The Days of Multi第三部第3章 投稿者: DOM
The Days of Multi
第3部 Days with Kouichi
☆第3章 マスター登録 (マルチ2才)



 マルチと一緒に住むようになって、耕一は何となく生活に張りができたような気がした。
 「ただいま」と帰宅した時に、「お帰りなさい」と迎えてくれる人がいるというのは、実にいいも
のである。
 遅刻の心配もなくなったし、外食するよりも安くておいしい料理を作ってくれるし、掃除や洗濯は
一手に引き受けてくれるし、言うことなし…と思っていた耕一だったが、頭痛の種が一つできた。

 マルチと暮らし始めてから一ヶ月ばかり過ぎた時のことである。
 電気代の請求書が届いたのに何気なく目を通した耕一は、ぎょっとして思わずこけそうになった。

「どうかなさいましたか?」

 傍にいたマルチが心配そうな顔をするのに、何でもないとごまかしながら、耕一は考えていた。

(多分、マルチの充電…)

 一日二回行われる充電の事実が、電気代の請求額に如実に反映されていたのである。
 バイト学生には、心臓に悪いほどの料金だ。

(マルチに知られないようにしなきゃ…)

 マルチのことだ。
 これを知ったら、また「出て行く」と言い出しかねない。

(もう少しバイトを増やすか…)

 そんなことを考えながら、台所で夕食の準備をするマルチの後ろ姿を見ていた耕一は、この娘のた
めならそれくらいの苦労をしてもいいように思った。



 それから、耕一の帰りは大抵遅くなった。バイトを増やしたせいである。
 時には一旦夕食をすませて、夜間のバイトに出かけることもあった。
 そんな時は、帰りが12時を回ることもある。

 マルチは耕一の健康を気づかうようになった。
 遅くなって帰ると、「お帰りなさい。」と暖かく迎えた後で、「お疲れではありませんか?」とか
「マッサージを致しましょうか?」とか聞いてくる。
 そういう時のマルチは、心配そうな表情をしている。
 いつも断わっていたが、ある時冗談半分にマッサージを頼んでみたら、これがなかなかうまい。
 マルチタイプはもともと介護目的で作られたとかいう話を聞いたことがあるが、それも頷けるほど
のうまさであった。
 それ以来時々頼んでいる。
 頼むと、マルチは実に一生懸命にマッサージしてくれる。
 自分のためにそこまでしてくれるマルチを、ありがたいと思う耕一であった。



 今日も、バイトでかなり遅くなって帰宅した俺を迎えたマルチは、「お疲れのご様子ですけど、大
丈夫ですか?」と心配そうな表情を浮かべる。
 「大丈夫」と安心させたものの、実はかなりくたびれていた。
 マルチの手料理に舌鼓を打ち、風呂に入ると、一気に疲労感が押し寄せる。
 湯槽の中でぐたーっと思いきり体をだらけさせていると、マルチの声がした。

「あの… お背中流しましょうか?」

「えっ?」

 俺は焦った。
 女の子に背中を流してもらうなんて、そんな…。
 そう言えば、いつだったか初音ちゃんに、「いっしょにお風呂に入ろうか」とからかったら、ずい
ぶん慌てていたけど、女の子の方からいっしょに入ると言われるのも結構焦るものだな。などと考え
ていると、もう一度マルチが声をかけた。

「お背中流しましょうか?
 …お疲れのようですから。」

 そうか、俺が疲れているからサービスしようと思ったのか。
 本当にいい子だな。でも…

「で、でも…
 それってまずいんじゃないか?」

 裸の男女がふたりっきりで風呂場の中なんて…と言いたかったのだが、マルチは別の意味に取った
らしい。

「大丈夫です。
 私たちはもともと介護用のロボットですので、
 お年寄りや病気の方のお風呂のお手伝いができるよう、
 完全防水になっていますから。」

「………」

 そうか。俺は何をどぎまぎしているんだ。
 マルチは人間の女の子じゃない、メイドロボじゃないか。
 掃除や料理やマッサージと同じように、入浴の手伝いも彼女にとっては「当然のこと」じゃないか。
 これは決してスケベ心なんかじゃないんだ、彼女がして当然のことを要求するだけなのだから。
 …だから「狼」もおとなしくするんだぞ?

 …というわけで、

「そ、それじゃ…
 お願いしようかな?」

「はい。」

 マルチが入って来る。全裸…の体にバスタオルを巻きつけて。
 何だバスタオルか、残念…って、俺は何を考えているんだ?

 マルチは、俺の後ろに立つと、背中にお湯をかけ、丁寧に洗い始めた。
 ちらっと視線を後ろにやると、ひどく真剣な表情だ。
 その一生懸命さを見て、俺は、先ほどから少しは抱いていた期待(妄想?)を恥じた。
 マルチは俺の疲れを少しでも癒そうと、こんなに一生懸命やってくれているのに、俺ときたら…

「マルチ、ありがとうな。」

「いえ、私には、こんなことぐらいしかできませんから。」

 いよいよ真剣な面持ちで俺の体を洗うマルチだった。
 ところが、その一生懸命さが災いして、必要以上に体を大きく動かして俺の体を洗っていたマルチ
の、バスタオルが少しずつ緩んでいるのに、ふたりとも気がつかなかった。

「今度は前の方もお洗いします。」

「えっ? …う、うん。」

 マルチは俺の前に回る。
 そして、まずお湯をかけようと体を動かしたとき、

 はらり

 えっ?

 マルチのバスタオルが落ちる。

「………」

「………」

 そして俺の視界一面に飛び込んでくる…

「………」

「………」

 マルチの裸体。

「………」

「………」

 本当に人間そっくりだ。慎ましい胸、かわいらしいおへそ…

「………」

「………」

 そしておへその下の…

「………」

「………」

 ぷしゅーっ

 えっ?

 マルチは全身から白い水蒸気を吹き出すと、ぐらりと後ろに体をよろめかす。

「危ない!」

 慌てて立ち上がり、マルチの体を抱きとめる俺。
 マルチはぐったりとして動かない。
 意識を失っているようだ。

「マルチ! しっかりしろ! マルチ!」

 マルチを抱きかかえたまま、必死に呼び掛ける俺。
 しかし、マルチはまぶたを閉ざしたままだ。

 …ふと既視感が俺を襲う。

 俺の腕の中で動きを止めた少女。
 閉ざされたまぶた。
 物言わぬ唇。
 少女の名を呼び続ける俺。
 エディフェル。
 楓ちゃん。
 俺が愛した少女。

 …………



「死、死ぬな! 死なないでくれ!」

 俺は夢中で叫ぶ。

「頼む! 目を開けてくれ!」

 少女の体を抱き締めながら。

「俺をひとりにしないでくれ!」

 いとしい少女の体を。

「好きだ! 愛している! 大好きだ!」

 それでも少女は目を閉ざしたまま…

「あ、あの…」

「お願いだから、目を開けて… えっ?」

 いつの間にか少女は−−マルチは目を開けて、困ったような顔で俺を見ていた。

「あ… 気、気がついた?」

「はい…」

 マルチは体中真っ赤にしている。
 無理もないか。全裸の体を俺に抱き締められているのだから。
 俺は慌てて落ちていたバスタオルを拾い上げると、マルチの体にかけてやる。
 マルチは起き上がりながらバスタオルを身に巻きつけ、真っ赤な顔で詫びる。

「す、すみません。
 ご迷惑をおかけしまして。」

「い、いや、迷惑だなんて。
 それより、体の方は大丈夫なの?」

「はい。
 オーバーヒートによる一時的なシステムダウンですから。
 もう何ともありません。」

「そ、そう。それはよかったね。」

「申し訳ありませんでした。
 それでは、引き続きお体を洗わせていただきます。」

「あ、いや、それはもういいから。」

「でも…」

「あとは自分で洗うから、いいって。」

「でも…」

「また、さっきのようなことになったら困るし、ね?」

「………」

「俺はその気持ちだけで、十分嬉しいから。」

「うう…」

 ぽろっ

 ?

 マルチの目からきらきら光る粒が頬に伝った。

「うう… 私ったら、本当に役立たずで…」

「マ、マルチ?」

 メイドロボが泣いている?

「人間の皆さんのお役に立つように作られたはずなのに…」

「あ、あのさ。」

「かえって、ご迷惑ばかりおかけして。」

「いや、迷惑だなんて…」

 マルチはぽろぽろと涙を流し続ける。

「やっぱり私、欠陥ロボットなんですね。」

「そんなことはないさ。」

「こんな欠陥品は、いっそ廃棄処分にしていただいた方が…」

「馬鹿!」

 思わず大声を出す俺。
 びくっと体を竦めるマルチ。

「あ、わ、悪い。
 驚かすつもりはないんだ。
 …マルチ、失敗の一つや二つ、誰にでもあるんだよ。
 いちいち気にすることはないって。」

「で、でも… 私、ロボットですから…」

「ロボットだって失敗することもあるさ。
 大体、何一つしくじることもないロボットなんて、
 人間離れしてかえってとっつきにくいじゃないか。
 その点、マルチはずっと人間らしいぞ。」

「…人間らしい?」

「そうとも。
 人間らしい、というか、人間そのものって気がするな。
 だから俺、マルチが好きなんだ。」

「えっ?」

「あ、い、いや、そういう意味じゃなくてだな、
 つまりその、こ、好感が持てる、ということだよ。」

 焦ってしどろもどろになる俺。

「はい…」

 なんとか涙を抑えるマルチ。でも、まだしょげている。
 もっと元気づけてやりたいが、俺の貧困なボキャブラリイではこれ以上…
 と、待てよ。
 確か、バイト先だったか、大学でだったか、マルチタイプのメイドロボは頭を撫でてやると喜ぶと
小耳に挟んだような…
 この際だから試してみるか。

 俯いたマルチの頭に手を乗せる。

「? あの?…」

 なでなで

「…あっ。」

 なでなで

「………」

 なでなで

「………」

 マルチは赤く染まった頬に両手を当てて、嬉しそうな顔をする。
 どうやら効果があったようだ。
 そのまま、頭を撫で続ける。

 なでなで

 マルチはいよいよ幸せそうな表情になる。
 上気した頬。うっとりと細められた目。時折もらす甘い吐息…

 うっ、い、いかん。
 このマルチの表情、なんという強烈な破壊力だ。
 このままでは「狼」が…

 未練はあったものの、手を止めてマルチに呼びかける。

「どうだ? 元気になったか?」

「…あ? は、はい!
 おかげさまで元気になりました。」

「そうか。よかったな。
 …いいか、マルチは絶対に欠陥品なんかじゃないからな。
 廃棄処分にしてもらおうなんて馬鹿なこと、
 二度と考えるんじゃないぞ。」

「はい。…ありがとうございます、ご主人様。」

「うん。わかればよろしい… え?」

「はい?」

「い、今、何て言った?」

「? ええと、私、何かおかしなことを言いましたか?」

「何かって… いや、いいけど…」

 俺の聞き間違いだろうな。
 俺はマルチの「ご主人様」なんかじゃないんだから。

 そんなわけで、えらく時間のかかったその夜の入浴であった。



「じゃ、おやすみ、マルチ。」

「はい、おやすみなさい、ご主人様。」

「え?」

「え?」

「今、俺のこと…
 『ご主人様』って言った?」

「え? あ?」

 マルチは慌てているようだ。

「も、申し訳ありません…」

「いや、謝るほどのことでもないけど…」



「…様、…人様。」

 うう、も、もう少し寝させてくれ…

「…人様、…主人様。」

 た、頼むから、もうほんの少しだけ…

「…主人様、ご主人様。」

 そう、ご主人様を寝させて… え?

 がばっ!

「きゃっ!?」

 …俺の目の前に、黒髪の美少女の顔がクローズアップ。

「かえ…?」

 いや、違う。

「ご、ご主人様。びっくりしました…」

 …この娘は…

「マルチ?」

「は、はい。おはようございます。
 ご主人様、そろそろ起きてご支度ください。
 朝食の準備もできておりますので…」

 そ、その呼び方…

「マ、マルチ!
 俺、おまえのご主人様じゃないぞ?」

「あ? そ、それが…
 私のシステムがご主人様…耕一さんのことを、
 正規のご主人様と認識してしまったようなんです。」

「な、何で!?」

「原因は…よくわかりません…」

「と、とにかく…
 ご主人様と呼ぶのはやめてくれ。」

「はい、あの、…努力はしますが…
 認識の根底レベルにあるものですから…
 根本的に改めることは不可能かと…」

「そ、そんな…」

「…あ、ご主人様、時間がなくなります。
 洗面をおすませください。」

「だから、ご主人様はやめてくれーっ!」

「す、すみません…」



 こうしてマルチは、耕一をご主人様と呼び続けることになったのだった…


−−−−−−−−−−−−

耕一がマルチに対し、センサーを取るよう「命令」したり、名前をつけたりした結果、
マルチは耕一を自分のマスターと認知してしまいました。
もちろん、マルチが耕一に好意を寄せ始めたことが、「マスター登録」の最大の原因です。


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