The Days of Multi第一部第7章パート2 投稿者:DOM
The Days of Multi
第1部 Days with Hiroyuki
☆第7章 桜舞い散る日 (マルチ1才〜2才) Part 2 of 2



 住宅街に不似合いな黒塗りのリムジンが近づいて来たとき、路上にいた人々は「霊柩車にしては早
すぎるが?」という顔をした。
 さらに近づいて止まった車は、見るからに高級そうなものだった。
 駐車場の係が近づいて、移動させようとしたところ、

「かーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」

 運転手の一喝を食らって、腰を抜かした。

「…………」

「は、申し訳ございません。
 私としたことが、つい気が立っておりまして。
 仰せの通り、ただちに係の指示に従い車を移動させますので、
 お嬢様方はどうぞお先に。」

「…………」

「じゃ、後でね。」

 車から降り立ったのは、喪服姿のふたりの少女だった。
 人々は目を見張った。
 双子かと思われるほど相貌の似通ったそのふたりは、艶やかな黒髪と整った顔立の、たぐい稀な美
少女だったのだ。
 落ち着いた感じの喪服を身につけているにもかかわらず、華やかなパーティードレスを着ているか
と思われるほど、その美貌は際立っていた。
 もっとも、ふたりの様子には浮ついたところは全く見られず、深い悲しみに耐えていることがあり
ありと見て取れた。

 ふたりが他の人々からやや離れて待っていると、先ほどの運転手が車の移動を終えて戻って来た。

「差し出がましいようですが、私もぜひお焼香をと思いまして…
 よろしゅうございますか?」

 ふたりは頷く。



 式にはまだ少し時間があるらしい。
 ふたりの後からもぼちぼち人がやって来る。
 少女のひとりが、その中に知った顔を見い出したらしい。

「長瀬さん…」

「おや、これは綾香お嬢様。
 その節は失礼致しました。」

 長瀬と呼ばれた男は、まったく身に合っていない黒いスーツを気にした様子もなく、少女−−来栖
川綾香に言葉を返した。

「いいえ、私こそ、あんなひどいことを言っておきながら…
 お詫びがまだでしたね。
 申し訳ありませんでした。
 どうか赦してください。この通りです。」

 頭を下げる綾香に、長瀬は困った顔で、

「いえいえ、単なる誤解ですから…」

 と言いかけると、

「お嬢様、こやつに頭を下げる必要などございませんぞ。」

 先ほどの運転手が割り込む。

「親父? どうしてここに?」

 長瀬が尋ねると、

「わしはお嬢様方を守るのが務め。
 ここにおるのが当然であろう。」

 と、いかにも当たり前のように言う。

「嘘よ。本当はセバスも焼香したいんですって。」

 と綾香がばらす。

「セバス?」

「…ああ。本当はセバスチャンっていうんです。
 姉さんのつけた、愛のニックネームなんだそうです。」

「愛のニックネーム、ねえ…」

 長瀬が呆れたようにもらすと、

「芹香お嬢様のつけてくださったこの名前に、
 文句でもあると言うのか?」

 セバスチャンが睨みつける。

「…………」

 もうひとりの少女−−来栖川芹香がたしなめる。
 そんなことをやっているうちに、開式を告げるアナウンスが響いた。

 …藤田浩之の告別式が始まる。



 浩之宅での告別式が進み、焼香の時間になった。
 親族の焼香。
 次々と読み上げられる名前を聞きながら、長瀬はある期待を持っていた。
 だが、自分の期待していた名前は、親族の中には含まれていなかった。

(無理もないか…)

 浩之はマルチをかばって死んだと聞いた。
 しかもマルチはメイドロボである。
 そんなマルチが親族扱いしてもらえると期待するのは、無理かも知れない。

 次いで一般の焼香に移る。
 焼香者の列に並ぶ芹香たち。

 やがて順番が来た。
 まず芹香と綾香が焼香台の前に立つ。
 正面に、ちょっと目つきの悪い少年が笑っている写真。
 それを見て、芹香の目に涙が浮かぶ。

「…姉さん。」 

 綾香がそっとたしなめる。
 あとの人を余り長く待たせるわけにはいかない。
 そういう綾香の目も、真っ赤である。

 芹香は頷いて焼香をする。
 手を合わせて目をつぶる。

(さようなら、浩之さん… 私の、たったひとりの大切なお友だち…)

 ついで、主任とセバスチャンの長瀬父子が焼香する。

(浩之君… ありがとう… そして申し訳ない…)

 「娘」を愛し、かばって死んでくれた少年への、感謝と詫び。

(…………)

 芹香「お嬢様」に笑顔を与えた少年の死に対する、感無量の思い…



「…………」

「え? …そうね、マルチの姿が見当たらないわね。」

 姉に言われるまでもなく、さっきから気になっていたところだ。

 焼香をすませて路上に佇む綾香たちは、マルチのことが気がかりだった。
 あの純粋なメイドロボにとって、大好きなご主人様が自分をかばって死ぬということがどれほどの
ショックだろうかと考えると、心配しないではいられなかった。

 マルチは、一般の焼香にも姿を見せなかった。
 メイドロボには焼香をさせない、ということなのだろうか?
 あるいは藤田家の奥にいるのかも知れない。
 しかし、葬儀でごった返している家の中に入らせてもらうのも気が引ける。

 皆でどうしようかと思い悩んでいると、綾香が、やはり路上に佇む人影の中に都合のよい人物を見
つけた。
 綾香はその人物に近づいて、声をかけた。

「ごめん… ちょっと、いい?」

「え? あ、あなたは…
 綾香さん、でしたよね?」

 泣き腫らした目をうつむけていたあかりは、自分に声をかけて来た少女にそう言った。

「ええ… あの、あなた、知ってる?
 マルチがどこにいるか…」

 マルチの名を出した途端に、あかりの体がびくっと動く。

「どうしたの? 何かあったの?」

 綾香は不安に駆られて尋ねる。

「マ…マルチちゃんは…」

 あかりは泣き出しそうな声で言う。

「マルチちゃんは…壊れちゃったんです。」

「な、何ですって!?」

 綾香は思わず大きな声を上げた。
 周囲の人々が何事かと振り向く。

「あ、ご、ごめん…
 ちょ、ちょっと、こっちに来て。」

 綾香はあかりを、芹香たちのところへ連れて行った。

「あ…来栖川先輩。おひさしぶりです。
 …わざわざ来てくださったんですね。
 どうもありがとうございます。」

 芹香の顔を見たあかりは、無意識に丁寧な挨拶をしていた。
 そして、これも無意識のうちにだが、まるで自分が浩之の家族であるかのような口振りになってい
た。

「…………」

 芹香も挨拶とお悔やみを言う。
 綾香はふたりのやり取りに少しもどかしそうな顔をしたが、一段落するまで黙っていた。

「姉さん。
 この娘がね、マルチが壊れたって言うのよ。」

「…………!」

 芹香が小さく叫ぶ。

「何ですって!? 本当ですか!?」

 居合わせた長瀬も驚く。

「あ、あの…?」

 あかりは怪訝そうである。

「あ… 申し遅れました。
 私、来栖川研究所の長瀬と申します。
 マルチの生みの親と思っていただければ結構です。」

「マルチちゃんの…」

 あかりの顔に苦しそうな表情が浮かぶ。

「あ、私、神岸あかりといいます。
 浩之ちゃん…藤田君の… 幼馴染みです。」

 そう、とうとう幼馴染み以上にはなれなかった…
 あかりの胸にそんな思いが去来する。

「で、早速ですが…
 マルチが壊れたというのは、本当ですか?」

「ええ…」

「どういうことか、詳しくお話しいただけますか?」

「…………」



 …私は、浩之ちゃんのお通夜の手伝いをしていた。
 何かしら体を動かしていれば、まだ悲しみがまぎれるから。

 いろいろ手伝っているうちに、ふと、マルチちゃんのことが気になった。
 あの働き者のメイドロボが、この忙しいのに一度も姿を見せないなんて…
 そう考えたとき、私の胸がちくりと痛んだ。
 浩之ちゃんの死にショックを受けたとはいえ、マルチちゃんにあんなひどいことを…

(マルチちゃんを見つけて謝らなくちゃ…) 

 ちょうど浩之ちゃんのお母さんが来合わせたので、マルチちゃんがどこにいるか尋ねた。

「あ、ああ… あの娘は…」

 お母さんは、悲しみにやつれた顔をいっそう曇らせて言った。

「あの娘は…二階よ。」

「そうですか。
 …ちょっと話をして来たいんですけど、いいですか?」

「いいけど… 無駄だと思うわよ。」

「え? 無駄って?」

「あの娘、壊れちゃったみたいなの。」

「…壊れた?」

「ええ。…自分の名前すらわからなくなるくらい、ひどい壊れ方よ。」

「そんな…」

「…………」

 浩之ちゃんのお母さんは、しばらく口をつぐんだ後、

「…私、浩之があの娘をかばって死んだと聞いた時は、
 あの娘が憎くて憎くてたまらなかったけれど…」

 と、悲しい中にもどことなくすがすがしい口調で、付け加えた。

「考えてみれば、浩之は…
 幸せ者だったのかも知れないわね。
 だって浩之は…
 自分が好きなあの娘のために死ねたんだし、
 あの娘はあの娘で…
 壊れるくらい、浩之のことが好きだったんですものね。」

「…………!」

(壊れるくらい…好きだった…?)

 そのとき、私は、…マルチちゃんに負けた、と思った。



 私は二階に上がって行くと、浩之ちゃんの部屋にぼんやりと座っているマルチちゃんを見つけた。

「マルチ…ちゃん?
 こんな所にいたんだね?」

 私は近寄って声をかけた。
 私が来たのはわかっているらしいが、全く関心がないようだ。
 私は…とにかく謝らなくちゃ…

「ごめんね。マルチちゃん。
 私、あの時はかあっとなって、
 何が何だかわからなくなっちゃって。
 …あんなこと言うつもりはなかったの。
 赦してね。」

 マルチちゃんは何も言わない。

「本当に、本当にごめんね。
 マルチちゃんが壊れたって聞いて、私…。
 どうしても謝らなきゃって…」

 やっぱりマルチちゃんは何も言わない。
 私は…先ほど悟った自分の敗北を、マルチちゃんの前で素直に認めようと思った。
 せめてもの罪滅ぼしに。

「でも… 浩之ちゃんがマルチちゃんを選ぶのも、当然だよね。
 だってマルチちゃん…
 壊れるくらい、浩之ちゃんのことが好きだったんだものね?」

 浩之ちゃんの名を口にしたとき、マルチちゃんはわずかに反応を見せた。
 自分の名前は忘れても、浩之ちゃんの名前は覚えてるんだね。
 そんなに、あの人のことが好きだったんだね。
 …私は…負けて当然なのかも知れない。

「マルチちゃん…
 私の言うこと、わかる?
 今さら謝っても遅いことはわかっているんだけど…
 ど、どうしても、マルチちゃんに赦してもらいたくて…」

 私はマルチちゃんに申し訳ないことをしたという思いがこみ上げて、泣きそうになった。

「私のこと… 赦してくれる?」

 涙が溢れそうになるのを必死に堪える。
 どうしても赦すと言ってほしかった。

 すると、マルチちゃんは、初めて私の顔を見た。
 ぼんやりした目で私を見つめる。

 こくん

 マルチちゃんが…頷いた!?
 赦して…くれるの!?

「マ、マルチちゃん!?
 赦してくれるの?」

 こくん

 再びマルチちゃんが頷く。

 赦してくれたんだ!
 あんなひどいことを言った私を。
 あんなひどいことをした私を。
 ありがとう、マルチちゃん!

「あ、ありがとう。
 本当にありがとう!」

 私はそれ以上そこにいると大声で泣き出してしまいそうな気がしたので、マルチちゃんにお礼を言
うと、急いで階下へ向かったのだった…



「そう… あの娘の事だから、
 ひどいショックを受けてるだろうとは思ったけど…」

 あかりの話を聞き終わった綾香は、痛ましそうに呟いた。

「まさか… 自分の名前を忘れるくらい、なんてね。」

「マルチが…」

 長瀬主任も苦渋に満ちた顔をする。
 綾香はふと思いついて、

「そうだ! 姉さん!
 この間みたいに、マルチの心と接触して、治すことはできないかしら?
 あたしも手伝うわよ。」

「…………」

 芹香は悲しそうだった。

「え? 試してもいいけど、たぶん無理だろう?
 ど、どうして?
 え? この間とは症状が違うし、何よりもマルチの意識をつなぎ止められる浩之がいない?
 それに、自己のアイデンティティーを失った心と、どこまで接触できるかわからない?
 そうなのか…」

 綾香はまた暗い顔になった。
 沈黙が一同を包む。

「…ともかく、目下の所、
 気長にリハビリを試みるしかないようですな。」

 長瀬は、わざと気軽そうな調子で言うと、

「神岸さん…でしたね?
 お話を伺った限り、
 マルチはもはや、正常に機能することが困難のようですから、
 おそらく来栖川の研究所に回収することになるでしょう。
 今は、藤田さんのお宅はお取込み中ですので、恐れ入りますが、
 神岸さんから、浩之君のご両親にお伝え願いたいのですが…
 落ち着かれましたら、こちらへご連絡ください、と。」

 そう言って、自分の名刺を渡した。

「承知しました。」

 あかりは名刺を受け取って、頷いた。


−−−−−−−−−−−−

第一部終了です。

この第一部、当初のメモ書きからすれば、1章か2章くらいで終わるはずのものでした。
ところが、ペンが、というよりもキータッチがどんどん進んで、
あれよあれよと言う間に伸びてしまい、
「いつまで経っても終わらない」…マジでそういう状況でした。

たとえば第4章の、来栖川翁が綾香さんに言い訳をする場面など、
「ここは何とか言い逃れをさせなくちゃ」と、
ともかくキーボードの前で思いつくままに並べ立てたものです。
つまり、事前の構想はなし。
長くなったのはそのせいでしょう。
このあたり、一段落させるまで、と頑張るうちに徹夜してしまったような記憶があります。

一事が万事この調子で、翁の言い訳なんかは結構うまくできてるかなと思いますが、
その他の部分では、不必要にくどかったりしているような気もします。
すみません、何分素人ですので…

マルチが簡単に壊れるのは、その心がある意味で十分育っていない結果だと思ってください。
純粋は純粋なのですが、
そのせいで大きな衝撃(特に、自分のせいで他人が不幸になったというような思い)には
もろいところがある。
また、「ご主人様」一辺倒、つまりマスターへの依存度が極めて高い、ということ。
そういう意味で、心がなおも成長すべき余地があると思います。

…というようなことに、この作品の終わり頃でふと気がつきました。
(それまでマルチが壊れやすい理由など、何も考えていなかった)

分岐<セリオ編>・<芹香編>は、よく考えればありがちな話のようですので、
まだ読んでおられない方は、あまり期待しないでください。
(本編よりましとか言われたりして…)


−−−−−−−−−−−−

−年表−

(   )内はおもなキャラの満年齢を現します。


<01年> (マルチ0、浩之16−7、芹香17−8、綾香16−7)

    1月   マルチ誕生
    4月   マルチの運用試験、浩之との出会い
    5月   マルチの「運用試験」2回目、浩之との再会
    7月   マルチ退学、浩之家での「運用試験」開始
    9月   綾香の非難、マルチ壊れる
   11月   マルチ回復、来栖川姉妹との交流開始

<02年> (マルチ1、浩之17−8、芹香18−9、綾香17−8)

    4月   芹香の大学入学

<03年> (マルチ2、浩之18、芹香19−20、綾香18−9)

    4月   浩之・綾香の大学入学
         浩之の事故死、マルチ再び壊れる

                               以  上


次へ


戻る