The Days of Multi第三部第4章パート2 投稿者: DOM
The Days of Multi
第3部 Days with Kouichi
☆第4章 隆山の風 (マルチ2才) Part 2 of 2



 間もなく少女がお茶を運んで来る。
 取り立てて上等のお茶ではないが、ちょうど飲み頃の温度にしてある。
 気がつくと喉がからからに渇いていた梓は、ごくごくと飲み干す。
 それを見ていた少女は、急いでお代わりを入れる。

 一息ついた梓は、部屋の中を見回す。
 家具らしい家具もないが、それなりに整理され、掃除も行き届いているようだ。

(あいつが自分で掃除するはずもないか。)

 夏の間滞在していた従兄のぐうたらぶりを熟知している梓は、当然の結論を引き出す。

「ずいぶんきれいに掃除してあるんだな?」

「そうですか?
 そう言っていただけると嬉しいですぅ。」

 心配そうな顔をしていた少女は、梓の誉め言葉に、少し顔を綻ばせる。

「あんたが掃除してるんだろ?」

「はい。私、お掃除大好きですから。」

 さらににこやかな顔になる少女。

(掃除が好きなんて、いまどき珍しい娘だな。)

「毎日お掃除してるんですぅ。
 でも、まだまだ十分でなくて…」

 少女は視線を落とす。

「そうかな?
 これくらいきれいにしてあれば、言うことないと思うけど?」

 つい、フォローしてしまう梓。

「本当ですか?
 ありがとうございますぅ。
 …梓さんて、いい方なんですね。」

 はっとする梓。

(どうしてあたしが、この娘と仲良くしなきゃいけないんだよ?)

「と、ところで…
 耕一はいつ頃帰ってくるんだい?」

「はい。お昼に間に合うようにはお帰りのはずなんですけど。」

 時計を見ると11時を回ったところだ。もうそろそろ帰って来る頃か。

「あっ、いけない!」

 少女が慌てて立ち上がる。

「ど、どうしたの?」

「はい、そろそろお昼ごはんの用意をしなくちゃいけないんですぅ。
 …ちょっと失礼します、どうぞごゆっくり。」

「あの、何かお手伝いしましょうか?」

 今まで黙っていた初音が声をかける。
 まったく、人が忙しくしていると、すぐに気を使うんだから…

「いえ、大したことはありませんから。
 でも、ありがとうございますぅ。」

 台所に向かう少女の後ろ姿を見送った初音が、頭を振りながら言う。

「…あの娘、どこかで会ったような気がするんだけど?」

「初音もか?
 あたしもそんな気がしてさ…
 でも、どこでだったか、思い出せないんだ。」

 しばらくの沈黙。



 やがて初音がぽつりと言う。

「…かわいい娘だね。」

「…うん。」

 それは事実だから、認めざるを得ない。

「…お掃除も得意みたいだし。」

「…ああ。」

「…お料理もできるみたいだし。」

「…そうだな。」

「…働き者みたいだし。」

「…そうらしいな。」

「…何より、幸せそうだし」

「…うん?」

 初音の奴、何が言いたいんだ?

「耕一お兄ちゃん…
 ここであの娘と一緒にいた方が…
 いいのかな…?」

「初音!?」

 思わず大きな声を挙げて、初音の両肩をつかむ。

「どうかなさいましたか?」

 台所から少女が顔を出す。

「あ、いや…
 何でもない、気にしないで。」

 少女が引っ込むと、梓は低い声で初音に問いただす。

「あんた、何言ってんの? 気は確か?」

「だ、だって…」

「あんたは、耕一がうちに来るのがいやなのか?」

「ち、違うよ!
 そりゃ、耕一お兄ちゃんがうちに来てくれたら、嬉しいけど…」

「だったら!…」

「でも… 私は… 私たちは嬉しいけど…
 耕一お兄ちゃんはそれでいいのかな…って。」

「?」

「お兄ちゃんがうちに来てくれたら、
 きっと私たちの力になろうと、一生懸命になってくれると思うの…
 お兄ちゃん、優しいから。」

「それで?」

「でも、それじゃ…
 お兄ちゃんは私たちのために、
 自分のやりたいこととか、いっぱい我慢しなければならないんじゃないか、って…」

「初音…」

「もしも…」

 初音は台所の方に目をやる。
 軽やかな包丁の音が聞こえる。

「もしも、あの娘と一緒に、ここで暮らす方が、
 お兄ちゃんにとって幸せなら…
 私たちがその邪魔をしてはいけないんじゃないかと思うの。」

「………」

 梓は言葉を失った。
 今まで、耕一が隆山に来ることだけを前提に考えていたからだ。
 しかし、それは初音の言う通り、耕一にとっては多大な犠牲を払うことを意味するのかも知れない。
 自分たちは耕一が来てくれることによって力づけられるだろうが、当の耕一には何のメリットもな
いのではないか?

 梓も初音も、無言のまま視線を落としていた。

 …台所からは、味噌汁の良い匂いが漂って来る。



 どれくらい経ったろうか。
 不意に玄関があいて、「ただいまー」という声がした。
 梓と初音がはっとする間もなく、台所から飛ぶように駆けて来た少女が、声の主を出迎える。

「ご主人様、お帰りなさいませ!」

(ご主人様!?)

 梓と初音が呆然とその言葉を心の中で反復しているうちに、玄関先での会話は進む。

「おいおい、頼むから、そのご主人様ってのは…」

「あ! す、すみません、私ったらまた…」

「ははは、気をつけてくれよ。
 …ん? 誰か来ているのか?」

 靴を脱ごうとして、梓たちの履物に気がついたらしい。

「はい。先ほどから、お客様がお待ちなんですよー。」

「お客様って…」

 耕一は声を落とす。

(マルチ、俺の留守中は、誰が来ても相手にするなって言っておいただろう?)

(で、でも… 放っておくとドアが壊れそうでしたから。)

(はあ? ドアが壊れる?)

(そ、それに、今日のお客様は、ご主人様のご親戚の方だそうですよ。)

(だから、「ご主人様」はやめてくれって… え? 親戚?)

「よう、耕一。久しぶりだな。
 何こそこそ話してんだ?」

 いつの間にかマルチの後ろに立った梓が声をかける。

「あ、梓!?
 おまえ、どうして…?」

 思いきり驚く耕一。

「耕一お兄ちゃん、こんにちは。
 …ごめんね、勝手に上がり込んじゃって。」

 初音も顔をのぞかせる。

「初音ちゃんまで!?
 一体どうしたの!?」

「話は中でゆっくりしようぜ。
 そんな所に突っ立っていないで、上がんなよ。」

「お、おう。」

 わけがわからないながらも部屋に入る耕一。



「さて、と…」

 梓が耕一を睨みつけながら口を開く。

「きっちり説明してもらおうか。
 …何もかも、包み隠さず、な。」

「せ、説明って何のことだ?」

「とぼけんな!
 あんた、なかなかいい度胸してるじゃないか?
 あたしたちに内緒で、女の子と同棲しているなんてさ。」

「ど、同棲!?」

「お姉ちゃん…」

 初音が困った顔で梓の袖を引く。
 梓も、さっきまでは冷静に話し合うつもりだったのだが、いざ耕一の顔を見ると、頭に血が上って
自分を抑えられなくなってしまった。

「あたしがいくら電話しても、手ごたえがないはずだよ。
 …あんなかわいい子が傍にいるんじゃね。
 おまけに、さっきから聞いてたら、『ご主人様』だあ?
 あんた、あの娘に自分のことをそんな風に呼ばせて喜んでるのか?
 一体どういう趣味だ!?」

「そ、それは違う…」

 梓は聞く耳を持たない。

「それに!
 あの娘は、どう見たって未成年じゃないか!?
 一体何才なんだ、あの娘?
 高校生か? それとも中学生?
 見た目はむしろ小学生だけど…
 あの娘の親は、このことを知っているのか?
 あんた、まさか法律に背くような真似を…!?」

「お待たせしましたぁ。
 お昼ごはんの用意ができましたですぅ。」

 激昂する梓の声を、どことなく呑気そうな声がさえぎった。
 拍子抜けした梓が見ると、少女がテーブルに料理を並べているところだった。

「冷めちゃいますから、
 お話はお食事の後になさったらいかがですか?
 梓さんも初音さんも、どうぞおかけになってください。」

 …梓は、柏木家の食卓を管理する者として、人が自分のために用意してくれた食事を無駄にするの
は心苦しい、と感じるたちである。
 食事はちゃんと三人分あるらしい。…三人?

「ええと…?」

 梓がよくわからないといった顔をしているのを見た少女は、

「どうぞ、ご遠慮なく。
 大したものはありませんけど。」

「あの…」

「はい?」

「このごはん… 三人分?」

「はい、そうですが?」

「その… それで足りるの?」

「ええ。梓さんと初音さん、耕一さんで三人ですから。」

「あんたの分は?」

「私ですか?
 私は必要ありませんので。」

「必要ないって? どうしてさ?
 あたしたちが飛び入りしたんで、自分の分を回したんじゃないだろうね?
 そんな気を使わなくていいんだよ。
 あたしたちなら、そこらで食べて来てもいいんだから…」

「そ、そんなことおっしゃらないでください。
 私は本当に食べなくていいんですから。」

「どうしてさ? お腹減るだろ?」

「い、いえ…」

「ダイエットだよ。」

 困っているマルチを見かねて、耕一が助け舟を出す。

「ダイエット?」

「そう、この娘はいつも昼食抜きなんだ。
 だから気にしないでくれ。」

「どうしてこの娘が、ダイエットなんてする必要があるんだよ?
 こんなにほっそりしているのに?」

「…千鶴さんだって、あんなにスマートなのに、朝抜いてたじゃないか。」

 耕一の声に苦いものが混じる。
 柏木家での夏の出来事が記憶に蘇ったからだ。

「あ。そ、そうか、そうだな。」

 梓も気まずそうな顔になり、その話を打ち切ることにした。

「そ、それじゃ、せっかくだから、遠慮なくごちそうになるとしようかな。
 な、初音?」

「え? う、うん。」

「どうぞどうぞー。」

 マルチはにこやかに食事を勧める。



 梓は献立を見る。
 ごはん、味噌汁、一口カツ、野菜サラダ、漬け物。
 それに小さなスープボウルに入れたシチュー、これは夕べの残りを暖め直したものだそうだ。
 梓はまず味噌汁を口に含む。
 そして思わず声をもらす。

「…うまい。」

「そうですか?
 嬉しいですぅ。」

 梓の言葉を聞いたマルチは本当に嬉しそうな顔をする。
 お世辞抜きでうまいのだ。
 もちろん、梓の味付けとは少し違うが、美味しい味噌汁であることは否定できない。
 初音も味噌汁を口にして、

「ほんと、おいしいです。
 お料理お上手なんですね?」

 と誉める。
 マルチはいよいよ顔を綻ばせる。

 ふたりはさらに他の料理にも手をつける。どれも申し分ない味わいだ。
 素直に感心する初音。
 自分よりずっと年下に見える少女が自分に負けない料理の腕を持っていることを知って、心中複雑
な梓。
 一方、ふたりが次々と発する誉め言葉を聞いて、照れながらも幸せそうな表情のマルチ。

 耕一は、そんなマルチの表情を、まぶしそうに見つめていた。

(この頃だんだん表情が豊かになってきたと思っていたけど、今日は特にだな。
 こんな嬉しそうな笑顔は、初めて見た。
 …梓や初音ちゃんがいるから、だろうか。
 年(マルチの場合設定年令か)の近い女の子とおしゃべりする機会なんて、
 今までなかったものな。
 やっぱり、こんな部屋に閉じこもって、俺しか話し相手がいないというのは、
 この娘にとって不幸なことなのだろうか。)

 そんなことをぼんやり考えていると、

「ご主人様?
 お召し上がりにならないんですか?」

 マルチが怪訝そうに声をかける。

「あ、いや…
 ちょっとぼんやりしてしまって…
 今食べるよ。」

 「ご主人様」の言葉に梓と初音がひくっと反応したのには気がつかない振りをして、耕一は勢い良
く箸を動かし始めた。

「うん、うまい! うまいぞ、マル…」

 うっかり少女の名を口にしかけた耕一は、はっとする。
 身内といえど、メイドロボであることが−−それもいわくつきのである−−ばれては困るのだ。
 慌てて言い直す。

「マルだ! 今日の食事に『◯』をやろう!
 …いや、◎(二重丸)だ!」

「ほ、本当ですか!?
 うう、嬉しいですー。」

 マルチはついに感極まったらしく、涙ぐむ。

「お、おい。
 マル…をもらったくらいで、何も泣くことは…」

「で、でも、…私でも少しはご主人様のお役に立てるのかと思うと…
 嬉しくて…」

 またしても、「ご主人様」のところで従妹たちが反応したのがわかった。
 耕一がそっと様子を伺うと、ふたりとも無言で食事を続けている。
 しかしよく見ると、初音はともかく、梓はこめかみのあたりをひくつかせているような気がする。
 食事の後どうなることかと思いやりながら、耕一も無言で食べ続けた。


次へ


戻る