The Days of Multi第四部第1章パート1 投稿者: DOM
The Days of Multi
第4部 Days with the Kashiwagis
☆第1章 恋人 (マルチ5才) Part 1 of 2



 大学を無事卒業した耕一は、アパートを引き払い、マルチを伴って隆山へ向かう。
 マルチがメイドロボであることを見破られないかとヒヤヒヤしていた耕一は、ともかく早く着くこ
とばかり考えていた。
 そのせいか、予定より大分早く隆山駅に到着する。
 無事柏木家の玄関にたどり着いて、ほっとする耕一であった。



「ごめんくださーい。」

 耕一が声をかけると、奥から、

「はい。ただいま参ります。」

 と返事がある。
 ひかりの声だ。

 間もなくトテトテと足音がして、緑の髪の少女が姿を現わした。

「ひかり、今日から世話になるよ。」

「いらっしゃいませ、耕一さん。」

 ぺこりとおじぎ。
 うーん、ひかりって、しつけの行き届いた小学生、って感じだな。

 それからひかりはマルチの方を向いて、

「HMX−12、マルチお姉様…ですね?
 初めまして。
 わたくし、お姉様の妹、
 HM−12型メイドロボの『ひかり』と申します。
 ふつつか者ですが、よろしくお願い申し上げます。」

 そうか、マルチは量産型マルチタイプにとって、お姉さんに当たるというわけか。
 しかし、「妹」の方もその自覚があるなんて…
 来栖川のメイドロボって、やっぱりすごいのかも…

「あ、こんにちは。マルチですぅ。
 私の方こそよろしくお願いしますぅ。
 これから一緒に住めるんですね?
 嬉しいですぅ。」

 マルチは本当に嬉しそうに顔をほころばせる。

「マルチは、ひかりに会うのをずっと楽しみにしてたんだよ。」

 と俺が口を挟む。

「そうですか。ありがとうございます。」

 マルチと対照的に無表情なひかり。
 まあ、感情がないんだから、しかたないか。

「おふたりとも、どうぞお上がりください。
 お部屋にご案内致します。」

「梓たちは?」

「おふたりは買い物に行かれました。
 もうそろそろ帰っておいでかと存じます。」

 俺は例の客間へ。
 マルチは、ひかりにあてがわれた部屋の隣が空き部屋とかで、そちらに荷物を持って行った。
 「妹と隣同志で幸せですぅ。」と上機嫌だった。



 その夜は例によって大ごちそう、そして酒盛りへ。

「ううーん、やっぱり初音ちゃんはかわいいなあ。」

「きゃっ!? お、お兄ちゃん!?」

 耕一がふざけて初音に抱きつこうとしたら、初音があわててよけたので、勢いがついて、初音の隣
にいたひかりめがけて突っ込んでしまった。
 そして…

 ふにゅっ

「あう…」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 耕一を含め、その場の全員が固まった。
 耕一は、その顔を思いっきりひかりの胸に押しつける格好になったのだ。

(…うっ… この感触…
 基本的につるぺたとはいえ…
 やはり、そこはかとなく盛り上がりがあって…
 これはこれでいいかも…)

 耕一が、メイドロボの胸がどのような感触をしているか実地に調べることができるという滅多にな
い機会に、つい研究意欲を燃やしているうちに…

(…? …何だか、突き刺さるようなものを感じるけど…?)

 名残惜しくも、ひかりの胸からそっと顔を持ち上げてみると…

 ジトーッ

 ジトーッ

 ジトーッ

 …………

 いつの間にか、梓、初音、マルチの3人からきつーいジト目で見られていた。

「こぉらあああああ!
 最初からひかりの胸が目当てだったのかあああああ!?」

「お兄ちゃん…
 ずいぶん長いことくっついてたみたいな…」

「ご主人様ぁ、顔がにやけてましたよぉ…?」

「い、いや、誤解だ! 誤解!
 あまりに意外な出来事に、つい固まってしまって…
 本当だ! 嘘じゃない!」

 そう言いながらも、

(やっぱりマルチとおんなじぐらいだったかな?
 同じマルチタイプだから、規格もいっしょだろうし…
 メイドロボの胸って、なかなかいい感触をしているんだな。
 今度是非マルチで… はっ!? 俺は何てことを?
 …ところで、初音ちゃんとはどっちが大きいんだろう?
 何とかして調べる方法は…)

 などと不埒なことを考えている耕一であった。
 因みに、当のひかりだけは、最初から最後まで平然としていた。

 こうして、耕一とマルチを迎えた柏木家の第一夜が過ぎて行った…



 その後、特にこれといったこともなく日々は過ぎ去り、やがてまた夏が巡って来た。
 千鶴の容態は相変わらず。
 耕一は、まだ楓への思いを引きずっている。
 初音とマルチは、お互いの耕一への思いに気づいているが、耕一が楓を忘れらないことも知ってい
る。
 梓も耕一に思いを寄せているが、素直になれず、いつも喧嘩になってしまう。
 ひかりはひかり、マイペースである。



 ある日、耕一は出入りの業者から大量の花火をもらった。
 せっかくだから皆でやろうと持ち帰る。

 夜、皆で水門へ。
 耕一にとっては辛い思い出の場所だが、皆に楽しんでもらおうと自分の感情を隠している。
 ロケット花火に次々と点火して豪快に笑う梓。
 おとなし目の花火を手に持って上機嫌の初音。
 あまり花火をしたことのないマルチは、自分の手にある花火がしゅるしゅるときれいな炎を飛ばし
始めたのを見て、ちょっと慌て気味。
 少し離れたところでひかりがひとり佇んでいるのを見た耕一は、花火を持たせて火をつけてやる。
 最後は皆で線香花火をし、何となくしんみりしながら帰途に着いた。



 …私はまどろんでいた。けだるいような暖かさの中で。
 裏切り者であるはずの私をも、優しく受け入れてくれた「船」の中で。
 私がエルクゥであり続ける限り、「船」は決して私を見捨てないのだ…
 …………

 …私は、ふと、懐かしい人の気配を身近に感じた。

 これは? この気配は…
 間違いない! あの人だ!

 その瞬間、私の意識ははっきりと覚醒した。

 耕一さん!! 次郎衛門!!
 名前が変わろうと、何度生まれ変わろうと… 忘れることのない、愛しい人。
 あの人が私に近づき、そして…立ち去って行く!?
 …ヨーク!! お願い!! 私を、あの人の傍へ!!

 私は泣き叫んだ。
 死んだ私を受け入れてくれた、心優しい「船」に向かって。

 ヨークは答えてくれない。沈黙を守るだけ。

 …こんなとき、リネットだったら、もっと自由にヨークと話ができるのに!
 お願い!! お願い!! あの人について行きたいの!!
 何とかして!! ああ、行ってしまう!! あの人が、遠くへ、行ってしまう…
 お願い!! ヨーク!! お願いだから…私を…あの人の傍へ…!!

 …そのとき、柔らかい光が私を包み…私は意識を失った。



 耕一たちが水門から帰りかけて間もなく。

 グラグラグラ…

 突然、地面が揺れ動いた。

「きゃっ!?」

「じ、地震!?」

 突然のことに、うろたえる一行。
 立っていることができず、それぞれ地面にうずくまる。

 幸い、地震はすぐに収まった。
 皆、やれやれと立ち上がる。

「…びっくりしたね。」

 胸を撫でおろしている初音。

「こんなに揺れるのは珍しいな。」

 一瞬とはいえ、取り乱したことが照れ臭そうな梓。

 そのとき、

「ひかり? ひかり! しっかりして!」

 マルチの叫び声が上がる。
 一同驚いて声の方を向くと、ぐったりとした「妹」の体を抱きかかえて慌てふためく、マルチの姿
があった。



「ひかり! ひかり!」

 泣きそうな顔で叫ぶマルチ。
 その回りに皆が駆け寄る。

「どうした!?」

 耕一が尋ねる。

「さっきの地震の後、急にぐったりして…
 動かなくなっちゃったんですぅ!」

「だ、大丈夫かなぁ…」

 初音も心配そうにのぞき込む。と、

 ぶうううん…

 起動音がした。
 やがて、皆が見守る中で、ひかりが目を開ける。

「ひかり! 大丈夫!?」

 真っ先にマルチが声をかける。さすがは「姉」である。
 耕一たちも口々に安否を問う。

「…はい。大丈夫、です。」

 どことなく戸惑っている風で、ひかりが答える。

「一体、どうしたのさ?」

 梓の問いに、

「よくわかりません。
 …先ほどの地震のとき、急に目の前で何かが光ったような気がして…
 気がついたら、お姉様にかかえられていました。」

「どこか調子でも悪いのか?」

 耕一が聞くと、

「…自己診断システムで調べた結果、特に異常は発見できませんでした。
 一応帰ってから、コンピューターで再チェックを行うつもりですが…
 おそらく、何らかのショックによる一過性のもので、
 後に影響は残らないものと思われます。」

「歩けますか?
 何ならおんぶしてあげますよ?」

 マルチは、まだ心配そうに言う。
 気持ちはわかるが、自分と同じ体格の妹をおんぶしたら、マルチが満足に歩けるかどうかわからな
い、と耕一たちは思った。

「大丈夫です。ご心配かけました。」

 ひかりは立ち上がって、普通に歩いて見せる。
 それでようやくマルチも安心したらしい。
 皆で家路をたどり始める。



 しばらく歩いた時だった。
 耕一はふと、自分のシャツを小さな手がそっと握ったように感じた。

(? …初音ちゃん? それともマルチか?)

 そっと斜め後ろに視線を流した耕一は、小さな驚きを感じた。
 自分の後ろに近寄って片手を伸ばしているのは、意外にもひかりだったのだ。

 小さな子どもが何となく不安を感じた時にするような仕草に、耕一は考えた。
 もしかしたら、先ほどの地震のショックとやらが、まだ少し残っているのかも知れない。
 マルチと違って、全く感情を持たないと思っていたひかりだが、少しは驚いたり不安に感じたりす
ることがあるのかも知れない、と。
 そう思うと、急にひかりが身近な存在に感じられ、また、かわいらしくも思われて、柏木家にたど
り着くまでそのまま何も言わずに、シャツを握らせておいてやったのであった。



 ところが、それから何となく、ひかりの様子に変化が見られるようになった。
 花火の次の日の夕食後、ひかりは誰にも言われないのに、お茶の用意をして皆に勧めた。
 普通、お茶を入れるのは(楓亡き後は)初音の係であるのにもかかわらず、である。
 一同少し驚いたものの、深く考えることもなく、礼を言ってお茶に口をつけた。

(!!)

 耕一は驚いた。
 熱くもなく、ぬるくもなく、ちょうど飲み頃。
 マルチと同じくらい上手な入れ方だ。
 …そう、まるで…楓が入れたように。
 そう思って見回すと、梓と初音も同じ思いらしく、耕一と目が合うと、小さく頷くような仕草をし
た。
 ひかりはそれ以来、食事のたびに、自らお茶を入れるようになったのである。

 ほかにも、いくつかの変化があった。
 無表情なのは相変わらずなのだが、時々単なる無表情を通り越して、ぼうっとしているように見え
るときがある。
 そんなとき声をかけると、何となく慌てたような感じで返事をする。
 また、会話をしていて、時折メイドロボにしては妙にボケた受け答えをすることもある。
 じっと考えこんでいたかと思うと、人間くさいため息をついたりすることもある。
 以前には見られなかったことばかりであった。

 梓と初音には、それが何となく楓っぽいものに思われたが、耕一には黙っていた。
 耕一は楓の日常をあまり知らないので、そういう話をして、いたずらに楓の死を思い出させる結果
になるのを避けたのである。



 花火から2週間ほど経った時、もうひとつの変化が目立つようになった。
 ひかりは今まで、用事がないときは自分の部屋で控えていることが多かったのであるが、耕一が家
にいるときは、その近くに自分もいるようになったのである。
 別に差し出がましい態度を取ったりはしないので、邪魔になるわけでも、取り立てて目立つわけで
もない。
 ただ、誰かがふと気がつくと、耕一の傍にひかりがいる、ということが、日常茶飯時となったのだ。

 耕一はだんだん、ひかりの存在を意識するようになった。
 以前から、その無表情で静かなふるまいの中に、何となく死んだ恋人と通じるものを感じていた耕
一であったが、最近のひかりは、どんどん楓に似てくるような気がしていたからだ。
 気がつくと耕一の傍にいるひかりは、無表情の裏に、耕一への思いを秘めているような気がする。
 耕一としては、ひかりに対して平静でいられない。
 時には、その華奢な体を思いきり抱きしめてやりたい、と思うことがある。
 「楓ちゃん」と呼びながら…



 一方、今まで相変わらずだった千鶴の容態にも、変化が見られるようになった。
 ずっと放心状態で、誰が話しかけても何の反応もしなかった千鶴であるが、ひかりが耕一に接近す
るようになってからしばらくした頃であった。
 様子を見に来た梓が「千鶴姉、調子はどうだ?」と声をかけた時、こちらを見るような仕草をした
のである。
 結局返事はしなかったし、梓がだれなのかもわからなかったようではあるが、梓も、それを聞いた
皆も、回復の兆しに違いない、と大喜びした。
 気の早い梓など、早速赤飯を炊いて皆にふるまったが、だれもからかったりする者はいなかった。
 皆、同じ気持ちだったからである。

 しかし、皆は知らなかった。
 ひかりが、このところ連日、千鶴の病床を訪れては、

「姉さん…
 もう自分を責めるのはやめて。
 …姉さんが悪いわけじゃないの。」

 などと語りかけていたことを。


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