The Days of Multi第四部第9章 投稿者: DOM
The Days of Multi
第4部 Days with the Kashiwagis
☆第9章 再会 (マルチ6才)



 翌日の朝食も、重苦しい雰囲気だった。
 朝食後、俺が再び海に行くつもりであることを告げると、四姉妹全員が同行を申し出た。
 俺はひとりで行くと丁重に断わったが、楓ちゃんだけは最後まで、一緒に行くと言い張る。
 言い出したら頑として聞かない性格であることは良く知っているので、しかたなく連れて行くこと
にした。



 目的地がわかっているので、今日は俺の運転する車で行くことにしたのだが、楓ちゃんは車に乗っ
てから、一言も口を聞こうとしなかった。
 俺も喋る気になれないので、海岸まで沈黙のままだった。
 同じ車の中の沈黙でも、ひとりしか乗っていなくて静かなのと、ふたり乗っていて押し黙っている
のとでは、息苦しさが大分違う。
 車が例の崖の近くに到着した時には、正直ほっとした。
 ふたりで、昨日の岩場まで降りる。
 俺は楓ちゃんを岩場に残して、海にもぐろうと準備を始めた。



 その時、海の方から妙に明るい声が聞こえてきた。

「やっほー、耕一ぃ?」

 俺は突然名前を呼ばれたので、驚いて顔を上げた。
 見ると、少し離れた海上に、一隻のクルーザーが停まっていた。

「あっ、やっぱり耕一だ。
 元気してたー?」

 そして、クルーザーの上から陽気な声をかけてくるのは…
 俺は自分の目を疑った。
 去年お見合いをした(しそこなった?)相手、来栖川綾香さんだったのだ。

「あ、綾香さん?
 どうしてここに?」

「あんたこそ、こんなとこで何してんのよー?
 …ったくー、妙なとこで会うもんねー?」

 綾香さんは上機嫌だ。

「俺は大事な探し物があるんだ。
 残念だけど、あなたにつきあってる暇はないんだよ。」

「探し物?」

 綾香さんは急に真顔になった。

「…探し物って何よ?」

「綾香さんには関係ないものだよ。」

「あら、ずいぶん冷たいのねー、
 あたしとあんたの仲なのに?」

「…どういう仲なんですか?」

 楓ちゃんが低い声で俺に尋ねる。
 綾香さん、頼むからこれ以上楓ちゃんを刺激しないでくれ。



「ほら、去年お見合いして『断わった』来栖川綾香さんだよ。」

 俺は「断わった」点を強調した。

「………」

 楓ちゃんは無表情だが、明らかに「私は不機嫌です」といった空気を放っているのがわかる。
 しかし、さすがに海の上までは届かないらしく、綾香さんはふざけたような声で言った。

「せっかく、面白いお話してあげようと思ったのにさあ。」

「間に合ってるよ。」

「私、昨日もこのあたりを船で通ったのよね。」

「…?」

「そしたらさ、いきなり崖の下で、
 ざぶーんと大きな水音がして…」

「何だって!?」

「落ちて来たのよねー。」

「な、何が!?」

「何だと思う?」

「頼む、教えてくれ!」

「そうねー…
 あんたの探し物が何だか教えてくれたら、ってことでどう?」

「うっ…」

「どうしたの?」



「お、俺の探し物は…
 その… 女の子だよ。」

「女の子?
 何でこんなとこで、女の子を探しているのよ?」

「何でもいいだろう?
 それより、綾香さんの目の前に落ちて来たってのは…?」

 すると、綾香さんはにやっと笑って、

「…女の子よ。」

「!? そ、その子はどうした!?」

「うーん… 教えてあげてもいいけど…
 もしかして、あんたが探している女の子って、その子のこと?」

「た、多分、そうだと思う。」

「へえーっ、こりゃまた奇遇だわね…」

 綾香さんは、呆れたような、感心したような声を出す。

「その子は無事なのか!?
 今どこにいるんだ!?」

「その前に、本当にその子があんたの探している子かどうか、
 確認させてもらうわよ。
 …その子は何才? 服装は? どんな髪型?」

「見た目は12、3才。服装は…」

 俺は、昨日マルチが出て行った時の姿を思い出しながら答えた。

「ふーん、どうやら間違いないようだけど…
 もうひとつ聞くわ、あんたとその子の関係は?」

 俺は一瞬詰まったが、

「その子は、俺の家のメイドだ。」

 と答えた。

「あらそう? それだけ?
 …じゃあ人違いかもね。」

「な、何でだよ?
 きっとその子に違いない。
 今どこにいるか教えてくれ!」

「…あんたがその子の『ご主人様』?」

「あ…ああ、そうだよ!」

「そして、その子はメイドロボ?」

「な、何でそれを…?」

「あんたねえ…
 自分とこで作ってるメイドロボくらい、見りゃわかるわよ。
 (それに、まんざら知らない仲でもないし…)
 …大体人間の女の子なら、
 この高さから飛び下りて、ぴんぴんしているわけないでしょう?」

「そ、それじゃ…
 その子は無事なんだな?」

「ええ、自分とこの製品ほめるのも何だけど、
 さすがに丈夫なもんよ。」

「そ、そうか、良かった…
 頼む、その子に会わせてくれ!」

「いいわよ。でもその前に…」

「今度は何だよ?」

「最終確認よ。
 念のために、その子の名前を教えてちょうだい。
 それが合ってたら、その子に会わせてあげる。」

「うっ…」

 マルチの正体を明かすのは…

「あらっ、自分とこのメイドロボの名前もわからないの?
 怪しいわねー、こりゃ、『かたり』かも知れない…」

「ま、待て…
 その子の名前を言えば、本当に会わせてくれるんだな?」

「ええ。すぐに会えるわよ。」

「…………」

 うかつな話だが、俺はそのときになってようやく、マルチが綾香さんと面識があると言っていたの
を思い出した。
 そうだとすると、今さらマルチの正体を隠そうとしても、無意味だろう。

「よ、よし…」

 俺は決心した。

「その子の名前は…マルチだ!」

 俺がそう言うと、綾香さんはじーっと俺の顔を見つめた。

「何だよ。間違っているって言うのか?」

「え? ううん、そうじゃないけど…」

 綾香さんはほうっとため息をつくと、

「本当に世の中狭いわね…
 それじゃ、もう一度聞くけど、
 あんたは間違いなく、マルチの『今の』ご主人様なのね?」

「その通りだ!
 さあ、マルチに会わせてくれ!」

「もちろん、会わせてあげるわよ。
 会わせてあげるけど…
 でも、おかしいわねえ。
 耕一。あんた、独身だったよね?」

「え? あ、ああ、そうだよ。」

 俺は後ろにいる楓ちゃんを気にしながら、そう答えた。

「変ねえ…
 マルチは、ご主人様にはれっきとした奥様がいらっしゃる、
 って言ってたんだけど?」

 …マルチのやつ、どこまで話したんだ?

 綾香さんは、もうひとつ腑に落ちない、という顔で、

「マルチが嘘をついているとも思えないし…
 ごめんね、どうも、話が今いち噛み合わないみたい。」

「おい、マルチに会わせてくれるんじゃなかったのか!?」

 俺は声を荒らげた。

「だって、メイドロボとはいえ、自殺未遂者なのよ?
 それに、あの娘は私の友だちだし…
 引き渡し相手には慎重にならざるを得ないわ。」

「頼むから、マルチに会わせてくれよ!」

「うーん…
 悪いけど、もう一回マルチの話を確かめて来るわ。
 ここで待ってて。」

「おい。そんな悠長な…」



 そのとき、楓ちゃんが俺の後ろから進み出て、

「…私が耕一さんの妻です。」

 と静かに、しかしはっきりと言ってのけた。

「はあ? だって、あんたも…
 メイドロボじゃないの?」

「そうです。
 ですから、法律上は耕一さんは独身です。
 …でも、私たち、夫婦なんです。」

 綾香さんは呆れた顔で、俺たちふたりを穴のあくほど眺めた後、

「…つまり、耕一は、メイドロボの奥さんと、メイドロボの愛人を持った、
 世にも稀なるメカフェチロリコン変態重婚男だった、ってわけ?
 はあー、ショック…」

 マルチのやつ、何もかも話したのか?

「何で綾香さんがショックを受けるんだ?
 それより早くマルチに会わせてくれ。」

「だってぇ、お見合いの相手がそんな変態男だったなんて…
 ああ、乙女の純情が踏みにじられて…」

「どうせお見合いにはならなかったろ?
 それよりマルチに…」

「あっ!
 あんた、もしかして、そのメイドロボの奥さんがありながら、
 あたしとお見合いしたわけ!?
 ひどーい! 侮辱だわ! あたしを何だと思ってるの?
 このままじゃすまさない…」

「マルチに会わせろお!!」

 俺はついに切れた。



 マルチは、そこから車で5分ばかりの所にある、海沿いの白い建物の中にいる、ということだった。
 つまりは来栖川家の別荘なのだが。
 綾香さんたち姉妹は、夏休みでたまたま別荘に来ていたのだそうだ。
 俺と楓ちゃんは車で、綾香さんはクルーザーで別荘をめざした。

 綾香さんの案内で建物の中へ。
 別荘とはいえ、恐ろしく広い。
 うっかりすると迷子になりそうだ。



 綾香さんは、俺たちを奥まった部屋の前まで案内すると、

「マルチー? あたしよ、入るかんねー。」

 と声をかけてドアを開けた。
 中には、ソファに腰をおろしたマルチと芹香さんがいた。

 マルチは俺に気がつくと、

「あっ、ご主人様!?」

 と一瞬顔を輝かせたが、すぐに俯いてしまった。
 芹香さんは、相変わらずぼそぼそと何事かささやく。

「え? おひさしぶりです、お元気ですか、って?
 ええ、元気です。こちらこそおひさしぶり。
 その後、鬼の研究は進んでますか?
 え? 鬼の子孫がこのあたりに住んでいるらしいので探している!?
 そ、そうですか。そ、そりゃあ、面白そうですね…」

「…耕一さん。」

 楓ちゃんが後ろから俺の袖を引いた。

「…この方は?」

「ああ、こちらは来栖川芹香さん。
 綾香さんのお姉さんだ。
 見た目は妹そっくりだが、
 中身は妹と似ても似つかぬ淑女であらせられる。」

「ちょっと! 聞こえてるわよ!」

「あれ? 綾香さん、まだいたの?」

「何よ! 失礼しちゃうわね…
 そうよ、あれはあたしの姉です。
 そう言えば、こないだのお見合いの時、
 耕一は、あたしより姉の方が気に入ったみたいでね、
 今にもよだれを垂らさんばかりの顔で、ずーっと見とれてたのよ。
 あんまりだらしない顔してるもんだから、
 とうとう千鶴さんにつねられて…」

 楓ちゃんの目が恐い。綾香さん、わざとそんな話をしたな?



 俺は急いで本題を切り出した。

「せ、芹香さん!
 マルチがご迷惑をおかけしたようで、誠に申し訳ありませんでした!
 いずれ改めてお詫びに伺いますが、
 今日はとりあえず、マルチを連れて帰りますので…
 さあ、マルチ、一緒に帰ろう。」

「え、で、でも私…」

「遠慮はいらないんだよ、
 あそこはお前の家なんだから…
 さ、俺たちと帰ろう。」

「その前に、耕一?」

「え?」

 綾香さんの声に振り向いた俺は、

 バシイイイイイッ

「!?」

 顔面に見事な回し蹴りをくらって吹っ飛んだ。



「ご主人様!?」

 マルチが飛んで来る。

「耕一さんに何をするんです!?」

 楓ちゃんは即座にリミッターを解除して、臨戦体勢に入る。

「これぐらい当然よ、こんな優柔不断の変態男。
 今のは、マルチの純情を踏みにじった罰よ。」

「…耕一さんの悪口を言うと、承知しませんよ?」

 楓ちゃんの体から殺気が放たれる。

「あら、こんな浮気者のためにあたしと戦おうっての?
 健気ねー。さすが夫婦と言うだけあるわね。
 でも、やめときなさい。
 こんな男、それほどの値うちはないって。
 あんたもきっとだまされてるのよ。
 悪いことは言わないから、今のうちに別れちゃいなさい。
 何なら、あたしが来栖川のサービスセンターにかけ合って、
 あんたに相応しい、立派なご主人様を探してあげてもいいわよ。」

「…………」

 楓ちゃんの目が細くなる。そして…

 ! か、楓ちゃん、こんな所でエルクゥの力を解放する気か?
 よせ、相手は並の人間… いや、並じゃないか… ともかく、相手は人間だぞ?

「ぶるる! 何だか急に寒くなってきたような?
 エアコンの調子でも悪いのかしらね?
 え? 何? 姉さん?
 え? 鬼の気を感じます?」

 ぎくっ

 さすがの楓ちゃんも、この指摘には動揺したらしい。
 急いで鬼の気を収める。

「なあに、姉さん、鬼の気って?
 え? もう消えました?
 …はあー、まったくもう、
 姉さんって、時々わけわかんないこと言うんだから…
 え? こちらの方は耕一さんの奥さんなんですか、って?
 そうらしいわよ。」

 すると、芹香さんはソファから立ち上がって、

「…………」(ぺこり)

「え? 初めまして、来栖川芹香です?
 耕一さんには何かとお世話になっております…ですか?
 ご丁寧にどうも…
 私は柏木楓と申します。
 昨年耕一さんと結婚致しました。
 ふつつか者ですが、今後ともよろしくお願い申し上げます。」(ぺこり)

 楓ちゃんも芹香さんには毒気を抜かれたみたいで、丁寧な挨拶のやり取りをしている。
 ほっ、このまま収まってくれるといいんだが…

「いいこと、あんた?
 この男は、あんたという奥さんがありながら、
 純情可憐なマルチにまで手を出したのよ?」

 収まらせてくれないやつがいたんだ…

「マルチが抵抗できないのをいいことに、
 破廉恥の限りを尽くして…
 マルチには、れっきとしたご主人様があったのに…
 無理矢理貞操を奪われた上に、
 あられもない写真を取られて脅かされ、
 泣く泣く言うことを聞かざるを得なかったマルチ…
 ああ、なんて可哀相…」

「いい加減にしろー!」

「あら、起きてたの?
 なあんだ、つまんないの。
 もう少しあることないこと言って、
 からかってやろうと思っていたのに…」

「何があることないことだ!
 あんたの話は、『ないこと』ばっかりじゃないか!?」

「何言ってんの?
 奥さんがありながらマルチに手を出したってのは、本当なんでしょう!?
 何が『ないこと』よ!?」

 うっ… 反論できない。

「それとも、マルチという恋人がいながら、
 このメイドロボ…楓さんだっけ?…と結婚したの?
 あんたそりゃ、結婚詐欺もいいとこよ!」

 くそー…



「ともかくマルチ! 帰るぞ!」

 俺は傍に来ていたマルチの手を取ると、部屋を出ようとした。

「あ、あの…」

「待ちなさい!
 そう簡単に返すわけにはいかないわ。
 マルチはね、あたしと姉さんの大事な友だちなのよ。
 その大事な友だちが、これ以上あんたみたいな男に騙されるのを、
 みすみす放っておくわけにはいかないわ!」

「放っておかないって言うと?
 どうするつもりだ?」

「おとなしく制裁を受けなさい!」

「制裁?」

「そうよ、あんたみたいな女の敵は、あたしが懲らしめてやるわ!
 二度とマルチに手を出せないようにしてやる!
 …あっ、マルチのことなら安心しなさい。
 あたしたちが安全な場所に匿って、世話をしてあげるから。」

「勝手なことを言うな!」

「どっちが勝手よ?
 マルチの純情を弄んでおいて!
 文句があるなら、かかってらっしゃい!」

「この…!」

 その時、楓ちゃんがついついと俺の袖を引いた。

「ん? どうしたの?」

「耕一さん。
 マルチちゃんのことは、来栖川さんにお任せしましょう。」

「え?」

「きっとその方が、マルチちゃんも幸せです。」

「何を言うんだ!?」

「たとえば、マルチちゃんが何か深刻な故障を起こしたとしましょう…
 うちで、どうやって直します?
 サービスセンターに連れて行けば、身元がばれてしまいますし…」

「うっ…」

「その点、来栖川さんのお宅なら、
 きっとうまく便宜を図っていただけるでしょう。」

「し、しかし…」

「その通りよ。
 あたしたちと一緒なら、マルチは安心よ。」

「………」



 俺はマルチの方を向いて、

「マルチ、お前はどうなんだ?
 もう俺と一緒にいるのは嫌か?
 この人たちと一緒にいる方がいいのか?」

「ちょっとあんた、まだ懲りないわけ?…」

「お願いだから、静かにしててくれ!」

 もう一度マルチに尋ねる。

「な、マルチ? 正直に言ってくれ…
 お前はどうしたいんだ?」

「わ、私…」

 マルチはためらいながら口を開いた。

「本当は…ご主人様と…一緒にいたいです。
 でも、私は… 人を不幸にするメイドロボなんです。
 柏木のお家に帰ったら、ご主人様や楓さんを…
 いいえ、きっと、千鶴さんや梓さんや初音さんまでも、不幸にしてしまいます!
 だから… 私みたいな出来そこないは…
 いっそのこと死んだ方が… そう思って…」

「ストーップ!」

 綾香さんが大声で叫ぶ。

「ちょっと、聞き捨てならないわね…
 だれが人を不幸にするメイドロボだって?
 マルチ! その話は、ずっと前にけりがついた筈でしょう?
 あんたは人を不幸にするメイドロボなんかじゃない、
 人に幸せをもたらす、最高のメイドロボだってね。」

「で、でも…
 前のご主人様も今のご主人様も、私のせいで…」

「あんたのせいで…浩之は、幸せだったはずよ。」

「え?」

「そりゃ、浩之がああいう死に方をしたのは、あたしたちにとって辛いことよ。
 でもね、浩之が、あんたをかばって死んだことに、不満を持ったと思う?
 ううん、それ以前に、あんたと巡り会ったことを不幸だと嘆いていたと思う?
 そんなことはないわ。
 あいつはあんたに巡り会って、あんたと愛し合って、とても幸せだったのよ!
 端から見ても羨ましいくらいに…ね。」

 綾香さんは、ちょっと寂しそうな笑いを浮かべた。
 もしかして綾香さんは…?

「で、でも…」

「この、今のご主人様だって、あんたのせいで不幸になったのなら、
 わざわざあんたを連れ戻しに来ると思う?
 むしろ、これ幸いと厄介払いしちゃうんじゃないかしら?」

「………」

「…マルチちゃん。」

 楓ちゃんが口を開く。

「…さっきも言った通り、私は客観的に見て、
 あなたが来栖川のお嬢様方と共に住む方が、あなた自身のためだと思います。
 けれども、もしあなたが、本気で耕一さんのことを愛しているのなら…
 愛する人と離ればなれになるくらいなら、
 たとえほんの短い時間でもいっしょにいたい、
 たとえ命を失うことになっても、愛する人の傍にいたい…
 そう思っているのなら、私にもあなたの気持ちは理解できます。
 私も同じようなことを経験しましたから。
 …ただし、柏木家に戻れば、きっとあなたは苦労するでしょう。
 耕一さんは浮気者だし…」

 楓ちゃんは、ちらっと俺の顔を見て続けた。

「私も、またあなたに嫉妬することがないとは言えないし…
 これから耕一さんの結婚問題も起こるでしょうし…
 何よりあなたにとって辛いことは、
 耕一さんにとってあなたが…
 おそらく私の『代わり』以上にはなれない、ということです。」

「………」

「そんな苦労を覚悟の上で、なお耕一さんの傍にいたいと言うなら…
 私はもう、あなたに出て行けとは言いません。
 今後耕一さんとの関係をどうするか、よく相談しましょう。
 千鶴姉さんたちも、あなたがいなくなって悲しんでいます。
 きっと歓迎してくれる筈です。
 あなたはどうしたいのですか?
 一緒に帰りますか? それとも、ここに残りますか?」

「…マルチ。」

 俺は口を開いた。

「俺、昨日、お前の靴が崖のところに落ちているのを見て、
 心臓が止まりそうになったよ。
 俺もそのまま飛び込みそうになって、
 千鶴さんたちに引き止められたくらいだ。
 …梓と一緒に、何度も海に潜ったんだ。
 お前のパソコンと靴のもう片方を見つけた時には、
 きっとここに、この近くにお前がいるに違いないって、血眼になって…
 でも見つからなくて… 悲しくて悲しくて。
 俺、つくづく思ったよ。
 お前が俺にとって、どんなに大切な存在なのか、って。
 …楓ちゃんが言う通り、おれは浮気者かも知れないし、
 綾香さんの言う通り、変態で女の敵かも知れない…
 でも、俺… やっぱりお前が好きなんだ。
 お前に帰って来てほしいんだ。
 お前が俺を不幸にするなんてこと、金輪際あり得ない。
 でも、逆に、俺がお前のことを不幸にするっておまえが思うなら…
 それがいやだって言うのなら…
 俺、お前を無理に連れ戻すことはできないよ。」



「…綾香さん、楓さん、そしてご主人様。」

 マルチは何事か決心したように、話し始めた。

「ありがとうございます。
 私みたいな者のために、そこまで言ってくださって。
 私… 私… やっぱりご主人様が好きです!
 離れたくありません!
 楓さんの『代わり』でも構いません。
 長く『生きる』ことができなくても構いません。
 私、知っています。
 楓さんだって、ご主人様と一緒に生きていくために、
 どんな辛いことにも耐える覚悟をしていらっしゃるって…
 …芹香さん、綾香さん、
 さんざんご迷惑かけましたけど、
 やっぱりマルチは、ご主人様と一緒にいるのが一番幸せです!
 楓さん、お言葉に甘えて一緒に帰らせていただきます。
 これからもよろしくお願いします。
 ご主人様、私…
 楓さんの前で申し訳ないですけど、
 やっぱりご主人様が大好きですぅ!
 どうか、ずっとお傍にいさせてください!」

「よしっ、マルチ! 一緒に帰ろう!」

「はいっ!」



「しっかし、ほんっとに呆れた男ねえ…
 奥さんの目の前で、堂々と愛人を口説くなんて。」

「うるさい…
 と言いたいところだが、今回は世話になったな。
 礼を言うぜ。」

「あら珍しい。
 そう下手に出られると困っちゃうな。
 いいのよ。
 マルチのご主人様を見つけたら、どんな男か確かめて、
 ろくでもないやつなら、こてんぱんに叩きのめすし、
 まともな男なら、一発食らわした後でマルチを返してやろうと思って、
 あのあたりの海を行ったり来たりしてたんだから。
 でも、マルチからは、奥さんとの三角関係、としか聞いていなかったんで、
 よもや耕一がご主人様とは思いも寄らなかったわ。
 ましてや、奥さんもやっぱりメイドロボだったなんて。」

 そう言って綾香さんは、不思議そうな顔になり、

「でも変ねえ。
 この楓さんって、ふつうの量産型でしょう?
 それなのに…
 顔は確かに無表情なんだけど、
 中身はずいぶん情熱的みたいじゃない?
 こんなのありかしら?」

「…ま、やっぱ、ご主人様次第じゃない?」

 楓ちゃんのことまで説明する気のなかった俺は、適当にごまかすことにした。

「ふううん?…」

 綾香さんは思いきり馬鹿にしたような顔で俺を見ると、少し表情を和らげて、

「それはそうと、さっき、
 あんたの結婚問題がどうのとかいう話があったけど…
 耕一は、将来的には人間の女性をお嫁さんにするつもり?」

「え? いや…
 立場上、そうせざるを得ないんじゃないかと…」

「そう?」

 綾香さんは何となく上機嫌になった。

「ところで、さ、耕一、こないだの続き、しない?」

「こないだの続き…って、果たし合いか?」

「なあに言ってんのよぉ、お見合いよ、お見合い。」

「はあ? お見合いなら、もうすんだじゃないか?」

「もうすんだって、
 あれじゃ、ほとんど姉さんがお見合いしたのも同然じゃない。
 あたしと改めて…って、ね、姉さん!?
 いつの間に後ろに!?」

「………」

「え? 抜け駆けはいけません、って?
 し、失礼ねーっ、誰がいつ抜け駆けしたって言うのよ?
 え? お見合いの話?
 だ、だって、私ほんとうにまだ、ちゃんとしたお見合いしてないし…
 え? だったら私ももう一度?
 姉さん! 同じ相手と何度もお見合いして、どうするつもり!? 
 え? 鬼の話が聞きたいから?
 それって、本来のお見合いの目的からはずれているんじゃ…?」



 来栖川姉妹の和やかな(?)会話をよそに、俺はマルチを抱き締めていた。そして…
 楓ちゃんの嫉妬心に火がつきそうなのを見て、慌ててその唇を奪ったのであった。


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