The Days of Multi第三部第2章パート2 投稿者: DOM
The Days of Multi
第3部 Days with Kouichi
☆第2章 黒髪のメイドロボ (マルチ2才) Part 2 of 2



「…うまい!」

 耕一は少女の作ったハムエッグを口にして、思わずそう言った。
 ハムエッグなんて、誰が作ってもあまり大きな違いはないと思っていたが…
 卵の焼き加減といい、塩味の微妙なところといい、実にうまいのである。
 細くきれいに刻んだキャベツを中心にした野菜サラダも、きちんと作ってあって、ドレッシング
(少女の手作りらしい)もおいしい。
 耕一は、しきりにうまいうまいと言いながら食べる。

「そうですか?
 ありがとうございます。」

(?)

 耕一はふと、少女の顔にごく微かな笑みを見たような気がしたが、目を凝らした時にはただ無表情
な顔だった。
 この無表情−−何だか寂しげな感じのする−−が、少女にとって基本の顔らしい。

「どうかなさいましたか?」

 少女に声をかけられて、はっとする。
 相手の顔を見つめっ放しだったらしい。

「いや、何でもない。」

「そうですか。
 …よろしければ、ハムエッグのお代わりをご用意しますが?」

「そう? じゃ、悪いけどお願い。」

 少女が台所に立って行くのを見送りながら、耕一はこのメイドロボの表情のことを考えていた。
 どうも、普通に見かけるマルチタイプと違うような気がするのだ。
 「命」をねらわれているそうだし、特別仕様なのかも知れない。
 基本の無表情はマルチタイプと似ているが、この少女にはどことなく寂しそうな影がある。
 そのせいか、同じ無表情でも、ロボットのそれと言うより、人間の無表情という感じがするのだ。
 それに今朝から見ていると、この娘は、怯えた顔、心配そうな顔、ほっとした顔、きょとんとした
顔、困った顔、恥ずかしそうな顔といろいろな表情をする。
 もちろん、ひとつひとつの表情がそれほどきわだっているわけではなく、うっかりしているとずっ
と同じ無表情で通していると言えないこともないのだが、耕一には少女の顔の変化が見て取れた。

(そう言えば、楓ちゃんも一見無表情だったけど、
 よく見ると照れたり笑ったりしていたな…)

 亡くなった恋人に思いが向かったとき、耕一の目に涙が浮かんだ。
 胸が痛む。
 もっと、あの顔に浮かぶはにかみや笑みを眺めていたかった…



「…どうかなさいましたか?」

 気がつくと、ハムエッグのお代わりを持って来た少女が、耕一の顔をのぞき込んでいる。
 耕一が泣いているのに気がついたのだろう。
 無表情なようだが、やっぱり耕一には、心配そうな顔に見える。

「い、いや…
 慌てて食べたら、ご飯を喉に詰まらせちゃって…」

 それを聞くと、少女はすでに用意してあったらしいお茶を差し出した。

「あ、ありがとう。」

 耕一は、早速湯飲みを口に持って行く。

「…………」

 熱くもなくぬるくもなく、ちょうど飲み頃。
 耕一の部屋にある茶の葉など、柏木家のそれとはくらべるべくもない安物だが、同じくらい美味し
く感じる。
 楓ちゃんが入れたお茶と同じくらい…
 また涙が出そうになった耕一は、慌ててハムエッグに箸を伸ばした。



 食事が終わって一服すると、耕一は少女の身の振り方を考えることにした。
 研究所には戻れない、目当ての人物には会えないとなると、この少女の行くべき所はどこにもない
のだろうか…

「さてと… 君はこれからどうしたい?」

 まずは、少女自身の意向を確かめることにした。

「私…」

 少女はしばらくうつむいていたが、やがて顔を上げるとこう言った。

「…耕一さんさえご迷惑でなければ、
 しばらくこちらに置いていただきたいんですが…」

「ここに?」

「はい。私、お食事の必要はないんですけど、
 普通一日二回、最低でも一回は充電しないと、
 すぐに動けなくなってしまうんです。
 ですから、耕一さんのお部屋のコンセントを使わせていただければと…」

「…………」

「私、お料理やお洗濯やお掃除や、
 そのほか私にできることなら、
 何でも一生懸命させていただきます。」

「…………」

「誰にも見つからないように、
 この部屋から外へは出ないようにします。
 ご迷惑はかけませんから…
 だめですか?」

 耕一は悩んでいた。
 少女を外へ出すのは危険だ。
 だからといって、この部屋に置いておくのは…
 いくらメイドロボとはいえ、狭い部屋に男と女がふたりきりというのはまずい。

 耕一は改めて少女を見た。
 小学生か、せいぜい中学生といった体つき。可愛らしく、あどけない顔立ち。
 世間一般の標準はどうか知らないが、耕一にとっては十分魅力的な容姿だ。
 こんな可愛い女の子と、閉ざされた空間の中で生活を共にする自信はない。
 つまり、自分が狼に変わることはない、という自信が持てないのである。

 メイドロボの体の構造は知らないが、今朝の様子から見て、いやらしいことをされそうになると泣
きわめいて抵抗するのは確かだ。
 もし耕一が、どの程度までかわからないが、その手の行為を強要しようとしたら、この娘はきっと
深く傷つくだろう。
 そんなことはしたくない。
 この娘は自分を信用して、秘密を打ち明けてくれたのに…

(しかし、俺ってやっぱりロリの気があるんだろうか?
 こんな子供子供したメイドロボを見て、そこまで考えるなんて。
 そう言えば、楓ちゃんも、高校生にしてはかなりの幼児体型だったし…)

 また恋人のことを思い出しそうになった耕一は、その考えを振り払おうと、頭をぷるぷると振った。

 …が、その動作を、少女は拒絶の意味に取ったらしい。

「そうですか。…そうですよね。
 耕一さんのご迷惑も考えないで、
 勝手なことを言って申し訳ありませんでした。」

 そう言うと、パソコンの鞄を引き寄せて、

「今日は危ない所を助けていただいて、どうもありがとうございました。
 何のお返しもできませんでしたけど、ご恩は決して忘れません。
 …それでは、これで失礼させていただきます。」

 丁寧にお辞儀をすると、立ち上がって出て行こうとする。

「ま、待って! 違うんだ!」

 耕一は焦る。

「い、今のは…
 君があんまり遠慮するから、
 遠慮はいらない、という意味なんだよ!」

 ついそう言ってしまう。

「え?」

 少女が振り返る。

 耕一は、言ってしまってから、まずかったかなと思う。
 しかし、この部屋にいられないとなれば、少女は出て行くしかない。
 出て行って、だれか親切な人が面倒見てくれればいいが、バッテリーが上がるまでの短時間で都合
よくそんな人が見つかるとも思えない。
 何より、さっきの連中に見つかって「殺される」可能性が…

 耕一は臍を固めた。

「そうだよ。遠慮はいらない。
 こんなむさ苦しい部屋だし、俺ってだらしないから、
 あまり居心地はよくないと思うけど、
 それでよかったら、いつまでもいてくれていいんだよ。
 出て行くなんて言わないでくれ。」

「本当ですか?」

「本当だよ。
 安心して、充電でも何でもしてくれ。」

「ありがとうございます。」

 少女は心なしか嬉しそうだ。
 その顔を見ながら、耕一は「やっぱりこれでよかったんだ」と思いながらも、これからどうやって
狼の管理をしていこうかと考えて、いささか憂鬱だった。



 その日の夕食は、耕一にとって久々のごちそうだった。
 耕一が少女の書いたメモに従って買い込んで来た食材は決して贅沢なものではなく、むしろ慎まし
い内容だったが、少女はそれを一流レストランで出しても恥ずかしくないようなものにして、耕一に
勧めたのである。
 それでありながら、暖かい家庭の雰囲気のする料理で、耕一は昼食の時以上に、メイドロボの腕前
に感服したのであった。

(やっぱり、引き止めておいて正解だったかも…)

 食欲と睡眠欲ともう一つの欲望の充足だけに生きがいを見い出しているような男は、現金なもので、
夕食を食べながらそんなことを考えていた。



 こうして、耕一と少女の共同生活が始まった。
 朝、少女の声で耕一は目を覚ます。
 少女の作ってくれた、シンプルだが美味しくてバランスの取れた朝食を摂る。
 耕一が大学やバイトに出かけると、少女は部屋から出ないで、掃除や洗濯をする。
 耕一は、帰り際にスーパーに寄って、少女がメモした食材を買い込んで来る。
 少女はその食材を使って、手際よく美味しい食事を作る。
 夜、耕一はベッドで、少女は部屋の隅で充電しつつ休む。
 こういう生活パターンができてきた。

 以前の耕一の生活から考えると極めて健康的である。
 おかげで遅刻もなくなり、大学の出席率も向上した。
 心配していた「狼」も、少女の信頼を裏切りたくないという思いに押されてか、なりをひそめてい
る。

 そういうわけで、耕一の目下の心配は、少女の姿が誰かの目にとまることだけだった。
 少女の容貌は、誰が見ても一見してメイドロボとわかるものだった−−耕一の場合はともかく。
 緑色の髪、同色の瞳、そして何よりも特徴的な両耳のセンサー。
 何かのはずみで、管理人か誰かの目に触れたらまずい。

 耕一は思案して、何とか人間と見分けがつかないようにできないかと考えた。
 少女に聞いた所、セリオタイプのセンサーはサテライトサービスシステムのために必要だが、マル
チタイプのセンサーは、むしろ人間とメイドロボを区別する意味あいが強いので、取りはずしても特
に支障はないという。

「そう?
 それじゃさ、そのセンサー、はずしといてくれないかな?
 万一誰かに見られても、正体がばれないように。」

 すると、少女は何となくもじもじしている風である。

「あの… それはご命令ですか?」

「え?」

「センサーは…
 ご命令でもない限り、はずしてはいけないことになっているんです。」

 そう、メイドロボのセンサーは、その主人が命令でもしない限り、はずせないのである。

「そ、そうなの?
 …えーと、俺が君に命令なんてしたら、いやかい?」

「いいえ…」

 少女はなぜか、はにかんでいるような答え方をする。

「そう。じゃあ…」

 耕一はちょっと面映い心地ながら、こう言った。

「…命令だよ。
 センサーをはずしてくれ。」

 耕一はむろん、自分が少女の主人の位置に立たされていることなど、夢にも考えていない。

「はい…」

 そういうと少女は、おずおずとした感じでセンサーに手をかけた。
 その様子には、どういうわけか、あたかも恋人の前で恥じらいながら服を脱ごうとしているかのよ
うな、初々しい色気がある。
 心なしか頬も赤いような…

(うっ…!)

 その姿に、例の狼が騒ぎ出す。
 耕一は必死に押さえつける。
 幸い、両方のセンサーをはずすのにそう時間がかからず、ほどなく狼を押さえる必要がなくなった
のは、耕一にとって、いやむしろ少女にとって幸いなことであった。



 次に耕一は、少女の服を購入することにした。
 来栖川研究所のロゴ入りメイド服を来たままでは、センサーをはずした意味がなくなる。
 もちろん、女の子の服を買ったことなど一度もない耕一であるから、ずいぶんためらったが、とう
とう意を決して少女にあちこちのサイズを尋ねることにした。
 少女も耕一の意図がわかったが、やはりサイズを口にするのは恥ずかしいらしく、小学6年生の標
準サイズで合うはずだ、と濁した。

 耕一は少女から得た情報を元に、とあるデパートに出かけた。
 おそらく耕一にとって一世一代の買い物と言うべきであろう。
 とりあえず、スカート、ブラウス、セーターを2枚ずつ、ソックスとハンカチを少々買ったまでは
いいが(ここまででも結構汗だくになっていた)、難物は下着である。
 思案の挙げ句、店員にサイズと枚数だけ告げ、「適当に見つくろってくれ。」と頼んだのだが−−
店の方針がそうなのか、見つくろってくれたものを袋に入れる前に、いちいち「こちらでよろしゅう
ございますか?」と見せて確認をとるのには参った。
 耕一は、可愛らしい、いかにも少女っぽい下着を次々見せられて、赤い顔をしながらこくこく頷き
続けたのだった。

 買い物が一段落した時の、耕一の結論その一、「二度とするもんじゃない」。

 結論その二、「女の子の服って、どうしてこんなに高いんだあああ!?」。

 衣類一式をもらった少女は恐縮しながらも嬉しそうで、早速メイド服を脱いで着替えて見せた。
 メイドから一転して普通の女の子、という姿になった少女は、いよいよ可愛らしかった。
 耕一は、自分の選んだスカートが少女によく似合っていることに満足しながらも、「狼を抑えるに
はズボンの方がよかったかも?」と思わないでもなかった。



 センサーをはずし、服を替えて、よほど普通の女の子らしい外観になった少女であるが、髪と瞳の
色がやはり結構目立つ。
 耕一は、以前バイト先でできたつてをたどって、瞳を黒く見せるためのコンタクトレンズを手に入
れることに成功した。
 正直、バイトで暮らす学生には痛い出費だったが。
 さらに、髪の毛を黒く染めさせるための染料も買って来た。
 少女に使い方を説明すると、少女はコンタクトと染料を持って洗面所に消えた。

 間もなく、髪を黒く染め、黒い瞳になって出て来た少女を見て、耕一は息を飲んだ。

(楓ちゃん…)

 似ている、と思った。
 いや、実際の顔立は、つり目系美人の楓と、垂れ目がちで可愛い少女では、さほど似ていないはず
なのだが、こうして髪と瞳の色が同じになってみると、どことなく内にたたえた悲しみを無表情な面
(おもて)の下に隠しているような、そんな感じがそっくりなのだ。

(楓ちゃん…)

 思わず駆け寄って抱き締めたくなるような、いとおしさがこみ上げて来る。

 耕一が我を忘れて見つめていると、目の前の「楓ちゃん」がいぶかしそうに口を開いた。

「…どこか、おかしいところがありますか?」

 耕一ははっと我に帰る。
 目の前にいるのは楓ではなく、メイドロボの少女だった。

「あ、いや。おかしくなんてないよ。
 よく似合う。とてもきれいだ。
 君って美人なんだね。」

 耕一は、慌てて少女の容姿をほめる。

「きれい…ですか?」

 少女ははにかんでいるように見える。

「あの… お願いがあるんですが。」

「うん? なあに?」

「名前をつけていただきたいんです。」

 少女は自分でも自分の言い出したことに驚きながら、そう言った。
 考えてみれば、耕一のアパートに来てからずっと、自分に名前がないことが何かしら不安だったよ
うな気がする。

「名前?」

「ええ。…名前がないと、何だか落ち着かない気がして。」

 少女は思った通り正直に口にした。

「そう、名前ね…」

 「名前」と言われた瞬間、耕一は反射的に「カエデ」という言葉が口から出そうになって、あわて
てその言葉を飲み込んだ。
 その名を用いるのは、亡き恋人にも、この少女にも失礼というものだ。
 さりとて、いきなり女の子の名前をつけろと言われても、そう簡単には思いつかない。

 耕一は、頭を捻りながら言う。

「…君たちHM−12は、確かHM−13セリオタイプと区別して、
 マルチタイプと呼ばれているんだよね?」

「はい。その通りです。」

「それじゃ、そのタイプ名からとって、
 『マルチ』というのはどうかな?」

「『マルチ』ですか?…」

 少女は考え込む。

 よくわからないが、何だか懐かしい響きがする。
 その名前で呼ばれると安心できそうな、そんな気がする。
 その名前で呼ばれるたびに、なくしていたものを取り戻せそうな、そんな気がする…



「やっぱり安易すぎる?
 もっと違う名前がいいかい?」

「…えっ?」

 耕一は、少女がずっと考え込んでいるので、気に入らないのかと思ったのだ。
 我に返った少女は、急いで否定する。

「…いいえ。
 とても良い名前だと思います。
 素敵な名前をつけていただき、ありがとうございました。」

「いや、礼を言われる程でも…」

 言いかけて、耕一ははっとした。
 ときどき微かな笑みを浮かべるような気がしていたが、今一つはっきりしなかった少女の顔に、今
日は明らかな微笑みが浮かんでいたからである。



 耕一は知らなかった。少女も意識していなかった。
 メイドロボに名前をつけるのは、その「ご主人様」の役目であるということを…


−−−−−−−−−−−−

瞳の色を変えるコンタクトレンズがあるって、どこかで聞いた覚えがあります。
本当か嘘か確認していないのですが…

耕一がマルチの本当の名前を言い当てるなんて話がうますぎる、とお思いかも知れません。
しかし、想像力に乏しい男なら、
むしろこういうことになる可能性が大きいだろう、と考えたものですから。

ここでは、耕一が名前を言い当てたことよりも、
名前をつけたという行為が、マルチにとっては決定的な意味を持ちます。
その結果は、次回をごらんください。


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