝えようかどうしようかと迷った挙
げ句…結局伝えなかった。

(あんなに楽しみにしていた学校生活だ…
 悔いのないように送らせてやりたい。)

 マルチとセリオが挨拶をして出て行くのに片手を上げて答えながら、長瀬はそう思った。



 放課後。
 今日もマルチの掃除を手伝った俺は、いっしょにバス停までの道をつき合うことにした。
 マルチは嬉しそうだ。

 間もなくバス停に着く。
 そこに立っていたひとりの少女がこちらを振り向いた。
 緋色の長い髪、同じ色の澄んだ瞳、そして両耳から上に伸びる銀色のセンサー。
 よく考えれば人間離れした姿のはずなのに、なぜか俺の目には、たぐい稀な美少女として映った。
 思わずどぎまぎしながら、

「あ… セリオ、だったよな?」
「−−こんにちは、浩之さん。
 またお会いしましたね。」

 いつものように、先に来ていたセリオが丁寧に頭を下げる。
 一度会っただけなのに、名前を覚えててくれたのか。
 ロボットの記憶力なら当然かも知れないが、何となく嬉しいぜ。

「…ええと、セリオ、バスの時間まであと何分ぐらいある?」

 ついそう尋ねてしまった

「−−時刻表通りですと、あと7分ほどですが…
 それが何か?」

「いや… もう少し時間があったら、
 三人でちょっと遊ぼうかと思ったんだが…」

 半分本気で言う。

「遊ぶって、何をするんですかぁ?」

 マルチが尋ねる。

「そこのゲーセンで…
 そうだな、エアホッケーでもしようかと…」

「えあほっけえ?」

 マルチが言うと、何ともとぼけた響きになる。

「−−マルチさんさえよろしければ、
 その30分後のバスで帰っても、研究所の方は問題ないと思います。」

「ほんとか?
 …どうだ、マルチ、一緒に遊ぶか?」

「はい。ご一緒したいですぅ。」

「セリオも構わないか?」

「−−はい。結構です。」



 マルチと俺のエアホッケー。
 ぺしっ、へろへろ…という、何ともたよりない音がする「激戦」の結果…俺は疲れた。

 続いてセリオと俺。

 ぱしっ!

 ひゅっ!

 …対マルチ戦とは、音の響きがまるで違う。
 マルチは、目を丸くして俺たちの応酬を見ている。

 接戦の挙げ句、あと一歩というところで、俺が遅れをとってしまった。
 …しかし、充実した試合ができて満足していたのも事実だ。

「へへっ、負けちまった。
 セリオって強いんだな。」

「−−申し訳ございません。」

「謝ることはないさ。
 …ま、この次仕返しをさせてもらうからな。
 セリオ、マルチ、またやろうぜ。」

「−−かしこまりました。」

「えあほっけえって、面白いですねー。」

 手を振りながらバスに乗り込む二人のメイドロボを見送った俺の目には、鮮やかな緋色の髪と瞳が
深く刻み込まれたような気がした。



「…セリオさん、今日は楽しかったですねー。」

 バスの中でも、初めて経験した「熱い戦い」(?)の興奮さめやらぬマルチであった。

「−−ええ。浩之さんに感謝しないといけませんね。」

 マルチよりよほど激しい動きを見せたセリオは、例によって落ち着いている。
 「楽しい」という感覚が理解できないのだ。
 にもかかわらず、今日の経験が自分にとって決してマイナスではなかった、という思いはあった。

「そうなんですぅ。
 私もいつも、ご恩返しがしたいと思っているんですけど…
 荷物を持っていただいたり、
 食堂でパンを買うのを代わっていただいたり、
 お掃除を手伝っていただいたり、
 かえってご迷惑をかけるばかりなんですよぉ。」

 すまなそうに顔を伏せるマルチ。
 その横顔を見ながら、セリオはふと、

(−−「楽しい」顔のマルチさん… 「すまなそうな」顔のマルチさん…
 私にもマルチさんのような心があったら… こんな顔をするようになるのだろうか?)

 そんなことを考えるのであった。



「ふう…」

 鞄を投げ出し、部屋のベッドに寝転がる。

「マルチに、セリオか…」

 ふたりとも、メイドロボというのが信じられないくらい、人間そっくりだ。
 特に、人間と同じ感情があるというマルチは、表情豊かだし、ちょっとドジだけど健気だし、かわ
いくてしかたがない。
 ちょうど姿形の幼さもあるため、危なっかして放っておけない妹のような感じがする。
 そしてセリオは…

 彼女のことを考えた途端、一瞬胸が締めつけられるような思いがした。
 …何だ、この気持ちは?
 昨日と今日、バス停の前でたたずんでいたセリオの姿を思い出す。
 長い髪、静かに澄んだ瞳。
 感情のない機械のはずなのに、懸命に何かを伝えようとしているかのような唇。
 もちろん、その唇から実際に出てくる言葉は、何の変哲もない挨拶だったり、当たり障りのない話
題だったりするだけなのだが。

 …どうしてこんなに気になるんだろう? マルチもセリオも…
 …そして特に…セリオのことが…



「浩之ちゃーん!」

 翌朝。
 いつもの通り、あかりの声が藤田家の玄関前に響く。

「まだ寝てるの? 遅刻しちゃうよ。
 早くしないと… あ、あれ?」

 例によって、浩之の母から預った鍵を使おうとしたあかりの目の前で、突然ドアが開いた。
 何と、すでに洗面を終え、身支度を整えた浩之が、鞄を持って立っていたのである。
 あかりは思わず空を見上げた。
 こんなことは何年に一度、あるかないかだ。

「…雨か雪でも降るってか?」

「うん。今のところ、いいお天気みたいだけど… え?
 あ、ああ! ご、ごめんなさい!」

 思わず本音で答えてしまったあかりは、浩之に睨まれて身を竦める。

「…ったく… 毎日毎日大きな声出しやがって。
 …まるで俺が、年がら年中遅刻しているみたいに思われるじゃないか?」

「…遅刻は滅多にないけど、遅刻寸前はしょっちゅうだから…」

 ぐっと浩之が言葉に詰まる。
 確かに、毎朝のあかりの声がなければ、遅刻回数が飛躍的に増えるはずだ。

「う、うるせえ。
 …それより、せっかく来てもらって悪いが、
 今日はひとりで学校へ行ってくれ。」

「え? ど、どうして?
 …具合でも悪いの?」

「違うよ。
 朝のうちに、寄っておかなきゃなんねーところがあってな。
 学校には間に合うように行くから、心配するな。」

「あ、それじゃ私も…」

「ちょっと距離があるんだ。
 用事が済んだら、学校まで全力疾走。
 おれひとりなら何とか滑り込みセーフだが、
 おまえと一緒じゃ、ふたりとも遅刻は間違いなし。
 そうだろう?」

 あかりは目を伏せる。それも図星だ。

「…んじゃ、急ぐから。」

 浩之はダッシュで、学校と反対側に向かって走り出した。

「あ、待ってよ、浩之ちゃん…」

 だが、鉄砲玉のような勢いで走る浩之には、その声は届かなかったろう。

 届かない声…
 あかりは、ふと身震いを感じた。
 自分の声が、浩之に届かなくなる、だんだんそうなっていくような気がして、不安になったのだ。

(浩之ちゃん… 用事って何なの?
 また…来栖川先輩のこと? それとも…)

 近頃、浩之が芹香と親しくしているらしいのが、気になってたまらないあかりである。

(もし、浩之ちゃんが…来栖川先輩のことを好きになったら…)

 あかりの小さな胸が再び震えた。


次へ


戻る