山口県   萩  温泉と津和野

平成19年 環境大臣表彰と湯田温泉と萩観光

平成28年3月5−7日 萩のしろうお祭りと広島の牡蠣おこ 

平成14年3月  (新幹線の駅は小郡駅、現在は新山口駅)

ご存知、幕末の活躍した吉田松陰のいたところ。松蔭塾は保存されていて松蔭神社とともに観光名所になっています。
宿は、今の天皇さんが宿泊された宿で、「北門屋敷」、白壁に囲まれた武家屋敷群の中にひっそりとたたずんでいます。その為か、電信柱がこの付近にはありません。映画にも使えそうなところでした。泉質は単純炭酸泉、特にどうという温泉ではありません。春には、名物のしらうおの踊り食い、長門に行けば風味がとてもよい取立ての岩のりが頂けます。失礼、乗りは1−2月です。近くには森 鴎外の住居、円 ?の生誕地。廃棄物のみかんの皮で医療品に加工している施設もあります。

幕府討伐の立役者の高杉新作などが教えをもらった「総か村塾」を尋ねました。後世に松蔭を神として崇めた松蔭神社の境内に塾を開いております。生徒は卒業して廃校になっていますが、みんな声をあげて読んでる風景が想像できます。 知っている人は知ってるが、知らない人は知らない、松蔭が江戸の獄中で萩藩に残してきた母の身体のことを思い手紙を書いたところ、母からは「私のことより自分の事を大事にしなさい、貴方の成すべきことを果たしなさい、私は元気です。」と返事をもらったときに書いた有名な歌です

萩には登り窯の陶磁器があります。地名を取って「萩焼き」。粘土は茶色の粘土で奈良の赤膚焼きとよく似た感じです。ろくろを上手に使って(当たりまえか、それで生計を立てているのだから)生き物のように、壷や皿が出来ていきます。素焼きは茶色ですが、上薬や色彩を加えて見事な物になって登り窯から出てきます、登り窯は、字のごとく斜面に沿った長い釜を作り所々に追加の薪を入れる穴があけてあります。始めは一番下の大きな投入口から勢いよくぱっと燃やし釜全体の温度を上昇させて、後は焼きの温度を感と経験から横の穴から薪を入れて温度を調整する、これが大変とのこと上げすぎると歪みが大きくなりすぎて割れてしまい、低いと陶器にならない。安い物は自動機で何ぼでも出来るが、ちょっと良いものは釜で焼かないと良いものが出来ないそうです。
長門の国、萩は江戸時代の毛利家の城下町です。
江戸時代の後期から明治時代にかけて、とても有名な人が出ています。
西 周 家の写真 、森鴎外家の写真両氏がおられます。森鴎外さんの住んでいた、家です。
医者の家に生まれて、後に軍医になり、ご存じの経歴を持ちました。
現在ある家は新たに作った物ですが、本物のとの違いは家の方角が90度
ずれていることで、台所に井戸は付き物で確認してください。
両氏とも人物の記念切手になっておられます。


津和野は、小京都と呼ばれ碁盤の目に似せて作られており、昔の土塀や建物が保存されて景観を楽しめますが、特に歴史的なものは無く、カタログの堀の鯉と鷺舞の像を載せます。森 鴎外が生まれた家が本来と逆に建っている、軍医の家系だったので医者になることが義務づけられていた、現在の高校に当たる学校に行くために東京に行き、2度とこの地には戻らなかったらしい。

私が好きなお酒の酒造古橋酒造 があり、最近は吟醸酒がもてはやされて、私とこも吟醸酒を始めましたとのこと、私は純米酒が好きで嘆かわしい限りですと、話が進みました。いろいろ試飲をさせていただき、これわというのを買い求めました。美味しいお酒をこれからもお願いしますと、乾杯!! 女将さんと一緒に。

 お酒も良いけど、あても良いのがあります。 季節限定ですが「しらうお」です。まだ、現地での食はありませんが、網からすくったのをのどを通したいものですね。残酷!!でも、美味しそう!!


    



平成19年11月23日 受賞の祝いと結婚記念の旅行をする。


環境大臣表彰

尾道にある菩提と叔父さんに報告をする、2枚目の環境大臣表彰をご先祖さんに見て頂きました。
叔父さん夫婦と軽く昼食を楽しませていただき、14時の新幹線で新山口は湯田温泉に向かう。 
少々早い16時に宿に入りました、JTB,近畿、では手配が付かず困ったときの“東大阪”にお願いしました、
ゆっくり出来たら金額は上下関係無いと条件を付けました、流石ですね、交友関係が豊富な
旅行会社(東大阪旅行会)は、これでなくてはね、公共施設を手配してくださいました。


地方教職員組合の施設で翠山荘
紅葉と翠山荘

地方教職員組合の施設で翠山荘、ホテル形式ですが、地元ではなかなかの施設で
宿泊料金は安い上にふぐのコースの夕食は、これでもかと言う位に出てきて満腹、満腹!! 
翠山荘のお湯はB1、露天は無いが大きく取られた湯船、区切られた洗い場で洗い易かった。
中位の湯質(他の2施設と比べ)で広い関係でゆっくり出来ますね、こちらは。
すぐ近くのお宿2件との温泉手形が粋に揃えてあり、他に温泉めぐりは有るのかと尋ねたら、
まったく別の姉妹館では1つ有るが、それ以外は無いと思うとの返事、
このお宿は“良い施設です!!”


セントコア 山口
セント・コアの露天

 妻は館内でゆっくりするとのこと、私は早速、
外湯めぐりに可愛らしい通行手形をいただきカランコロン。
 セントコア 山口は山口県教職員組合の施設でこの界隈では一番新しい施設との事で、
若い人達が結婚式の打ち合わせや
慰労に老若男女が溢れていました。 温泉施設は予想がはずれB1で、
内湯と洗い場、結構広い露天風呂、
露天には洗い場は無く打たせ湯と休憩用の長いすが置かれていました。 
湯は弱アルカリで無色透明で
少しのヌメリを覚える。女性用はたか―い屏で、
仕切られお隣にありますが声もしないし小さそう、
なんと言っても地下1階で道路のすぐ傍なので入りにくいのでは、玄関先の紅葉が綺麗でパチリ!

防長館

 さてさて、もう1軒は信号を挟んで向かい側、防長館は市町村教職員組合の施設です。
ちょっと年季の入った鉄筋コンクリート造り、廻りから見て屋上にあるのがすぐに判った。 
泉質は同じだが“薄い”って感じで内湯のみでうたせの滝が洗い場のすぐ隣にあり、
お互いに飛沫を掛け合っていた老人と子供が多かった、申し分けないが早々に退散。 
やはり、掛ける経費と維持費の問題なのでしょうかね。

 松田屋

 翌日、温泉町を歩きながら湯田温泉駅へ、足湯が6箇所ほど設けてある、
途中、幕末に竜馬や西郷など改革派の集まったところ松田屋の前で記念写真、
歴史ある老舗の風格が良く出ていましたが、
後ろの近代建築が―――。 

大きな白狐さん大きな白い狐

“湯田温泉の、言われ” 駅前に反映の頃の大きな白狐さんが座っていました。
昔、猟師が猪猟をしていたが、なかなか獲物が見つからなかった、狐を見つけ矢を射たが、
深く当たらず怪我をさせただけであったが、狐を追いかけていた。 
狐を見失った猟師が諦めて村に帰ろうと里を歩いていると、なんと射損ねた白い狐が湧き出している泉に傷を漬けていた。
傷は見るみる治り白狐は、そのまま山に帰っていった、猟師は疲れた身体を漬けたらら
これまたすぐに介抱した、猟師は、感激し以後、白い狐をお稲荷さんの使いと崇め、社を建てて祀った、
以後、狐の猟はなくなったとの事。

瑠璃光寺

2両のローカル電車に乗って新山口へ、駅でレンタカーを借りて、いざ出発。
瑠璃光寺の観光にボランティアのオジサンに観光案内をお願いしたが、
ホント詳しく教えていただきました“木村さん”有り難う御座いました。
雪舟やその宿泊の宿、遺骨に伽藍の違い、
陶氏の隆盛、大内家の隆盛、北条氏の繁栄など私の歴史が好きでしたから弾んで弾んで、
最後の御廟の鳴子の道は不思議でした、拍手をするとキュッキュッという音が返ってきます、
拍手の音と違うのです、ほんと、パチパチと違うんです。
反響が微妙だと思いますが、いつまでも残しておいてほしいものです。

秋芳洞
秋芳洞瓦焼きそば

瑠璃光寺の境内のお店でお善哉を頂き、秋吉台に向かって出発。
 入り口から続く売店を覗きながら何ぞ無いか?? 
鍾乳洞をスライスしたコースターを土産に購入、サービスに水晶に小さな柱を頂き満足、
満足してないのがお腹、瓦焼きそば、秋芳定食、ぐっとがまんして、
鍾乳洞へはるか昔(34年前と35年前)に訪れた、記憶を合わせながら、記念写真を。
色あせた(こんなんだったかなあー)と思う黄金柱をバックに写真、
このとき胸から落ちた免許書をおば様が拾ってください感謝感謝でした。


仙崎の奇岩石遊覧

一路、仙崎を目して走り、青海の奇岩石の観光船に乗るつもりでしたが、
冬場は1艘の貸し切りで予約であれば15,16時でも出船しますが、定時の観光船は14時で終わり、
団体さんが居たのでお願いしたが駄目でした、次回を楽しみに干物などを見て萩に向かいました。

北門屋敷に宿泊菖蒲の間

皇室の定宿の北門屋敷に宿泊、江戸時代の萩藩の高い位置の幕臣の居宅のあとを利用しています。
 バルコニー(庭)付きの1階とホテル形式で少々小さめの2階。
地下に在った浴室が、露天付きの大きめの浴室になっていました、大きくゆったり、
どこかにスタッフが居ている細かいサービスも良いもんです。 
部屋食でゆっくり頂いたものだから3時間も掛かってしまいましたが美味しかったです。 
特にどれって無いけど、はずれはない。

萩市内見学藍場川

翌日、私は着物に着替えて、レンタル・サイクルで藍場川の堀の一群に、
川を物資の運搬に使うのは何処でもあります、台所の一部に使うのも各地にあります、
鯉を彩りに、疎水に放して残飯物(当時は無かったと思います)の処分に、お皿などの洗いに使ってますし、
お風呂の残り湯などを流す(今のような害に成る石鹸は無く、ぬかを固めたもの)、



それでも、川は富栄養化にならず養分が足りないままなので汚れない、
生活、輸送の川の水を庭の景観に取り入れているのは少ないと思います。
地元の方々のお手入れで綺麗に整理整頓されていて、文化を守る意気込みを感じます。
いろいろお尋ねすれば快く説明をしていただきました、有り難う御座いました。
 いろいろな工夫が良いですね、でも、あまり下級武士になると大変だったとの事でした。
この町も、着物が似合いますね。



茶室にて お茶・お華の先生と

 要は、程々に収入が必要。
武家屋敷郡に戻り高杉、久保、豪商の館などを観賞して、もう一つ、昔のページ
お茶・お華の先生の居宅(惺々庵)で名家の茶器で一服、いいですなーお抹茶の一服と優雅なお話。
萩の茶道華道のレクチャーをお聞きして市内見学は2度3度は要らないので、
これからはゆっくりお話などして悠久の世界を楽しみます。

宿に戻り、新山口へ、JRの窓口のお姉さんの操作が悪く、せっかく押えた座席を失ってしまい、
乗り換えても座れそうに無いので新大阪まで、こだまで3時間40分で、通常は2時間。
JR西日本さんしっかりしてくださいよ

夫婦での記念の旅、楽しくゆったりした良い旅でした、次は何処かな??

平成28年3月5−7日  しらうお祭りと椿祭と広島牡蠣おこ

*永年の楽しみ2つを叶えられて、良い旅になりました。
萩市内
  1、 しろうお祭り 毎年3月第一日曜日(予定)
     ”しろうお(白魚)” よく間違えるのに”しらうお(素魚)”がありますが、”しらうお” ハゼ科の魚です。
     しろうおは、しろうお科で季節ものです、よく語られるのは、”おどり食い”です。
     市長や漁業関係者の挨拶があり、盆踊りのような踊りがあり、いよいよ無料配布の始まり!!





     紙コップにお玉ですくって、軽くポンズを容れて3−4cmの透き通った小魚を
     1杯目は噛まず飲み込み、2杯目は軽くかんだり、口の中で泳がしたりで風流を楽しみました。
     味より、”風流”を頂くものだと理解しました。   一葉の感動は、有りましたよ。






  2、市の指定の珍しい椿の群生地公園をNPOのおばあさんに案内してもらいながら散策をしました。
     たたら反射炉や江戸時代から明治に掛けての造船所の跡の見学。

  3、萩城跡の散策とお堀の散策
    城主は、江戸時代後半からなんやかんやと言って防府城下に別荘を建てて、住んでいたそうです。
    お城のお堀は、4方向を海が守る、城郭のみのお城です。
    二の門から、川の河口に出て上級武士の屋敷跡、高杉や下級武士の住まいの近くを回遊して、
    少し海まで出て、海からの全体像を見れました。

 明倫館前から新山口駅までの直通特急萩号に乗り、こだまで広島へ。

広島市内

 1、 以前のテレビ放送で自分の筏の広島牡蠣をふんだんに使い川辺のフランス料理店を開いている放送が
気に成っていて、市電に乗って伺いました。
 思っていたより、こじんまりしていて”テラス”が、冬季だからか無くて寂しかった。 料理も、思っていた程の感動がなく、
ごく普通の牡蠣を扱うお店でした。

  2、 広島焼と牡蠣おこ、最初にお玉で小麦を丸く延ばして、キャベツをたっぷり、天かす、おネギ、
最後に豚を載せて少し小麦粉を掛けてひっくり返す!は、私の小さいころと同じで懐かしかった。

しかし、びっくりです! 天ぷらのスルメをトッピングするのは、無かった!! いつから??
でも、何となくスルメの味もするので在りかな。






3、 いろいろの関りから、12代目藤林 徳扇さんとの着物や絵画(ソビエト クレムリン、アメリカ大統領クリントン氏、
フランスルーブル美術館などに所蔵されている作家さん)に関係が出来て気持ちが豊かになったようなで、
人との接触におおらかになれました。 その徳扇さんは、故郷の広島市内で展示講演会の日に心不全でお亡くなりになりました。
その時に、広島市内 JMSアステールプラザのホールに掲示されている”コスモ”を題材にしています。(長女さんの影響かな??)
藤林 徳扇の最後の作品になりました。