The Days of Multi第一部第6章パート2 投稿者:DOM
The Days of Multi
第1部 Days with Hiroyuki
☆第6章 4人の友 (マルチ生後11ヶ月〜1才) Part 2 of 2



 一週間後。
 再び浩之宅を訪れた来栖川姉妹は、マルチを囲むように腰をおろしていた。
 芹香は、細く編んだひものような物を二本取り出すと、自分の右手首を綾香の左手首と、左手首を
浩之の右手首と緩くつないだ。
 三人の意識をつないだままマルチの心に語りかけるために必要なのだそうだ。

 芹香は、他のふたりに目をつぶるように指示した。
 ふたりが言われた通りにすると、芹香は何やら唱え始めた。
 浩之と綾香は一瞬、自分たちの体が地の底に吸い込まれるように感じた…



 三人は暗い、寒々とした場所にいた。
 マルチの心の中だ。
 どこかですすり泣く声がする。
 三人は用心深く進んだ。
 マルチが驚いて逃げ出したりしたら、厄介なことになるからだ。

 うずくまって泣いているマルチが見えた。
 三人は可能な限りマルチに近づいた。
 手を伸ばせばマルチに触れることができそうな所まで来た時、マルチがはっと顔を上げた。
 三人を見て、驚きに目を見張る。
 そして、顔をくしゃくしゃにすると、悲しそうに叫んだ。

「ご、ご主人様!?
 芹香さんに、綾香さん!?
 ご、ごめんなさああああああい!!」

 身を翻して逃げ出そうとするのを、浩之は間一髪抱きとめることができた。

「待て、マルチ!」

「は、放してくださああああああああい!
 ご主人様を不幸にしたくないんですぅぅぅぅぅぅ!」

「馬鹿! おまえ、俺が言ったことを忘れたのか?
 おまえが傍にいてくれれば、俺は幸せだ。
 おまえがいなければ、俺は不幸だ、って。
 おまえが逃げ続けてる限り、俺はずっと不幸のままなんだぞ。」

「うっ… で、でも…
 私のせいで…
 芹香さんも、綾香さんも、あかりさんも、志保さんも、皆不幸に…」

 そんなことはありません、と芹香が言った。

(マルチさんは、人を喜ばせることのできるメイドロボです。
 あなたが人を不幸にしたと思ったのは、いろいろな行き違いや勘違いのせいで、
 あなたが悪いわけではありません。
 安心してください。)

「ほ、本当ですか?」

 マルチは少し落ち着いてきたらしい。
 しかし、再び顔を曇らせると、

「でも… 私、心があると思っていたら、それは見せかけだけで…
 ご主人様を好きになったのも、プログラムだそうですし…
 プログラムで好きだと言われても、
 ご主人様は喜んでくださらないでしょうし…
 これからどうやってご主人様にお仕えしたらいいのか、わからないんですぅ。」

(違います。あなたにはれっきとした心があります。
 今、私たちは、術を使ってあなたと話をしていますが、
 これは心のない相手には通用しない方法なのです。
 心と心で直接話し合う術なのですから。
 こうやって私たちと話していること自体、
 あなたに心があることの証拠なのですよ。)

「そ、そうなんですか?」

 芹香が大きく頷くと、マルチは顔を輝かせた。
 ついで、浩之と綾香が、事の真相をマルチに話し始めた。

 …………

「そ、それじゃ…
 私がご主人様を好きになったのは、
 プログラムじゃなくて、私の本心なんですね?」

 他人に自分の本心を確認してもらうのも妙な話だが、三人は頷いて肯定した。

「そ、そうだったんですか…」

 すべての誤解がとけたマルチは嬉しそうだ。

「ごめんね。マルチ。
 あなたにあんなひどいこと言って。
 私が悪かったの。赦してちょうだい。」

 綾香が頭を下げると、マルチは慌てて、

「そ、そんな、頭を上げてくださあい。
 私、怒ってなんかいませんからぁ。」

 そう言って綾香をなだめようとする。

 …いつの間にか周りが明るくなっていた。
 冷え冷えとした空気は、春を思わせる穏やかで暖かなものに変わっていた。
 やがて三人は、澄んだ青空の下、緑豊かな草原に立っていることに気がついた。
 ところどころにきれいな花が咲いている。
 マルチの心に相応しい風景だ。

 もう大丈夫です、マルチさんの心が回復しました、と芹香が言う。

「?」

 浩之は、草原の中に、一箇所周りと違うものがあることに気がついた。
 毎日マルチを連れて行った、あの公園だ。

「どうして、あの公園が、こんなところに?」

 浩之が訝しそうに呟くと、マルチは気がついて、こう言った。

「ご主人様。
 毎日優しくしてくださって、ありがとうございました。
 私、ご主人様に申し訳なくて、
 でも、とっても嬉しかったですぅ。」

「…………」

(そうか、マルチは俺の気持ちを受け取っていてくれたんだな…)

 浩之は、これまでの苦労が報われたような気がした。

 そろそろ時間です、戻りましょう、と芹香が促す。
 浩之は頷くと、

「マルチ、よかったな。元に戻れて。」

 と声をかける。

「はい、ありがとうございました!」



 浩之が気がつくと、元の部屋だった。
 目の前には…心からの笑みを取り戻したマルチがいた。

「マルチ!」

「ご主人様!」

 しっかりと抱き合うふたり。

「マルチ! マルチ、マルチ!
 もう放さないからな!
 どこへも行かないでくれ!」

「ご主人様、ご主人様ぁ!
 ご心配かけて申し訳ありませんでしたぁ!
 これから、ずっとお傍にいますからぁ…」

 ふたりが涙ながらに抱き合っていると、

「…こほん。」

 と、せき払いの音がする。
 はっとするふたり。

「…そこのおふたりさん。
 嬉しいのは、よーくわかりますけどねぇ…
 そういうことは、ふたりっきりになってから、
 ゆっくりとしていただきたいんですけど…」

 頬を赤らめた綾香が言う。
 浩之とマルチはさっと体を離すと、照れ笑いを浮かべた。



 芹香と綾香が帰って行くと、マルチは俺に言った。

「ご主人様。
 そろそろ夕食の準備を致しますので…
 何をお召し上がりになりたいですか?」

「…マルチが食べたい。」

 俺は、いつぞやのスーパーでの会話を思い出して言った。

「え!? も、もう、ご主人様、またご冗談を…」

「俺は本気だぞ。」

「…………」

「いいだろ?」

「で、でも… お食事はどうなさいます?」

 マルチは真っ赤な顔で俯きながら聞く。

「今日は遅くなってもいいから…な?」

「はい。…あの、シャワーを浴びて来てからでいいですか?」

 俺が時々体を洗ってやっていたのだが、マルチは一度自分の手で体をきよめておかないと、不安な
のだろう。

「ああ。じゃ、待ってるからな。」



 マルチはバスタオルを巻いただけの格好で俺の部屋に来た。
 石鹸の香りがする。マルチによく似合っている。
 俺はマルチの体を抱き締めた。
 マルチは目をつぶる。
 俺たちは濃厚なキスを交わした…



 …俺はベッドに仰向けになっていた。
 マルチは俺の胸に頭をもたれさせるようにしている。

「しっかし…
 マルチって、ほんとうはあんなに激しかったのか?
 知らなかったぜ。」

「ご、ご主人様がいけないんですよぉ。」

 マルチが恥ずかしそうに抗議する。

「だってさぁ、
 センサーを振り落とすぐらい燃えるんだもんな。
 落ちるか、普通?」

 マルチの耳のセンサーは、片方取れていた。

「き、きっと、もともと弛んでたんですぅ。」

「それに、マルチがあんなすごいことを口にするなんてなぁ…
 信じられないぜ。」

「わ、私、何も言ってませんよ?」

「おや、忘れたのか?
 いろいろえっちなことを言ってたのに?
 よし、教えてやろう…」

「け、結構です!
 言わないでくださぁい!」

「そうか?…
 いやぁ、ともかくこれで、
 『マルチはえっちな女の子』ってことがはっきりしたな。」

「そ、そんな…」

「今まで猫を被っていたんだろう?
 まあ、これからは安心して地を出していいぜ。
 俺、えっちなマルチも好きだからさ。」

「ううっ… だって…」

 マルチはすねたように言うと、俺の胸に頭を押しつけた。

「私… 嬉しかったんですぅ。
 私には心があるってわかって。
 私がご主人様を好きになったのは、見せかけじゃなくて、
 本当に心から好きになったんだってわかって。
 だから、大好きなご主人様が喜ぶことは、
 何でもして差し上げたいんですぅ。
 …ご主人様が、えっちなマルチを好きなら、
 えっちになるように頑張りたいんですぅ。」

「…マルチ。ありがとな。
 俺、えっちでもえっちでなくても、マルチが大好きだぜ。」

「ご主人様。大好きですぅ。」

 …その日の夕食は、真夜中にとることになった。



 数日後。

「くーるすがーわせーんぱい。」

「…………」

「え? 何かご用ですかって?
 だって今日は研究会の日でしょ?
 いっしょに召還をやろうって言ってたじゃない?」

「…………」

「え? こちらから伺うはずだったのに、わざわざお越しいただいてすみません?
 何言ってんのさ、そんな水くさい。
 さ、部室へ行こうぜ。」

 芹香は嬉しそうに立ち上がる。

「…ところで、今日は何の召還?
 え? 伝説の鬼の霊?
 は、はは、そうか… お手柔らかに頼むぜ。」

 …その日、鬼を呼び出すのは失敗したが、別の何かを呼び出してしまったようで…
 …あとは言うまい。



 さらに数日後。
 俺が校門を出ると、先輩がリムジンに乗り込む所だった。

「やっほー、浩之ぃ。」

 リムジンから綾香が出て来る。
 上機嫌だ。

「お、綾香か。
 先輩と一緒に帰るのか?」

「ふたりで商店街へ行こうと思ってるんだけど…
 よかったら一緒にどう?」

「お、そうか? でも…」

 と巨漢の執事を気にすると、セバスチャンは、

「『藤田様』、商店街にご用事ですか?
 ちょうどそちらへ車を回す予定ですので、
 よろしければ、どうぞお車へ。」

「?」

 俺はいつもと勝手が違うのに拍子抜けしながら、車に乗り込んだ。
 大体いつも、「小僧」呼ばわりしかされたことがないんだが。

 リムジンが滑るように走り出す。

「そうそう、あとでマルチに電話させてくれ。
 遅くなるって言ってないから、心配するといけない。」

「あ、それじゃ、私の携帯使って…
 そうだ。いっそ、マルチも呼んでやったら?
 その方が楽しそうだし。」

「…………」

「え? ぜひそうしてください?
 本当にいいの? 
 そう、それじゃあいつも呼んでやるよ…」

 車はヤックの前で止まった。
 セバスチャンが口を開く。

「お嬢様方、着きましてございます。
 藤田様もこちらでお降りですか?
 それはちょうどようございました。
 して芹香お嬢様、わたくしめの務めは…?
 は、その時間まで、市内各所の安全に目を光らせておればよろしいのですな?
 かしこまりました。
 …ところで綾香お嬢様、差し出がましいようですが、
 くれぐれも芹香お嬢様のお傍から離れられませんように。
 何かございましたら、例の発信機のボタンを押してください。
 このセバスチャン、すぐに駆けつけて参りますので。」

「わかってるって。」

 リムジンが去って行く。

「…何だかあのじじい、ばかに協力的じゃねえか。
 気味が悪いくらいだぜ?」

「ああ、セバスのこと?
 …よくわからないけど、
 あたしたちとあんたやマルチとの経緯がわかって、考えを改めたみたいね。
 前はお爺様の言いなりだったけど、
 この頃は、かなり姉さんの行動の自由を認めてくれるの。
 まあ、元が固いのと心配性なところがあるから、限度があるけどね。」

「ふーん、まあ先輩のためにもよかったじゃねえか?」

 などと話していると、

「ご主人様ー。」

 と、少し離れたところから声がした。
 もちろんマルチだ。
 ここを待ち合わせ場所にしていたのである。

「はぁ、はぁ…
 お待ちになりましたかぁ?」

 ずいぶん急いで来たらしく、息を弾ませている。

「いや、今来たところさ。」

「マルチ、元気してる?」

「…………」

「あっ、芹香さん、綾香さん、こんにちは。
 この間はお世話になりました。
 きょうはお招きにあずかりまして、ありがとうございますぅ。
 ううっ、私、嬉しいですぅ…」

「ちょっとちょっと、ヤックに誘ったぐらいで嬉し泣きなんて…
 浩之! あんた、マルチを虐待してるんじゃないんでしょうね!?」

「んなわけねーだろ!?
 …実はこいつな、前に学校行ってた時の事が忘れられないらしくて…
 つまり同年輩の友だちが大勢いたわけだろ?
 今は、買い物に出るくらいで、
 あとは、ほとんどひとりぼっちで家にいるわけだから…
 友だちがいなくて寂しいらしいんだ。」

 マルチは慌てて、

「い、いえ、寂しいなんて…
 私はご主人様がいてくだされば、それだけで…」

 と否定しようとする。

「友だちがいない? そう…
 そう言えば、あんたの幼馴染みのあかりって娘は?
 遊びに来たりしないの?」

「ん? ああ、あかりか…
 いろいろあってな…」

 公園で別れて以来、家に呼んでいない。
 相変わらず毎朝迎えに来るけど…

 そのとき、先輩がマルチに向かって言った。

「…………」

「え? お友だちになってください、ですか?
 本当ですか? 嬉しいですぅ。」

「マルチ、よかったら、
 あたしとも友だちになってくれる?」

「あ、ありがとうございますぅ。」

 マルチは目をうるうるさせている。

「よし!
 俺たち4人が友だちであることを記念して、
 みんなにコーラSをごちそうしてやろう!」

「言うことがせこいわね…」

「今月きついんだよ…」

 こうして俺たち4人の交流が始まった。



 俺とマルチ、先輩と綾香は、それからしょっちゅう行動を共にするようになった。
 4人で商店街に行ったり、喫茶店でおしゃべりしたり、俺の家でマルチが作るおやつの試食会をし
たり、休日にみんなで遊園地や映画館に出かけたり…先輩の作る魔法薬の実験台にされそうになって、
皆で慌てたこともあったが…楽しかった。
 マルチも4人で顔を合わせるたびに、本当に嬉しそうだった。

 マルチ、いい友だちができてよかったな。



 その後も俺は、先輩の研究会にはできるだけ顔を出した。
 マルチを治してくれたお礼の意味もあるが、以前聞いた綾香の言葉もあり、ほかにつきあってくれ
る人のいない魔法の実験に俺が立ち会うことで、少しでも力になれたらと思ったのである。



 やがて季節は巡り、3月になった。
 先輩の卒業。
 卒業式の後で会いに行くと、先輩は寂しそうな顔で、浩之さんともお別れですね、と言った。

「なあに言ってんだよ、またいつでも会えるじゃないか。
 暇な時に声かけてよ。
 これからも仲良くしようぜ。」

 俺が言うと、先輩はとても嬉しそうに頷いた。



 というわけで、以前より頻度は落ちたものの、俺たち4人は機会があれば顔を合わせていた。


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