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![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 海辺のカタピラ 海のすぐそばで生活しているわりには普段海を見ることなどないので、たまに海に行くと視界の変化にびっくりする。 東京には空がない、というのと同様に、東京には海の生活がない。 晴海の海や海水浴でいく砂浜海岸と、生活に密着した海というのは、当たり前だが別物だ。 地方の鄙びた漁港や、フェリーの往来する港町などにたまに行くと「自分の知らない日常」の存在が面白く、不思議で、時に羨ましく感じる。 本州・尾道から四国・今治まで、瀬戸内海の島々の間に架けられた橋で結ばれた高速道路「しまなみ海道」を自転車で走ったとき、今治から尾道(隣町の三原)への帰り道は、小型の高速船を使ったのだが、その操縦士が若い女の子で驚いた。 桟橋で港の係員の爺さんと談笑していたふたりのうち、兄さんのほうが船を操縦するものと思っていたのだが、「じゃ、そろそろ行くわ」と爺さんに声をかけた女の子が、やおら操舵席に座って、GPSを利用した航行システムを起動し(船の予定航路と現在位置が船室のモニタに表示される)、エンジンをふかして桟橋を離れた、その女の子の惚れ惚れするほど格好いい仕事ぶりに、僕の今治という町に対する印象は一変した。 地方の衰退、東京一極集中、ということが問題にされる。 たとえば、タオル製造と造船が主な産業の今治という町にいけば、地方の衰退などということは、必然・不可避のことだと実感できる。 僕がここに生まれたって、高校を卒業したらもちろん東京に出るだろう。 しかし、そうやって都市(東京)に出てきて、たとえば派遣社員として上場企業で働いている女の子たちの空疎な佇まいと、今治の高速船の操縦士の女の子の生き生きとした様子を引き比べた場合に、数字の上での衰退などはなんということもないのだと、彼女に教えられた気がする。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 馬鹿の始末 ホリエモンという食えないミカンの汁で、次から次へと馬鹿があぶり出されてくるもんだね。 5億円自宅疑惑のフジ日枝に、山師のソフトバンクなんとか北尾に、芸能界のご意見番こと和田アキ子に、倉本聰ってひとが「インターネットは五感がどんどん欠落していく」などと低級な釣りかと思うような春厨以下の作文を新聞上で開陳したと思ったら、今度は日テレ氏家が「悪口やデマが平気で流れるネットは規制が必要」ときたもんだ。 馬鹿の見本市。全国おたんちん祭り。末期テレビ脳患者。 浜の真砂は尽きるとも、世に愚か者の種はなんとやら。 大宅壮一が指摘したように、テレビ脳はよほど深刻ですね。 あのね、知らないもの(この場合インターネッツ)は誰だって怖いんですよ。 だからといって、殺していいってことにはならない。科学的に。あるいは近代の自由主義(笑)的には。いくら自分の儲けが減るからといって。 彼ら(上記の)の発言の狙いは、ホリエモンやら、インターネットでうだうだ言ってるキモイ連中を殺そうってことだわな。明らかに。それも文字通り、物理的にだぜ。 陳腐なことを言えば、ヒトラーと同類。 でもひとつだけ救いがあるとしたら、上記のテレビ屋さんたちも、インターネッツが近い将来、物理的に人を殺せるほどに(金貸しがたくさんの人を自殺に追い込んでいるように)成長する、ということを無知は無知なりに、どうやら肌で感じているらしい点。(いまはまだテレビの方がHPも攻撃力もだいぶ優勢) そういう予感(知性、ゲンダイ的には痴性)は大切にしたほうがいいよね。 とかまた品のないことを脊髄反射で書いてしまう。馬鹿の始末で。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 遠視眼 森を見て木を見ず――という傾向で、一草一木にじっと見入るということをしない。 いつもなんとなく全体を眺める、というよりも、肌に感じる。そういう状態が好きだ。 例によって、萌えとはなにかというと、一草一木に「もののあはれ」や「をかし」を見出すという心根ではないだろうか。 ――というのは大嘘。 萌えとは特別な概念ではない、ということを気が向いたら改めてまとめてみようと思ったけど、たぶんもう向かない感じだなあという感じを、一面の菜の花の蜜を吸うミツバチを見ながら思ったりなんかした。 ちゅーか、萌えという概念においては「萌え」と言う(言いたい)ということが重要であって、同様に、なぜ「萌えとはなにか」ということを言いたいのか(おれに限らず)ということが問題であり、そういうことを考えてまとめるのはすげー面倒だったり。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 懸隔商売 開港直後あたりに一度行って以来、20年以上ぶりに成田空港にいったら、反対集会があるとかで、見学者の入場制限がされていて、ゲートで門前払いを食ってしまった。 「わざわざ自転車で来たのに…」と申し訳なさそうな警備の兄ちゃん。 それにしても、まだ反対派なんて連中が生き残ってたのかよ、とびっくり。 高遠ナオコの例を見ても、この手の活動はあんがい儲かるわけで、すっかり仕事になってるんだわな。 差別が結構な商売になってたりするなか、いくら差別されても金にならないのはオタクくらいのものか。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 夜道すがら 夜道が好きである。 夜、暇を持て余して、買い物に出かける。 ブラブラと知らない路地を選んで歩く。 遠回りをして最寄のスーパーに向かうこともあれば、気分によって隣の駅まで、あるいは、さらに隣の駅まで足を伸ばして、初めての店で買い物をして、時にくたくたになって家に帰り着く。 仕事の追い込み時期にも、よく夜道を歩いた。 夕飯を食べるのに仕事場から駅前に出たついでに、時間が許す限り遠くまで歩く。 昨日は駅の北側を歩いたから今日は南側を、といったように、東西南北の商店街や目に付いた路地をくまなく踏破するように歩いていく。 暖かくもなく寒くもなく、という頃がやはり気持ちがいいが、冬の寒い頃もなかなか良い。 意外なところに立派な神社があったり、変わった設計の住宅があったり、大きな古い木があったり、住宅街の真ん中にいかにも流行っていなそうな中華料理屋があったり――そういう発見が楽しい。 会社から終電で家に帰り、そのまま夜明けまで、憑かれたように町を歩き、昼まで眠って出社、といったサイクルを繰り返していた頃もあった。 そうやって、ひと時、頭を休めて、またシナリオをやっつける。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ビデオに殺されたラジオスターは ITの魔術で蘇るか? 新株予約権発行差し止めということで、まずはホリエモンの勝利と相成ったわけだが、おれはニッポン放送はまったく聞かないので、個人的にはどうでもいい問題ではある。 テレビがないので、一日中ラジオをつけている感じだが、聞くのはほぼ終日TBS。時々文化放送。 TBSはテレビはだめだがラジオはなかなか面白い。 目が冴えて眠れない夜や大事件が起きたときはNHK。 車でのツーリング中や、山での幕営中もNHK。(ただし日本海側では、夜には北朝鮮の電波が周波数の全域を乗っ取ってしまい聞けないことも多いが) NHKといえば「ラジオ深夜便」。 これを聞きながら東北あたりの真っ暗な道を走っていると、そのまま失踪したくなる。w こんな番組はそうそうない。 車での旅で地方のラジオもよく聞いたが、大阪のラジオは個人的にどうも好きじゃない。 名古屋のラジオもあんまり好みに合わない。 聞いた限りでは、京都のラジオは意外に面白かった。 特筆すべきは北海道。 北海道の名物(?)番組、STV「日高晤郎ショー」。 賛否両論が激しくあるだろうが(笑)、おれは好き。 一度車で北海道に渡ると2,3週間くらいはあちこちふらついているので、その間土曜日には必ず「日高晤郎ショー」を聞いてた。東京地方では絶対にありえない過激な番組。 あと傾向はまったく違うが、明石英一郎という人の深夜放送も面白かった。 これは北海道ではなく、なぜか遥か遠い愛知県の蒲郡で車中泊していたときに、たまたま受信したのを一度聞いただけだが、めっちゃくちゃ面白かった。 一度だけといえば、最近(ここ10年)のニッポン放送でもひとつだけ面白い番組があった。 「釈由美子の世界ふんにゃ化計画」。 秋田県の男鹿半島のツーリング中に、一度だけ、それも最終回を聞いたのだが、構成台本、釈由美子の高度な不思議コメントが共に極めて面白く、この番組の放送作家が誰なのかインターネットで検索したのだが未だに分からずに残念に思ってる。 ともかくホリエモンがニッポン放送の社長になったら、聞いたこともないミュージシャンや芸人の番組だけはやめるべし。そういうのは、ラジオに合わん。 まあ、ラジオとかは別にどうでもいいのだろうが。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 「成熟した社会」 ――などとよく言われるが(@マスコミ)、現代社会のこの有様を「成熟した」とか思えるその気が知れねい。(怒) 現代社会が成熟してるてあーた、おれぁSF読みだから成熟などとトンボの目ヤニほども思わねえが、まっとうな人間なら首肯して頂けるだろう。 現状肯定、現状維持志向があまりにも強すぎる。 それも若い人間にもその傾向が強いのは呆れてキーボードも打てない。 まあそれも、テレビ脳、マスコミ脳のせいだが。(本気(マジ)) 相も変わらず時折思い出したように集団練炭自殺のニュースが流れるが、もう飽きたし、代わり映えしない死に方でつまらないし、なにより若いくせにその現状肯定意識が気に入らない。 自殺ってのは、自分が無教養にも現状をすっかり肯定しているからやらかすンですよ。(少なくとも日本におけるワンパターンの集団練炭自殺は) 生命38億年の進化(という言葉はよくないが。たんなる変化)の歴史を知らないという無知・無教養。 そして、自分の現状維持志向は、能動的に選択したものではなく、さまざまな「他者」に押し付けられたものであるのだということに無自覚である客観性の欠如。 悪い意味での保守志向の蔓延。 だから、ホリエモンみたいなインチキ野郎でも喝采を浴びるわけだ。毒をもって毒を制すを高みの見物。 ――で、萌え話に話をつなげるってぇと、萌えというのはどういった傾向の志向(嗜好)であるのかといえば、ベタ、ということ。 萌えとはいわば、ベタの、それも佃煮みたいなもの。 その萌えが世界中で大うけ。(らしい) てことはなんだその、現代は「成熟した社会」ってことで正しいんぢゃん! ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 日韓友好 竹島問題で、韓国人が指切ったり(笑)、戦闘機が飛び交ったり(カコイイ!)大騒ぎですが――。 さて、こういう問題が持ち上がるたんびに「日韓関係に水を差す」とか言い出す御仁がいらっしゃるが、日韓の友好なんて関係ないんですよ。 相手が好きとか嫌いとか、色恋沙汰じゃぁあるめいし、いくら相手がファビョろうが、領土・政治の問題たぁ、これっぽっちも関係ねえ。 気に入らない相手の土地なら、因縁つけて横取りしていいって法はないという当たり前の理屈を通せばいいだけの話。 ファビョって指切る奴も馬鹿なら、訳知り顔に「友好が」とか言い出す奴も暑っ苦しいだけの厄介者。 好き嫌いなんぞ関係ないってンですよ。 仕事(外交・政治)の問題に好き嫌いの感情を持ち込む輩。 こういう奴こそ厄介だ。 仕事の現場では、好き嫌いに関係なく、ただやるべきことを粛々と遂行する、というのが正しい姿勢であるのに、そういう大人の、文明のルールが分かっていない凸助。 手前の好き嫌いでへそ曲げて、私怨を持ち込んで、立場上自重せざるをえない相手の事情につけ込んで恨みを晴らすようなべらぼうが一番タチが悪い。 ――という私怨。(笑) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() レトリックとか を駆使したりとか、凝った表現を散りばめたりとか、美文調で格調高い感じとか、そういう文章が書けない。 ――て、前にも書いたなと思って調べたら去年の7月か。 書けない以前に、そもそも書く気がないのだと自分には言い訳しているものの実は相当書きたいのかもしらん。 というか、この日記(?)を読み返してみると、2年前の2月頃から文章をちゃんと(?)書こうと意識してるわね。 で、ひとつ面白いと気づいたのは、自分の書く文章と、散歩や旅行のついでに撮ったスナップ写真の雰囲気がどうも似ているという点。 どちらもそれなりに意識的にコントロールしているつもりだが、全然違うジャンルである写真にまでにじみ出る趣味、志向といったものは到底修正不可能なのかもしれない。 風邪の熱 押して骨折る リハビリ夜(や) ――と、あら。 話題のUFJ銀行フィッシング詐欺メールキタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!! 件名が「UFJ」のみて、いくらなんでも怪しすぎ。 本文もひどいし、騙す気ならもう少しなんとかしないと。>犯人 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 馬優先主義 で、おなじみ、中央競馬のジョッキー岡部幸雄が引退。(ていうか、まだ現役だったのかよっ!) 「緑、白襷、袖赤一本輪」のシンボリ牧場の品のいい勝負服と岡部の取り合わせは凛として実に格好がよかった。 レース直前、鞍上で馬の首をポンポンと叩きながら「テイキリージー」と声をかけるという、意外やダンディーな一面も。 もともと、ふけ顔というかオヤジ顔だったが、最近の写真を見たら、むしろ完全に婆さん顔になってるね。 田舎の婆さんは、たいていこんな、岡部みたいな顔してる。 そういう婆さんが、ぼろぼろの乳母車を押して鄙びた集落の通りを歩いてたりする。 なぜみんな乳母車を押しているのか不思議だったが、杖代わりというのと、荷物を運ぶのに使っているのだろう。 人間、顔だね。 岡部のような顔は、テレビのコメンテーターには絶対にいない顔だ。 岡部のような顔は、エコノミストだのアナリストだの、株屋や金貸しのたぐいには絶対にいない顔だ。 馬優先主義。生涯一騎手。岡部幸雄。 おれは萌え優先主義。――て、うそつけ、みたいな。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 科学と我執 ソニーの会長が、なんとかっていうガイジンに代わった。 まあ、前任者(笑)に比べれば誰がやってもこれ以上悪くはならんだろうとはいえ「コンテンツとデバイスの連携が云々」みたいなことを言ってる点が少々引っ掛かる。 コンテンツなんぞどうでもいい。 われらがソニーは本来、技術屋(オタク)の集団だぜ。 コンテンツだなんて女コドモの慰みものは、適当な連中(テレビ屋やホリエモンやアップルやエロゲ屋)にでも任せとけ。 文系脳のせいで、文明の存在理由がすっかり忘れられているわな。 文明の第一段階の目標は「必要充分な長生き」だが、38億年前に人類(生命)が誕生して以来のこの大目標はすでに達成された。 (「必要充分な長生き」とはすなわち、自分の2人以上の子供が成人するまで(+孫がある程度育つまで)生きることであり、日本人の平均寿命(男: 76歳, 女:83歳)は、少なくとも生物学的には、充分な寿命である。(現在の異常な晩婚化・少子化を考慮しなければ)) で、第一段階に続いての目標は、二つの方向性が考えられる。すなわち a) (不老)不死 b) 宇宙の全事象の解明 この二つである。bの意味は書いている自分でもどういうことか分からないが。 ともかく21世紀以降、技術屋が挑戦すべき課題はこの二つ以外にない。 コンテンツとはなにかといえば、それは科学的な妥当性を欠いた我執。煩悩。 ソニーにとって、コンテンツなんぞどうでもいい。 幼年期(の最初期段階)の終わり――は、まだまだであるなあ。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() いがいとかんたんー と仲間由紀恵(どうも苦手なタイプ)がいうとおり、意外と簡単だった。確定申告。 申告書もWebで綺麗に作成できて(ただしアドビのアクロバットがタコで印刷エラー回避にひと手間)、税務署での手続きもあっさりしたもの。 で、その結果、源泉徴収されていた分が、そっくり戻ってくることになった。 今年度の納税額ゼロ。低額納税者番付一位。(市民税は追って課税されるのか?) 国の赤字が増え続けるわけだわね。 何十万も税金払ってる奴はエライ。 今年はもう少しがんばる。そろそろ。 そういえば、おれが最初に働いた会社の社長(オーナー)、このあいだ知ったのだが、脱税で捕まってるじゃん! おれが「この会社、脱税してるっしょ!」と部長に言ったのは確証のない直感だったが、そのとーりだったとは。(あの頃は時給550円で、マクドナルドのバイト高校生より安かったなあ) あーあ、充分金持ちで、奥さんも美人(やや仲間由紀恵系)だってのに、ほどほどにしとかないから。堤義明とかも。 |