The Days of Multi第三部第4章パート1 投稿者: DOM
The Days of Multi
第3部 Days with Kouichi
☆第4章 隆山の風 (マルチ2才) Part 1 of 2



「お帰りなさいませ、ご主人様!」

 にこやかな少女の笑顔が、バイトで疲れた体を元気づけてくれるようだ。

「ただいま、マルチ。
 いい子にしてたか?」

「はいですぅ。」

「ははは、よしよし。
 ところで今日の晩飯は?」

「はい。ハンバーグですぅ。」

「おお、そりゃ楽しみだな。」

 いそいそと夕食の準備をするマルチを見ながら、

(このごろすっかり明るくなったな。)

 と、耕一は思った。



 マルチをこの部屋に住まわせることになった当初は、無表情な顔にどことなく寂し気な色を浮かべ
ていたのだが、例の「マスター登録」以来次第に表情豊かになり、この頃ではこぼれるような笑顔を
ふんだんに振りまくようになった。
 おかげで、耕一の部屋が明るくなったような気がするほどだ。



(笑顔の似合う子なんだ。)

 そうも思った。
 美人、というよりは、可愛い系の顔立ちはあどけなく、邪気のない笑顔を浮かべる時が最も魅力的
だと思う。

「ご主人様ぁ、
 何を見ていらっしゃるんですかぁ?」

 耕一が自分を見つめていることに気がついたマルチは、ちょっぴり舌ったらずな調子で問いかける。
 これが本来のマルチの口調なのであろう。

 ここへ来た当初の、丁寧だが固さのある話し方は、やはり「命の危険」(メイドロボにこの言葉が
あてはまるとしてだが)にさらされていた緊張から来たものだろうか。
 それとも、耕一と暮らすうちに、マルチの言う「リハビリ」が進んだのだろうか。
 多分その両方なのだろう、と思った。

「ん? ああ…
 マルチは笑顔が可愛いなあ、と思ってたんだ。」

 とっさにはぐらかすこともできず、耕一はありのままを口にした。

「え? か、可愛い、ですか?
 そ、そんな… 恥ずかしいですぅ。」

 マルチは赤くなって、盛んに照れている。

「そ、そういうご主人様こそ、
 とってもハンサムですぅ。」

 赤い顔で続けるマルチ。

「頼むから、『ご主人様』はやめてくれって…
 しっかし、マルチも口がうまいなあ。
 俺、ハンサムなんて言われたの、たぶん生まれて初めてだぜ。」

「う、嘘じゃありません。
 本当にご主人様はハンサムです!」

「おいおい、何もむきにならなくても…」

「え? あ、し、失礼しましたぁ!」

 いよいよ赤くなるマルチ。

 その豊かな表情も、こうした何気ないやり取りも、耕一の心に暖かい満足感をもたらしてくれる、
貴重な宝物のように感じられるのであった。



 トゥルルルルル… トゥルルルルル…

 遅い目の夕食を終えてお茶を飲んでいるところへ、電話が鳴った。

「ん? 誰かな?」

 俺は電話に近づく。
 マルチは電話には出ない。来客や宅配便などにも応答しない。
 むろん、この部屋にいることがばれないための用心である。

 カチャッ

「もしもし?」

「もしもし、耕一?
 あたし、梓だよ。」

「ああ、梓か…」



 楓ちゃんの死以来、しばらく音信の途絶えた俺と柏木家だったが、このところ、何回か梓が電話を
かけてくるようになった。
 最初にかかって来た時の話によると、千鶴さんの容態は相変わらずだが、足立さんの尽力もあって、
柏木家の生活はなんとか平穏を取り戻したという。
 ただし、「初音が寂しがっているから」、俺の大学が暇になったら、是非隆山へ来てもらいたい、
ということであった。
 俺は「そのうちな」という程度の曖昧な返事をしておいた。
 正直言って、今柏木家に赴けば、平静でいられる自信がない。
 いやでも楓ちゃんのことを思い出し、彼女を殺した千鶴さんのことを意識せざるを得ないからだ。

 それから、ちょくちょく梓から電話が来るようになった。
 内容は決まっていて、初音ちゃんが寂しがっているから一度顔を出せ、というものだ。
 俺は電話のたびに、大学の予定やバイトの忙しさを理由にして、すぐには行けないがそのうちに…
と答えていた。



「何だ、その気のない返事は!?
 あたしで悪かったね!
 どうせあんたのところに電話かけて来る美女なんか、
 他にはいないくせに!」

 のっけから喧嘩腰だ。
 俺がいつも「そのうちな」と適当に濁しているので、だんだん焦れてきているのだろう。
 それにしても「美女」って…自分で言ってて恥ずかしくないのか?

「大体あんた、こないだから、
 そのうち行く、そのうち行く、って言うばっかりで、
 ちっとも約束守らないじゃないか!?
 あんた、初音が寂しがって泣いてても平気なのか!?
 耕一って、そんな薄情なやつだったのかい!?」

「そう言われても、俺にだって大学が…」

「嘘つけ!
 どうせ毎日真面目に通ってる訳でもないんだろ!?
 せめて一日二日でも都合つけて来ることが、
 どうしてできないんだ!?」

「だから、その都合がついたら行くからさ。
 頼むから、もうちょっと待っててくれよ。
 じゃ、そういうわけで、またな、梓。」

「あ、こら、耕一ぃ!
 まだ話は終わってない…」

 カチャッ

 ツー、ツー、ツー…

「切りやがった…」

 梓は、忌ま忌ましそうに受話器を見つめながら言った。

「梓お姉ちゃん。
 耕一お兄ちゃん、何て?」

「ああ? いつもとおんなじだよ。
 そのうち行くからってさ。
 人を馬鹿にしやがって!」

「で、でも、耕一お兄ちゃん、
 本当に学校の都合がつかないのかも知れないし…」

「いいや、あのグータラ学生が、
 そうそう真面目に大学行っているとは思えない!
 いい加減なこと言って、ごまかしているに違いないんだ!
 …しかし、あの初音に甘い耕一が、
 これだけ言っても乗って来ないなんて、妙だな?
 …まさか、向こうに女でもできたんじゃ…?」

「え? ま、まさかあ…」

「いいや、あのスケベ野郎のことだ。
 案外そうかも知れないぞ。
 ちっくしょうー、馬鹿にしやがって…
 …よし、初音!
 今度の土・日、耕一に会いに行こう!
 もちろん不意打ちだ!」

「ふ、不意打ちって…?」

「あらかじめ連絡でも入れると、
 あいつ、どっかへ逃げちまうかも知れないだろ?」

「でも、迷惑じゃ…?」

「そんなこと言ってたら、
 いつまで経っても、足立さんの頼みを聞いてあげられないじゃないか!?」

「それはそうだけど…」



 梓がたびたび耕一に電話してくるのにはわけがあった。鶴来屋内部の事情である。
 以前から千鶴の会長就任を良く思っていなかった一部の役員が、長期自宅療養を続けている千鶴を
退陣に追い込もうと画策し始めたのだ。
 今のところ社長の足立が頑張っているために表立った動きは押さえられているが、このまま千鶴の
容態に変化がなければ、遅かれ早かれ会長退任は免れないだろう。

 そこで足立は、耕一が名目だけでも会長か会長代理を引き受けてくれれば、反対派の策動を押さえ
られると考え、梓に事情を説明して耕一の説得を依頼したのだ。
 耕一が会長に就任すれば、いずれ耕一は隆山に住むようになる…そう考えた梓は、(自分ひとりで
は喧嘩になりかねないので)初音と共に耕一を説得しようとして、しきりに呼び出していたのである。



「今度という今度は、耕一の首根っこを捕まえて、
 ぎゃふんと言わせてやるんだから!
 そうだ、もしも土・日で埒があかなかったら、
 もう二、三日粘っても、必ずこっちに来ると約束させてやるぞ!」

「梓お姉ちゃん、
 耕一お兄ちゃんと喧嘩する気?」

「ん? 何言ってるんだよ、
 説得しに行くに決まってるじゃないか!?」

「…………」

 とても説得などという穏やかなものではすみそうにないが…



 ピンポーン

「………」

 ピンポーン

「………」

 ピンポーン

「………」

「お姉ちゃん、留守みたいだよ。
 出直した方がいいんじゃない?」

「いいや、あの野郎のことだ。
 大方まだ布団の中で、ぐうたら寝ているに違いない。」

「そ、そうかなあ?」

 ドンドン

 梓は乱暴にドアを叩く。

「くぉら耕一ぃ!
 中にいるのはわかっているんだ、
 さっさとドアを開けろ!」

「お、お姉ちゃん、
 そんな乱暴にしたら、ドアが壊れちゃうよ。」

「いいんだよ、
 これくらいしなきゃ、あいつ目を覚まさないんだから。
 …うぉい耕一ぃ! いつまで待たせる気だ!?
 いい加減に出て来ないと、ドアを蹴り破るぞ!」

 ゲシゲシ

 本当にドアを壊しかねない勢いで蹴りまくる梓に、初音はおろおろするばかり。
 …もともと梓は、何度電話しても隆山に来ようとしない耕一に、大分腹を立てていたのである。

「どうしても開けないつもりだな?
 よぉし、見てろ!
 この梓様を甘く見るとどうなるか…」

 梓は少しドアから離れると、渾身の蹴りを放とうとする。
 その時…

 ガチャリ

 ドアの開く音がした。

「あのぉ… ドアを壊さないでください。」

「へ?」

 梓の目が点になる。
 初音も固まっている。
 無理もない。耕一の部屋から、かわいらしい女の子が出て来たからだ。

「ドアが壊れますと、
 戸締まりができなくなりますからぁ…」

 ふたりが動揺しているのにも気がつかず、何だかずれたことを言う少女。

「あ、あんた誰?
 …ここは、耕一の部屋じゃないの?」

 ようやく気を取り直した梓は、部屋を間違えたのかと思い、少女に尋ねる。

「確かにここは、柏木耕一さんの部屋ですが…
 ご主人様のお知り合いですかぁ?」

「ご、ご主人様!?」

「あ、い、いえ…
 耕一さんは今お出かけですので、恐れ入りますが、
 ご用事でしたらまたの機会にお越しください。
 それでは、失礼致しますぅ。」

 そう言って少女はドアを閉めようとする。

「ちょっと待ったあ!」

 梓は慌てて引き止める。

「? 何でしょうか?」

「耕一が留守なのはわかった。
 それはわかったけど、あんたは一体誰なの?
 何で耕一の部屋にいるのさ?」

「それは…」

 少女は口籠る。
 もともと、彼女がこの部屋にいることを、他の人に知られてはいけないのだ。
 だから、耕一の留守中には誰が来ても取り合わないし、電話にも出ない。
 今日はドアが壊されそうだったので、やむなく必要最小限の応対をしようと顔を出しただけなので
ある。

 しかし、梓は、少女が黙り込んだのを別の意味に取った。
 他人には明かせないやましい事情があると…

「あんた、もしかして…」

「はい?」

「耕一と一緒に暮らしているの?」

「え?」

 少女はどう見ても小学生か、せいぜい中学生にしか見えない。
 男と同棲するには、いくら何でも早すぎる。
 しかし初音のような例もあるし、見た目だけで年令を決めつけてはいけないのかも知れない…

「どうなんだ!?
 耕一と一緒に暮らしているのか!?」

「は、はい!」

 梓が声を荒らげると、少女は勢いに押されて事実を認めてしまった。

「ほ、本当!?」

「ええ…」

 少女は小さな声で答え、視線を落とす。
 この部屋にいることは、だれにも知られてはいけなかったのに…
 ご主人様がお帰りになったら、何とお詫びをしよう…

 しかし、梓は少女の態度をまたも誤解した。
 それは、同棲の事実を指摘された少女の、恥じらいとやましさの現れだと。

「…いつから?」

 梓の声が低くなる。

「え?」

「いつから、耕一と、一緒に、暮らしている、の?」

「そ、それは…」

「一年前から? それとも二年前からか?」

 梓が鎌をかけると、少女は焦った様子で、

「ち、違いますぅ!
 ほんの二ヶ月前からですぅ!」

「二ヶ月?」

 梓の目がすっと細くなる。
 二ヶ月前と言えば、千鶴姉と楓の事件があった後、耕一が大学に帰ったすぐくらいじゃないか。
 あたしと初音が、毎日泣き暮らしていたときに、あいつはこの娘を自分ちに引き込んでよろしく
やっていたのか…
 梓は、怒りで握り締めたこぶしを震わせる。
 なるほど、そういうことか。
 あいつには、私たちよりも、この娘の方が大切というわけだ。
 いくら電話しても埒があかないわけだ…

「…初音。」

 梓は妹に目を向ける。
 初音は、梓と少女のやり取りを聞いて、呆然としていた。

「初音!」

「…え? あ、梓お姉ちゃん?」

「聞いた通りだ。
 耕一は、この娘と一緒に暮らしているんだと。」

「そ、そんな… 耕一お兄ちゃんが…」

「このまま、黙って帰る手はないよな?
 あいつに一発がつんとくらわしてやらなきゃ、気がすまない!」

「………」

「というわけで、あいつが帰って来るまで、中で待たせてもらうよ。」

 と少女に向き直る。

「え? あ、困りますぅ。
 お留守の間に知らない人をお迎えするわけには…」

「知らない人なんかじゃないよ!
 あたしたちは、あいつの親戚なんだから。」

「ご親戚、ですか?」

「そうとも。
 あたしは柏木梓、こっちは妹の初音。
 耕一の従妹だよ。」

「あっ…」

 しょっちゅう電話をかけてくる従妹の梓の名は、耕一から聞いていた。
 マルチは迷った。赤の他人ならいざ知らず、従妹を追い返すのは失礼かもしれない…

「ともかく、上がらせてもらうよ。」

「あ、はい。…どうぞ。」

 慌ててふたりを迎え入れる。

「あの、どうぞこちらでお待ちください。
 …今、お茶をお入れしますから。」

「お構いなく。」

 言いながら腰をおろす梓。
 その隣に、初音もちょこんと座る。


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