The Days of Multi第一部第6章パート1 投稿者:DOM
The Days of Multi
第1部 Days with Hiroyuki
☆第6章 4人の友 (マルチ生後11ヶ月〜1才) Part 1 of 2



 話は少し遡って、昨日のこと。
 浩之の家に殴り込んで以来、鬱々として心晴れることのなかった綾香は、あるホテルの中にいた。
 来栖川が主催する「ロボットと人間の関係を考えるシンポジウム」というのが三日間に渡って開催
されることになり、その初日のレセプションに家族揃って出席していたのである。

(どうせ、これも、本格的なメイドロボ販売を前にして、
 予想される問題にあらかじめ対処するための準備…)

 そう思うと、一刻も早く帰りたくなる。
 メイドロボにはできるだけかかわり合いたくない。

 間もなくレセプションが始まる。
 立食形式の食事。
 そこかしこに広がる会話、談笑。
 綾香は姉の傍について、気がなさそうに食事を進めていたが、ふと斜め前方にいる人物に目が止
まった。
 どこかで見たような顔だ。

(誰? …! そうか、セバスを若くしたような顔…ってことは…)

 綾香はさりげなく移動して、その人物の胸の名札を確認しようとした。

(やっぱり…)

「来栖川エレクトロニクス 長瀬源五郎」

 の文字を確認した綾香は、この人物に何か言ってやらなければ気がすまなくなった。
 さすがにレセプション会場で大声を挙げて罵るのはまずい、と考えるだけの分別は残っていたので、
さらに長瀬に近づくと、怒りを抑えながら声をかけた。

「失礼ですが…
 開発部の長瀬主任でいらっしゃいますね?」

「え?」

 顔見知りらしい2、3人と言葉を交わしていた長瀬は、それで初めて綾香に気づいたらしく、こち
らを見た。

「あなたは確か…
 来栖川のお嬢様。」

 綾香の顔を知っているらしい。
 それなら話は早い。

「ええ、来栖川綾香と申します。
 どうぞよろしく。
 …このたびは、姉の芹香が大変お世話になりましたそうで。」

 丁寧に話そうとするとなぜか皮肉が出てしまう。癖である。
 長瀬は黙っている。

「あの、お食事中申し訳ありませんが…
 ほんの少々お時間をいただけません?
 お手間はとらせませんから。」

 長瀬は頷くと、知人たちに断わって綾香について来た。



 空いている控え室を見つけると、ふたりで入った。

「お話の内容はおわかりかと存じますが…」

 と長瀬の方を振り向いた綾香の顔は、すでに怒りに満ち満ちていた。
 丁寧な言葉遣いもここまで。限界だ。

「…あんたねえ! 何てことしてくれたの!?
 自分が何をしたのかわかってるの!?」

 綾香は罵りの言葉を次々に浴びせかける。
 長瀬がマルチを改造したことを非難した。
 おかげで姉がどんなに苦しんだか。
 姉の心を踏みにじったことが赦せない。
 浩之の心を弄んだことも赦せない。

「そりゃ、あんたは、
 お爺様に言われた通りしたまでだ、って言うでしょうけどねえ!
 そもそも、何であんなメイドロボなんか作ったのよ!?
 自分の心を持たないのに、
 まるですべて自分の意志で行動しているように見える、
 あんな紛らわしい人間まがいのものを!」 

 長瀬がマルチを作ったことそれ自体をも非難した。
 怒りの言葉は奔流となって、留まることを知らない…



「…ちょっとあんた。
 何でさっきから黙ってんのよ?
 何とか言いなさいよ!」

 わめき続けてさすがに息が切れてきた綾香は、一息入れながら相手を睨んだ。
 長瀬はおもむろに口を開く。

「…実は先日、浩之君に会いましてね。」

「え?」



 長瀬は、浩之に会った経緯、マルチが壊れてしまったこと、そして自分が実際にしたこと−−いや、
「しなかったこと」を説明した。



「…う…嘘…」

 長瀬が語り終えると、綾香は衝撃に目を見張りながら、辛うじて呟いた。
 しかし、長瀬が嘘を言っている様子はない。

「じゃあ…
 お爺様はあんたが指示に従ったと思っているだけで…
 本当は、あんたは言うことを聞かなかったってわけ?」

「聞かなかったというか、聞けなかったというか…
 最初から聞く気もなかったというか…
 あ、これ、会長には内緒ですよ?」

「…………」

 綾香は言葉を失ったまま、ふらふらと部屋を出て行った。



 あたしは…浩之に…マルチに…とんでもないことを…
 どこをどう歩いているのか、自分でも意識がない。

「…………?」

「え? あ、ね、姉さん?」

 いつの間にかレセプションの会場に戻っていた。

「…ううん、何でもないの。
 …ごめん、ちょっと気分が悪いから、
 先に帰るって、ママに伝えといてくれる?」

「…………」

「え? 顔色が悪い?
 心配だから私も一緒に帰る?」

 実際、綾香は死人のような顔色をしていた。

「ううん、ひとりで大丈夫だから。
 …そう? じゃあ、そうしようか。
 ごめんね?」

 芹香は母親に断わりを入れると、綾香と共に、会場を出た。
 セバスチャンの運転する車で家に向かう。

(早く帰りたい。…ベッドで、思いきり泣きたい。)

 綾香の頭にはそれしかなかった。

「…………?」

「ごめん、姉さん。
 何も聞かないで…」

 芹香は口をつぐむ。
 すっと手を綾香の頭に乗せて、

 なでなで

 そっと撫でる。

「ね、姉さん…?」

 戸惑う綾香の心に、姉の優しさが広がって行く。
 …暖かい。

「うっ、うっ、ううっ…」

 綾香はとうとうたまらなくなって、

「うっ、うわあああああん!!
 姉さああああん!!」

 姉の胸にすがって、幼子のように泣きじゃくり始めた。
 泣きながら、自分がしでかしたことを話し出した…



 芹香は、戸惑っていた。
 祖父が、密かに画策をしていたことは…残念だった。
 綾香が、自分の知らない所で、自分のために怒り、悲しみ、行動してくれたことは…嬉しかった。
 綾香が、知らなかったとはいえ、浩之とマルチを傷つけてしまったことは…悲しかった。

(でも… 今はまず…)

 泣きじゃくる綾香を慰めることが先決だ。
 芹香はうすうす気がついていた。妹が浩之に寄せていた思いを。
 だからこそ、そんなにも感情的な行動を取ってしまったのだろう。
 芹香は無言で綾香を撫で続けた。



 少し落ち着きを取り戻した綾香は、鼻をぐすぐす言わせながら、自分はどうしたらいいのだろう、
と姉に相談した。

「…………」

「浩之さんたちに謝るべきです?
 でも、今さら謝ったところでマルチは…。
 それに浩之が赦してくれなかったら…。」

「…………」

「え? 私も一緒に行きますから、ふたりでお詫びしましょう?
 で、でも、姉さんが浩之に謝ることはないのよ、
 悪いのはこの私なんだから。」

「…………」

「ともかく行きましょう?
 …そうね、そうしないと始まらないわね。
 …ありがとう、姉さん。」

 ほどなく来栖川邸に到着した。
 セバスチャンが車を降りて、芹香側のドアをあける。
 芹香は車を降りながら、執事に言葉をかけた。

「…………」

「は、承知致しました。
 このことは、大旦那様には決して。
 …不肖セバスチャン、芹香お嬢様のご命令なら、死をも厭いません。」

 そう言って胸を張る巨漢の目の端に、芹香は光るものを見たような気がした。



「…そう。そんなことがあったの。」

 昨日の出来事を代わる代わる浩之に語るふたり。
 芹香は淡々と、綾香は涙ながらに。
 話し終えると、綾香が言った。

「ごめんなさい。本当にごめんなさい。
 謝ってすむことじゃないけど…
 取り返しのつくことじゃないけど。
 あんたに… そしてマルチに…
 あたしはあんなひどいことを…」

 綾香は、浩之の傍らに座ってぶつぶつ言っているマルチを見遣って、新たな涙をあふれさせた。

「…………」

「え? 申し訳ありませんでした?
 でも、先輩は今度のことには関係ないでしょ?
 え? 関係あります?
 綾香は自分のために、自分に代わって怒ってくれたのだから?」

「ご、ごめんなさい。
 …あたしのこと、気がすむまでぶってちょうだい。
 蹴とばしてもいいわ。抵抗しないから。
 少しでもあんたの気が晴れるなら、それでいいから。」

「…もういいよ。
 綾香だって知らないでやったことなんだろ?
 それにもとはと言えば、先輩のためを思ってのことだし…
 俺、怒ったり恨んだりしていないからさ。」

「ほ、ほんと!?
 ほんとに赦してくれるの!?」

「ああ。だから、いい加減泣きやんでくれよ。
 綾香に涙なんて、似合わないぜ。」

 綾香はなおも涙を流しながら、しかし、ほっとした顔をする。
 芹香も無表情ながら、安心したらしい様子が伺える。

 しばらくの沈黙。
 マルチの呟きだけが三人の耳にはいる。

「私には…心がない…
 お父さんが…私を騙した…
 私は…コンピューター仕掛けの…ダッチワイフ…
 私が…いたから…芹香さんが…不幸になった…」

 マルチが呟くたびに、綾香の胸に痛みが走る。
 浩之は赦してくれたが、それでマルチが元通りになるわけではないのだ。

「ごめんなさい、マルチ。
 あんたにひどいことを言ってしまって…
 嘘だったのよ、あんたにはちゃんとした心があるの。
 お願いだから、元に戻って。」

 マルチの様子には変化がない。

「綾香、もういいから。
 …心の病だそうだから、焦ってもいっぺんには治らないと思うぜ。
 へへ、まったく、妙なとこまで人間そっくりなんだから。
 『心の病』にかかるなんてさ。
 ま、気長にぼちぼちとつきあってやれば、そのうち元に戻ると思うから。
 気にしないでくれ。」

 笑って見せる浩之に、いよいよ申し訳ないと思う綾香。
 そのとき、芹香が静かに口を開いた。

「…………」

「え? 試させてほしいことがある? 何?
 …マルチの心の中に入って、話をしてみるって!?
 そ、そんなことできるの!?」

「…………」

「え? マルチさんはロボットなので、100パーセント成功するかどうかわかりませんが、  
 『心』がある以上、少なくとも、心と心で接触を持つことはできると思います?
 そ、そうなの…?
 わかった。そんなことができるなら、ぜひ試してくれ。
 マルチを元通りにしてくれたら、俺、一生恩に着るからさ。」

 先輩は頷いて、やってみます、と言った。



 先輩はマルチの正面に座り直すと、私が目をあけるまで話しかけないでください、と念を押した。
 そして、何やら唱えていたと思うと、すっと目を閉じる。
 直後、マルチの呟きが止まった。
 俯き加減でうつろな目をしているのは、そのままである。



 …芹香はマルチの心の中に入り込んだ。
 薄暗い、鍾乳洞のような感じの場所である。
 あの明るいマルチの心が、こんな寒々としたものに変わってしまうとは。
 彼女の受けた衝撃と悲しみの大きさが伺える。

 芹香はふと、すすり泣く声を耳にした。
 声がする方に足を向ける。
 そこにはマルチがいた。
 うずくまり、顔を覆って泣き続けている。

(マルチさん…)

「え?」

 いきなり声をかけられたマルチは、驚いて顔を上げる。
 そして芹香を見た。

「あ? あ、あ、あ、ああああああーっ!?」

 マルチは、芹香が聞くに耐えないほど悲痛な叫びを上げた。

「せ、芹香さん!?
 ごご、ごめんなさーい、赦してくださあああい。
 私、私、皆さんに喜んでいただくためのメイドロボなのに…
 芹香さんを不幸にしてしまいましたあああ…」

 泣きながら謝る。

(そんなことはありません。私は不幸になったりなんかしていませんよ。)

 芹香はマルチを落ち着かせようとするが、マルチは聞こうとしない。

「ふえええ…
 私、芹香さんを不幸にしてしまいました。
 あかりさんを不幸にしてしまいました。
 志保さんも綾香さんも、私を見ると怒ります。
 きっと私のせいなんですぅ!
 このままでは、いつかご主人様も、
 不幸にしてしまうに違いないんですぅ!」

 芹香はマルチに手を伸べて触れようとしたが、マルチは後ずさった。

「あああ…
 赦してください、来ないでくださああああああい!」

 マルチは泣きながら、後ろを向いて駆け出した。
 芹香は後を追ったが、そこが鍾乳洞のように暗く入り組んでいるため、たちまち見失ってしまった。
 心と心で接触できる時間は限られている。
 探しあぐねた芹香は、一旦引き上げることにした。



 芹香が目をあける。とたんにマルチが呟きを再開する。

「せ、先輩? 大丈夫?
 マルチと話ができた?」

 芹香は頷いて、たった今体験したことを説明した。
 そして、

(マルチさんを引き止めて説得するには、私ひとりでは力不足です。
 もっとマルチさんに対して…強い思いを抱いて引き止めてくれる人が必要です。)

 と言った。

 浩之は芹香の意を察して、

「うん、わかった。俺も一緒に行くよ。
 え? 浩之さんは素人なので準備が必要です?
 どんな準備? それは任せてくれ、って?
 ただしそのために一週間は必要?」

 芹香は頷くと、来週の今日、もう一度お邪魔してよろしいですか? と尋ねた。

「もちろん、OKだよ。
 うん、待ってるから。」

「…あたしも手伝うね。」

「うん、綾香。サンキュな。」

 綾香はようやく笑顔を見せた。



 ふたりを見送った浩之は部屋に戻ると、床にぺたんと座っているマルチの傍に寄った。

「もう少し… もう少しで…
 おまえは元通りになれるんだな?
 もう少しで…」

 浩之は、呟き続けるマルチの華奢な体をぎゅっと抱き締めた。


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