2003/05/01 (木) | ||||
舞台の魅力と映画の表現力をあわせ持ったミュージカル映画。とにかく歌が多くて楽しい。ミュージカルと言うと、不自然に歌が出てきて嫌、という向きもあるが、この映画では、主人公たちの頭の中に舞台を置いて、主人公たちから見た世界の把握といった形の部分に歌を持ってきている。実際、完全に現実世界の歌と踊りは冒頭のキャサリン・ジータ=ジョーンズの「All That Jazz」と、ラストの主人公二人のものだけ。それ以外は全部主人公たちの頭の中に広がる舞台なのである。 だから、重要なシーンには全て歌がかぶさる。典型的な例を一つ挙げると悪徳弁護士を演じるリチャード・ギアの裁判シーン。裁判中の最大の見せ場である、不利な証拠を論破するこの部分には、ギアの最大の見せ場となるタップのシーンをかぶせている。かくて、ほとんど歌と踊りを堪能しているうちに最後のレビューに突入し、それが終わったときには思わず自分も拍手をしたくなったほどであった。 とにかく楽しい映画である。ここのところ古典的ミュージカルにはまっていたためもあってか、非常に楽しい。 ただし。物語自体は決して「良い」話じゃあない。登場人物にしても、名誉よりも金が全ての悪徳弁護士に、自分の理屈しか見えていない殺人犯の女囚たち。そしていかにして世間と陪審員をだまして金を稼ぎ無罪を勝ち取るかの物語。悪の魅力を発散すると言うほどではないにせよ、まあ良い子は真似しちゃいけません(^^)。 その意味じゃ完全に大人向けのミュージカル映画ってことかな。 ちなみに一日は映画1000円の日。1000円でこれって非常にお得であった(^^)。
前々から目を付けていた、マリリン・モンロー12枚セット。HMVのDVD二枚でポイント二倍というのが5月の頭でおしまいと聞いて、ついに購入してしまった(^^)。二枚でポイント倍、ということでもう一枚として、2000円と安く、まだ見たことはないけれど傑作ミュージカルとしてタイトルを目にすることが多かった「踊る大紐育」も購入。 |
2003/05/03 (土)憲法記念日 | ||
60年代頃のアメリカを舞台にした80年代のミュージカル映画。元は二日で撮った白黒映画だったのが、舞台のミュージカルとして蘇り、それの映画化と言う不思議な経緯で出来上がった映画だとか。 貧民街の花屋に勤める、身寄りのないさえない青年が、たまたま手に入れた変わった植物のおかげで有名人になるが、実はその植物は人の血(肉)で育つ植物であり…という物語。 画面の作り方や小道具なんかも時代の雰囲気を出しており、曲の当てはめ方や、登場人物のキャラクター設定など、伝統的なおバカなコメディのミュージカルを踏まえた感じで楽しい出来。ついつい、本編を見追えた後で、監督のコメント版を見はじめたら、それも最後まで見ちゃったくらい。(こーゆーところ、やっぱりDVDは楽しい) コメントを最後まで見ちゃったおかげで分かったことによると、舞台のオリジナル版では主人公二人が最後に食べられちゃうという話だったらしいのだが、試写で不評だったためハッピーエンドに変えたと言う。 個人的には、ミュージカルに求めるものは、歌や踊りであって、極端なことを言えば、ストーリーは付け足し。特におバカなコメディの場合には、シリアスなラストシーンは、歌や踊りの感興を削ぐ邪魔ものでしかない。舞台の場合は、さらにストーリーより歌と踊りの鑑賞に重点が移るし、監督も述べているようにすぐにカーテンコールで気分が改まるからシリアスなエンディングでもいいのだろうが、映画はやっぱりハッピーエンディングがいいなあ。監督としては不満だったようだが。 それにしても、今ならおそらくCGで作っちゃったであろうクリーチャー、最大の物は60人で操作したとか、シリコンラバー製ゆえに速い動きには制約があるところを早口の台詞とあわせるために、カメラを普通一秒24コマの所を16コマで撮影した、など、芸があって楽しい。 近年のCGはどんどん質が上がっているのはわかるが、当初は凄いと感動したものの、最近はどうも薄っぺらい感じを受けることが多くなった。それに比べると、マペットを使用した映画は、時に材質等の制約による動きなどのリアリティには劣っても、その存在感には凄いものがある感じがするのであった。 他に監督のコメントの面白かったところでは、現代の映画に比べるとずいぶんと長回しをしているとのことであるが、踊る大紐育などの古いミュージカルを見ていると、さらに比べ物にならないくらいの長回しでタップダンスが撮影されている。撮影や編集の方の「芸」でごまかされていない分、そういう個人的な芸に関しては、古い映画ほど凄いものがあり、そこを鑑賞する分には今でも十分見ごたえがあるとの意を強くしたのであった。 何はともあれ、もっともっとB級の映画かと思っていただけに、うれしい収穫であった。 |
2003/05/05 (月)こどもの日 | ||
一番高いビルがエンパイア・ステート・ビルだった頃の物語。 ニューヨークを初めて訪れた水兵が、半舷上陸の24時間の休暇の間に、いきなりタクシーの美人女運転手に惚れられたり、美人女学者に見初められたりしたりなど、ストーリーはかなりお馬鹿。でも例によってみどころはそんなところではなく、ジーン・ケリーの達者なタップ・ダンスやフランク・シナトラの歌など。その観点から見れば、リトル・ショップ・オブ・ホラーズの所でもちょっと書いたが、長回しのダンスシーンは見事。 とはいうものの、やはりシナリオ自身の貧弱さは否めず、こういうところがMGMミュージカルが衰退していった原因なんだろうなとも考えさせられたのだった。 |
2003/05/06 (火) | ||
明治期以降のキリスト教者の言葉遣いの無神経さは不思議でならない。 自分の信仰の対象であり、唯一無二の者と信じる者に、なぜ「神」などという呼称を使えるのだろう。 唯一無二と信じる対象が、800万分の一の存在となってしまうことに、どうして抵抗感を感じないのだろう。 |
2003/05/07 (水) | ||
著者:Frank Abagnale with Stan Redding 原題:Catch me if you can 言うまでもなく、 映画キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャンの原作である。 この本を読むにつれ、著者は実に頭の良い男だと…ないしは天性の詐欺師であると…感じられた。 映画のパンフレットや雑誌プレミア(日本版5月号)のインタビューなどで、著者は映画が90パーセント自分の人生そのものを描いているということ言っている。しかし、この本と比較してみるとどうか。 映画では、裕福で仲の良い両親のもとで幸せな子供時代を送ってきたが、父の事業の失敗を機に家庭が崩壊し、母の浮気により両親が離婚、そのショックですぐさま家出を行うような描かれ方をしている。 本では、裕福ではあったが、付き合いや趣味の遠洋型の海釣りに夢中の父から、母が子供を連れて飛び出し、正式に離婚したときに主人公だけが父と生活をともにすることにした。その環境で「最初の詐欺」で父に損害を与え、カトリックの系列の問題児向けの私立学校に入れられる。その間に、父の事業が行き詰まり、破産し、その父のもとから家出を行う。 また、実際に捕まるまでの間に、FBI捜査官との間に実際に顔を合わせたことはなく、ゆえに捕まえてくれと言わんばかりのFBI捜査官への電話についても記述はない。 その他様々なエピソードについてもシークエンスが異なっていたり入れ代わっていたり…。 映画で重要なエピソードを形作る、アメリカの刑務所から出る下りにしても、映画ではFBIから捜査に協力することとひきかえに自由を与えるという、FBI主導の取り引きの形として描かれていたが、本の後書きによれば仮釈放後、いろいろな職を転々とした後で自分の才覚で詐欺に対するコンサルタント業を思い付き、成功後FBIからも招かれるようになったとある。 とても映画ががあったことをそのまま伝えているとは思えない。 著者本人が監修に入っているのだから、本に書かなかったところ、本に書いたことの本当のところ、実際にあったことをより分かりやすく伝えるための方便として許容したところもあっただろう。 しかし、私はどんなに懸け離れた部分があっても、ほとんど同じと言い切ることのできる所に、彼の魅力があるのではないかと感じたのだ。 著者の詐欺は、唯一の例外を除き、個人を相手にしない。常に法人からだまし取る。そしてその窓口となった個人や、だますために利用した様々な相手には、惜しみなく自分の魅力を振りまき続け、相手を気持ち良くさせる。 その「詐欺師」の彼が、スピルバーグやディカプリオという、当代一流、いや超一流の表現者…彼等もまた超一流のだまし屋である…と組んで行うこの「計画」で、どのようにふるまうことが、それを聞く相手を心地よくさせるものか、よーくわきまえてい…というより、それを天性としてふるまえるのではないかと感じたのだ。 ま、確かに映画そのもののどきどきワクワクさせられる話と言っていいかもしれない。やっている行為は決してほめられたものではないし…ってより犯罪だし、その動機も女好きから来ていたりする。でもそういったことを補ってあまりある陽気さがここにはある。 まさに後書きで本人自身が述べている「法的にも社会的にも受け入れられる方向で成功を収めた『詐欺師』」の力量を、著作においても発揮したといっていいのではないだろうか。 Data: |
2003/05/18 (日) | ||
「シカゴ」も面白かったし、2500円と安くなっていたと言うことで購入した、ボブ・フォッシーが監督した「自伝的」とされる作品。 第一印象は、ミュージカルシーンが思ったよりも少ない。 夢のシーンをダンスにしてとつなぐとか、手法的にも面白い点はあることはある。しかし、全体になんか癇に障るものがある。 言われているようにボブ・フォッシーの自伝的作品というのが正しいならば、ボブ・フォッシーの自己弁護というか死ぬ前の懺悔というか、そのような作品にしか思えなかった。 なんだか思ったのと違うと言う感じで、いくつかのダンスシーンの面白さがあるにも関わらず、全体としていま一つ面白く感じられなかった。 安くなっていたものを買ったから、まあいいか、と思えたが、定価だったらちょっと売りたくなったかも。 |
2003/05/30 (金) | ||
1900年のパリの世紀末を、サウンド・オブ・ミュージック、ビートルズやクイーンといった20世紀の名曲を繋げて描いてみせた、ミュージカル映画。 主人公二人とも、吹き替え無しで歌っているとか。 20世紀フォックスの映画であるが伝統的なMGMミュージカルの歴史を踏まえてか(^^;、内容は特筆するものではないが、時代考証を無視することで却って我々20世紀世紀末人に19世紀世紀末の雰囲気を伝えているかのような音楽や、おそらく細かいところにこっているのだろう画面演出(それを見るためだけにでも劇場の大画面に足を運んで良かったのかもしれないと思った)など、とにかく少々いかがわし気な雰囲気を持たせたキッチュな演出にまいった。 そうそう。やっぱり映画はクレジットが終わるまできちんと見なきゃね(^^)。 |
2003/05/31 (土) | ||
ダイアナ・ロスがドロシー、マイケル・ジャクソンがかかしをやったと言うオズの黒人版リメイク。 そう聞いて是非見たいと思っていた映画だったが、実際見てみたら、ドロシーは作中年令24歳だし、全体に画面は暗いし、踊りも音楽も(ブラック系になれていないせいかもしれないが)単調で似通っているし、マイケルはあまり踊らないし。 なによりも中途半端に原作を尊重しちゃっているところが、全然はじけていなくてつまらないのかも。いっそパロディにしちゃえばまだすくわれた気もする。とにかく退屈だった。 |