The Days of Multi第四部第15章パート1 投稿者: DOM
The Days of Multi
第4部 Days with the Kashiwagis
☆第15章 ある平凡な一日 (マルチ7才) Part 1 of 2



「耕一さん… 耕一さん…」

 俺を呼ぶ声がする。
 ここはどこだ? 頭がもうろうとして…

「耕一さん… 朝ですよ…」

 ? そうか、ここは俺の部屋か。
 楓ちゃんが起こしに来てくれたんだ。

「耕一さん… 起きてください…」

 でも、どうしてそんな障子の外から遠慮がちに声をかけて来るんだ?
 俺と楓ちゃんの仲なのに…

「ううん… おはよう、楓ちゃん…
 だけど、どうしてそんな所にいるの?
 遠慮しないで、入って来たらいいのに…」

「でも… 芹香さんが…」

「え? 芹香?」

 その時ようやく俺は、枕元にきちんと座っている、黒髪長き美女の存在に気がついたのだ。

「うわっ!?」

 俺はぎょっとして飛び起きた。
 その女性はそれまで、まったく気配を感じさせなかったからだ。

 美女がぼそぼそと呟く。

「え? おはようございます、って?
 あ、ああ、おはよう、芹香。」

 しかし、びっくりしたなー、何で気配を消すなんて芸当ができるんだ?
 髪の毛は長いし、てっきり幽霊かと思ったぞ。
 あ、でも、こんな美人の幽霊なら、一度出くわしたいものだなー。
 …いやいや、一度どころか、毎晩でもいいや。
 ついでに俺に取りついて、いつも一緒にいてくれたら、少しぐらい寿命が縮まっても惜しくはない
ぞ…

「耕一さん、また寝ちゃったんですか?」

 はっ!?

 いけない、いけない、トリップしちゃったよ。
 …そうか、昨夜は芹香と過ごしたんだっけ。
 中に芹香がいるのを知っているから、楓ちゃんは遠慮していたのか。

 因みに、芹香も俺を起こそうと、ずっと呼びかけていたらしいのだが…
 さしもの俺も、寝ている間はエルクゥの聴力を閉じているので、そのささやきが聞こえなかったの
だ。
 それで、いつまでも起きて来ない俺を見に、楓ちゃんがやって来たということだろう。

 俺は部屋の外に向かって、

「ありがとう。楓ちゃん。
 もう目が覚めたから。
 今そっちに行くからね。」

 部屋の外の足音が遠離るのを聞きながら、

「じゃ、芹香。起きるとしようか?」

 こくん

 その端正な顔を見ながら、俺は昨夜のことを思い出していた。

 芹香はこのところだんだんその方面に目覚めて来たようで、恥じらいながらも懸命に俺の求めに答
えようとする。
 それが実に魅力的だ。

(週一日に決めてしまったのは、早計だったかな?)

 本気でそんなことを考えてしまう。

(頃合を見て、週二日ぐらいに増やしてもらおうか?
 しかし、楓ちゃんがショックを受けるといけないし…)

「…………」

「え? 何をぼうっとしておられるんですか、って?」

 し、しまった、また…

「あ、あはは、俺、また、芹香に見とれちゃって…
 ほんとうにだらしないな、俺って。
 あ、でも、芹香がそれだけきれいだってことだよな?」

 あっ、真っ赤になって俯いちゃった。
 ほんとに可愛いよなあ。
 あんまり可愛いから… ちゅっ…

「くぉら、耕一ぃぃぃぃぃ!」

 うわっ!?

 芹香の声を聞き取ろうとエルクゥの聴力を解放していたところだから、梓の怒鳴り声が頭にがんが
ん響く。

「いつまでぐずぐずしてんだあ!?
 とっくに朝食の用意はできてるんだぞぉ!」

「す、すまん、梓。
 今すぐ行くから…」

「たくぅ…
 いくら美人の奥さんをもらったからって、
 ちょっとべたべたし過ぎじゃないか?
 家には、まだ嫁入り前のうぶな娘が三人もいるんだから、
 あまり見せつけるんじゃないぞ?」

 そう言って去って行く梓の足音。

「え? 『うぶな娘』って誰のことですか?
 うーん、初音ちゃんがうぶなのは確かなんだけど…」

 芹香も結構言うようになったな。



 朝食。
 七人が食卓へ。
 うち、楓ちゃんとマルチは食事をしないので、座っているだけだ。

 柏木家の料理人は、梓とマルチ、それに初音ちゃんが補佐に加わる。
 三人一緒に調理することもあるが、ほとんどは梓と初音ちゃん、またはマルチと初音ちゃんのペア
で作っている。
 まれには梓かマルチが単独で作ることもあるようだ。
 従って家では、おもに梓風の味付けとマルチ風の味付けの、二種類を楽しむことができる。
 どちらもうまい。
 梓は鶴来屋の調理部に就職したこともあって、文字どおり精進の日々だし、マルチはマルチで学習
型の強みを生かし、新しいコツを身につけたり料理のレパートリーを増やしたりと、どこまでも進歩
していく。
 ふたりとも凄い、とつくづく思う。

 対照的に、料理にまったくタッチしないのが、千鶴さん、楓ちゃん、芹香の三人。
 千鶴さんと芹香は…改めて言うまでもなかろう。
 楓ちゃんは、小さい時からお茶を入れる係だったそうで、調理に携わったことがなく、その実力は
全くの未知数である。



 今朝の食事は、梓・初音コンビによるものだそうだ。
 おれは熱い味噌汁に舌鼓を打ちながら、食生活に恵まれた我が身をつくづく幸いだと思っていた。
 隣にいた芹香は、俺がいかにもおいしそうに食べているのを見て、何事か考え込んでいる様子だっ
たが、やがて、ほっとため息をついた。

「…………」

「え? 私もおいしい料理を作って、耕一さんに誉めてもらいたい?(ぎくっ)
 あ、ありがとう。芹香。
 その気持ちだけで十分だから。
 人には、向き不向きというものがあるんだからね。
 無理をすることはないさ。」

 でも… と寂しそうな顔をする芹香。
 そこで俺は、芹香の耳もとでささやいた。

「だったらさ、その分、夜の方で精進してくれないかな?
 芹香はそっちの才能がありそうだし、俺もその方が嬉しいから…」

 すると芹香は真っ赤になりながら、それでも、

(頑張ります…)

 と答えたのだった。

「…私も、たまにはおいしいお料理を作って、
 耕一さんに食べてもらいたいと思います。」

 突然俺の反対隣で、静かな声がする。
 言わずと知れた楓ちゃんだ。

「梓姉さん、今度教えてもらえますか?」

「え? あ、ああ、いいとも。」

 楓ちゃんの気迫に押されるようにして、梓が返事をする。

「か、楓ちゃん、人には向き不向きがあるから…」

 俺が芹香同様説得しようとすると、楓ちゃんは俺にだけ聞こえる声で、

「…私、夜の才能ありませんから…」

 と呟いた。

 ぎっくうっ

 き、聞こえてたのか?

 それっきり楓ちゃんは、そっぽを向いている。
 もしかして、怒ったのか?
 うーん、何とかして出勤前に機嫌をとっておかなければ…

 などと考えながら、慌ただしくご飯をかっこむ俺だった。



 食事が終わる。
 梓、初音ちゃん、マルチは後片づけ。
 俺と芹香、千鶴さんは、楓ちゃんの入れてくれたお茶をすする。
 やがて、梓たちもやって来て一服。

 その後、電車で通勤・通学する梓と初音ちゃんは、駅に向かう。
 俺と千鶴さんは、鶴来屋からの迎えの自動車を待つ。
 楓ちゃんとマルチは、俺たちが出て行った後、家事をこなす。
 芹香は、魔法の実験の準備を始める。
 これが、柏木家の平均的な朝の風景である。



 俺は出勤前の身支度をするために、部屋に戻った。
 楓ちゃんが無言でついて来る。
 俺の身支度をする権利は、「正妻」である楓ちゃんが原則として握っているのである。

 楓ちゃんは俺と目を合わせようとせず、終止無言で身支度を整えさせた。
 明らかに怒っている。
 出勤準備も一段落したので、そろそろご機嫌をとることにしようか。

 俺が楓ちゃんに手を伸ばそうとすると、楓ちゃんは予期していたらしく、ひらりと身をかわすと、

「耕一さん…
 女は無理矢理抱いてしまえば言うことを聞く、なんて…
 考えが甘いですよ?」

 と、いつぞや聞いたような台詞を口にする。
 こりゃ、かなりきているな?

 俺は必死に楓ちゃんをなだめすかしながら、抱き締めようとするが、楓ちゃんはひらひら逃げまわ
り、捕まってくれない。

「芹香さんにはそっちの才能があるんでしょう?
 私なんかに構ってないで、
 芹香さんと遊んだらいいじゃないですか?」

 そんなことを言う。

「楓ちゃーん、いい加減、機嫌直してよー。」

 もうすぐ迎えの車が来る時間だ。

「いやです。
 ちょっと私の体に触って機嫌をとれば
 すぐに言うことを聞くと思っている耕一さんなんか、嫌いです。
 どうせ耕一さんは、私たち三人の体だけが目当てなんでしょう?
 それなら、一番つまらない私の体なんかより、
 あとのふたりの方が、よっぽど面白く遊べますよ。
 きれいなお人形さんと、可愛いメイドロボがいれば、
 いかにけだもののような耕一さんの欲望でも、
 満足させてもらえるでしょう!?」

 …むかっ

 あまりと言えばあまりの楓ちゃんの言いように、俺もついに切れてしまった。

「そうか。
 楓ちゃんは、俺のことをそんな風に見ていたのか…
 よくわかったよ。
 そんなに俺の相手をするのが嫌なら、無理にとは言わない。
 これから俺の相手は、あとのふたりにしてもらうよ!」

「!?」

 楓ちゃんは、はっとして何か言いかけたが、

「ご主人様ぁ、お迎えの車が参りましたー。」

 というマルチの声に、俺は鞄を持って部屋を出て行ってしまった。



 耕一と千鶴が車で出て行くと、一瞬、けだるいような感覚が、残された三人を襲う。
 それからおもむろに、めいめいの仕事をこなし始める。
 マルチは掃除、楓は洗濯。
 芹香は、当初自分も家事を手伝いたいと言っていたが、料理の話を聞いただけで震え上がった柏木
家の皆の一致した意見で、家事全般を禁じることにした。
 もちろん表向きは、メイドロボがふたりもいて人手は十分なので、好きな魔法の実験に専念してく
れ、ということになっていた。



 というわけで、芹香は自分の部屋に戻り、魔法研究に時を用いるのだった。
 最近彼女が研究しているのは、ほうきに乗って空を飛ぶという古典的な魔法である。
 これにはベラドンナ草と特殊なオイルが必要で、なかなか手に入らなかったのが、このほど来栖川
系列のルートから入手できた。
 で、早速実験三昧の日々というわけである。

 実は既に、ある程度宙に浮かぶことはできた。
 まだせいぜい地上1メートルくらいだが、足を離して、ふわりと浮かぶことができるのである。
 ただ、それ以上高くは上がらず、前進・後退もできない。
 どうやら、伝えられている呪文が不完全のようである。
 そこで芹香は、自分が今まで儀式に使って来た幾多の呪文のパターンから推して、いくつかの復元
案をつくり、ひとつひとつ試すことにしたのだ。

 芹香は、体に特殊なオイルを塗ると、ほうきにまたがりやすいように、キュロットをはいた。
 万が一そのまま外へ飛び出してしまっても、恥ずかしくないようにである。
 さらに、いつものマントと帽子を身につける。
 べラドンナ草をポケットに忍ばせ、ほうきにまたがった。
 準備完了である。

 芹香は、今日試そうと思っている呪文を唱え始めた。
 やがて、ほうきがふわりと浮き上がる。

 50センチ。

 1メートル。

 1メートル50…

 およそ2メートルの高さでほうきは止まった。
 芹香は喜んだ。
 高さとしては、今までで一番の記録だ。

 芹香はさらに、今まで一度も成功していない、前進・後退のための呪文を唱え始めた。
 と、ほうきはゆっくり、ごくわずかだが前に動いた。
 これは初めての反応だ。
 芹香は、また顔を綻ばせた… 耕一でなければわからない程度だが。



 掃除が一段落したマルチは、洗濯機を前にぼんやりたたずんでいる楓を見つけた。
 マルチは首を傾げる。
 そっと近寄って見ると、洗濯はとっくに終わっているらしい。
 あとは、洗濯物を取り出して外に干すだけなのだが…

「楓さん?」

 反応がない。

「楓さん?」

 やや大き目の声で呼んでも、やはり反応がない。

「楓さん? しっかりしてください。」

 マルチが肩を掴んで軽くゆすると、ようやく楓は我に帰った。

「あ? ああ? マルチちゃん?」

「しっかりしてください、楓さん。
 一体どうなさったんですか?」

「な、何でもないの。
 ちょっとぼんやりしてただけ…
 それより、洗濯、洗濯…と。」

「もう終わってるみたいですよ?」

「え? あ、ああ、本当ね?
 じゃ、じゃあ、外に干します。」

「お手伝いしますぅ。」

 洗濯物を干しながらも、楓は時々考え込む。
 楓は「心配ない」の一点ばりであったが…
 …やっぱり楓はおかしい。
 そう思ったマルチは、あとの仕事は自分がやるからと、無理矢理楓を部屋に下がらせた。



 ベッドの上に体を投げ出した楓は、今朝のことを思い出していた。
 自分は気が立っていた。
 耕一といかにも仲睦まじそうな芹香を見て、平静でいられなかった。
 自分を慰めようとした耕一にも、素直になれなかった。
 ちょっと機嫌を取れば、どうとでも言うことを聞く女… そんな風に安く見積もられているような
気がして、つい逆らってしまったのだ。
 そして、自分でも思ってもみなかったような、激しい言葉を口にしてしまった。
 耕一が怒るのは当然だ。

 楓は悲しかった。
 耕一を怒らせた結果、楓は、自分が一番恐れていた境遇に身を落としてしまったのである。
 耕一に捨てられた。
 そう思った。
 確かに自分は柏木楓。たとえメイドロボの体とはいえ、姉妹たちは自分を妹とみなしてくれる−−
これからもそうだろう。
 だが耕一は、きっとこれから自分を、道ばたの石のようにしか見なくなるだろう。
 自分より従順なメイドロボと、自分より優しい女性に囲まれて、それで幸せになるだろう。
 自分のことなど忘れて…
 楓は泣いた。
 涙を流さずに泣き続けた。



 芹香は、さらに呪文を唱え続けた。
 ほうきは前に行ったかと思うと、後ろに下がる、という動きをゆっくりと繰り返していた。

 芹香は呪文を唱え終えた。
 そして、一言、「前!」と叫んだ。
 これで、ほうきは流れるように前に進むはずだ。

 ところが実際には、ほうきはぐっと前に出たかと思うと、すぐ元に戻る。
 また前に出てまた戻る。
 その繰り返しである。

 芹香は予期した結果が得られないので、今度は短い呪文の後、「後ろ!」と叫んだ。
 後退の命令である。

 ところが、やはりほうきはぐっとバックしたかと思うと、またすぐ元に戻る。
 しかたなくいったん動きを止めようと、またしても短い呪文の後、「止まれ!」と叫んだ。
 …止まらない。

 芹香は焦った。
 どこかで呪文の復元法を間違えたに違いない。
 ほうきの制御ができなくなっている。
 もう一度「止まれ!」と叫ぶ。
 結果は同じだ。
 何の変化もない。
 ほうきの前後運動は、次第に速くなっていった。
 芹香はいろいろ試すが、どうしてもほうきをコントロールすることはできなかった…



 …楓は泣き疲れて、ぐったりとしていた。
 頭の中を、これまで耕一と過ごして来た日々がよぎって行く。

 初めて会った、小学生の耕一。
 水門で鬼を覚醒させ、また封じ込めた耕一。
 大学生となって、再び自分の前に現れた耕一。
 耕一を慕いながら、思いを伝えられなかった日々。
 耕一と身も心も一つになった瞬間。
 耕一の腕の中で冷たくなっていく自分。
 初めてひかりの体のまま愛された、あの夜。
 耕一との結婚式。
 …
 月夜に初めて出会った人間の男、次郎衛門。
 戦場で再会した、瀕死の次郎衛門。
 自分に怒りを向け、ついで愛してくれた次郎衛門。
 次郎衛門と共に暮らした、短いが幸せな日々。
 次郎衛門の腕の中で冷たくなっていく自分。
 …

 私はやっぱり次郎衛門と…耕一さんと長く添い遂げることは…できないの?
 それが私の運命なの?
 耕一さん! 耕一さん!
 耕一さん…


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