The Days of Multi第四部第2章 投稿者: DOM
The Days of Multi
第4部 Days with the Kashiwagis
☆第2章 真実 (マルチ5才)



「ほら、千鶴姉。
 今日の魚はマルチが焼いたんだ。
 うまいぞー。ともかく食べてみてくれ。
 …あ、味噌汁は初音が担当。
 腕を上げただろう?」

 梓はそう言いながら、千鶴の前におかずを並べてやる。
 千鶴の容態はかなりよくなって、皆と一緒に食事ができるようになった。
 これまでは、千鶴の部屋で、つきっきりで食べさせないと駄目だったのだが、この頃は、目の前に
置いてあるものをひとりで食べるようになったので、家族で相談の上、居間でいっしょに食事するこ
とにしたのだ。

 もっとも、まだ自分のまわりにいる人間が誰なのかはわからない。
 時折、「楓…」「梓…」「初音…」「耕一さん…」などと呟くが、呼ばれた当人たちが目の前にい
ることには気がつかないのである。
 耕一たちは、そんな千鶴の様子が不憫でならないが、同時に、ここまで来たのだからきっともう少
しで元どおりになるに違いない、という希望を持っていた。



 ある日、俺が仕事から帰って来ると、千鶴さんが縁側に立っていた。
 庭を見ているらしい。

「千鶴さん、ただいま。
 何を見ているの?」

 俺は、できるだけ明るく声をかけた。

 千鶴さんは、ゆっくりとこちらを向いた。
 そして微笑みを浮かべる。

「千鶴さん?」

 千鶴さんは、そのままこちらに近づいて来る。
 そして、

「 耕ちゃん…」

 と言った。

 はっとする俺。
 千鶴さんは続ける。

「初めまして。長女の千鶴です。
 よろしくね、耕ちゃん。」

 そう言って手を伸ばして来た。

 これは…俺が千鶴さんと初めて会った時の言葉。
 あの時俺は、きれいなお姉さんに子供扱いされるのがいやで、千鶴さんが俺の頭を撫でようとした
手をはねのけたんだっけ。
 でも今度は…

 千鶴さんは俺の頭に手を乗せると、そっと撫で始めた。
 慈母のような笑みを浮かべながら。

「耕ちゃん… 私の弟になってくれる?」

「…うん。
 …千鶴さんがそれでよければ… 喜んで。」

 俺はこの時、千鶴さんが何を要求しても、それを受け入れただろう。

「ほんと? 嬉しいわ。」

 千鶴さんは両手を合わせ、心底嬉しそうな顔をした。

「私、ずっと、耕ちゃんみたいな、
 かわいい弟がほしかったの!」

 かわいい…ねえ。
 俺、もう20代なんスっけど?

「どうして?
 千鶴さんには、かわいい妹が三人もいるのに…」

 俺が何気なく口にすると、千鶴さんの表情が変わった。

「『妹』?」

 うっ、もしかして何かまずいことを言ったのか、俺?

「妹…」

 千鶴さんはうなだれて自分の手を見る。

「妹を…」

 千鶴さんの顔に悲痛な色が浮かぶ。

「妹を… かわいい妹を… 大事な妹を…」

 千鶴さんの目に涙が浮かぶ。

「妹を…殺した…! この手で…!
 殺してしまったのぉぉぉぉ!」

 千鶴さんは、いきなり頭を両手で抑えると、大声で叫び出した。

「ち、千鶴さん、落ち着いて…」

 俺は千鶴さんを抱きかかえようとした。

「殺した! …私が、殺したのぉ!
 …大事な、大事な妹を!
 この手で! 殺したのぉ!…」

 千鶴さんは叫び続ける。



「ど、どうしたんだ!?」

「千鶴お姉ちゃん!?」

 声を聞きつけて、梓と初音ちゃんが飛んで来る。

「どうなさったんですかぁ?」

 一歩遅れてマルチの心配そうな声、そして、

「…どうかなさいましたか?」

 相変わらず冷静なひかり=楓ちゃん。

「い、いや、急に千鶴さんが叫び出して…」

 俺はとりあえず状況を説明しようとしたが、

「楓… 赦してぇ!
 そんなつもりじゃなかったのぉ!
 ああ… エディフェル! エディフェル!
 私の大事な妹!
 あなたを、殺してしまった…
 姉さんを赦してぇ!
 楓ぇ! …エディフェルゥ!」

 千鶴さんは叫び続ける。
 落ち着いて話ができる状態ではない。

「な、何のことだ?」

 アズエルの記憶を取り戻していない梓には、千鶴さんの言うことがさっぱりわからないらしい。

「千鶴お姉ちゃん… しっかりして!」

 初音ちゃんは、エディフェルの死の事情を知っている。
 しかし、楓ちゃんのことまでは知らないはずだ。

「千鶴さぁん、落ち着いてくださぁい!」

 これまた事情がわからないで、おろおろするばかりのマルチ。



 その時、

「…千鶴姉さん。」

 静かな声が響いた。

 皆がはっとする。
 千鶴さんも叫ぶのをやめ、声の方に目を向ける。
 声の主…ひかりに。

「姉さんが悪いんじゃない。
 しかたがなかったの。
 だから、これ以上自分を責めるのはやめて。」

 ひかりは落ち着いた声で続ける。

「か…楓…? 楓なの…ね?」

 千鶴さんが信じられないような顔で尋ねる。

「ええ。」

 ひかりの… いや、楓ちゃんの返事。

「か、楓だって?」

 梓が目を白黒させる。

「エディフェル…でしょう?」

 さらに千鶴さんが問いかける。

「ええ。」

 楓ちゃん=エディフェルが答える。

 千鶴さんは、一瞬ひどく懐かしそうな顔をしたが、すぐに目を伏せて、

「うっ、うっ、ごめんなさい、楓…
 ごめんなさい、エディフェル…
 私は… 私は、あなたに取り返しのつかないことをしてしまった…
 実の妹のあなたを…この手にかけてしまった…」

「千鶴姉さん。リズエル。」

 楓ちゃん=エディフェルが静かに語りかける。

「さっきから言っているでしょう?
 姉さんが悪いんじゃないって…
 千鶴姉さん。
 姉さんは、柏木家の当主としての務めを果たそうとしただけ。
 誰よりも姉さんが辛かったのは、わかっているわ。
 耕一さんの前に飛び出したのは私。
 姉さんのせいじゃないの。
 …リズエル。
 私は最初からわかっていたの。
 次郎衛門と一緒に暮らそうと決心した時から。
 多分、長くは生きられないだろうって。
 それでも、あの人の傍にいたかったの。 
 姉さんは、一族の掟に従っただけ。
 私、姉さんを苦しませて本当に悪かったと思ったわ。
 だから抵抗しなかったの。」

「うっ… ううっ…」

 千鶴さんはしゃくりあげる。

「私… 私… どうして…
 昔も今も… 掟や、義務に縛られて…
 こんなことなら、死んだ方がまし…」

「そんなことない!」

 楓ちゃんが声を荒らげる。
 皆がはっとする。

「姉さん…
 私、姉さんの妹でなければよかったなんて、
 昔も今も、一度も考えたことはありません。
 姉さんはいつでも、自分のことより、私たち妹のことを考えてくれました。
 姉さんがいなかったら、私たちもどうなっていたことか…
 私、姉さんの妹であることを誇りに思っています。
 自分は本当に幸せ者だと思います。
 だから、死んだ方がましなんて、
 口が裂けても言わないでください。」

 楓ちゃんが少し改まった口調で言うと、千鶴さんは、

「ううっ…」

 とその場に崩おれた。



 そこへ、つつっと初音ちゃんが近寄って、

「千鶴お姉ちゃん…
 ひかりちゃんの… ううん、楓お姉ちゃんの言う通りだよ。
 私たち、千鶴お姉ちゃんの妹で本当に良かったの。
 お願いだから、死ぬなんて悲しいこと言わないで。
 私たちもできるだけお手伝いするから、ね?」

 勘のいい初音ちゃんは、ひかりが楓ちゃんであることを理屈抜きで認識したらしい。

「…千鶴姉。
 あたしゃ、何がどうなってるのかよくわからないけどさ…
 でも、たったひとつだけわかってることがあるぜ。
 それは、千鶴姉がいなきゃ、この家は駄目だってことだ。
 あたしたちがいくら頑張っても、
 千鶴姉じゃなきゃ、やっぱりうまくいかないんだ。
 だからさ、弱音を吐いたりしないで、元気出してくれよ。」

 梓も梓なりに心から励ます。

「そうだよ、千鶴さん。
 だれも千鶴さんのことを恨んだりしていない。
 それに千鶴さんがダウンしたら、
 この家は火が消えたようになってしまったんだ。
 千鶴さんは、梓にも初音ちゃんにも、
 楓ちゃんやもちろん俺にも、大切な人なんだよ。
 いつまでも泣いていないでさ。
 また、皆で仲良くやろうよ。」

「ううっ… ううっ…」

 千鶴さんは目を擦りながら、

「あ、ありがとう、皆…
 ありがとう、ありがとう…」

 ふうっ、どうやら落ち着いたらしい。
 皆がほっとした表情を浮かべる。

「千鶴姉さん…
 少し休んだ方がいい。」

 ひかり、いや楓ちゃんが、千鶴さんの体を支えながら部屋に向かう。

「そうね。…そうするわ。」



 千鶴さんの姿が見えなくなると、梓が口を開く。

「さてと… だれでもいいから説明してくれないか?
 一体何がどうなっているのか。
 …初音! あんたは千鶴姉の言っていることがわかったのか?」

 初音ちゃんはもじもじしながら、

「う、ううんとね…
 よくわからない。」

「耕一! あんたはどうなんだ!?」

 俺は知っているが…千鶴さんや楓ちゃんのいないところで、何もかも話すわけにはいかない。
 もしかすると、千鶴さんが楓ちゃんを殺した話にも触れることになるかも知れないし…

「そのことだがな、千鶴さんも元に戻ったようだし、
 もう少し落ち着いたところで、本人の口から聞いた方がいいんじゃないか?
 本人でないとわからないこともあるだろうし…」

「う… そうかな?」

 梓もそれがいいと思ったのか、それ以上追及して来なかった。

「それよりも、せっかく千鶴さんと楓ちゃんが帰って来たんだ。
 ひとつお祝いのごちそうでも作ってくれよ。」

「そ、そうだな。
 よし、腕によりをかけてやるよ。」

「私も手伝うからね。」

「私もですぅ。」

 三人が気合いの入った声を上げる。
 しかし、この時マルチの顔に寂しそうな影があったのに、俺は気がつかなかった。



 その夜、少し遅めの夕食の席には、赤飯を始め、梓たちの心づくしのごちそうが並んでいた。
 千鶴さんはまだ少し顔色が悪かったが、皆が自分の回復を祝ってくれるのが嬉しそうだった。

 千鶴さんには楓ちゃんの姿が変わっていることと、マルチの存在が不思議そうだったが、詳しい話
は後ということにして、とりあえずマルチもひかり=楓ちゃんもメイドロボということだけ説明して
おいた(結局、ふたりとも左手首をはずして見せる羽目になったが。因みに、それを見た千鶴さんは、
たっぷり30秒は固まっていた)。



 食事が一段落して、ひかり=楓ちゃんの入れたお茶を飲みながら、しばらく当たり障りのない話を
していたが、やがて梓がそわそわした様子で、

「千鶴姉、あのさ…
 さっき千鶴姉が言っていたことだけど、
 あたしたち、何のことかよくわかんないんだよ。
 よかったら… よかったらさ、話してくれないか?」

 梓にしては、珍しく遠慮がちな切り出しだ。
 千鶴さんの体を気づかっているのだろう。

 千鶴さんはしばらく考え込んだ後で、

「そうね…
 何もかも話しておいた方がいいでしょうね。」

 そう言いながら、俺とマルチの方を見る。
 マルチの前で鬼の秘密を明かしてもいいかどうか、判断がつきかねるのだろう。

「そうそう、その前に、マルチのことなんだけど…」

 俺は気を利かして、マルチがここにいるわけを話し出した。

 マルチが試作型で、唯一心を持ったメイドロボであること。
 最初のご主人様と出会い、再会し、そして辛い別れをしたこと。
 (マルチはここで、ぎゅっと唇を結んでいた)
 廃棄処分にされるはずのところを逃げ出したこと。
 危ないところを、俺が「鬼の力を使って」助け出したこと。
 メイドロボとわからないように変装させたこと。
 俺のアパートに匿っていたこと…

 話の中で俺は、マルチがすでに「鬼の力」を知っていること、マルチ自身も守るべき秘密を持って
いることをはっきりとさせたつもりだ。
 つまり、マルチの前で鬼の話をしても大丈夫、という意味で。



 千鶴さんは、俺の意を汲んでくれたらしい。

「そうでしたか…」

 とマルチに向かって微笑んだ。
 マルチが味わった辛い経験に共感を覚えたらしい。

 梓も泣きそうな顔をしている。
 マルチの最初のご主人様のことは、今まで知らなかったのだ。

「それでは…」

 千鶴さんが静かに口を開く。

「今度は、私が話す番ですね…
 梓、初音。
 ふたりには辛い話もあるけど、よく聞いておいてね。」

 梓と初音ちゃんは真剣な面持ちで頷く。
 千鶴さんは感情を抑えながら、できるだけ淡々と語り始めた。



 遠い昔、宇宙から来た狩猟者たち−−エルクゥ−−雨月山の鬼。
 鬼の討伐隊の一員次郎衛門と、エルクゥの娘エディフェルの出会い。
 瀕死の次郎衛門に鬼の力を与えて助けたエディフェル、ふたりの恋と幸せな暮らし。
 一族の掟に従って「裏切り者」エディフェルを殺した、実の姉のリズエル。
 (この話の時、千鶴さんの肩は小刻みに震えていた)
 エディフェルの妹リネットの力を借りた次郎衛門の復讐と、エルクゥの全滅。
 次郎衛門に始まる柏木家の歴史。
 柏木家の男子の宿命。
 千鶴さんたちの両親の死、俺の親父の死、それぞれの真相。
 (梓も初音ちゃんも、たまりかねて涙をぽろぽろ流していた)
 そして俺の中の鬼の覚醒。
 俺が鬼を制御しきれないと見て、当主の義務を果たそうとした千鶴さん。
 俺をかばって千鶴さんの手に貫かれた楓ちゃん。
 楓ちゃんがエディフェルの、自分がリズエルの転生であると気がついた千鶴さんの悲嘆…



 千鶴さんは俺と楓ちゃんが結ばれたこと、俺が次郎衛門であることや、初音ちゃんや梓の前世には
触れなかった。
 俺たちのことはプライバシー、リネットとアズエルのことは、ふたりの記憶が戻っているかどうか
わからなかったからだろう。



 皆泣いていた。
 千鶴さんも、梓も、初音ちゃんも、マルチも… 涙を流せないひかりを除いて。
 俺も水門での情景が脳裏に浮かび、思わず目頭を熱くした。

「その後のことは覚えていないの。
 何が何だかわからなくなって。」

 後は俺が話を引き取ることになった。

「そこへ別の鬼が現れてね…」

 水門での死闘。
 かろうじて鬼を倒した後、楓ちゃんの亡骸と千鶴さんを抱えて帰宅したこと。
 千鶴さんはその後ずっと放心状態だったこと。
 足立さんに事後処理を頼んだこと。
 俺が会長代理を務めることになった経緯。
 (このあたりは、おもに千鶴さんのための説明だ。
  梓の『携帯』の一件を話すと、千鶴さんは梓の方を睨んでいた。
  千鶴さん、少しは元気を出してくれたかな?)

「…と、俺が知っているのは、こんなとこだけど?」

「…耕一さんには、ずいぶんご迷惑をおかけしたんですね。
 申し訳ありませんでした。」

 ため息をつきながら、千鶴さんが頭を下げる。

「そんな… 他人行儀はやめてくださいよ。
 一番辛かったのは千鶴さんなんだし。」

「そう言っていただけると、ほっとします…」

 千鶴さんは涙を拭きながら、

「ところで、どうして楓がメイドロボになったんですか?」

「えーと、この娘は『ひかり』と言って、
 来栖川のメイドロボなんだ。
 家の仕事を手伝ってもらおうと思って買ったんだけど…」

 「千鶴さんの介護のため」と言わないのは、梓なりの優しさだろう。

「別に特別仕様でも何でもない、普通のメイドロボの筈なんだけど…
 最近ちょっと様子がおかしいかなと思っていたら、
 今日になって、実は楓だって…」

 梓がどうも腑に落ちないといった顔で、ひかりの方を見る。

 するとひかりは、楓ちゃんそっくりの口調で話し始めた。

「私は水門で意識を失った後、
 気がついてみると、ヨークの中にいました…」

「ヨークって?」と梓。

「ヨークというのは、昔エルクゥが乗って来た宇宙船。
 でも、ただの宇宙船じゃなくて、それ自体巨大な生き物なの。
 それが水門の近く…昔の雨月山の地下で今も生きているの。
 エルクゥは死ぬと、その魂がヨークの中に集められ、
 次の生まれ変わりを待つの。」

「へえーっ?」

 信じられない、といった風の梓。

「ヨークの中で私は、長い間過ごしていましたが、
 ある時、ヨークの傍を耕一さんが…」

 楓ちゃんは、少し口籠って言い直した。

「耕一さんや梓姉さん、初音が通りかかったのを感じたので、
 ヨークにお願いしたんです。
 その… 皆の傍に行きたいって。」

 本当は「俺」の傍に行きたいと「泣き叫んだ」らしい。

「そうしたら、ふっと意識が遠のいて…
 気がついたら、このメイドロボの中にいました。」

「だけど、どうして、ひかりの中に宿ったんだろう?」

 と梓が首をかしげる。

「よくわからないけど…
 多分、この子が心を持たない存在だったからでしょうね。」

「心を持たないから?」

「ええ。
 …マルチちゃんもメイドロボだけど、心がある。
 つまり魂があるってことでしょう?
 魂であった私が宿れるのは、
 あのメンバーの中で唯一魂を持たなかったひかりの体だけ、
 ということじゃないのかしら?」

「ふうん…」

 と梓は納得しかけたが、

「おい、ちょっと待て。
 あんたがひかりの中に入ったのって、この間水門で花火をした時だな?」

「え? ええ…
 それが何か?」

「こいつ! あれから何日になると思うんだ!?
 あんたが楓なら、どうしてもっと早く言わないんだよ!?」

「ご、ごめんなさい。
 でも、この子の体に入ってすぐ、
 私の意識が完全に回復したわけじゃないのよ。
 この子には、心はないけど、
 プログラムされたものとはいえ、一応『自我』があったから、
 時間をかけて、私の意識が浸透するのを待たなくちゃいけなかったし…
 それに、人間の体と違って、機械の体はなかなか慣れなくて、
 その面でも自分を取り戻すのが遅くなって…
 本当にちゃんと自分が楓だって自覚できたのは、今日になってからなの。
 だから…」

 本当はもう少し前に意識が戻って、俺の部屋に忍んで来たのだが…
 楓ちゃんは、自分がメイドロボになってしまったことで姉妹がどういう反応を示すか、心配で言い
出せなかったらしい。

「ふうん。そうか…
 あんたも苦労したんだね?」

 梓が同情している。
 ここは、下手に波風を立てない方がいいだろう。



 たくさんの真実が一気に明かされて、皆ほうっとため息をついている。

「ええと… これからのこと、だけど…」

 俺が切り出す。

「千鶴さんは、鶴来屋に出社する前に、
 もう少し休んでおいた方がいいと思うな。」

「え? 出社って…
 私はもう会長じゃ…」

「何言ってんの。
 千鶴さんは、会長を退任させられたわけじゃないんだよ。
 あくまで病気療養中。
 その間俺が会長代理、と言っても名前だけだけど、
 代理を引き受けていたってだけなんだから。」

「いえ、私より耕一さんに会長になっていただいた方が…」

「だめだめ。
 千鶴さんほどの会長適任者はいないよ。」

「でも…」

「ああわかった。
 じゃ、その話は、千鶴さんがもう少し元気になったところで、
 足立さんも交えて相談しよう。
 今すぐ結論が出そうにないし。」

「…そうですね。」



「それと後は…」

 俺はひかりの方を向く。

「楓ちゃんのことだけど…」

「あん?」と怪訝そうな梓の声。

 俺はどう言えばいいものか口籠る。

 すると、ひかり… いや楓ちゃんは、俺の心中を察したのか、

「私は… 楓の意識はありますけど、体はメイドロボです。
 以前の楓とは違います。
 私自身、いつまでこの体の中にいられるかわかりません。
 できるなら、いつまでもこのままでいたいんですけど…
 こんな私ですけど、今まで通りこの家に置いていただけますか?」

「何言ってんだよ!」

 梓が怒ったような声で言う。

「あんた、楓なんだろ!?
 ここはあんたの家じゃないか!?
 何を遠慮することがあるのさ!?
 でかい顔していりゃいいんだよ!」

「そうだよ。楓お姉ちゃん。
 私たち皆、お姉ちゃんが帰って来てくれて嬉しいよ。
 ずっとここにいてよ。
 耕一お兄ちゃんだって、
 楓お姉ちゃんがいなくなってから、
 ずうっと寂しがってたんだから。」

 初音ちゃんは、俺のためのフォローまで入れてくれる。本当にいい子だなあ。

「楓。…私にはこんなこと言う資格はないけれど。
 …どんな姿になろうと、楓は楓。
 私たちの…大事な…家族なの。
 (千鶴さんは一瞬苦しそうな表情をした)
 お願いだから、いつまでも、この家にいてちょうだい。」

「…ありがとう、みんな。
 …お言葉に甘えさせていただきます。」



「よし、そうと決まれば…」

 梓はぐすっと鼻をすすると、湿っぽい雰囲気を吹き飛ばすように、

「引っ越しだ!」

 威勢のいい声を上げる。

「は?」

 俺は間抜けな声を出す。

「何惚けてんだよ。
 ひかりは楓なんだろ?
 だったら、楓が楓の部屋を使うのは当然じゃないか?」

「あ、そうか…」

「あの… 梓姉さん?
 私は今まで通りでも…」

「遠慮すんなって!
 大した荷物じゃなし、家の中の移動だし、
 皆で手伝えばすぐに終わるさ。
 さあ、みんな!
 ひかりの部屋へ行こうぜ!」

「よし!」

「うん、梓お姉ちゃん。」

「私もお手伝いしますぅ。」

「私も…」

「千鶴姉はいい!
 病み上がりだし、第一千鶴姉に手伝ってもらったら、
 終わるのが夜中になっちまう!」

「あ、梓。それ、どういう意味…?」

「…無理すんなよ。
 また倒れられたら困るし。
 ま、もう二、三日ゆっくり休んで鋭気を養っておくれよ。」

 梓がいつになく優しい調子で言う。

「…梓ったら。」

 千鶴さんが上目遣いに睨む。
 しかし、梓の言葉にほろっと来ているらしく、本気で怒っている様子はない。

「………」

 一方ひかり=楓ちゃんは何か複雑な表情(メイドロボに許される範囲内でだが)を浮かべていた。



 俺が後でこっそり聞いてみたところ、もじもじしながら教えてくれたのは…もとの楓ちゃんの部屋
は他の姉妹の部屋に隣接しているため、引っ越しをすると俺の所に忍んで来るのが難しくなる、と心
配したのだそうだ…


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