The Days of Multi第四部第3章 投稿者: DOM
The Days of Multi
第4部 Days with the Kashiwagis
☆第3章 愛人 (マルチ5才)



 その後、俺と千鶴さんは足立さんに会って事情を説明し、今後のことを相談した。
 足立さんは千鶴さんの突然の回復に驚いたが、涙を流して喜んでいた。
 彼女が幼い頃から「ちーちゃん」と呼んで可愛がってきた足立さんにとって、千鶴さんは娘か孫の
ような存在なのだろう。

 三人で相談した結果、千鶴さんは今まで通り会長、俺は会長代理を退くが、新たに副会長の職を設
けて就任、千鶴さんと協力して鶴来屋をもり立てていくことになった。
 俺が鶴来屋にとどまるのは、もちろん千鶴さん反対派への牽制の意味もある。
 足立さんの口振りだと、ゆくゆくは俺と千鶴さんが結婚することを期待している様子だったが、俺
と楓ちゃんの仲を知っている千鶴さんは、足立さんの思惑には気がつかない振りをしていた。



 楓ちゃんは、その後も三日に一度くらいの割で俺の部屋に来ている。
 姉妹に気づかれないよう、皆が寝静まったのを確認して来るのだそうだ。
 しかし、楓ちゃんって、普段おとなしいのに、恋のためにはずいぶん大胆になるんだなあ。
 それとも、女の子は皆そうなのか?

 一方マルチの方は、ひかりが実は楓ちゃんとわかって以来、一度も俺の所に来ていない。
 もともとマルチは「楓さんの代わりに」と言っていた。
 だから、楓ちゃん本人が帰って来た以上、自分は用済みだと感じているのだろう。
 潔いと言うか、本当に健気なやつだ。

 でも俺は、情けないことに、(今の)楓ちゃんだけでは十分満足できなくなっていた。
 (今の)楓ちゃんとそっくりな容姿をしているマルチとひとつにならなければ、完全には熱情を静
めることができなくなっていたのだ。
 もちろん、ただでさえ俺を喜ばせることができないと気にしている楓ちゃんに、面と向かってそん
なことを言えるわけがない。
 楓ちゃんが悪いわけではないのだ。
 俺がもっと自分の欲望を抑えるべきなのだ。…と思いつつも、なかなかそれができない。

 マルチは…この頃俺とふたりきりになるのを避けている。
 その気持ちはよくわかる。よくわかるのだが…



 ある日の夕方、風呂場の前でばったりマルチに出会った。
 マルチは風呂の準備を終えたところらしい。

「あ、ご、ご主人様。」

 マルチは慌てている。

「ようマルチ、風呂の準備か?
 ご苦労さん。」

「い、いえ、これぐらい…
 あの、お食事の支度がありますので、失礼します。」

 そう言って俺の傍をすり抜けて行こうとするマルチの手を、俺はとっさに掴んだ。

「あ?」

 俺は−−どうしてそんなことを言ってしまったのか、今でもよくわからないが−−気がつくと、狼
狽するマルチの耳もとに口を近づけて、

「マルチ、今夜俺の部屋に来い。」

 とささやいていたのだ。

「え? で、でも…」

「いいな。待っているぞ。」

 それだけ言い残すと、そそくさと歩き去ってしまった。
 後ろで「あ、あの…」というマルチの困った声が聞こえたが、無視した。

 …俺の中にはたまらないほどの自己嫌悪が渦巻いていたが、さりとて、マルチに言った言葉を取り
消すこともできなかった。



 夕食の間、マルチはぼんやりとしていた。
 もちろんマルチは食事をしないので、居間で控えているだけなのだが。
 時々俺と視線が会うと、はっと目を伏せてしまう。
 俺は、この可憐なメイドロボの心を踏みにじろうとしている自分に、嫌気がさしてきた。
 それでありながら、自分の欲求を、どうしても抑えることができなかったのだ。



 そうこうするうちに夜になった。
 俺は自分の部屋で、マルチの来るのを待っていた。
 楓ちゃんは昨夜来たばかりだから、少なくとも今日は来ないだろう。
 だからこそ、マルチに声をかけてしまったのだ。



 昨夜、楓は泣いていた。耕一を満足させられないことを悲しんで。
 …楓は、マルチのような機能がないので、思いついて口を使おうと試みたのだが…結局は失敗に終
わった。
 量産型のメイドロボの口や舌の動きは、ごく限られていて、とても人間のようなわけにはいかない。
 楓の思った通りに動かすことができないのだ。

「う… うう…」

 とうとう楓は、はっきりと泣き声を上げ始めた。

「ごめんなさい… ごめんなさい…
 耕一さんを気持ちよくしてあげられなくて…」

 耕一は泣きじゃくる楓を抱き締め慰めながら…マルチの体を思い描いていた…
 楓には申し訳ないと思いながら…



(マルチのやつ、遅いな。)

 俺は思った。
 いつもなら、とっくに顔を出している時間だ。

(来ないつもりか…?)

 やはり楓ちゃんに遠慮しているのだろうか。

(それとも、こんな俺に愛想をつかしたのか?)

 それならそれでしかたがない、と思う。
 嫌われて当然だ。俺は最低の男だ。

(いつまで待っているのも馬鹿らしいし… そろそろ寝るか?)

 そう思って身を横たえようとした時、障子の外に気配を感じた。

(…来たのか?)

 その気配は、ちょっとの間ためらう様子を見せたが、やがてそっと障子を開けると、中に入って来
た。
 しかし、以前のように布団の脇にではなく、障子のすぐ傍に腰をおろした。

「マルチか?」

「…はい。」

 おずおずとした返事。
 まだ心が定まっていない、という感じだ。

「遅かったな。」

「………」

「もう来ないかと思った。」

「………」
「てっきりマルチに嫌われたものだとばかり…」

「!? そ、そんな、ご主人様を嫌いになるなんて…」

「どうしてだ? 俺はひどい男だ。
 自分でもそう思うよ。
 楓ちゃんという恋人がありながら、
 こうしてお前を部屋に呼びつけたりするんだからな。
 嫌われるのが当り前だ。」

 俺は自己嫌悪に襲われて、思った通りを口にした。

「でもなあ、マルチ…
 俺、自分でも情けないと思うけど…
 今日は、無性におまえに会いたくなって…
 どうしようもなかったんだよ。
 どうしようもなくて、おまえに声をかけてしまったんだ。
 自分勝手な奴だと思ってくれていい。
 嫌いになったのなら、はっきりそう言ってくれ。
 そのほうが、いっそ踏ん切りもつくから。
 …でも、もし、こんな俺でも、まだ好きだと思ってくれるなら…
 時々でいいから、俺の所に顔を出してくれないか?」

 俺って…本当にひどい男だ。



「…うっ… ううっ…」

 マルチ…? 泣いているのか?

「ひ、ひどいですぅ、ご主人様ぁ。
 せっかく、せっかく、思い切ろうと決心したのにぃ…」

 マルチはしゃくりあげている。

「ご、ご主人様のこと、
 嫌いになんてなれるはずが…ないじゃないですかぁ…
 ううっ… ふええ…」

 こんないい娘を泣かして… ほんとに俺って奴は…

「で、でも…
 楓さんがいらっしゃるのに、ご主人様とそういうことは…
 …やっぱり、できません。」

 確かにマルチの言う通りだ。

「…じゃあさ… 口でいいから。」

「え?」

 マルチは、戸惑った顔をする。

「あんまり言うと楓ちゃんに悪いけど…
 今のあの娘は、量産型のボディだから…その…
 俺を満足させることができないんだ。」

 マルチははっとした様子だ。
 自分と量産型との違いに気がついて、俺の悩みがどういうものか見当がついたらしい。
 しばらくうつむいて考えていたマルチは、決心したように顔を上げた。

「わかりました。
 …本当にそれだけですね?」

 念を押す。あくまで楓ちゃんを裏切りたくないらしい。
 俺が頷くと、マルチはおずおずと俺に近寄ってきた…

 …………



 …俺は、マルチの頭を撫でていた。

「…マルチ?」

「はい?」

「俺、やっぱり…お前が好きだ。」

「………」

「大好きだ。」

「私も…大好きです… ご主人様。」

 俺はマルチを優しく引き寄せると、そっと口づけを交わした。


−−−−−−−−−−−−

この作品での耕一って…やっぱり浮気者ですね。


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