The Days of Multi第四部第1章パート2 投稿者: DOM
The Days of Multi
第4部 Days with the Kashiwagis
☆第1章 恋人 (マルチ5才) Part 2 of 2



 そんなある日の夕方のこと。
 近所の瀬野という人が、折り入って相談がある、と耕一のもとへやって来た。
 瀬野は町内会の役をやっているので、てっきりその関係の話かと思ったら、何のことはない、耕一
へのお見合い話だった。
 耕一と相対した瀬野は、相手の女性をあれこれほめ上げて、耕一には似合いの女性だ、と勧めた挙
げ句、よさそうな日柄と耕一のスケジュールを照らし合わせようとする。
 放っておけば否応なしにお見合いに持ち込まれそうな様子に慌てた耕一は、急いで瀬野の話をさえ
ぎると、自分はまだ若いし未熟者で、当分結婚するつもりはない、と断わった。
 世話好きらしい瀬野は、簡単に引っ込んでくれず、なおもあれこれ言っては考え直させようとした
が、耕一は「当分結婚する気はない、だからお見合いもする気はない」の一点張りで、何とか押し通
したのである。



 ようやく瀬野が帰って行き、耕一が額の汗を拭っていると、梓と初音が心配そうにやって来た。
 耕一が、お見合いの話だったが断わった、とありのまま言うと、ふたりとも一転して嬉しそうな顔
をした。
 初音が言うのには、瀬野は以前、千鶴に何度となくお見合い話を持って来たことがあり、今度も耕
一へのそれだろうと予想がついていたのだそうである。

「あの人、いい人なんだけど、
 世話好きの度が過ぎて、しつこいところがあるんだ。
 きっとまた、別の見合い話を持って来ると思うけど、乗るんじゃないぞ。
 いったんお見合いすれば、強引に結婚まで持って行きかねないからな。」

 梓も、ほっとした様子で、今後のためのありがたいアドバイスを与えるのであった。

 傍らで聞いていたマルチは、目を丸くして、

「えええ!?
 お見合いの話だったんですかぁ!?」

 と今さらのように驚いていた。

 ひかりだけは何も言わなかったが、耕一には何となく落ち着かない様子に見えた。 



 その夜、耕一が部屋の灯りを消して布団に入って間もなくのことだった。
 ふと、障子の外に誰かの気配を感じた。
 耕一は身を起こす。

「…誰?」

 と声をかける。

 外にいる誰かが、ぴくりと動いたような気がした。

「用があるなら、入っておいでよ。」

 そう耕一が言うと、しばらくためらったような感じの後、そっと障子を開けて入って来た人影が
あった。
 耕一の布団のすぐ脇までやって来て、そこに座る。
 その人影はマルチ…ではない。
 マルチとそっくりのシルエットだが、両耳から角のような突起物が生えている。
 言うまでもなく、センサーをはずしていないメイドロボ、ひかりであった。

「ひかりか… どうしたの?」

 ひかりは何も言わない。
 暗くてよく見えないが、少しうつむいているようだ。
 メイドロボとはいえ、暗い部屋の中で女の子と向かい合ったままだんまりを続けるのは、耕一の心
臓によくない。

「何か用があるんだろ? 相談事かい?
 俺でよければ、できるだけのことはするよ。」

 メイドロボの相談事にどこまで力になれるかは別として、耕一はできるだけ気楽な調子で聞いた。
 すると、ひかりは…すすり泣くような声で呟いた。

「…耕一…さん…」

 耕一は、雷に打たれたような気がした。

「楓ちゃん!?」

 そんなはずはない。相手はメイドロボなのだ。
 声だって楓のものとは違う。
 なのに… 耕一には、それが楓であるということが、何のためらいもなく受け入れられた。

 楓と呼ばれたひかりは、ぴくっと体を動かすと、こう言った。

「耕一…さん…。会いたかった…」

「楓ちゃん!? 楓ちゃんなんだな!?」

 目の前のシルエットがこくりと頷いたのを確認するや否や、耕一は夢中でその体を抱きしめた。
 なぜひかりが楓なのか、という疑問を覚える余裕もなく、耕一は少女の唇を奪った。
 そこに楓がいる。自分の永遠の恋人がいる。
 その事実だけで充分なのだ。

 熱烈な口づけの後、耕一は恋人の服を脱がせ、メイドロボ特有のボディスーツも取り去った。
 その顔に、肩に、胸に、腹に、ありとあらゆるところにキスの雨を降らせる。
 少女はおとなしくされるがままになっている。
 量産型のメイドロボには性交機能がなく、股間ものっぺらぼうだ。
 もちろん、愛撫に反応するはずもない。
 しかし、耕一が優しく愛撫すると、少女はかすかに体をよじらせて、喜びを表わす。
 中身が人間だからだろうか…?



 情熱的な愛撫の後、「楓」は耕一の左手に頭を乗せて、体を横たえていた。
 耕一に添い寝をしてもらっているような格好だ。

 そのままの姿で、楓はぽつぽつとこれまでの事を語っていた。
 死んだ後、ヨークの中で眠るがごとく時を過ごしていたこと…
 例の花火の時、耕一に気がついて、傍に行きたいとヨークに泣き叫んだこと…
 気がついたら、ひかりの中に入っていたこと…
 最初のうちは、自分がひかりなのか楓なのか、はっきりしなかったが、
 日が経つに連れて、楓としての意識がまさってきたこと…
 今日、耕一の見合いの話を聞いて不安でたまらなくなり、
 とうとう耕一のもとにやって来たこと…



「どうしてもっと早く、教えてくれなかったの?」

 耕一が聞くと、

「なかなか楓としての意識がはっきりしなかったものですから…
 今でもまだ、自分がひかりのような気がすることもあります。
 それに…」

 楓は口ごもる。

「それに?」

「…こんな体になった私を見たら…
 耕一さん…
 私のことを嫌いになるんじゃないかと…」

「楓ちゃん!!」

 耕一が叫ぶと、楓はびくっと体をすくめる。

「楓ちゃんがいなくなって、
 俺、ずうっとずうっと、悲しくて、辛くて、寂しくて…
 どうしようもなかったんだよ。
 こうしてまた会えたのが、嬉しくて嬉しくてたまらないんだ。
 体のことなんか気にしないでくれよ。
 中味が楓ちゃんであれば、俺はそれで充分なんだから。」

「…でも… さっきも私ばっかり…
 耕一さんを気持ちよくしてあげられないのが、申し訳なくて…」

「そんなこと、気にしないでいいんだよ。」

 耕一は楓の体を抱きしめた。

「今度こそ、どこにも行かないでくれ。
 …嫌だと言っても、放さないからな。」

「耕一さん…
 あ、ありがとうございます…」

 楓は泣き声だった。



 耕一に抱かれたまま一晩過ごした楓は、夜明け前にそっと起き出した。
 誰かに見とがめられたくないのと、充電のためである。
 幸せそうな耕一の寝顔にそっと口づけると、楓は名残惜しそうに帰って行った。



 耕一は、ひかりが楓であることを誰にも言わなかった。
 楓に頼まれたのである。もう少し自分に自信がつくまで、ほかの人には言わないでほしいと。

 楓は、それから二、三日に一度、耕一のもとに忍んで来るようになった。
 耕一の愛撫を受け、添い寝をしてもらって一晩過ごし、夜明け前に帰って行く。
 それが習慣となった。



 耕一と楓の逢瀬が何回か続いた後のある夜。
 充電の準備にとりかかっていたマルチは、ふと、耕一のスーツのボタンがとれかかっていたことを
思い出した。

(ああ、しまった!
 ご主人様はまだ起きておいででしょうか?
 もしまだお休みでなかったら、スーツをお借りして来て…)

 そう思って、いったん接続したケーブルをはずしかけていると、部屋の外でかすかな物音がした。

(…?)

 マルチは反射的に息をひそめた。
 誰かが部屋の外で、マルチの様子を伺っているらしい。

(…………)

 マルチがじっとしていると、部屋の外の誰かは、マルチが寝てしまった(充電を始めた)と思った
らしく、安心したように立ち去っていく。

(誰?)

 マルチはそっとドアに近づくと、ごく細めに開けて様子を伺った。
 すると、廊下の角を曲がって姿を消す人影がちらりと見えた。

(ひかり?)

 どうして妹が、自分の様子をあんな風に伺ったりするのだろう?
 マルチは気になって、ひかりが帰って来たらわけを聞いてみようと思った。



 …が、ひかりはなかなか帰って来なかった。
 ご主人様のスーツが気になるマルチは、ひとまずひかりの事は置いておいて、耕一のスーツを預
かって来ようと部屋を出た。
 耕一の部屋まで来て見ると、電気が消えて真っ暗だった。

(もうお休みになられたかしら?
 それなら、明日の朝にでも、急いでボタンをつけ直して差し上げた方が…)

 そうも思ったが、何となく耕一の部屋で人が動いているような気配を感じた。
 電気は消したものの、耕一はまだ起きているのかも知れない。
 マルチは、障子の外から中の様子を伺おうと、メイドロボの聴覚を最大限にして聞き耳を立てた。
 すると…

「楓ちゃん… 楓ちゃん…
 大好きだよ、楓ちゃん…」

「こ、耕一さん、私も…
 耕一さんが…好き…」

 …………



 マルチは、いつの間にか部屋に戻って声を押し殺して泣いている自分に気がついた。

(ご主人様… どうして、どうして…?)

 マルチは、耕一が楓恋しさに耐えられず、ひかりに亡き恋人の代わりをするよう命じたのだと思っ
た。

(どうして… 私に言ってくださらなかったのですか?)

 マルチは、例の夢を見て以来、きっと耕一は初音と結ばれるに違いない、と思っていた。
 それゆえ、自分の耕一に対する思いを断ち切り、恋人としてではなく忠実なメイドロボとして、一
生お仕えしようと思っていたのだ。
 しかし、耕一は、自分と同じメイドロボ、自分の妹を寝間に誘ったのだ。
 マルチはショックだった。
 耕一と共に過ごした時間は、自分の方がずっと長いのに…

(ご主人様… 私って、そんなに魅力ないですか?)

 そう思うと悲しかった。

(ううん… そうじゃない。ご主人様は優しい方ですから、きっと…)

 耕一もマルチの気持ちには気がついている。
 もし、耕一が、自分のことしか考えない男だったら、まずはマルチに声をかけるだろう。
 彼女が拒むはずはないとわかっているからだ。
 なのに、耕一はひかりに声をかけた。ということは…

(私が傷つかないようにしてくださったに違いありません。)

 心のあるマルチに「楓の代わりになれ」と言えば、傷つくに決まっている。
 その点、心を持たないひかりならば、傷つくこともないだろう…
 耕一はそう考えたのではないだろうか?

(きっとそうです…)

 マルチはそう思った。



 次の夜のこと。
 耕一は夢うつつで、楓を抱いていた。

(耕一さん… 私、あなたを喜ばせてあげられるようになったんです。
 どうか、今までの分、全部お返しさせてください。)

(か、楓ちゃん… 本当なの?)

 本当だった。楓は、素晴しい喜びを耕一にもたらした。
 耕一は、この幾夜満たされることのなかった欲望に一挙に火がついて、恋人の体をむさぼるように
愛し続けた。
 やがて、恋人が喜びの叫び声を上げる。

(ご主人様あ…っ!!)

(?)

 耕一はそのとき、初めて違和感を感じた。

(「ご主人様」?)

 ひかり、いや楓は耕一のことを「ご主人様」などと呼んだことはない。耕一をそう呼ぶのは…
 夢うつつだった意識が、少しずつもやが晴れるような感じではっきりしてきた。

(楓ちゃんじゃない?…
 いや、やっぱり楓ちゃんだ。)

 暗がりの中でも見間違えるはずのないそのシルエット… いや…?

(センサーが…ない…?)

 そう思った瞬間、耕一の意識は完全に覚醒した。

「マルチ!?」

 思わず叫ぶと、自分の下になっている娘がびくっと体を動かした。

「マルチ、だろ?」

 自分をご主人様と呼ぶ者は、ほかにはいないはずだ。
 娘は返事をしない。小さく身を震わせている。

「返事をしてくれ。
 そうでないと電気をつけるぞ。」

「や、やめてください…」

 泣きそうな声が聞こえた。それで充分だった。
 ひかりに似ているが、ずっと人間らしい声。

「やっぱりマルチか…。
 一体どうして?」

 耕一は、自分がマルチを抱いてしまったことに気がついて、動揺していた。
 状況から見て、マルチが耕一の寝床に忍び込んだのは見当がついたが、なぜ彼女がいきなりそんな
ことをしたのか理解できなかったのだ。
 マルチは、相変わらず泣きそうな声で、

「ご、ごめんなさい。
 ごめんなさい…」

 と、謝り続けるばかりだった。



 耕一は、そんなマルチをなだめすかして、ようやくこんなことをしたわけを聞き出すことができた。

 マルチが前から耕一を好きだったこと…(はっきり告白するのはこれが初めてだ)
 ひかりが楓の「代わり」を務めていることを知って、ショックを受けたこと…
 自分も楓の「代わり」でいいから、耕一に愛されたいと思い詰めたこと…



 耕一は黙って聞いていた。
 マルチは勘違いをしているが、ひかりは楓の代わりではなく、楓そのものなのだ。
 しかし、そんなことを今さら明かすつもりはないし、明かしたところでどうなるものでもない。

(マルチ…)

 耕一は改めて、マルチと自分の今までを思い返した。
 耕一は正直言ってマルチに惹かれていた。初めて髪と瞳を黒くした姿を見て以来、である。
 例の夢もあり、マルチも自分を慕っているのは知っていた。

 しかし、耕一は常にマルチと一定の距離を置いていた。
 マルチに対する思いが、どこまで純粋なものか、自分でもよくわからなかったからである。
 おそらく、楓への思いをマルチに投影しただけなのだろうとも思った。
 もしそうなら、マルチを恋人の位置に置くことは、楓にもマルチにもひどい背信行為となるだろう。

(マルチ… 俺、お前をどうしたらいいんだ?)

 耕一は悩んだ。
 この何日か、再会した楓に夢中になっていたが、今こうしてマルチにはっきり告白されて見ると、
「楓ならぬマルチ」にも十分心惹かれている自分に気がついたのだ。

 耕一が悩んでいる様子に、マルチは言った。

「ご主人様。心配なさらないでください。
 ご主人様が楓さんを忘れられないのは、わかっていますから。
 私が勝手に、ご主人様を好きになっただけなんですから。
 …私は、楓さんの代わりでいいんですぅ。」

 マルチは、かつてのリネットのようなことを言う。
 ひかりのことをあくまで楓の代わりだと思い込んでいるので、自分も楓の代わりをすると言い出し
たのだ。

 耕一は困惑した。
 どうしたらいいのか、すぐに考えがまとまらない。
 耕一はひとまずマルチに口止めした上で、部屋に返すことにした…



 楓はマルチのことを知らず、相変わらず二日おきぐらいの割りで忍んで来る。
 マルチも時々、ひかり(実は楓)が充電を始めたのを確かめた上で、忍んで来る。マルチとしては、
できるなら妹の分まで「楓の代わり」を引き受けたい所だが、妹に焼きもちを焼いているわけではな
く、ふたりしてご主人様に愛されている現状に、特に不満はない。

 耕一は、ひかり=楓とマルチの間で思い切れずにいた。

 楓とそっくりの言動をするひかりは、見ているだけで愛おしさがこみ上げて来る。
 だが、その体は量産型のメイドロボ、耕一の情熱を真正面から受け止めることができない。
 楓がどんなに焦ろうとも、できないものはできないのである。

 耕一の、恋人とひとつになりたいという欲求は、ひかり=楓相手ではかなえられないが、「ひかり
とそっくりの姿形をした」マルチ相手なら満たされるのである。
 実際、ふたりの外見の違いは、髪と目の色、センサーの有無だけなのだ。
 暗い部屋の中では、わざわざエルクゥの視力でも使わない限り、ほとんど見分けがつかない。

 耕一はマルチに申し訳ないと思いながら、いつもマルチとひかり=楓を重ね合わせていた。
 これが、ひかりとマルチのふたりとも、いや、いずれか一方でも人間であったなら、とんでもない
背信行為だろう。
 しかし、幸か不幸か、ふたりはメイドロボ。
 しかもマルチは、最初から「楓さんの代わりでいい」と言っている。
 耕一がなかなかふっきれないのは、そのあたりにも理由があった。


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本作品では、耕一とマルチを近づける必要から(私の)愛する楓ちゃんを殺してしまったのですが、
そのためどうも寝覚めが悪く、思いつきでひかりの体に入れてしまいました。
そうすると、このような三角関係に陥ることも可能性としてはあるな、と書いているうちに…
後々まで尾を引くことになってしまいました。

耕一ファンの方、すみません。
この作品での耕一は(難しい事情もあって、ですが)複数の女性の間で揺れ動く心の持ち主です。
浮気者で優柔不断とも言えますが(おい)。


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