The Days of Multi第三部第8章パート1 投稿者: DOM
The Days of Multi
第3部 Days with Kouichi
☆第8章 朝の光 (マルチ2才) Part 1 of 2



 チチチ… チチチ…

 どこかで鳥の声がする。
 長い夜が明けた。
 マルチは目を開ける。周りを見回す。
 柏木家の三人は、前回見た時と同じ位置で眠っている。
 マルチは軽く頭を振る。
 夢を見たせいで、少し混乱しているようだ。

 自分の過去。ご主人様「たち」の過去。
 愛すること、愛されることの幸せと悲しみ。
 いろいろな思いが頭の中を駆け巡る。

 前のご主人様のこと… それはとても辛い記憶。
 でも… やはり思い出して良かった。
 あんなに自分を愛してくださったご主人様、
 そして自分も大好きだったご主人様のことを、忘れたままでいるのは嫌だった。

 −−本当に愛した人のことを、そう簡単に忘れられるはずがないもの…

 リネットの言葉が頭に響く。
 その通りだと思う。

 マルチは立ち上がる。
 朝の支度をしようと歩を進める。
 目の端にご主人様の姿。
 そして、そのすぐ傍に寝癖のピンと立った髪の毛。
 初音の寝相の悪さを思い出して微笑んだマルチは、台所へ向かおうとして…
 電気に打たれたような衝撃を覚えた。

 もう一度振り返る。
 ご主人様の傍に眠る初音さん。
 ご主人様でないご主人様の傍に眠るリネット。
 ふたりの少女の姿が重なる。声が重なる。

 −−何だか羨ましいかな、って…
 −−本当に愛した人のことを、そう簡単に忘れられるはずがないもの…
 −−お姉様の…代わりでも…いいから…
 −−おやすみなさい、マルチちゃん。

「楓さんがエディフェルで… 初音さんが…」

 マルチは呟く。

「…リネット?」

 何がどうなっているのかよくわからないが、それだけは間違いない、とマルチは思った。



 やがて思い思いに起き出した三人は、マルチの用意した朝食を取っていた。
 ご飯、味噌汁、卵焼き、焼き魚、納豆、海苔、漬け物。

「うーん、しかし本当にマルチって料理がうまいな。」

 梓がしみじみと言う。

「えへへ、またほめられちゃいましたぁ。」

 マルチ、満面の笑顔。

「あたしも頑張らなくちゃな。
 …なあ、マルチ、
 メイドロボって、最初から料理が上手なようにできてるわけ?
 うちのメイドロボには、料理作らせたことないから…」

「いいえ。
 一応基本的なデータは最初から入っていますけれど、
 私たちは『学習型』ですから、
 実際にお料理の経験を積み重ねて、
 だんだんうまく作れるようになるんですぅ。」

「ふうん。
 それじゃ、最初から上手ってわけでもないのか?」

「はい。私なんかも最初は…」

 ミートせんべいを作ってしまって…と言いかけて、マルチは口をつぐんだ。
 それは大切な思い出。
 昨夜取り戻したばかりの、幸せで切ない記憶。

「ん? 最初は?」

「あ、あの、最初は失敗ばかりして、
 よくご迷惑をおかけしてたんですぅ。」

「ふうん。何か信じられないな。」

「ま、人間でもメイドロボでも、
 要は努力次第、ってわけだな。」

 耕一が結論づけるように言う。

「何だか耕一が『努力』なんて言葉を口にするの、
 思いっきり似合ってないと思う。」

 梓が憎まれ口を叩く。
 いつもならここで耕一の反撃が来るはずと身構えた梓だが、相手が苦笑を浮かべただけで返して来
ないので、拍子抜けしたような顔になる。
 耕一もマルチと同じ夢を見たのだ。そのせいか、あまり梓に突っかかる気になれない。

「…ま、世の中には、いくら努力しても、
 一向に料理の上達しない奴も…いる…けど…」

 しかたなく自分で自分のフォローをしようとした梓は、まずいことを口にしたと下を向く。
 よく耕一を前にして千鶴をからかった癖が、こんなところで出てしまった。

 マルチは状況がよくわからないながら、気まずい雰囲気を何とかしようとして、

「ええと、ご主人様、
 お味噌汁のお代わりはいかがですか?」

「おお、そうだな。頼むわ。」

「…耕一。それ、確か三杯目じゃ…?」

「そうだけど?」

「馬鹿の三杯汁、って知っているか?」

「マルチの味噌汁はうまいからな。
 三杯がいけないっていうなら、
 四杯でも五杯でもお代わりしてやるぞ。」

「ほ、本当ですか?
 う、嬉しいですぅ。」

「…あほくさ。」

 …軽口を叩きながら、話題が千鶴のことから離れてほっとしている梓だった。



 朝食の間、初音はぼんやりとして、ほとんど口も聞かなかった。
 皆が心配して具合でも悪いのか、と尋ねると、はっとして、そんなことはない、大丈夫と笑顔を見
せる。
 だが、しばらくすると、また物思いに沈んでいるのだった。

 マルチや梓と共に朝食の片づけをしようとした初音に、耕一は少し休むよう声をかけた。
 初音は拒んだが、マルチと梓もそうした方がいいと主張したので、やむなく耕一の傍に座っていた。
 耕一が初音の様子を伺う。
 やはりいつもと違う。
 落ち着かない様子でもじもじとし、耕一と視線が合うと頬を染めて俯いてしまう。

 耕一は尋ねる。

「初音ちゃん…
 やっぱり具合でも悪いんじゃ?」

「ううん… 別に…
 私は元気だよ、心配しないで。」

「それじゃ、寝不足かな?」

「ぐっすり寝たけど…」

「…悪い夢でも見たんじゃない?」

 初音の体がびくっと動く。
 耕一の顔を見上げる。

「………」

 いつもの優しい「耕一お兄ちゃん」の顔。
 でも、今日はその優しさの中に、真剣さが見える。

「夢は…見たけど…」

 初音がゆっくりと口にする。

「悪い…夢じゃ…ない…と思う。」

「そう… じゃあ、いい夢だった?」

 耕一が初音を見つめる。

「………」

「………」

「………」

「………」

 お兄ちゃん、知っているんだね? 私の見た夢を。
 あれはいい夢と呼べるだろうか?
 たくさんの悲しい記憶。
 でも、次郎衛門と過ごした、幸せな記憶。

「…うん。…多分。」

「そう…」

 しばらくの沈黙。

「初音ちゃん…
 記憶を取り戻したのはいつ頃?」

「…夏…
 楓お姉ちゃんの体にすがって泣いているお兄ちゃんを見てて…」

「そうだったの…」

(楓ちゃんの死が、エディフェルの死と重なったんだろうか?)

 それきり会話が途絶える。



 台所から、マルチと梓の楽しげな声が聞こえて来る。

「…マルチちゃんって、偉いよね。」

 初音がぽつりと言う。

「うん?」

「だって… あんな辛い目に遭いながら…
 あんなに楽しそうに振る舞えるなんて…」

「………」

 そうか、と耕一は思った。
 昨夜の夢は、どういうわけか、耕一と初音とマルチの意識がシンクロした結果だった。
 三人とも同じ夢を見たのだ。
 お互いの恋の記憶と辛い過去を、お互いが知ってしまったことになる。

「そうだな。マルチは偉いよな。
 …でもね、初音ちゃん。」

 耕一は初音の頭に手を伸ばす。

 なでなで

「お、お兄ちゃん?」

「それを言うなら、初音ちゃんだって…偉いよ。」

「そ、そんな。私は…」

 なでなで

 初音は目をつぶり、頬を染めながら、しかし嬉しそうに頭を撫でられている。

(何かマルチと似ているなあ。)

 耕一はふと笑みをもらした。

(それにしても、どうして梓の意識はシンクロしなかったのだろう?)

 そんなことを考えながら、初音の頭を撫で続けた。



 朝食の片づけが終わって、マルチは洗濯にとりかかろうとしていた。
 梓は耕一の前、初音の隣にどかっと腰をおろすと、

「さて、耕一。そろそろ時間だぞ。」

「…? こんな時間に、面白いテレビなんかやってたっけ?」

「とぼけんな! 昨日の返事だよ。」

「え? お前たちが帰る前に返事すればよかったんだろう?」

「どうせ大した違いはないだろう?
 それとも、まさかまだ結論を出していないから、
 あと何時間かのうちに考えるってか?」

「う…」

 昨夜は酒盛りのためほとんど考える時間がなかったから、という理由は通用しそうにない。
 何しろ、一緒に酒盛りをしておいてこんなことを言う相手だから。

 実を言うと、耕一の返事は最初から決まっている。
 しかし、それは梓たちが帰る間際に言いたかった。
 何しろ返事は「否」なのだから。
 初音が記憶を取り戻したことがわかった今では、余計に隆山でちゃんとやっていく自信がない。
 しかし、「隆山へは行かない」などと早々に言ってしまうと、出発間際まで説得工作を試みられる
に違いない。

 梓の狙いもそこにあった。
 どうも耕一が色よい返事をしてくれなそうな気がしたので、早めに返事を聞き、それが拒否の内容
であれば、残り時間を使って説得しようと考えたのである。
 もっとも、今日の午後帰る予定というのは嘘である。
 耕一が隆山に来ると言うまで、もう二、三日はねばるつもりだった。
 昨日梓が出発予定を早めに告げたとき、初音が何か言いかけたのは、そのせいだったのだ。

 というわけで、状況は最初から梓に有利だったのだが、耕一はそんなことは知らない。

「約束は約束だからな。
 ちゃんとお前たちが帰る前に返事をするから、待ってろ。」

「ほほう、なるほど。
 あたしたちが帰る間際になって、
 『すまん。やっぱり俺には無理だ。』とかなんとか言って、おっぽり出す気だな?」

「いや、それは…」

「じゃ、うちに来てくれるんだな?」

「う…」

 耕一はまたも言葉に詰まった。
 すっかり梓のペースにはまっている。

「耕一ぃ。男らしくないぞ。
 イエスかノーか、はっきりしろぃ!」

「うう…」

 どうしよう?

「梓お姉ちゃん。
 そんな言い方したら、お兄ちゃんが可哀相だよ。」

 ああ! 初音ちゃんの助け舟。
 いつもながらありがたいなあ。

「お兄ちゃんだって、
 簡単に決められない事情があるんだろうし…」

 ちらっと俺の顔を見ながら言う初音ちゃん。
 何となく頬が赤い。
 昨夜の夢を思い出しているのかもしれない…
 なにしろ、次郎衛門はリネットにキスをした後、そのまま押し倒して…

「耕一、どうかしたのか? 顔が赤いぞ。」

 うっ、しまった。

「ちぇっ、人が真面目な話をしてるってのに、何だよ?
 どうせまた、スケベなことでも考えてたんだろう?」

 ううっ、言い返せない。

 その時。

 トゥルルルルルー…

 どこかから電子音が聞こえてきた。

「…何の音だ?」

「ん? ああ! あたしだ!」

 梓は急いで自分の持って来たバッグに駆け寄ると、何やら取り出した。

「ええと… ちょっと失礼。」

 梓はそう言うと、風呂場に向かう。

「きゃ! あ、梓さん?」

「あ。マ、マルチ、ごめん、後で手伝うからさ。」

 そんなやり取りが聞こえる。
 洗濯中のマルチにぶつかったかなんかしたんだろうが、何をそんなに慌ててるんだろう?

 間もなく、怪訝そうな顔のマルチがやって来て、

「あのー、梓さん、どうかされたんですか?
 お風呂場に入って、
 中でぶつぶつひとりごとを言っておられるんですけどぉ。」

「ひとりごと?」

 さっきの電子音といい…

「そうか。
 マルチ、そりゃたぶん携帯電話だろう。」

「ああ、そうだったんですかぁ。
 そう言えば、何か手に持っておられました。」

 マルチは得心したという顔で、また洗濯の続きに戻る。

 対照的に初音ちゃんは、訝しそうな顔で指を頬に当てる。

「初音ちゃん、どうかした?」

「うん、あのね…」

 初音ちゃんが何か言いかけた時、梓がどたどたと走って来た。

「た、大変だ! 耕一! 初音も!」

「な、何だ、何があったんだ!?」

「お姉ちゃん、どうしたの!?」

「今、足立さんから連絡が入って…
 例の悪者どもが、いよいよ臨時役員会の召集を要求して来たんだと!」

 「悪者ども」って…なあ…
 いや、呑気に突っ込んでいる場合じゃない!

「ほ、本当か? それで?」

「敵の動きが急すぎて、足立さんも対処しきれないんだそうだ。
 このままでは、ほぼ間違いなく、
 千鶴姉は会長退任に追い込まれるだろうって。」

 今度は「敵」か…って、そんなことはどうでもいい!

「そんな…」

 ある程度覚悟はしていたものの、いざ目前の出来事となると、やはり動揺してしまう。
 千鶴さん… あんなに苦労してきたのに…

「それにな、今までずっと千鶴姉をかばってきた足立さんも、
 責任を取らされて退職になるだろうって。」

「何だって!?」

「お姉ちゃん、それ本当!?」

 初音ちゃんもショックらしい。

「…あ、ああ、その可能性が大きい…そうだ。」

 急に梓の歯切れが悪くなる。
 どうしたんだろう?

「何か手の打ちようはないのか?」

「ない。」

「おい… あっさり言うなよ。」

「残された方法はただひとつ。
 あんたが会長に就任することだけだよ。」

「し、しかし、今からで間に合うのかよ?」

「あんたが会長になるって決心すれば、
 足立さんはそのことを、臨時役員会の前に、
 反対派の主だった人に伝えて根回しができる。
 耕一の会長就任に反対する役員は、ほとんどいないはずだから、
 それで鶴来屋は現状のまま安泰だろうって。」

「………」

 俺は困っていた。
 隆山に行くつもりはなかったからだ。
 しかし、身内だけならともかく、足立さんにまで迷惑がかかるとなると…
 初音ちゃんも心配そうな、潤んだ瞳で俺を見つめる。



 その時、洗濯中らしいマルチの呑気な鼻歌が聞こえて来た。
 ふと、俺の緊張が緩む。

 人の喜びを自分の喜びとするマルチ。
 愛しい人を失って壊れてしまったマルチ。
 もう一度心を取り戻しても、やっぱり人のために尽くそうとするマルチ。
 自分が廃棄処分になっても梓や初音ちゃん、
 そして俺の幸せを優先させようとしたマルチ。

 やっぱり俺は臆病だっただけかも知れない… そんな気がしてきた。
 誰よりも自分が傷つくのが恐くて、逃げていたような気がする。
 マルチに負けてるな、こりゃ。

「…梓。」

「うん?」

「会長…代理でも良かったんだよな?」

「え?」

「足立さんに伝えてくれ…
 柏木耕一は、鶴来屋の会長代理に就任する意向です、と。」

「ほ…本当か?」

「耕一お兄ちゃん、本当?」

「ああ。たった今、決心がついた。」

「そ、そうか! よく言ってくれた!
 これで足立さんも一安心だ!
 それじゃ耕一、早速電話を借りるぞ。」

「あん? さっきの携帯使えばいいじゃないか?」

「! だ、だって…
 こっちからかけたら、通話料金取られるじゃないか!
 …おまけに市外だし。」

「…こんな時にせこいことを…」

「い、いいだろ、そんなことどうでも!
 ともかく電話を借りるよ!」

 梓は電話の前に駆け寄ると、番号をプッシュした。

「…あ、もしもし、鶴来屋ですか?
 私、柏木梓と申しますが、社長の足立さんをお願いします。
 …はい、こちらからの連絡を待っておられるはずですので。
 …はい。
 ………
 あ、おじさん? 梓です。
 …耕一のことなんですけど、会長代理を引き受けるって言いました。
 …ええ、しっかり決心したそうです。
 それで、おじさんに伝えてくれって、自分から…
 …はい、ありがとうございます。
 …はい、わかりました。
 それではまた。失礼します。」

 カチャッ

「…梓って、ちゃんと丁寧な言葉遣いができたんだなあ。
 こりゃ新しい発見だ。」

「何だよ。人を天然記念物か何かみたいに。」

「天然記念物どころか。
 人間国宝… いや、そんないいものじゃないか?
 そう、世界の七不思議、いや、むしろX−ファイルかな…?」

「あたしはエイリアンか!?」


次へ


戻る