『中国演劇の二十世紀』目次へ 資料庫へ 表紙へ
 
 『中国演劇の二十世紀 中国話劇史概況』まえがき
 
 本書の題名『中国演劇の二十世紀』は、本来の原案は副題の「中国話劇史概況」であった。では、両者は同一の概念なのであろうか。そのことから書きはじめよう。

  話劇とは日本の新劇に相当する演劇形態で、語のごとく対話とそれに伴う身体表現によって劇を進めていくものである。この話劇という語は劇的構造を示している点で、演劇用語としては日本語の「新劇」よりも優れているという認識が、日本でも少しづつ広まりつつある。
 中国で話劇という語が使われるようになったのは、一九二○年代末からのことである。中国話劇の創始者の一人である洪深は、一九二九年に次のように話劇を定義している。
 
「話劇は、劇中人の断片的な対話を用いて組み立てられた演劇である。─時にはその話劇は、音楽あるいはダンスを含むかもしれない。しかし、音楽やダンスは付属品、助成品に
すぎない。話劇が物語を表現する方法は、主に対話である。─話劇の生命は対話である」(洪深『中国の新戯から話劇までを語る』)
 これは中国における話劇の定義としては、最も早くかつ最も重要なものに属する。
 
 この話劇という演劇形態は後で本書で詳述するようにそれまでの中国にはなく、二十世紀になって外国の影響を受けて成立したものであり、前史まで含めれば中国話劇史と二十世紀中国演劇史は時期的にほぼ重なりあう。
 演劇用語には「現代演劇」という言葉もある。話劇が「現代」の反映をめざす演劇であることは間違いない。では、現代演劇史と話劇史の関係はどうであろうか。
 
  現代演劇という場合、「現代」の起点をどこにするかが問題になる。中国現代演劇史の場合、その開始には諸説あるが、伝統演劇が目的意識をもった変質を開始し始めた時期、すなわち清末の演劇改良運動をその起点とすると、その開始は一九〇二年であるから、中国現代演劇史はやはり二十世紀中国演劇史とほぼ重なりあう。
 ただし、これには大きな問題がある。中国話劇史と二十世紀中国演劇史、中国現代演劇史は完全に重なりあう概念なのであろうか。
 
 周知のように、中国には話劇とならんで京劇など「戯曲」と総称される伝統演劇が平行して存在している。そして、観客の量だけからいうなら、伝統演劇の観客は現在でも話劇より多いのである。しかも、伝統演劇は静的に存在しているのではなく、伝統演劇自体が二十世紀に入ってさまざまに変化しそれ自体の演劇史を創り出している。越劇などのように、二十世紀に入って誕生した劇種も少なくない。「戯曲」は日本の伝統演劇と違ってさまざまな発展段階にある劇種を内包しており、劇種によっては滬劇(コゲキ)などのように現代人の生活を描いてまったく違和感のないものすらある。
  演劇は生きた人間によって上演され生きた人間によって鑑賞されて初めて成り立つのであるから、伝統劇といえども時代精神を反映することはできるし、また反映しないわけにはいかない。中国話劇史と二十世紀中国演劇史、中国現代演劇史は重なりあうところも多いが同時に決して一致する概念ではないのである。
 
 しかし、「現在」の表現という点では伝統演劇は結局のところ話劇に劣るものである。話劇は中国の演劇伝統から完全に切れたところで成立したのではなく、十九世紀末から二十世紀初頭にかけての中国伝統劇の変質と外国演劇の影響の結果出現したものであり、話劇の成立は二十世紀の時代精神を最も純粋に反映する演劇の出現ともいえる。話劇は中国現代演劇、二十世紀中国演劇のすべてではないが、それを代表させることはできるのである。
  事実、二十世紀に入ってからの伝統演劇の変化を追っていくと、そこには話劇の影響を広範に見いだすことができる。たとえば、梅蘭芳は自分が早期話劇の影響を受けたことを、自ら認めている。越劇や滬劇など、話劇関係者が関与して成立した劇種もある。中華人民共和国建国後の伝統演劇改革や劇本の創作にあたっている者のうち少なからぬ者が話劇運動の出身でもある。彼らを通して伝統劇の中に話劇の演劇概念が大量に注ぎ込まれたし、現在も注ぎ込まれている。それは、伝統演劇の本質にも影響を及ぼすものであった。やはり話劇は、中国現代演劇の最も重要な一部分なのである。これが、本書の書名を『中国演劇の二十世紀』とした理由である。
 
 一方、中国では八十年代以降反話劇の動きが顕在化するようになった。二十世紀初頭から半ばにかけては時代精神を最も反映する演劇であった話劇という演劇形態が、逆に時代精神を反映できなくなり、時代の本質を表現しようとする演劇人の多くを満足させることができなくなったのである。話劇が完全に今日の時代を表現する力を失ってしまったかどうかは討論すべき課題であろうが、現在の中国で意欲的な上演活動を行なっている演劇人の中のかなりの人たちが、話劇に対して反抗的な態度をとっていることは、注意しておく必要があろう。
  演劇は文学や美術などと異なり、一人ではできない。一人芝居といえども、俳優の背後には複数の舞台関係者が必ず存在している。さらに上演(創作)にあたっては、必ず観客というかたちで不特定多数の人間を必要とする。この点では映画とも異なっている。文学や美術がほぼ純粋に一人の芸術家の内面世界を表現できるのに対して、演劇は多くの夾雑物を含んでいる。舞台芸術の宿命として上演のたびごとに消え去ってしまいもする。
 
 しかし、不特定多数の人間によって創造されるからこそ、演劇は文学などよりもはるかに劇的に時代の変化の深部を表現できるともいえる。ある種の劇たとえば『人形の家』や『ゴドーを待ちながら』などがどのように受容されたかは、その社会がどのような段階に達したかの指標にすら成りうると思われる。これまで一九四九年の中国革命は、中国社会を根本的に変えたと言われてきた。しかし四九年を挟んでも話劇という演劇形態の構造は本質的には変化しなかった。もちろん、四九年以前と以後では話劇の内容に正反対といっていいほどの大きな変化がみられるのは事実である。かつてはもっぱらその変化・断絶の面に関心が注がれていた。だが、現在では、変化の面と同時に両者の共通性・連続性も多くの人々の注意を集めはじめている。
 
 本書は二十世紀最後の年代に書かれることによって、話劇の誕生・発展・変質・再生・衰弱の全過程をとらえることができるものになったとも言える。本書は、話劇史の全体像の概略を明らかにすることを通して、話劇とは何か、中国において話劇という演劇形態はどのような意義をもったか、について初歩的な整理を行なおうと試みたものである。このような話劇史は、中国においてもまだ出現してはいない。この本書執筆の意図がどの程度達成できたかは、読者の判断に待つほかない。
 
『中国演劇の二十世紀』目次へ  資料庫へ  表紙へ