The Days of Multi第三部第1章 投稿者: DOM
The Days of Multi
第3部 Days with Kouichi
☆第1章 救出 (マルチ2才)



 柏木耕一は、従姉妹である柏木楓と結ばれた。
 前世においても恋人同士だったふたりは、数百年の歳月を経て再び巡り会えたことを喜んだ。

 しかし、喜びの時はあっと言う間に過ぎ去ってしまった。
 楓の姉千鶴は、耕一が前世の記憶を取り戻したことを知ると、耕一の中に眠る鬼の覚醒が近いこと
をふたりに告げた。
 そして、耕一が自分の鬼を制御できるかどうか確かめるために、きっかけを与えて鬼を覚醒させよ
うと提案する。

 提案を受け入れた耕一は、千鶴と楓と共に裏山に登り、水門の所で鬼を覚醒させるが、うまく制御
できず、鬼に振り回される。
 その様子を見た千鶴は、柏木家の当主の責任を果たすため、耕一を殺そうとするが、彼をかばって
飛び出した楓を誤って殺してしまう。

 恋人の死を目の当たりにした耕一は、ようやく自分を取り戻し、鬼を制御することに成功する。
 そして、前世においてそうであったように、血に染まって倒れた恋人の体を抱き締めて涙するので
あった…



 女は呆然としていた。
 目の前に血に染まった妹がおり、その妹を抱き締める男がいた。

 …何、これ?

 女の目にする像が目紛しく変わる。
 全裸の男に抱き締められる、黒髪の妹。
 パッ…
 妹の血に染まった自分の手…
 パッ…
 侍姿の男に抱き締められる、エルクゥの妹。
 パッ…
 妹の血に染まった自分の手…
 パッ…
 黒髪の妹。
 パッ…
 自分の手…
 パッ…
 エルクゥの妹。
 パッ…
 自分の手…
 パッ…
 黒髪の妹。
 自分の手…
 エルクゥの妹。
 自分の手…
 楓。
 自分の手…
 エディフェル。
 自分の手…
 私が殺した妹。
 妹を殺した私の手…

 女は千鶴であった。
 女はリズエルであった。
 女は姉であった。
 妹を殺した女は実の姉であった…

 エディフェルを殺したリズエルの記憶と、楓を殺した千鶴の現実とが一つに溶け合い…
 女は壊れた。



「…千鶴さん?」

 冷たくなっていく楓の体を抱き締めて泣いていた耕一は、ふと、千鶴の異様な様子に気がついた。
 地面にぺたりと座り込んで呆然としている。
 その無防備な様は、幼女のようだ。

「千鶴さん?」

 もう一度呼ぶ。
 千鶴は反応しない。
 耕一は楓の体を抱えたまま立ち上がり、千鶴の傍へ寄った。
 片手で千鶴の肩を揺さぶりながら、声をかける。

「千鶴さん! しっかりして!」

 千鶴は全くの放心状態だ。

「ちづ…!」

 耕一は、はっとした。
 何か大きなものが近づいて来る。物凄いスピードで…



 ずざっ

 耕一の10メートルほど前方にそれが降り立った。
 …鬼。
 伝説に出て来るような鬼の姿がそこにあった。

 鬼は狩猟の意欲に駆られているらしい。
 鬼が見ているのは、耕一ではなかった。
 その狩りの獲物は、千鶴だった。
 この世で最も美しい獲物。
 千鶴の解放したエルクゥの気が、この鬼を呼び寄せたのだろう。
 鬼はこの美しい獲物を心ゆくまで犯し…そして殺すつもりだった。
 耕一は、鬼の目の中に、燃え上がる欲望を見た。
 千鶴は相変わらずの無防備だ。

(千鶴さんが危ない!)

 耕一は、急いで自分の鬼を解放した。
 間一髪間に合った。
 鬼は千鶴めがけて飛びかかって来た。
 が、あと一歩という所で、急に後ろに飛んだ。
 耕一の鬼の気が膨れ上がるのを感じたからだ。

(面白い! …やるというのか…)

 鬼の赤い瞳が、喜びに輝いた。
 耕一は、体が変化する直前まで力を解放した。
 楓の亡骸をそっと千鶴の傍らに置いて、立ち上がる。

 鬼は先制攻撃を仕掛けて来た。
 鋭い鈎爪が空を裂く。
 耕一は辛うじてよける。
 鬼の蹴りが目の前に迫る。
 これも何とかよける。
 次の瞬間、素早く小さく振られた鈎爪が、耕一の胸に四筋の裂傷を負わせていた。

(ぐっ!?)

 鮮血が迸る。
 また一閃。
 かろうじてよけると、大きく飛び退く。

(このままでは勝てない!)

 耕一は自らの鬼を全面的に解放する。
 相手の鬼が再び飛びかかって来たとき。

 ガキッ

 耕一はその振りおろされた右腕を、左手でがっしりと掴んだ。
 耕一の体は見る見る変化していく。
 人ならぬものの姿に。
 鬼はそれを見て驚く。
 自分よりもはるかに強大な、もう一匹の鬼の姿に。

 耕一の右手に鋭い鈎爪が生える。
 その右手を振ると、鬼の胸から赤い血が吹き出した。

 グォォォォォォッ!

 鬼が吠える。
 手を振りほどこうともがく。
 耕一は手を放さない。
 そのままはずみをつけて鬼の体を持ち上げると、思いきり地面に叩きつける。

 グァッ!

 もう一度持ち上げる。叩きつける。
 もう一度。
 もう一度…

 その時、耕一が鬼を叩きつける前に、鬼が耕一の左腕を蹴った。 
 耕一が手を放す。
 鬼が辛うじて逃れ、飛び退る。



 鬼は呼吸が乱れている。
 耕一は平静だ。
 鬼が飛んだ。大きく右腕を振りかぶっている。
 耕一も飛んだ。右腕に鈎爪が光る。

 ガッ!

 二匹の鬼が空中で交差する。
 鮮血が飛び散る。
 鬼の体が弾き飛ばされる。
 水門の上に落ちる。
 耕一が後を追って飛ぶ。
 巨体を鬼の上に落とそうとする。
 鬼が身を捩って避ける。

 辛うじて立ち上がる鬼の胸から、鮮血が流れしたたる。
 鬼がもう一度右腕を振りかぶる。
 それが振りおろされる前に、耕一は鬼の真ん前に突き進む。

 ズウッ…

 鈍い音と共に、耕一の右腕が鬼の腹を貫く。

 グォォォォォォォォォ…

 鬼の断末魔。
 耕一が腕を抜く。
 さらに、右腕をけさがけに振りおろす。
 鬼の左肩から右脇腹にかけて、深々と刻み込まれる傷。
 鬼の体が揺らぐ。
 耕一が再び右腕を突く。
 ほとばしる鮮血。

 胸を貫かれた鬼は、大きく体をよろけさせると、そのまま水面目ざして落ちていく。
 轟音と共に大きな水しぶき。
 そして…
 美しい命の炎が燃え上がって…散った。



 白々と夜が明けていく。
 耕一は、恋人の亡骸を右肩に担いでいた。
 踏み締める素足に朝露が冷たい。
 耕一は、初恋の人の体を左肩で支えていた。
 夜と朝の境目の見えない静寂(しじま)の中。
 全裸の耕一は、柏木家に向かっていた。

 …………



 ガラガラガラ

 玄関の戸を開けると同時に、奥から足音が響いて来る。

 タタタタタ…

 トテテテテ…

 寝ないで待っていたらしい二つの足音の主は立ち止まると、玄関に立つ従兄の異様な姿に目を見
張った。

「な…何だよ、耕一!
 何で素っ裸で…!?」

 頬を赤く染めた次女の梓は、そう言いかけて、従兄が担い支えている二つの体に気がついた。
 ひとりは耕一の肩に胸のあたりをかけて、前のめりに両手をだらりと下げ。
 ひとりは耕一のもう一方の肩に腕をかけて、光のない瞳を宙に向けて立つ。

「ち、千鶴お姉ちゃん…?
 楓…お姉ちゃん?」

 四女の初音は、声を震わせながら、耕一に支えられるふたりの姉の名を呼んだ。

「千鶴姉!?」

 梓は三和土に駆け降りて、放心したように立つ長女の肩を揺さぶった。

「千鶴姉! どうした!?
 何があったんだ!?」

 大声で叫ぶ梓の問いは、答える者もなく虚しく屋敷内に響いた。

「か…楓お姉ちゃん?」

 初音は、体を二つに折った三女におそるおそる手を伸べ…そしてびくっと引っ込めた。

「楓お姉ちゃん…」

 初音の顔から見る見る血の気が引いていく。



「耕一! 一体何があったんだよ!?
 千鶴姉も楓も…」

「楓ちゃんは…亡くなった。」

 梓と初音はぎょっと顔を見合わせる。

「ま…まさか… 冗談だろ!?」

「耕一お兄ちゃん!?」

「千鶴さんはそれを見て…
 ショックでこうなった。」

「何だって…!?」

「千鶴お姉ちゃん?」

「詳しい話は後だ。
 ふたりを部屋に運ぶ。手伝ってくれ。」

「あ…? あ、ああ。」

 梓は慌てて千鶴のもう一方の肩を支える。

「初音ちゃん、
 先に行ってふたりの部屋のドアを開けてくれる?」

「う、うん。」

 初音は急いで奥に向かう。



 耕一は楓を肩に担いだまま、梓と共に千鶴を両脇から支え、玄関を上がった。
 初音は二つの部屋のドアをあけると、手前の楓の部屋で待っていた。

「梓、千鶴さんを頼む。
 …俺は楓ちゃんを。」

「あ、ああ。わかった。」

 千鶴の体を梓に預けた耕一は楓の部屋に入る。
 初音が、楓のベッドの布団をめくる。
 耕一が楓の体を肩からおろし、ベッドに横たえると、楓の胸の生々しい傷が露になる。

「ひっ…」

 初音が息を飲む。

「初音ちゃん。
 梓を手伝ってやってくれ。」

 耕一は、初音を姉の惨たらしい姿から遠ざけようと、声をかけた。

「え? う、うん。」

 初音は千鶴の部屋へ駆けて行く。



 耕一は、恋人の美しい、しかし物言わぬ顔をしばらく見つめた後、自分の部屋に向かった。
 着替えを持って風呂場に向かう。
 シャワーで体にこびり着いた鬼の血を洗い流す。
 その中に、恋人を抱き締めた時についた血もあるかと思うと、ことごとく洗い流すのが惜しい気も
した。



 服を着て姉妹たちの部屋へ向かう。
 梓と初音は千鶴の部屋にいた。
 ふたりとも呆然と、姉が寝床に横たわる様を見ていた。
 耕一に気がつくと、

「こ、耕一ぃ。
 一体何がどうなってんだよ?
 教えてくれよ。」

「耕一お兄ちゃん。
 どうして、どうして、こんなことに?」

「教えるから… 居間に来てくれ。」

 三人は居間に向かった。



 皆が腰をおろすと、耕一が口を開く。

「昨夜、俺は…
 千鶴さんと楓ちゃんと一緒に、水門へ行った。」

「うん…」

「そこに…鬼が現れた。」

「鬼!?」

 ふたりが息を飲む。

「その鬼は、いきなり楓ちゃんに飛びかかって…
 一突きで殺した。」

「!!」

「それを見た千鶴さんは…
 ショックの余り放心状態になった。」

「…………」

「鬼は千鶴さんも殺そうとした。
 その時、俺の中の鬼が目覚め…
 その鬼と戦って殺した。」

「耕一の…鬼が…?」

「知ってるんだろ?
 柏木の鬼の秘密。」

「う、うん…。」



 耕一は、千鶴が楓を手にかけたとは言えなかった。
 これ以上のショックを梓たちに与えたくなかった。
 それに千鶴が回復した時に、姉妹の間にしこりが残らないようにしてやりたかったのだ。



「その鬼って…何者?」

 梓が問う。

「わからない。
 …だが、確かに倒した。」

「そう… そいつが楓を…」

 呟く梓の目から、不意に大粒の涙がこぼれ落ちた。

「くくっ… か、楓…楓ぇ!」

「ううっ… うううっ…」

 初音も涙を流しながら嗚咽した。



 梓と初音ちゃんが少し落ち着くと、俺は今後のことを相談した。
 梓は、鶴来屋社長の足立さんと相談することを提案した。
 家族以外で柏木の秘密を知っている、唯一の人物だったからだ。

 俺は直接足立さんと面識がないので、梓が代わって電話を入れた。
 楓ちゃんが亡くなり、千鶴さんがショック状態にあると聞いて、足立さんは駆けつけて来た。
 俺はふたりの部屋に案内した後、驚きの余り言葉も出ない足立さんに対して、梓たちにしたのと同
じ説明をした。
 足立さんは痛ましそうな顔をして聞いていたが、話が終わると、後のことは任せてくれと言って、
あちこち電話をかけに行った。

 間もなく警察がやって来て、楓ちゃんの遺体や千鶴さんの様子を見た(千鶴さんの手の血は、俺が
水門のところで洗い流して来た)。
 そして現場検証に俺を連れ出した。
 俺はわざと、細かい点を曖昧にしたまま話した。
 やがて警察は、予想された通り、楓ちゃんを殺したのは、現在発生中の連続殺人事件同様、大形肉
食獣のしわざと思われる、と発表した。
 
 そして、楓ちゃんの通夜と葬儀。
 ひっそりとした式だった。
 通夜の夜更け、俺はただひとり棺の中の楓ちゃんの遺骸に相対し、改めてこみ上げて来た涙をこら
えきれず、恋人の体に縋って泣いた。



 葬儀が終わると、がらんとだだっ広いだけの柏木家が残された。
 千鶴は相変わらず抜け殻のようになったまま、寝床に横たわっていた。
 耕一は…楓のいない辛さに耐えられなかった。
 「大学があるから」と、柏木家を後にした。
 梓や初音を悲しみの中に置き去りにするのは心苦しかったが、
 それ以前に、耕一自身、恋人を失った悲しみに喘いでいたからである。
 悲しみの地…隆山を…柏木家を離れたかったのだ。





 ダダダダダ…

(寝過ごした!…)

 耕一は焦り気味で走っていた。鬼の力を解放して。
 隆山でのショッキングな経験も、耕一の寝坊癖を直す効果はなかったようだ。
 今日の講議は、比較的早い時間に始まる上に、出席のチェックがやけに厳しい。
 2、3回欠席すると、後はもう余裕がなくなるくらいだ。
 耕一は前に一度遅刻したことがあって、その時は出席扱いにしてもらえなかった。
 今日また遅刻すると、かなりヤバいことになる。
 幸い耕一は、大学まで、ほとんど通行人に会わずにすむ、人気のない道を以前から開拓していた。
 鬼の力を解放して猛スピードで走っても、見とがめられずにすむためである。
 必要は発明の母なのだ。

 ダダダダダ…

(この分なら何とか間に合いそうだ。)

 そう思った時。

(?)

 鬼の力で敏感になっていた耕一の耳に、悲鳴が届いた。
 女の子の声だ。
 耕一は思わず立ち止まって、耳をすませた。

(どっちだ?)

 もう声は聞こえない。かなり切羽詰まった声だったが…
 しばらく立ち止まっていたが、それ以上何も聞こえないので、諦めて走り出そうとした時。

(いやーーーーーーーーーーーっ!!)

(!!)

 もう一度悲鳴が聞こえた。それで場所の見当がついた。
 全力で走る。



(あれか!?)

 人気のない道に、車が一台停まっている。
 トランクの上に少女が押し倒され、大の男がふたりがかりでその両足を広げている。

(朝っぱらから、こんな所で強制猥褻? いや、婦女暴行か?)

 耕一が、一瞬どうでもよいことを考えているうちに、男たちはその少女を抱きかかえた。
 車に連れ込もうとしている。
 少女は泣いて抵抗している。

 耕一はとっさにどう行動すべきか決断すると、姿が変化する直前まで力を解放し、一気に男たちに
詰め寄った。
 少女に気を取られていた男たちが耕一の接近に気がついた時には、もう遅かった。
 ふたりとも、それぞれ強烈な一撃を食らって気を失った。
 多分、耕一の顔を覚える余裕もなかったはずだ。



「大丈夫?」

 男たちから解放された少女に声をかける。
 少女は鞄を抱え、小刻みに体を震わせていた。
 無理もない。あんな目に遭ったんだからな。
 連れ去られる前に助けることができたのは、不幸中の幸いだった。

「大丈夫?」

 もう一度声をかける。
 少女は不安そうに耕一を見つめていたが、どうやら信用できる相手と認めたらしい。
 訴えるように呟いた。

「助けて…」

「ああ。助けてあげるとも。
 …家はこの近くか? 送ってってやるよ。」

「帰ったら…殺される。」

「え!?」

 耕一は、少女の意外な言葉に驚いた。

「捕まったら…殺される。」

 もう一度訴えるように呟いた直後、ぐらりとよろめいた。

「おい!」

 耕一が慌てて抱きとめる。
 少女は耕一の胸に体を預けるようにしてもたれかかる。
 体に力がない。気を失ったようだ。

(ショックのせいだろう。それにしても…殺される、ってのは穏やかじゃないな。)

 このまま放ってはおけない。

 …今日の講議は、諦めるしかなさそうだ。


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