The Days of Multi第四部第8章 投稿者: DOM
The Days of Multi
第4部 Days with the Kashiwagis
☆第8章 捜索 (マルチ6才)



 耕一は、隆山の町中走り回っていた。
 マルチを探し求めていたのである。



 マルチが出て行った後、その後を追おうとする耕一を楓は引き止めていた−−文字どおり実力で。
 ふたりがもめているうちに、梓と初音が起き出し、耕一たちのもめる声を聞きつけて、何事かと
やって来た。

 梓と初音は、メンテナンスに行ったはずの楓がいることにまず驚いたが、楓に掴まれた耕一から
「マルチが出て行った」と聞いて、もっと驚いた。
 ふたりがマルチの後を追おうとすると、楓が「マルチを連れ戻したら、ただじゃおかない。」と脅
す。
 明らかに怒り狂っている楓を見た梓と初音は、しかたなく千鶴を起こすことにした。
 やっと起き出して来た千鶴は、耕一を放そうとしない楓を諭そうとする。

「ともかく、落ち着いてわけを話してちょうだい。
 まず、耕一さんから手を放して…」

「駄目!
 手を放したら、耕一さん、
 マルチちゃんを探しに行くつもりだもの!」

「マルチちゃんは、人目に触れたらまずいのよ。
 知っているでしょう?」

「知らない!」

「聞き分けのない子ねぇ。
 …いいわ。あなたは耕一さんとここにいなさい。
 姉さんたちが、マルチちゃんを探しに行くから…」

「余計なことしないで!」

「余計なことって…
 あなたが何と言おうと、姉さんは、
 マルチちゃんを探して、連れて帰りますからね?」

「そんなことしたら、姉さんだってただじゃおかない!」

「ただじゃおかないって、どうするつもり?」

「あの娘を連れ戻したりしたら…殺す!」

 楓は激しい怒気を込めて言い放つ。本気で殺しかねない勢いだ。
 周りの皆が、思わず腰を引く。
 千鶴は顔をこわばらせた。



 しばらくの沈黙の後、ゆっくりと千鶴が口を開いた。

「そうね。
 …考えてみたら、姉さんは、
 あなたに殺されても、文句が言えないようなことばかりしているわね。」

 楓がはっとする。

「やっぱり…
 赦してもらおうなんて、虫が良すぎるわね。
 二度も殺してしまった相手から。」

 楓の怒気が収まっていく。

「本当は恨んでいたんでしょう…?
 だって、あなたが… 今、そんな姿をしているのも…
 もとはと言えば、私のせい…」

「ち、違う…」

 楓は弱々しく呟く。

「一度ならず二度までも、恋人との間を裂いてしまって…
 姉さんが憎くないわけないわよね?
 いいのよ。あなたに殺されるのなら…本望だもの。」

「そんな… そんなつもりは…ないの…」

「でも、殺す、って言ったでしょう?」

「ね、姉さんを…殺すことなんか…できるわけがない…」

 楓は泣きそうな声になった。

「…楓。」

 千鶴は悲しそうな顔で言う。

「私がこんなことを言うのも変だけど…
 お願いだから、軽々しく『殺す』なんて言わないでちょうだい。
 人を殺すって…
 とても恐ろしくて、とても悲しいことなのよ。」

「ううっ… ごめんなさい。」

 楓はその場に崩おれた。廊下にぺたんと腰をおろす。
 それでも、耕一を掴んだ手は放さない。



「さ。楓。ともかくその手を放して…」

「いやあ!」

 楓はだだっ子のように首を振った。

「この手を放したら…
 耕一さんはもう、私のところに戻って来ないの!」

「そんなことありませんよ…」

「本当なのぉ!
 この手を放したら、耕一さんは、
 マルチちゃんのところに行っちゃうのぉ!
 私を置いて行っちゃうのぉ!
 もう二度と、私のところに戻って来ないのぉ!」

 千鶴たち姉妹は困惑していた。
 これほど取り乱した楓の姿は、初めて見るのだ。

 楓は完全に泣き声になっていた。

「ううっ…
 耕一さんは、マルチちゃんの方がかわいいのぉ!
 おんなじメイドロボでも、マルチちゃんの体の方がいいのぉ!
 私じゃ、耕一さんを満足させてあげられないのぉ!
 そんなことはわかっているのぉ!
 でもでも… 耕一さんに捨てられたくないのぉ!
 嫌われたくないのぉ!
 いつまでも傍に置いてほしいのぉ!
 だから… 今、耕一さんを放したら、だめなのぉぉぉぉ!」

 泣きじゃくる楓。
 …と、急に楓の声が止んだ。
 がっくりと体を前に倒す。

「楓ちゃん!」

 耕一が急いで抱きかかえる。

「楓!?」

「楓!」

「楓お姉ちゃん!」

 姉妹が駆け寄る。
 すると楓の体から、

「バッテリー切れです。
 ただちに充電を開始してください…」

 という音声が聞こえてきた。
 昨夜一晩、充電しないで起きていたせいだ。

「バ、バッテリー切れか…」

 耕一たちは、ひとまずほっとする。



 耕一は楓を自分たちの部屋に寝かせて、充電を開始した。
 それが終わると、千鶴が言う。

「耕一さん。詳しい話は後で伺うとして…
 今は、ともかくマルチちゃんを探さないと。」

「ええ。俺、急いで探して来ます。」

「あたしも手伝うよ。」

「私も。」

「初音は、楓の傍にいてちょうだい。
 楓が目を覚ました時のために。」

「え? でも、また楓お姉ちゃんが暴れ出したら…」

「大丈夫よ。
 さっきのようなことはないでしょうし。
 あなたならきっと…ね?」

「?」

 千鶴は初音の大きな瞳をのぞき込んだ。
 初音は何となく、千鶴の言わんとすることがわかったような気がして、頷いた。

「うん… わかった。
 楓お姉ちゃんの傍にいるよ。」

「ありがとう。いい子ね。
 …それじゃ、手分けしてマルチちゃんを探しましょう。」



 千鶴が足立に欠勤の連絡を入れた後、耕一たち三人は区分を決めて、マルチを探した。
 警察に届けるわけにはいかなかった。マルチの正体がばれる恐れがあるからだ。
 しかし、隆山は田舎町。小学生くらいの見慣れない女の子が、ひとりで荷物を持ってとぼとぼ歩い
ていれば、結構目立つはずだ。
 駅では、それらしい女の子は目撃されていなかった。バス停付近でも。
 マルチは乗り物を使わず、歩いて行ったに違いない。それなら、そう遠くには行けないはずだ。
 三人は時間を決めては落ち合い、情報を交換してはまた探すことをくり返した。

 三度目に落ち合ったのは、もう昼前だった。
 そのとき、千鶴が一つの情報を聞き込んで来た。
 マルチと服装や背格好のそっくりな女の子が、バッグを二つさげて、海の方へ歩いて行くのを見た
という、複数の目撃者があったのだ。

 それに力を得た耕一たちは、昼食をとるのも忘れて、三人で海岸付近を捜しまわることにした。
 手ごたえはすぐにあり、それらしい女の子を見かけたという人が何人か見つかった。
 その話をたどりながら海岸沿いに進んで来たが、ある地点から先、ぷっつり目撃者は途絶えていた。
 そのあたりは、松林とごつごつした岩の連なる磯であった。



 耕一はひどく胸騒ぎがしてきた。まさか、マルチのやつ…
 まさかまさかと思いながら、引かれるように、そのあたりで一番高い崖の上に登って行った。
 千鶴と梓も、やはり不安そうな顔で、後からついて来る。
 崖の上で、耕一は手がかりを探した。
 …いや、そんな所で手がかりが見つかることのないように願っていた、というのが本当なのだが。

 取り立てて何も見つからず、むしろほっとしたような思いで立ち去ろうとした耕一が海を見下ろし
た目に、何かが映った。
 耕一は…胸騒ぎでくらくらしそうになるのを抑えながら…エルクゥの視力を使って、それが何であ
るか確認しようとした。
 崖の上から海面までの間に、やや出っ張った岩がある。
 その上に投げ出されるようにしてあったものは…見覚えのある、マルチの靴だった。

「マルチィィィィィィィィ!」



 ぶううううん… と起動音がする。
 初音は少し緊張した。楓の充電が終わって、再起動したのだ。
 間もなく目をあける楓。
 枕元に座っている初音に目を向ける。

「…初音?」

「うん。目が覚めたんだね、楓お姉ちゃん。」

「私… どうしたの?」

「お姉ちゃん、バッテリー切れだったから、
 ここで充電してたんだよ。」

「バッテリー切れ…?」

 どうしてそんなことが…? 毎晩ちゃんと充電しているのに…
 いや待って。昨日の夜は…

「!」

 楓の脳裏に、昨夜から今朝にかけての出来事がフラッシュバックする。
 慌てて起き上がる。
 左手からのびたケーブルが、ノートパソコンを引っ張る。

「あ、だ、だめだよ。
 ちゃんと片づけてからでないと…」

 初音が慌てる。
 楓はもどかしそうに、手首や耳のセンサーからケーブルをはずすと、そのまま飛び出そうとする。

「待って、お姉ちゃん!」

「放して!」

 思わず力加減なしに振りほどこうとした楓の手で、初音は部屋の柱に勢いよく叩きつけられた。

「うぐっ…!」

「あ… だ、大丈夫?」

 我に帰った楓が駆け寄る。
 初音は気を失ったらしい。

「初音! 初音! しっかりして!」

 必死に呼びかけたりさすったりしていると、初音はうっすら目を開けた。

「…お姉…ちゃん?」

「ご、ごめんなさい、初音。
 私、つい… 大丈夫?」

「うん… 大丈夫だよ。
 ありがとう、お姉ちゃん。
 …優しいんだね… 昔も今も。」

 楓ははっとした。
 初音の言う「昔」が何を意味するか、気づいたからだ。



「私ね… 今、夢を見ていたの。」

 初音の顔に、懐かしそうな、それでいてどことなく寂しそうな笑みが浮かぶ。

「夢?」

「そう、昔々の、女の子の夢。
 …その子は、優しい男の人といっしょに暮らしているの。」

「………」

「女の子は、その男の人が大好きなの…
 でもね、その男の人が好きだったのは…
 その女の子の、お姉さんだったの。」

「………」

「その子のお姉さんは、とてもきれいで優しくて…
 でも死んでしまったの。
 ひとり男の人を残して」

「………」

「男の人はね、女の子と一緒に暮らすようになっても、
 死んだ恋人のことが忘れられなくて…
 夜、夢に見ては泣くの。毎晩、毎晩。
 恋人の名前を呼びながら…」

「………」

「女の子は、それが辛くて悲しくて、
 でも、どうしてあげることもできなくて、
 その男の人を抱き締めて、一緒に泣くことしかできないの。
 そうすると、その男の人も目を覚まして、
 今度は女の子に向かって、
 すまないすまない、って言いながら、また泣くの。」

「………」

「とうとうある時、女の子は言うの。その男の人に向かって。
 『お姉様の代わりでもいいから…』って。
 そう… たとえ代わりでもいいから、慰めてあげたかったの。
 愛してほしかったの。」

「………」

 初音の大きな目に涙があふれた。
 楓は無言で初音を見つめる。

「自分が誰かの『代わり』だってわかってるのは、すごく辛い…よね?
 でもね、それでもいい… それでもいいから…
 受け止めてほしいって思うこともあるんだよ… きっと。」

「………」

「………」

「………」

「………」



「…リネット?」

 楓が昔の名を呼ぶと、初音ははっとする。

「…どうして…そんな話を?」

「うん…」

 初音は言いにくそうに下を向く。

「これは私の考えなんだけど…
 マルチちゃんは『代わり』だったんじゃないかな?」

「…『代わり』?」

「うん… 楓お姉ちゃんの代わり。」

「! …私…の?」

「そう。」

「何で… そんなこと考えたの?」

 初音は考えをまとめるように少し沈黙した後、口を開く。

「前にね、どういうわけかわからないけど、
 耕一お兄ちゃんとマルチちゃんと私の意識が、
 夢の中で重なったことがあって…
 お互いの心に思ってることが、少しずつわかったことがあったの。」

 初音は夢の内容を思い出して、少し頬を赤らめた。

「そ、それでね…
 マルチちゃんが、耕一お兄ちゃんを好きだってことがわかったの。
 でも同時にマルチちゃんは、
 耕一お兄ちゃんの心の中に深く深く住みついた、
 とても大切な人の存在を知ったの…
 それが自分ではなくて、楓という名の女の子だということも。
 そして、耕一お兄ちゃんがマルチちゃんの中に
 楓お姉ちゃんの面影を見い出していることにも、気づいてしまったの。」

「………」

「マルチちゃん、辛かったと思う。
 自分が『代わり』にしかなれないって知って…
 でもね、マルチちゃんは、それでも耕一お兄ちゃんに尽くそうと思ったの。
 自分が耕一お兄ちゃんを好きだってことは、どうしようもない事実だし…
 それにね、心から愛した人に先立たれることがどんなに辛いことか、
 マルチちゃん自身よく知っていたし…
 知ってるよね? マルチちゃんの最初のご主人様のこと…」

 楓は無言で頷く。

「だから… マルチちゃんは、
 耕一お兄ちゃんの辛さが痛いほどよくわかったから、
 そして、耕一お兄ちゃんのことが大好きだったから、
 『代わり』でもいいと思ったんじゃないかしら?」

「………」

「マルチちゃんは、きっと、楓お姉ちゃんの代わりでもいいから、
 耕一お兄ちゃんに…愛されたかったんだよ。
 楓お姉ちゃんに取って替わることなんてできっこないって、百も承知の上で…
 それでも… それでも…
 大好きな…耕一お兄ちゃんなら…いいって… ううっ…」

 初音は、ぽろぽろと涙をこぼし始めた。
 それはリネットの思いであり…初音自身の思いでもあったのだから。
 楓は無言で、初音の体を優しく抱き寄せた。
 初音は楓の胸に顔をつけると、声を押し殺して泣き始めた。



「耕一さん、危ない!
 何をするつもりです?」

 千鶴は、崖から飛び込みそうになった耕一を慌てて抱き止めた。

「は、放せ、放してくれ!」

「耕一ぃ、馬鹿な真似はよせ!」

 梓も駆け寄って、耕一の腕を掴む。

「放せ! …マルチが…マルチが、この下に!」

「えっ!?」

 千鶴と梓も慌てて下をのぞき込む。
 しかし、目に映るものは波ばかりだ。

「…耕一さん? どこにマルチちゃんが?」

「それらしい人影は見えないけど?」

 耕一は、もどかしそうに下を指さす。

「あそこだ、あそこの岩の上に… マルチの靴が!」

 言われてふたりが目を凝らすと、確かに女の子のものと思しき靴が片方、岩の上に落ちている。

「耕一さん…
 あれはマルチちゃんの靴に間違いありませんか?」

「間違いない!
 ふたりでアパートを引き上げて来る時に、買ってやった靴だ!
 …あいつはここから飛び込んだんだ!
 早く助けなきゃ!
 …お願いだから、放してくれ!」

 耕一はふたりに押さえつけられながら、じたばた暴れる。

 業を煮やした千鶴は、一旦耕一の体を大きく後ろに引きずり戻すと素早く前に回り、耕一の顔に平
手打ちをくらわせた。

「?」

 耕一が、一瞬きょとんとした顔になる。

「しっかりしてください、耕一さん!
 マルチちゃんを助けたいんでしょう!?
 あなたがうろたえていたら、
 助かるものも助からなくなりますよ!?」

「…あ、ああ。
 …そうだね。ごめん…」

「ともかく、下に降りましょう。」



 三人は一旦崖から離れると、下への道を見つけて海の方へ降りて行った。
 かなり歩きにくい岩場の道だったが、人気のないのを幸いエルクゥの力を解放した三人は、瞬く間
に波打ち際に立っていた。
 耕一は上着を脱ぐと、マルチが落ちたと思しきあたりに飛び込んだ。
 続いて梓も海に。
 耕一と梓は、何回か潜っては息つぎに顔を出すことを繰り返した。
 三回目に耕一が水面に顔を出したとき、遅れて少し離れた所に顔を出した梓が耕一を呼んだ。

「耕一ぃ、これに見覚えあるか?」

 耕一は、梓が海面から持ち上げたものを見て、はっとする。
 それはマルチの…

「それはマルチのパソコンだ!」

「やっぱり!
 …この真下に沈んでいたんだよ!」

「そ、そうか、よし!」

 耕一は梓の浮かんでいるあたりに近づくと、また潜った。
 梓は、浜で待っている千鶴にパソコンを預けた後、再び海に潜った。
 ふたりは暗くなるまで捜索を続けたが、結局マルチは見つからなかった。
 収穫と言えば、ただ、何度目かに潜った時に耕一が見つけた、マルチのもう片方の靴だけだった。



「はあ、はあ、はあ…
 マルチ、マルチ…」

 あたりは夕闇に包まれつつあった。
 波打ち際の岩場で、耕一はひざまずいて、マルチの名を呟きながら泣いていた。
 いやがる耕一をやっとのことで岩場に連れ戻すことに成功した梓は、大きく息を吐いている。

「耕一さん。
 もうすっかり暗くなってしまいました。
 今日はここまでにして、いったん家に帰りましょう。」

「い、いやだ…
 マルチはここに沈んでいるんだ、早く助けてやらないと…」

「この暗さでは無理ですよ。」

「いいから、千鶴さんたちは先に帰ってくれ。
 俺はもう少し…」

 ぱしっ

「?」

 耕一が惚けた顔で見上げる。
 今日二度目の平手打ちをくらわした千鶴は、強い調子で、

「いい加減にしてください。
 マルチちゃんが心配なのは、私たちも同じです。
 でも、今日はこれ以上ここで探そうとしても無駄です。
 マルチちゃんも見つからず、この上耕一さんの身に何かあったら、
 私たちはどうすればいいんですか?
 幸いマルチちゃんはメイドロボ、
 人間と違って、溺れ死ぬということはないはずです。
 あした、もう一度出直してきましょう。」

「で、でも…」

「耕一さん。」

 千鶴は腰をかがめ、耕一に顔を近づけた。

「これ以上、楓を悲しませないでくださいね?」

「…!」

「昼に一度電話を入れたきりですから、
 楓も初音も心配しているはずです。
 帰りましょう。」

「…ああ… そうだね…」

 耕一はよろよろと立ち上がった。
 片手にマルチのパソコン、もう片方の手にマルチの靴を握り締めながら。



 がらがらという玄関の音がやけにうつろに響く。

「…お兄ちゃん! お姉ちゃんたち!
 お帰りなさい。どうだった?」

「…お帰りなさい。」

 初音ちゃんと楓ちゃんが出迎える。
 俺たちの沈んだ様子を見て、結果が芳しくなかったと悟ったらしく、ふたりの顔が曇る。

「マルチの…パソコンと靴を見つけたよ。」

 梓が疲れた声で言うと、

「パソコンと靴?
 じゃあ、マルチちゃんは見つかったの?」

 訝しそうに初音ちゃんが聞く。

「耕一さん…」

 楓ちゃんの声が少し震えている。
 「靴」が見つかったということが何を指すのか、見当がついたらしい。

「それに梓姉さんも…ずぶぬれじゃないですか?
 一体何があったんですか?」

「マルチが海に落ちた。…飛び込んだ。」

 俺がぼそっと言う。

「ええっ!?」

 楓ちゃんと初音ちゃんが驚く。

「ずうっと探していた。
 …でも見つからなかった。
 …暗くなったから帰って来た。
 …明日また探しに行く。」

 俺はまるで、昔の西部劇に出て来るインディアンか何かのように、咄々としゃべった。

「…楓。」

 千鶴さんが、固まっている楓ちゃんに声をかける。

「お風呂の準備をお願い。
 このままでは、耕一さんも梓も風邪を引いてしまうから。
 初音は、タオルを何枚か用意して。」

「は、はい!」

 ふたりは慌てて奥に入って行った。



 その日の夕食は、まるでお通夜のようだった。
 だれも、ひとことも口を聞かなかった。
 ただ黙々と食物を口に運ぶだけで、味わうどころではなかった。

 食事の片づけが終わると、梓が俺に向かって何か聞きたそうにしたが、千鶴さんにそっとたしなめ
られて口をつぐんだ。
 千鶴さんは梓と初音ちゃんに目で合図を送ると、席を立った。
 梓も慌てて立ち上がって、後に続く。
 最後に初音ちゃんが「耕一お兄ちゃん。楓お姉ちゃん。お先に。」と言って出て行くと、居間には
俺と楓ちゃんだけが残った。

 俺たちはしばらく無言のまま俯いていたが、やがて俺が口を開いた。

「楓ちゃん… 聞いてくれ。」

 俺はマルチとのこれまでの経緯を話し始めた。
 マルチに楓ちゃんの面影を見い出して以来、意識していたこと。
 俺が楓ちゃんを忘れられないことを知りながら、なおかつ慕ってくれるマルチの健気さに打たれて
いたこと。
 俺がひかりに楓ちゃんの代わりをさせていると勘違いしたマルチが、自ら身替わりを志願して来た
こと(俺はマルチを悪者にしたくなかったので、最終的にマルチを受け入れたのはあくまで俺自身の
意志だと言った)。
 今の楓ちゃんと容姿がそっくりのマルチを、楓ちゃんに見立てていたこと。
 ひかりが実は楓ちゃん本人だったと知って身を引こうとしたマルチを、結局俺が引き戻してしまっ
たこと。
 俺と楓ちゃんの結婚後、やはり遠慮していたマルチを、俺が部屋に呼んだこと…



「俺… 最初は、マルチを楓ちゃんの代わりにしていた。
 マルチも、それでいいと言っていた。
 でも、最近では… 俺、よくわからなくなってきたんだ。
 確かに、マルチは楓ちゃんの代わりなんだが…
 それだけでもないような気がするんだよ。」

 楓ちゃんは無言で俯いている。

「俺、楓ちゃんが好きだ。その気持ちに嘘はないよ。
 でも、楓ちゃんを好きだという気持ちと、
 マルチを好きだという気持ちがオーバーラップしていて…
 ふたりとも好きなんだ。
 どちらも手放したくないんだ。
 勝手な言い分だと思うだろうけど…
 楓ちゃんとマルチのふたりが揃っていないと、
 100パーセントでない、っていうか…
 うまく言えないんだけど…」

「…それはつまり…」

 初めて楓ちゃんが口を聞いた。依然として俯いたままで。

「…私の体だけでは『100パーセント』満足できないので、
 マルチちゃんとも寝たい、ということですね?」

「楓ちゃん…」

「お話の相手は私が、夜の相手はマルチちゃんが務めるのが相応しい、
 ということですね?」

「そんな…」

 楓ちゃんは俺と視線を合わせないように、俯いたまま立ち上がると、部屋を出て行った。
 俺たちの部屋に向かったらしい。
 今日はこれ以上話をせずに、寝るつもりなのだろうか?
 少し間を置いて俺も部屋に向かうと、途中でノートパソコンと小さな荷物を持った楓ちゃんに出く
わした。

「楓ちゃん?」

「…私、当分の間、元の部屋で休ませていただきますので。」

 相変わらず俺の目を見ないまま、楓ちゃんはそう言うと、

「…失礼します。」

 俺が止める間もなく、姉妹たちの部屋がある方へ行ってしまった。


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