母親から聞いた宗教の話
戻る 、ホームページへ
このページでは、自分が小さい頃から母親に聞かせ続けられてきた浄土真宗の
話でもしようと思います。
日本人は無宗教だとよく言われるが決してそうではないと思うのです。
新興宗教はいろいろあるし、ネットの中でも宗教的な色の濃いページも結構あるよう
ですし、意外とその様な話題に渇きを感じている人はいるのではないでしょうか?
(ま、そんな人がたまたまここを見に来る確率なんてないに等しいだろうが)
僕は宗教関係の本は全く読んだことがないので、かなり偏った情報を親からもらっ
ている可能性が高いし、断片的な話ばかりなので解りにくいと思いまが、まあ、
たまにはこういう話に触れるのも良いのではないですか?
さて、浄土真宗って何かと聞かれると僕は困ってしまうのですが(ちゃんとした事
を知らない(^^;)、一般的には死後に極楽浄土に行くことを願う宗教でしたっけ?
僕が聞かされたのは、ちょっとずれています。親鸞の教えが違うのかな?
(親の話は、今から考えると、親鸞上人の教えだったのだと思います)
今の自分が既に救われているという事を悟るのが、最終の目的になっているようです。
死後の世界というのはあるのかもしれないが、僕には本当の所は分からない。
それが正直な所でしょう。ただ、この世でどうしようもなく悲しい思いをしているの
に、”死んだら極楽”なんてあったもんじゃない。
やはり、目の前にいる人を救わない宗教など、何の意味もないと思いますね。
親鸞の教えは、自分がこれまでに行ってきた数々の悪行を省みて、自分を地獄に行く
しかない愚か者だと落としめる所から始まります。
「こんな愚かな自分は地獄以外行く所はないじゃないか・・・」と。
でも、実際には自分はまだ生きて居ますし、別に生き地獄にいるほど辛い訳でもない。
「こんな愚かな自分なのに、その割に結構幸せなのはどういうことだ?」と今の世を
肯定的に見ることが出来るようになる。これを仏様の救済のおかげと考えれば、皆が
既に救ってもらっている事になる。”助けてくれ〜”とお願いする気持ちも収まって、
”ありがたいな〜”と感謝する気持ちになって、これはもう穏やかな心になれるね、
というものです。いわゆる「いわんや悪人に於いて」の発想ですね。
この考え方は、非常に弱い立場にあって現実の生活を変える力もなく、布施を払う金も
なく、世俗を離れて修行が出来るような状況にもない、社会の底辺に位置する多くの
人々を救うための教えだと思えます。現状を受け入れるだけの逃避的な救済の道だと
言うことも出来ますが、願いをかなえてくれる方法があったとしても、人間の欲望って
のは限りがないですから、どこかで妥協しないと永遠に満たされる事はないでしょう。
どうせ妥協するなら現状を認めたっていいのでは?とも考えられますよね。
僕はこの教えは非常に分かりやすいと思いますね。「念仏を唱えるだけで極楽浄土へ
連れて行ってもらえるから、信じて疑うな」と言われても全く感知できない物は信じ
られない。しかし「救いを求める必要すらない、あなたはもう既に救ってもらってい
るのだから」と言われたならば、何らかの偶然に仏様の御加護を読み取ることだって
出来るはずだとおもうのですよ。本当にそんな加護が有るか否かは別としても、自分
を納得させやすい、と言うべきかなぁ。
で、僕はと言うと、そういう御加護はあると信じています。
自分を愚か者と考える事はちょっと出来そうもないですけどね。
(たまたま自分がいま幸せだから、そう言っているだけかもしれない・・・)
('97-4/12)
僕へのメール