The Days of Multi第四部第13章パート2 投稿者: DOM
The Days of Multi
第4部 Days with the Kashiwagis
☆第13章 芹香の結婚 (マルチ6才〜7才) Part 2 of 2



 会場内を見回していた綾香は、目当ての人物の後ろ姿を見つけた。
 その人物とつかず離れずの位置を保ちながら、機会を伺う。
 やがて、その人物は回りの人々から離れ、飲み物の置いてあるテーブルに近づいた。
 綾香は、さりげなくその人物と並んで、自分も飲み物を選ぶような風を装う。
 少なくとも間近で監視されていそうな様子はないことを確認してから、そっと隣の人物に声をかけ
る−−目は、自分の前のグラスを見つめたまま。

「…長瀬さん。そのまま、驚かないで。
 知らん顔しててね。」

 できるだけ抑えた声で呟く。
 隣の人物はかすかに身じろぎしたが、そのまま何事もなかったかのように、飲み物を選ぶ手を伸ば
す。

「あの娘が見つかったわ。無事よ。」

 それだけで、何のことかわかる。
 長瀬主任は無言で、ロゼワインのグラスを手に取る−−綾香の声など聞こえないかのように。

「じゃ、またね。」

 それだけ言うと、綾香も白ワインのグラスを手に、テーブルを離れて行った。
 長瀬も、綾香とは全く違う方向−−自分の顔見知りがいる方へと歩き出す。

 ふたりの間に内密の接触があったことに気がついた者は、だれひとりいなかった。



 綾香は、自分の部屋で携帯電話の鳴るのを待っていた。いらいらしながら。

(今夜かかって来るとは限らないじゃない。…明日という可能性も…)

 などと考えて自分を落ち着かせようとするが…うまくいかない。



 …時は、耕一と芹香が「正式の」見合いをした直後のことである。
 綾香は、マルチが耕一のもとで無事に暮らしていることを知って、一刻も早く長瀬に知らせてやろ
うと機会を伺っていた。
 マルチが行方をくらまして以来4年になるというのに、例の調査員たちはまだ諦めていないような
ので、研究所や長瀬の自宅に連絡を入れることができなかったのだ。

 長瀬の実の父親であるセバスチャンを会いに行かせようかとも考えたが、やはり目をつけられる恐
れがあるのでやめた(この父子はふだん、ほとんど没交渉だからである。)。
 いろいろ考えたが、いつぞやシンポジウムで初めて長瀬に会ったときのように、大勢ごった返して
いる中でそっと合図をして、長瀬から公衆電話で綾香の携帯にかけてもらうのが、一番安全そうだっ
た。

 今日がその機会だったのだ。
 全国的な不況の中、来栖川系列の会社も軒並み業績を落とし、沈滞ムードが濃い。
 そういう状況を打破するためというか、景気づけというか、一部業績を伸ばしている部門の表彰を
兼ねたパーティーがあったのだ。

 長瀬たちの開発グループも、表彰される部門のひとつであった。
 不景気のため、新規にメイドロボの売り上げを伸ばすことが困難と見た長瀬たちは、新製品の開発
を一時置いておいて、既製のメイドロボに対するマイナーバージョンアップのサービスを行なったの
だが、これが思いのほか好評だったのだ。
 おかげで、このところ売れ行きが伸び悩んでいたマルチ・セリオ両タイプがまたしても人気を呼び、
新規購入者もかなり出たのである。
 この不況下では、かなり目立つ業績を上げたのだ。

 綾香は、長瀬が表彰式に出席予定と聞きつけて、自分も顔を出したいと父親にせがんだ。
 最近この手のパーティーに出ることをいやがっていた娘にしては珍しいと思った父親−−来栖川エ
レクトロニクスの社長−−ではあったが、喜んで出席を認めた。
 先日の見合いの結果、姉娘は遠方に嫁ぎそうな見通しなので、綾香に跡継ぎとしての自覚が出て来
たのかと、頼もしくも思ったのである。
 もちろん綾香の目的は、長瀬と接触する機会を持つという、ただそのことのみだったのだが…



 トゥルルル…

 携帯が鳴り始めた。
 と、ほとんど同時に、綾香は受信態勢に入っていた。

「もしもし!?」

 かなり意気込んでいるのが自分でもわかる。
 もっと冷静にならなくちゃね…

「もしもし? 綾香お嬢様ですか?」

 対照的に、落ち着き払った長瀬の声。憎らしいほどだ。

「長瀬さんね? 待ちくたびれたわ。」

「申し訳ありません。
 公衆電話とはいえ、念のため、
 監視されないように気をつけないといけませんので…」

 のんきそうに見えても、長瀬も相当慎重になっているのだ。

「ごめんなさい。
 文句を言うつもりはなかったのよ。」

 綾香は素直に謝ることにした。

「それで、あの娘のことなんだけど…
 つい最近、元気に暮らしているのがわかったの。
 事情をすべて理解した上で受け入れてくれている、暖かい家族に匿われてね。
 幸せそうよ。」

(ちょっと、複雑な家庭ではあるけど…)

 長瀬が余計な心配をするといけないので、それは黙っておくことにした。

「そうですか。それは何よりです。」

 長瀬は何気ない風を装っているが、安堵感と嬉しさは隠しきれないようだ。

「それにね、すっかり元どおり、
 ちょっとドジだけど、笑顔の似合うあの娘に戻っているわ。
 昔の記憶も全部取り戻したそうよ。
 …長瀬さんや、スタッフの皆に会いたがっていたわ。」

「…………」

 長瀬も、あのにこやかな娘の笑顔を見たいと思う。

「でもね、今あの娘がいる所は、
 おいそれと会いに行ける距離じゃないし…
 何よりも、まだしばらくは用心しないと…」

「わかっています。」

 うっかり会いに行って、調査員にかぎつけられたらおしまいだ。

「時々、電話くれる?
 新しい情報が入ったら知らせるから。」

「承知しました。どうもありがとうございました。」

 カチャッ…



 長瀬は、公衆電話を離れると、何食わぬ顔で歩き出したが、内心の喜びが外に出ないよう、抑える
のに苦労しなければならなかった。
 4年の空白の後にもたらされた娘の消息は、それほど大きな興奮を長瀬の内に呼び起こしたのだ。

 マルチがセバスチャンと落ち合うことができず、行方知れずになって以来、長瀬もスタッフも、
「きっとうまく逃げ延びたに違いない」と考える一方で、絶えず不吉な想像に悩まされてもいた。
 マルチが人目につかない場所で、バッテリー切れを起こして倒れ、そのまま雨風にさらされ続けて
いる…という可能性もないわけではない。

 もっと悲惨なのは、このところぽつぽつ発生している、メイドロボ誘拐(法的には盗難にしかなら
ないが)に巻き込まれた場合である。
 人間そっくりの容姿をしたメイドロボを、変態行為目的で誘拐する、いや、盗み出す事件が、時た
ま報告されていた。

 もしもマルチが、そうした変質者に目をつけられたら…
 性交機能がある上に、ご丁寧にもメンテナンス用のパソコンまで持っているマルチを、逃げられな
いよう監禁して、定期的に充電してやれば、性の奴隷として半永久的に飼うことができる…
 拘束されて変質者にもてあそばれ、泣き叫ぶマルチ…
 そんな悪夢を一度も見たことのないスタッフは、おそらくひとりもないだろう。
 それだけに、綾香の知らせを受けた長瀬は、思わず踊り出しそうになるほどの喜びを覚えていたの
だ。

 翌日、研究所に顔を出した長瀬は、それとなくスタッフにマルチの無事を伝えた。
 4年来の心配に終止符を打ってもらえたスタッフは、もちろん大喜びで、いつかマルチと再会でき
る日を思い描くのであった。



 …俺(耕一)と芹香さんは、お見合いの翌年3月に婚約、その年の夏に結婚式を挙げた。
 片や天下の来栖川グループのご令嬢、片や、規模は来栖川に及ばぬとはいえ、やはり一方の雄であ
る鶴来屋グループの副会長、話題にならないわけはない。
 一時期取材の申し込みなどで、結構慌ただしかった。

 あとで綾香さんに聞いたところによると、芹香さんには孫可愛がりのお祖父さん(来栖川グループ
の会長だ)がいて、この結婚話には(というか、芹香さんに縁談が持ち上がる度に)反対していたら
しいのだが、綾香さんが直談判したらOKが出たのだそうだ。
 綾香さんが「直談判」という所に妙に力を入れていたのが気になったが… まあ、家庭内のことに
口を差し挟むのはよそう。



 鶴来屋で執り行われた結婚式のくだくだしい次第などは省略して、新婚旅行。
 公にはヨーロッパ一周となっていたが、実はとあるひなびた温泉宿でゆっくり過ごすことになった。
 俺も長期間隆山を離れるのは嫌だったし、芹香さんは海外旅行など珍しくないそうで、昔からそう
いうひなびた宿に泊まってみたかったのだそうだ。



 旅行の一日目、俺たちはまず、のんびり温泉につかりながら、今までの疲れをいやした。
 夕食が終わってまた一風呂浴びた後、浴衣姿の芹香さんと部屋で差し向いになった。
 芹香さんの抜けるように白い肌が、湯上がりでほんのり上気して、何とも言えず美しい。
 こんな美しい女性を妻に迎えられるなんて…俺って幸せ者。

「芹香さん、どう? 楽しい?
 え? とっても楽しいです?
 そう、よかったね。
 今日は時間がなかったけど、
 明日はこの近くを散歩してみようか?」

 はい、と芹香さんは答える。
 それきり沈黙。

 うーん。何となく気まずい雰囲気だ。
 だって、あとやることと言えば… やっぱりあれだろうなあ。

「せ、芹香さん?」

 ぴくっと芹香さんが反応する。

「あ、あのさ、やっとふたりっきりになれたことだし、よかったら…」

 芹香さんが緊張している。

「…膝枕、してくれない?」



 芹香さんの膝は柔らかい。
 その体からは、芳香のようなものが漂っている。
 うーん。…この人、本当に人間だろうか?
 それにしては、余りにも美しい。
 その美しいお方に膝枕してもらえるなんて… 天にも上る気持ちとは、こういうのを言うんだろう
な。

「え? 何を笑っているんですか? って?」

 いかん、つい顔がにやけていたらしい。

「いや、だってまるで天女のようにきれいな女の人に、
 こうやって膝枕してもらえるなんて、
 男として、こんな嬉しいことはないよ。
 このまま死んでも悔いはないくらいさ。」

 おっ、真っ赤になって俯いてしまった。ほんと、純情だなー。
 うつむいた拍子に、長い髪がひとすじ流れて、俺の顔をくすぐる。
 うーん、たまらないぜ。

 俺は起き上がると、芹香さんの唇を求めた。
 芹香さんは赤い顔のまま、目を閉じる。口づけをする。
 何だか香わしいような感じがする。
 本当に天女じゃないのか、この人?

「…そろそろ… 寝ようか?」

 芹香さんは、やはり赤い顔でこくんと頷いた…



 新婚旅行が終わって柏木家へ帰る。
 この春から鶴来屋の調理部に就職した梓は家におらず、大学生で夏休み中の初音ちゃん、それに楓
ちゃんとマルチが出迎えてくれた。

「耕一お兄ちゃん、芹香さん、お帰りなさい。」

 初音ちゃんの、変わらぬ無邪気な微笑みがまぶしい。

「…お帰りなさい。」

 楓ちゃんは、何となく言葉少なだ。
 やっぱり平気じゃいられないのか?

「ご主人様、お帰りなさいー。
 芹香さん、ようこそいらっしゃいませー。」

 対照的に、マルチは満面の笑みだ。

「こら、マルチ。
 芹香さんはもう、この家の人なんだぞ。
 『いらっしゃいませ』はないだろう?」

 楓ちゃんの表情が微かに揺らぐ。

「あ、そ、そうでしたー、も、申し訳ありませええん。
 あの、芹香さんも、お帰りなさいませー。」

 ただいま帰りました、今日からよろしくお願いします、と芹香さんが挨拶した。



 俺と楓ちゃん、マルチ、芹香さんの三人は、結婚式の前に、今後のことをあらかじめ話し合ってお
いた。
 今まで俺の部屋には、俺と楓ちゃんの物が置いてあったが、楓ちゃんの荷物は例の姉妹の部屋の方
へ戻すことになった。
 来栖川関係の来客などあった時に、芹香さん以外の女性の物が俺の部屋にあるのはおかしいだろう、
ということになったのだ。
 芹香さんの荷物は、今まで使われていなかった別の部屋をあけて、そこに運び込んだ。
 マルチの部屋は元のまま。
 要するに、俺の三人の「妻」は、それぞれ自分の部屋を持っていて、そこから俺の部屋へ通うので
ある。

 俺とマルチが一週間に一度会っていることを知ると、芹香さんは自分も週に一日でいい、と言い出
した。楓ちゃんへの心遣いである。
 楓ちゃんは、「そんな、申し訳ないです。」としきりに遠慮していたが、芹香さんに押し切られた
形になった。
 楓ちゃんは内心嬉しかったようだ。



 柏木家に着くと、疲れているだろうから少し休んでくれと、芹香さんに自室に引き取ってもらった。
 俺は自分の部屋に行く時に、さりげなく楓ちゃんに目で合図をした。

 部屋に荷物を置いて待っていると、ほどなく楓ちゃんがやって来た。
 「耕一さん、何か?」という声も元気がない。
 やはり落ち込んでいるのだろう。

 俺は、

「楓ちゃん。」

 と言うと、

「会いたかったよ。」

 と、楓ちゃんの体を抱き寄せた。
 芹香さんには悪いが、ここは楓ちゃんを慰めてやらないと。

「あ…」

 楓ちゃんが俺の胸に倒れ込む。
 俺はその顔を上に向けさせると、濃厚な口づけをした。

「うふ…」

 長い長い口づけを終えると、

「俺の本当のお嫁さんは楓ちゃんだけだ。そうだろ?」

 とささやいた。

「耕一さん…」

 楓ちゃんが嬉しそうな顔をする…

 …………
 


 楓ちゃんがちょっとふらふらしながら出て行った後、俺は少し荷物を整理しようとしたが、何とな
く視線を感じて目を上げた。
 障子の外に誰か立っている。

「マルチ? 何してんだ、そんなとこで?」

 マルチはぴくっとすると、

「い、いえ、別に。
 …あの、お茶をお持ちしました。」

「ん? ああ、ありがとう。」

 マルチは部屋に入って来ると、俺の前に座り、お茶を入れる。
 俺はお茶を口に含んだが、

「? 変だな、このお茶やけにぬるいぞ?」

「え? そ、そうですか?
 失礼しました、すぐに新しいのをお持ちします!」

 慌てて立ち上がろうとするのを、俺は引き止める。

「マルチ、おまえ…」

「は、はい?」

「…のぞいてたな?」

「! い、いえ、そんな…!」

 俺はマルチを抱き寄せる。

「ご、ご主人様?」

「そうか… マルチも寂しかったんだな?
 おまえも、あんなことしてほしいんだろ?」

「い、いいえ、恥ずかしいですから…」

「何で恥ずかしいことだとわかるんだ?」

「え? あ!? あの…」

「やっぱりのぞいていたな?」

「ち、違いますぅ!
 あの… お茶をお持ちしたら、ちょうど…あの…
 お取り込み中だったみたいですので、
 終わるまで、あちらで待たせていただいてただけですぅ!」

「見てはいないのか?」

「は、はい! 見てません!」

「本当に見てないのか?
 嘘じゃないだろうな?」

「は… はい…」

 マルチの声が小さくなる。それで大体見当がつく。

「俺、嘘をつく娘は嫌いだな…」

「…………」

「もういい、そのお茶を持って下がれ。」

「あ、あの…」

「下がれったら。」

「あの、私…」

「嘘つきマルチ。」

 俺がぼそっと呟くと、ついにマルチは耐えられなくなって、

「ひいいいいいーん! ごめんなさあい!
 悪気はなかったんですぅぅぅぅ!」

 と泣き出した。

「やっぱりのぞいてたんだな?」

「ごめんなさあああい!」

「のぞいてたんだな?」

「! は、はい… のぞいてました。」

「やっぱりそうか。
 人のプライバシーをのぞいた上に、嘘までつくとは…
 本当にマルチは悪い子だな。」

「す、すびばせえええええん!」

「そんな子には、お仕置きが必要だな。」

「え?」

 俺は、マルチに手を伸ばした。

「ご、ご主人様!?」

 …………

 間もなく、耕一の部屋から、赤い顔をしたマルチが出て来たが、幸い見とがめる者はいなかった。



 俺は芹香さんの部屋をのぞいてみた。
 芹香さんは部屋のまん中で、お人形さんのようにお行儀よく座っている。

「芹香さん。疲れてない?
 もっとくつろいでくれてもいいんだよ。
 ここはもう、芹香さんの家なんだから。
 え? くつろいでます?」

 俺の場合、くつろぐというのは、部屋の中でごろごろ寝っ転がることなんだが…

 俺は、芹香さんの隣に腰をおろした。
 すぐ傍にいる美女の顔を見る。
 うーん。しかし、見れば見るほどきれいな顔だな。
 俺は美人を形容する言葉なんか知らないが、ともかく一般に言う「美人」のレベルをはるかに超越
した、この地球上でも一、二を争うほどの美人と言っていいだろう。

 顔だけじゃない、体だって…
 俺は新婚旅行先で見た彼女の体を思い出して、ごくっと生唾を飲み込んだ。
 今まで楓ちゃんとマルチのつるぺたバディに慣れていたからあまり意識していなかったけど、一度
目にすると、出る所が出て引っ込む所が引っ込んでいる体というのも、実に魅力的だ。
 おまけに、ギリシャかローマの彫刻のように整ったプロポーション…
 うんうん、俺はつくづく幸せ者だ…

 あれ? 芹香さんが不思議そうな顔をしている?

「え? 何を見ているんですか、って?」

 しまった、ついまた見とれてしまったらしい。
 千鶴さんがいたら、思いきりつねられているところだろうな。
 くわばらくわばら。

「それはね、芹香さんがあんまりきれいだから、
 つい見とれてしまったんだよ。」

 俺は正直なところを口にした。

 すると、芹香さんは口元に手を当て、顔を赤らめて俯いた。

 くくうーっ! この顔!
 何て強烈な破壊力なんだ! たまらないぜ!

「え? お上手ですねって?
 何言ってんだよ、正真正銘、本心だよ。」

 俺は昼間から騒ぎ立てる息子を静めるのに苦労しながら、そう答えた。

「え? 耕一さんこそ、とてもハンサムです?
 くーっ、嬉しいなあ。
 たとえお世辞でも、芹香さんにそう言われると。」

「…………」

「え? お世辞じゃありません?
 じゃあ、マジで?
 マジです? そ、そうなの?
 え? それと、さんづけはやめて『芹香』と呼んでください?
 で、でも、いきなり呼び捨ても…
 え? ぜひお願いします? じゃ、じゃあ…」

 俺は息を吸うと、

「…芹香?」

 と呼んだ。
 すると芹香は、顔をほんのり赤らめながら、

「…………」
 はい、あなた、と小さな小さな声で言ってくれたのだ…

 がああああああああああああん

 俺の心は、大きく大きく揺さぶられた。
 もう駄目だ。今のは強烈すぎる。これ以上我慢できないぞ。
 すでにふたりの「妻」には「挨拶」をすませたし、夕食にはまだ間があるし、ここはいっちょ、も
うひとりの妻にも懇切丁寧なサービスを…

 俺が今にも狼に変身しようというその時、

「耕一さん、芹香さん。」

 という、いとも静かな声が、部屋の外から聞こえて来た。
 とたんに、俺の狼はどこかに姿をくらまし、品行方正な模範青年が代わって登場する。

「お茶をお持ちしました。どうぞ。」

「あ、ああ、ありがとう、楓ちゃん。」

 すっと襖が開いて、お盆を手にした楓ちゃんが入って来る。
 しかし、マルチといい、楓ちゃんといい、どうして今日はやたらとお茶を持って来たがるんだ?



 俺は、楓ちゃんの入れてくれたお茶をすする。
 いつもながら、本当にうまい。

「うん、やっぱり楓ちゃんの入れてくれたお茶はうまいね。」

 俺がほめると、楓ちゃんははにかんだ表情をする。
 俺以外の人間には、多分まったくの無表情としか見えないだろうが。

「え? どうしたらこんなにおいしいお茶が入れられるのでしょう…ですか?
 さあ… 私、小さい時からお茶を入れる係でしたから…
 どうしたらと言われても…」

 その時、部屋の外でトテトテと足音がしたかと思うと、

「ご主人様ぁ! 芹香さーん!
 お茶をお持ちしま… あ、あれ?」

 お盆を持ったマルチが立っていた。

 …まさかお茶にかこつけて、俺のことを見張っているんじゃあ…?


−−−−−−−−−−−−

耕一、ハーレム状態…
成りゆき任せで書いていたら、こんなことになってしまいました。


それにしても、確か執筆開始当初は、芹香さんと耕一を結びつける予定はなかったはずなんですが…
いつの間に?

(本当は柏木姉妹の誰かと結婚させるつもりで)
「耕一は立場上、人間の女性を娶ることになるだろう。」と二、三回ほのめかしておいたのですが、
まさか相手が芹香さんだとは…作者も意外でした(おい)。

芹香さんの召喚シーンが書きたくて、「鬼退治」をさせたのがまずかったんでしょうか?
何しろあれで、来栖川姉妹に柏木家の秘密を知られたわけですから…
崖から飛び下りたマルチを助けさせたことによって、耕一の女性関係も教えちゃいましたし。
はて? どっちも意図的にやった覚えはないんですが?

パート1で、楓ちゃんが、
耕一の結婚相手として芹香さんのふさわしい理由をいろいろ挙げていますが、
あれは例によって、その場面を書きながら「お? そう言えばこういう理由もつけられるぞ。」と
どんどん付け足したものです。
そして、楓ちゃんがマルチの修理の問題に触れたとき、ほとんど作者の意向と関わりなく、
芹香さんとのお見合いが決まってしまうのでした(それまでは、どうなるか未決定だった)。

自分が書いているはずのキャラクターの意見に左右される作者って、ほかにいるんでしょうか?


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