The Days of Multi第四部第15章パート2 投稿者: DOM
The Days of Multi
第4部 Days with the Kashiwagis
☆第15章 ある平凡な一日 (マルチ7才) Part 2 of 2



 芹香は気がつくと、床に突っ伏していた。

(私… どうして?)

 見ると、目の前に自分の儀式用の帽子が落ちている。
 自分の体に目をやると、やはり儀式用のマントを身につけている。

(魔法の実験中だった?)

 よろよろと立ち上がる。
 体がだるい。
 ひどく疲れた気がする。
 どうしたんだろう?

 ふと頭の上に目をやると、ほうきが一本浮かんでいた。

(…!!)

 …思い出した。
 ほうきの動きは止まっている。
 制御できるかも知れない。
 急いで解除の呪文を唱えると、ほうきはぱたりと落ちて来た。

(ふぅ…)

 何とか助かったみたい。
 ぐったりと傍にあった椅子に腰をおろした芹香は、自分の体が汗だくであることに気がついた。
 上から下まで洗濯する必要がある。
 シャワーも浴びたかった。

 着替えを持って、そろそろと部屋を出る。
 マルチたちに出くわさないように、気をつけて進む。
 ぼーっと何も考えていないかのように見える芹香ではあるが、やはり実験に失敗したことはあまり
知られたくない。
 それに、ほうきにまたがって前後に揺すぶられる姿って、よく考えると結構恥ずかしい格好だった
し…
 芹香の頬がかすかに染まる。

 台所の方から、マルチの鼻歌が聞こえて来る。
 お昼の準備をしているらしい。
 それならば、あとは楓にさえ気をつければよい。
 ほっとして、お風呂場へ。
 楓の姿はない。
 よごれた服を脱いで、洗濯機に入れる。
 初めて使うが、幸い使い方はすべて表面に書いてある。

 浴室に入り、シャワーを浴びる。
 汗が流されていくのが気持ちいい。
 浴室を出て体を拭く。
 着替えの服を身につけると、ようやく人心地がついた。

 一旦部屋に戻り、濡れた髪にドライヤーをかける。
 それから洗濯機のところへ行ってみると、洗濯が終わっていた。
 ちょっと思案して、外の干場へ持って行く。
 あいている所にかける。
 これで、乾いたら、マルチたちがほかの洗濯物と一緒に取り込んでくれるだろう。

 一段落してほっとしていると、

「芹香さーん。」

 とマルチの声。

 ぎくっと振り返る。
 マルチが家の中から顔をのぞかせて、

「こちらでしたかぁ?
 お昼の用意ができましたよー?」

 相変わらずの笑顔が、何となく後ろめたい気を起こさせる。
 すぐ行きます、というと、メイドロボは家の中に引っ込んだ。

 ほっ。 

 どうやらばれなかったみたい。
 


 昼食。
 芹香とマルチ。
 もちろん、マルチは給仕専門だ。
 芹香はあまり食欲がなかったが、怪しまれないよう、懸命に食べた。
 幸い、もともと少食なので、マルチが用意した量そのものが少ない。
 何とか食べ終えることができた。

 マルチがお茶を入れるのを見て、芹香は、楓の姿が見当たらないことに気がついた。
 楓さんはどうされました、と尋ねると、マルチは困ったような顔をして、

「お加減が悪いようですので、休んでいただきました。」

 と言った。

 大丈夫でしょうか、と聞くと、

「心配ないとおっしゃってましたぁ。」



 午後。
 芹香は楓の部屋をおとなう。
 小さなノック。

「…マルチちゃん?」 

 中から声。

 芹香です、とささやく。
 聞こえたかしら?
 しばらくの沈黙。

 今度はドアのすぐ内側で、

「芹香さん?」

 はい、と答える。
 ドアは開かない。

 お加減が悪いと伺いましたので…大丈夫ですか、と尋ねる。

「はい。ご心配かけて申し訳ありません。
 もう少し休んだら大丈夫だと思います。」

 そうですか、ではお大事に。
 ドアは開かないままだった。

 芹香は部屋へ向う。
 …私、何か楓さんの機嫌を損ねるようなことしたかしら?



 午後遅く。
 夕食の準備を始めたマルチ。
 そこへ楓がやって来る。

「あ、楓さん!? もうよろしいんですか?」

「ええ… マルチちゃん、お願いがあるの。
 今日の夕食は私に作らせて。」

「え? でも…」

「お願い。」

 楓は、無表情な顔に精一杯の思いを込めて頼んだ。
 マルチは黙って頷いた。



 楓は一通りの料理を終えた。
 ひかりの持っていたデータの中に、料理の基本があったのだ。
 ただし、実際の仕上がりがどうなのかは、
 味覚を持たない楓やマルチには確かめられない。
 そこで、芹香に少しずつ味見をしてもらうことにした。

 一わたり味見を終えた芹香は、よくできていると思います、と言った。
 楓は少し安心する。

 …ただし、少しスパイスが足りないみたいです、
 幸い私の部屋に、珍しい香辛料がありますから、お分け致しましょう…

 楓とマルチは、ぶんぶん首を横に振った。



 夕食。
 7人の家族が一堂に会する。
 5人の口が食事を受け入れる。

 ん? 芹香を除く皆が違和感を感じる。
 今日の料理担当はマルチの筈だが…これはマルチの味ではない。
 皆怪訝そうにマルチを見た。

 マルチはにこにこしながら、

「いかがですかぁ?」

 と尋ねる。

「うん。おいしいけど…」

 梓が言う。

「いつものマルチの味じゃない。」

「ご主人様はいかがですかぁ?」

 マルチはさりげなく耕一に振る。

「うん…」

 耕一はしばらく考えて、

「そうだな、いつもと違う味だが…
 うん、悪くないと思うよ。」

 皆も頷いて、同意を示す。

「そうですかぁ?
 よかったですねー、楓さん。」

「え? 楓?」

 梓が驚く。

「ええ。今日のお食事は、楓さんがひとりで作られたんですぅ。」

 ええっ? と皆が驚く。

「…ふーん。
 初めてで、これだけできりゃ…
 大したもんだ。」

 梓が感心したように言う。

「ひかりが基本データを持っていたので…
 今回は、ほとんどそれを使っただけなんです。」

 楓が恥ずかしそうに打ち明ける。

「いやいや、もちろん、改善の余地はあるけどね。
 意気込みが伝わって来るんだよ…
 美味しい料理を作ってやる、っていうね。
 それが大事。
 あとは努力次第で、いくらでも上手になるさ。」

「はい… 私、学習型ですから。」

 楓が言うと、梓は怪訝そうに、

「何だ? そこまでメイドロボになり切らなくても…
 あんたは、あたしたちの妹なんだよ?」

「ありがとうございます…」

「何か変だな?
 どうかしたのか、楓?」

「いいえ…」

「なあ、耕一?
 楓のやつ、変だと思わないか?」

「さあ…」

「さあって、おまえ…」

 耕一は、それきり、食事が終わるまで口を開かなかった。



 夜。
 耕一は芹香の部屋を訪ねた。

「芹香?」

 耕一さん、と芹香は嬉しそうに迎えた。
 何か御用ですか?

「うん… 実は…」

 ?

「その… 今夜…」

 今夜?

「あの… やっぱりいいや。」

 何のことですか?

「そ、それより… 魔法の実験はどんな調子?」

 ぎくっ

「何を驚いているの?」

 ああ… 今日だけは表情を読まないで。

「恥ずかしそうだよ?」

 いやですってば。

「どうかしたの?」

 じ、実は… ちょっと失敗を…

「なあんだ、それで悩んでたの?
 失敗は成功の元、っていうじゃない?
 きっとそのうち成功するよ。」

 …そうですね。ありがとうございます。

「うん。じゃあ、邪魔したね。」

 あっ、耕一さん。

「うん? なあに?」

 ちゅっ

「…………」

 励ましてくれてありがとう…



 耕一は廊下でマルチに会った。

「あ、マルチ。」

「ご主人様。」

 マルチは笑顔だ。

「お休みなさいませ。」

「待て、マルチ。」

 耕一はマルチの腕を掴む。

「な、何か?」

「おまえ、今夜…」

「え?」

「今夜…」

「?」

「今夜… 俺の…部屋に…」

「! …ご主人様。
 今夜は、楓さんの番ですよー?」

「いいんだ…」

「よくないですぅ。」

「いいから、来い!」

「きゃ!?」

「来いったら!」

 ズリズリ…

「ご…ご主人様…
 楓さんと、喧嘩でも、されたん、ですかぁ?」

「!」

 ピタッ

「楓さん、今日一日中ぼんやりしておられたんですよー。
 きっとご主人様と喧嘩したからですぅ。」

「楓ちゃんが?」

「はいー。仕事も手につかないほどでしたぁ。
 …ご主人様、どうか仲直りしてください。
 ご主人様と楓さんが仲悪くしておられると、
 マルチも辛いですぅ。」

「…………」

「マルチは楓さんの代わりで構いません。
 でも、おふたりが喧嘩した時だけ代わりになるのは…」

「マルチ?」

「…ちょっと…悲しいですぅ。」

「…………」



 私は、耕一さんが芹香さんの部屋に向かうのを見た。
 今夜も芹香さんを誘うつもりだろう…私の代わりに。
 きれいな人だもの。
 それに、人間だもの。
 私とは違う。

 …………

 私は、耕一さんがマルチちゃんと話しているのを見た。
 今夜はマルチちゃんを誘うつもりだろうか?…私の代わりに。
 可愛い娘だものね。
 それに、人間そっくり。
 私とは違う。



 私は耕一さんの部屋の前に立った。
 芹香さんかマルチちゃんが来る前に、話しておきたいことがあった。
 障子の前でためらった。
 勇気を出して言った。

「あの… 楓です。
 ちょっとお話が…
 じきに済みますから…」

 返事はない。

 障子をあける。
 中に入る。

 耕一さんは布団の上に座っている。
 こちらを見ようとはしない。

 私も障子のすぐ前に座り、俯きながら、口を開く。

「…ご主人様。」

 ぴくりと耕一さんが反応する。

「…私は、…楓は、ご主人様にひどいことを…申しました。
 本心ではありませんでした… でも、言い訳にはなりません。
 ご主人様…
 私は、ご主人様に嫌われても当然のことをしました。
 ですから… 心置きなく、芹香さんやマルチちゃんを愛してあげてください。
 私は…もう、ご主人様の、妻でも、恋人でもありません。
 ただのメイドロボになります。
 ご主人様のご命令に決して逆らったり致しません。
 ですから… ですから、私をお傍に置いてください!
 ご主人様のお邪魔になるようなことは致しません。
 お料理も頑張ります!
 おそうじも! お洗濯も!
 きっと立派なメイドロボになれるように努力しますから…
 だから、お願いです、私を捨てないで!
 お願いです! ご主人様! ご主人様ぁ! …ううっ。」

 私は、大声で泣き出しそうになるのを必死で堪えた。

「もうすぐ…芹香さんか、マルチちゃんが来る時間ですね?
 その前に退散しますから…
 捨てないって… それだけ…約束してください…
 明日から…ただのメイドロボになりますから…」

 耕一さんが…いえ、ご主人様が、私の傍に近づいた。

「ただのメイドロボになってもいいと…言うのか?」

「はい…」

「ただのメイドロボでいいから、傍にいたいと言うのか?」

「はい…」

「そこまでして、恥ずかしくないのか?」

「浅ましい女と笑ってください…
 楓は、耕一さん… いえ、ご主人様の傍を離れたら…
 生きていけないんです。」

「…………」

「それが楓の生き方…
 それがエディフェルの生き方。」

「…………」

「傍に…置いて…ください…」



「よし… 一生傍に置いてやろう!」

「! ほ、ほんとですか?」

「ああ。」

「う、嬉しい…
 そ、それでは…
 明日から、メイドロボとしてご奉仕させていただきます。
 ふつつか者ですが、よろしくお願いします。」

「うむ… ただし、条件がある。
 名前を変えろ。」

「え? な、名前を?」

「そうだ。おまえはメイドロボだ。
 ご主人様がメイドロボの名をつけるのは、当然だ。」

「ど…どういう名前に?」

「そうだな… マルチにしよう。」

「え?」

「俺はマルチという娘を愛している。
 おまえはマルチに『似ている』。
 だから、マルチという名にしよう。」

「そ、それは、あんまり…」

「逆らうのか?」

「! あ、いえ…
 ですが… 一軒のうちにマルチがふたりというのは…」

「ふむ、そうか。ややこしいことになるかな?
 それでは、芹香という名はどうかな?」

「ご主人様…
 私を…からかっておいでですか?」

「からかってなどいない。
 今のおまえの名前は何だ?」

「楓…です。」

「それだ。今後その名前を使うことは、絶対に許さん。」

「どうして…ですか?」

「楓というのは、俺の恋人の名前だからだ。」

「!?」

「楓というのは、俺の妻の名前だからだ。」

「あ… あの…」

「心のない、ただのメイドロボなんかに、
 楓を名のらせるわけにはいかない!
 それは本物の楓に対する冒涜だ!」

「…………」

「そうだろう… 楓ちゃん?」

「!!」

「俺の恋人は君だ… 俺の妻は君だ…
 なのに、何でただのメイドロボになりたいなんて言うんだよ?」

「…………」

「ひどいよ…
 いくら俺が、お調子者で浮気者だからって…
 そこまで愛想つかさなくてもいいじゃないか…
 頼むからいつまでも…俺の楓ちゃんでいてくれよ。」

「こ…耕一さん!」

「楓ちゃん。」

 耕一さんは私を抱き締めた。
 耕一さんは私に口づけた。



 そのとき、私ははっとした。

「あ、あの、耕一さん…
 そろそろ誰か来る頃じゃ…?」

「誰かって?」

「耕一さんの…呼んだ人…」

「誰も呼んでないよ。」

「え?」

「誰も呼んでない。だから誰も来ない。」

「こ、耕一さん!?」

「楓ちゃんが来てくれた…
 それでいいんだ。」

「…………」

「楓ちゃん、愛してるよ。」

「耕一さん…
 ありがとうございます。」



「それじゃ、そろそろ始めようか?」

「え?」

「それ!」

「きゃ!?」

 耕一さんは私を押し倒した。

「そ、そんな乱暴な…!」

「あたりまえだよ。
 なんせ俺は、誰かさんが言った通り、『けだもの』なんだからな!」

「! …ご、ごめんなさい。
 謝ります。だから赦して…」

「今さらおそい!
 …ふっふっふ、さあて、かわいいお嬢ちゃん。
 これからこの『けだもの』が、
 お嬢ちゃんをううんとかわいがってあげますからねえ、
 楽しみにしておくんだよ。」

「こ、耕一さあああん!」

 …………

 ひどい、耕一さん… でも、幸せ…



 こうして、平凡な一日が過ぎて行く…


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